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京の夏の旅
2018 / 09 / 24 ( Mon )
京の夏の旅 御室別邸

第43回 京の夏の旅は3つのテーマで特別公開が開催されています。
「明治150年」「京のお屋敷」「もう一つの花街 島原」のテーマです。

京の夏の旅

そのうちの一つ「京のお屋敷」  ”旧邸御室” に行って参りました。

御室は京都市右京区の仁和寺を中心とした一体の地域を指します。
宇多天皇が譲位され仁和寺に御座所を設けられ隠棲されたところを御室御所
と呼ばれたところからきています。

門


嵐電の仁和寺駅から徒歩5分位のところにある、現在は株式会社山三製材所の
山本三夫氏所有の邸宅が今回公開されていてる”旧邸御室”です。

築80年といわれ、500坪の広大な敷地に建てられた数寄屋造りの邸宅は平成28年
11月に国登録の有形文化財に登録されました。

昭和12年に建てられた当初の建物は設計者は不明だそうです。
当時の所有者は大手酒造会社役員の阿部喜兵衛氏という方です。

四代目の阿部喜兵衛氏の祖父である二代目阿部喜兵衛氏は
朝の連続テレビ小説「マッサン」のモデルとなったニッカウイスキーの
創設者竹鶴政孝氏をスコットランドに送り出した人として知られています。

この阿部喜兵衛氏より昭和44年に山本氏が購入され現在に至ります。

22畳の大広間からの景色は双ヶ岡の斜景を利用して飛び石には鞍馬石を
そして樹齢100年~120年の赤松に灯籠を隔ててうばめがしが枝を張ります。

o.jpg

お座敷にはかりんの木を用いた座敷机がおかれ、これが庭鏡となり、お庭の
景色を写しだします。

書院造りの床の間は本床に付け書院と左端の一段高くなっているのは琵琶床です。
お客様をお迎えした時に琵琶を飾っておく飾り床です。

書院造りの床の間

お座敷の欄間には桐の木に”富士山”が彫られています。

富士山の欄間

富士山の欄間の下には襖絵に美保の松原が描かれています。

襖

お庭から山手に上がると四畳半のお茶室 ”双庵”が建てられています。

茶室

数寄屋造りのお茶室は落ち着いた雰囲気で大切に保存されているのか
とても綺麗でした。

茶室2

お茶室 “双庵” からの眺めは双ヶ岡を借景に母屋の屋根が見えます。

茶室からの眺め

お風呂の扉は筏流しの絵が描かれたすりガラスがはめられていて、モダンな
お風呂場です。
洗面台の鏡にそのすりガラスが写ります。

洗面台

洋間の天井は四季の花が描かれた格天井となっています。

格天井

玄関にもかりんの木で出来た衝立が置かれ外の景色を写しています。

玄関

邸宅内には大小15の灯籠が置かれています。

灯籠

昭和初期の数寄屋造りの邸宅が文化財としてその価値を後世に伝えられることを
願って公開されています。
京の夏の旅は9月30日迄となっています。
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17 : 33 : 33 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
京都の御大礼
2018 / 09 / 17 ( Mon )
京都の御大