紅葉だより3
2021 / 11 / 27 ( Sat ) 紅葉だより3
妙覚寺 妙覚寺は妙見寺の少し北(新町頭鞍馬口)に位置します。 日蓮宗21ケ寺総本山の内のひとつで、山号を具足山と号します。 京都では妙顕寺、妙覚寺、立本寺が三具山として挙げられています。 永和4年(1378)日実上人により信徒で豪商の小野妙覚の支援により 妙顕寺から分離独立して四条大宮に開創いたしました。 天文5年(1536)天文法華の乱で比叡山から京都21ケ寺法華宗がことごと く焼き払われてしまいます。 妙覚寺は天文17年(1549)二条衣棚に再建されました。 表門(大門)は豊臣秀吉が建造した聚楽第の裏門を寛文3年(1663)に移して 建造されたと伝わり、城門特有の両くぐり戸があり、梁の上には伏兵を配置 できる空間が設けられていて、西本願寺の飛雲閣、大徳寺の方丈とともに 数少ない聚楽第の遺構と伝えられています。 ![]() 織田信長は安土に城を構え、京都ではお寺に逗留し、特に妙覚寺には常宿 としていました。 本能寺の変の時は妙覚寺には息子の信忠が逗留していた ため本能寺を宿とし、明智光秀に襲撃されました。 天明の大火で堂宇は焼失し、現在の建物はその後再建されたものです。 大門を入ると銀杏の大木がそびえています。 ![]() 本堂前から真っ赤に色づいた紅葉が枝をのばしています。 ![]() 唐門から奥はまさに紅葉真っ盛りの様子が伺えます。 ![]() 玄関奥からの額縁景色も綺麗です。 ![]() 妙覚寺のメインのお庭「法姿園」です。 法姿園は自然庭園と説明されています。法華経の中に「諸法実相」という教えがあり 諸法・・この世の出来事、実相・・本当の姿 あるがまま) 人間にとって悪いことも良いことも同じように人生にとっては大切なことである との教えだそうです。 しばし法姿園の紅葉をお楽しみください。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 逆さ紅葉のからくりは、縁側に置かれているテーブルから写り込んだ景色を 同時に撮影したものです。 ![]() 本堂横には華芳堂があり、この中に日蓮上人が比叡山で修行されている時に 法華経を書写し、石造に納められた華芳塔が納められています。 通常は非公開ですが今回の特別拝観では公開されています。 ![]() 又妙覚寺の第19世日饒上人は美濃の斉藤道三の息子であったことから信長が 妙覚寺を常宿とし、千利休による茶会も妙覚寺で開かれたと伝わります。 そんな関係から妙覚寺には斉藤道三が息子日饒に宛てた遺言状が残されています。 ![]() 今回の特別展では信長が開いた饗宴の本膳料理が再現され、展示されています。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 特別展は12月5日迄です。 |
紅葉だより ②
2021 / 11 / 27 ( Sat ) 紅葉だより2
妙顕寺 堀川通は銀杏並木が続き、秋には綺麗に色づき、行き交う車窓から も秋の深まりを感じることが出来ます。 ![]() 寺の内通堀川を東入り、紅葉を愛でながらさらに東に進むと ![]() 妙顕寺が見えてきます。 ![]() 妙顕寺は鎌倉時代後期(1321)京都における最初の日蓮宗として 創建されました。 開祖は日蓮上人の孫弟子にあたる日像上人です。 元弘3年日像上人は護良親王の令旨により隠岐の島に配流されていた 後醍醐天皇の還幸を祈願のため法華経千巻を読経する祈願をいたしました。 するとその年中に後醍醐天皇の還幸が叶いこの功績により後醍醐天皇より 寺地を賜り勅願寺となりました。 ![]() 又、延文2年(1357)には後光厳天皇の綸旨を受け宗内最高の地位 「四海昌導妙顕寺」となり、扁額も後光厳天皇の宸筆によると伝えられています。 山門を入りますと大きな本堂が見えてきます。日蓮宗の伽藍は非常に大きいです。 堂前には可愛い妙顕寺型の常夜灯と大きな灯籠が置かれています。 ![]() ![]() 本堂横には竜神がお祀りされています。 ![]() 勅使門の前の紅葉も今紅葉がピークとなっています。 ![]() 方丈からお庭の拝見をいたします。 ![]() 勅使門の裏側は四海唱導(龍華飛翔)の庭です。 龍が白砂を通って天に上る姿を表していると言われます。 ![]() ![]() 最近手水鉢にこのようにきれいなお花を飾るところを多く見かけます。 今は新型コロナ感染防止のため手水を使わないようにと、このような対策 がなされています。 ![]() 妙顕寺は尾形光琳や酒井抱一と深い結びつきがあり数々の作品が 遺されています。 光琳曲水の庭と名付けられたこちらのお庭には樹齢400年の赤松が堂々と そびえ、その隣には樹齢200年の黒松で圧倒されます。 川の流れを模した白砂がきれいです。 ![]() ![]() 中庭には五角形の竹の坪庭があります。 常緑で勢いよく伸びる竹は青々として清涼感を感じます。 ![]() 五色椿と赤松の庭には水琴窟がおかれていて、ひしゃくで手水鉢の水をかけると キンコンと涼やかな音が聞こえてきます。 ![]() 妙顕寺では今宝物館も開かれていていますので拝観は紅葉とともに絶好の 機会です。 紅葉は今月いっぱいは楽しむことができます。 |
秋の京都まるごと美術館
2021 / 11 / 23 ( Tue ) 紅葉だより
宝鏡寺(人形寺) 秋酣の季節を迎え、京都の中心で紅葉の素晴らしいお寺をご紹介しましょう 上京区寺ノ内通堀川東入るに”宝鏡寺”さん通称人形寺とも呼ばれて 人気の高いお寺があります。 ![]() 臨済宗でご本尊様は聖観世音菩薩をお祀りされています。 この観音様はその昔、伊勢の二見が浦で漁網にかかって引き上げ られたと伝わります。 その時観音様の手には光り輝く宝鏡を持っておられ、大層輝いていたので、 観音様にさわりがあってはいけないと漁師の方が朝廷に献上されました。 時の天皇である後光厳天皇は宮中の御黒戸に安置されたところ吉祥なことが 次々と起こりました。 そこで天皇は観音様を当時尼寺として栄えていた景愛寺に納めました、 景愛寺で住持されていた光厳天皇の皇女華林宮はこの観音様をお祀りする ため新たに寺を開山して納め寺名を後光厳天皇より「宝鏡寺」の名を賜りました。 江戸時代には後水尾天皇の皇女理昌尼王久厳が入寺され尼門跡寺院(尼御所) と呼ばれるようになりました。 元々この辺りには百々という豪族が住まいしていたところから百々町との町名とも なっていて 宝鏡寺を百々御所とも呼びます。 建物は天明の大火(1788)によって焼失し、天保元年(1830)より順次再建されて いきました。 多くは京都市の指定有形文化財となっております。 ![]() 代々天皇家縁の皇女が住持されたところから、天皇より折に触れて皇女 の息災や成長を祈願して人形が贈られてきました。 その人形は350年来から継承されてきました。 現ご住職の先々代の時に、最近昔からの由緒ある人形を見ることが出来なく なってきたと聞き、当寺に継承されている人形を披露するために昭和32年 より人形展が春、秋に行われるようになりました。 そして昭和34年には人形供養塔が建立され、この人形塚の前で人形供養が 行われるようになり、この時には島原の太夫による舞や琴等の披露が 行われます。 人形塚には武者小路実篤の歌碑が刻まれています。 ”人形よ 誰がつくりしか 誰に愛されしか 知らねども 愛された事実こそ 汝が 成仏の誠なれ” ![]() ![]() 宝鏡寺に継承されるお人形のなかには「万勢伊さん」と名付けられたお人形は 後西天皇の皇女本覚宮様が大層可愛がられ、余りの可愛がりようでその魂が 乗り移り、人出の足りない時は夜回りにまわったり、文をしたためようとすれば 硯を持って来たりされたとか・・・現在はその魂を抜いたので歩かれなくなりました。 という人形も今展示されています。 ![]() 書院の前庭には上京区民の木「いろは紅葉」が今とても綺麗に色づいています。 ![]() ![]() ![]() 又江戸時代、皇女和宮様も宝鏡寺に短期間お住まいをされていて、鶴亀の庭 でよく遊ばれたとも伝えられています。 幕末のころには徳川家茂に降下され江戸城無血開城に影の力を発揮され ました。 ![]() ![]() 阿弥陀堂は御所の建物を移したものとされ、御本尊の阿弥陀如来は 光格天皇の遺作と伝わります。 又宝鏡寺では日野富子の木像もお祀りされています。 宝鏡寺には珍しい伊勢撫子や、月光椿、村娘椿等珍しい花や花木も 楽しむことが出来ます。 紅葉は今週いっぱいは楽しむことができます。 |
鮎
2021 / 08 / 02 ( Mon ) 夏の風物詩 「鮎料理」
6月から8月いっぱいまで、京の清流では鮎釣のシーズンを迎えます。 冬の間海で過ごした鮎の稚魚は春になると成長に適した軟水を求めて 石に付着した藻を食べ成長しながら川を上っていきます。 6月頃になると体長は15cm位から18cm位までになります。 鮎はなわばりをつくる習性がありその範囲は一平方メートルもあるとか 縄張りに侵入してきた魚には体当たりをして攻撃するという獰猛さも あるようです。 6月から8月にかけては鮎料理が賑わいます。 京の精t流、清滝川、や和知川では新鮮な鮎釣りが釣り仲間の楽しみ な季節となります。 ![]() ![]() 今回はJR和知駅のすぐ近くにある鮎料理の「角屋(かどや)」を訪ねて みました。 新型コロナの感染が拡大する中なので、三密を避け車で出掛けました。 「角屋」さんは料理旅館で北大路魯山人も絶賛したといわれるお店で 天然アユ尽くしのお料理を堪能して参りました。 ![]() まずは 和知の辺りは京丹波黒豆の産地でもあり、 黒豆酒で乾杯です。 まったりした口当たりのいい食前酒です。 黒豆の煮物、さごし(鮎の酢の物)、うるか(鮎の内臓の塩漬け) うるかは酒のみにはたまらない、癖になりそうなあじわいです。 ![]() 続いては鮎の洗い(おつくり) 酢味噌でも、塩でもいろいろ食べ比べです。 さっぱりした味わいです。 ![]() いよいよ本番の塩焼きです。 新鮮なのでそのままでも、骨抜きでもいずれも大丈夫ですが、骨はきれいに 抜けました。 身は引きしまって丁度食べ頃です。 ![]() ![]() 続いては鮎の田楽(味噌だれ) 塩味は鮎そのものの味わいで、味噌たれは又濃厚な味わいとなります。 ![]() そして鮎のフライです。 これは丸かじりで戴きます。 熱々を ”ガブリ” と なんとも贅沢なことです。 骨も柔らかです。 ![]() 鮎のすべてを頂きます。骨もから揚げして頂き、ポリポリと香ばしく 残すところなく丸ごと頂きます。 ![]() 最後は鮎の釜めしです。 炊きあがった鮎を取り出して、鮎を小さくほぐしてご飯に混ぜ合わせます。 鮎は生臭さがなく、みもしまっていて大変美味です。 本日は鮎8匹を丸ごと堪能いたしました。 ![]() デザートは自家製のマンゴのアイスクリームです。 静かな佇まいで近くには和知川、由良川が流れる風光明媚なところです。 |
京(みやこ)の花だより
2021 / 04 / 24 ( Sat ) 妙蓮寺の藤
桜の乱舞が過ぎ、今は躑躅、藤が見ごろを迎えています。 京にも宇治平等院、鳥羽水環保全センター、勧修寺他に藤の名所があります。 身近な所にも藤棚が大切に守られ今年も見事に満開を迎えています。 そんなひとつに妙蓮寺の藤棚があります。 ![]() 妙蓮寺は上京区寺の内通大宮東にあり、日蓮宗の洛中法華二十カ寺 本山の一つで、天正15年に下京区五条から現在地に移転してきました。 長谷川等伯の障壁画など今年の京の冬の旅で公開されていたところです。 日蓮上人にちなんだお会式桜でもよく知られております。 その妙蓮寺の藤棚が今満開となっています。 ![]() 鐘楼の北側に藤棚が大切に守られています。 ![]() 藤の花は主に本州、四国、九州に咲き蔓状の幹枝から生育して他木に 蒔きついていきます。 この蔓は非常に丈夫で椅子や籠に利用されたり、松明を縛る綱の役割を になったり、又繊維となって衣服にも加工されてきました。 江戸時代には庶民の作業着にもなっていたと伝わります。 また、高貴な花として家紋にもそのデザインが使用されています。 古くは万葉集にも歌われていたり歴史の古い花木として現在も愛されています。 花序は長くて100cmにもなるものもあります。 冬になると乾燥して花弁から種を飛び散らせる形で散布するそうです。 ![]() 藤の花ことばは”優しさ” ”歓迎” ”決して離れない”だそうです。 蔓がまきついたら決して離れないところからきているそうです。 藤は今月一杯楽しめそうです。 ![]() 躑躅も満開を迎えています。 |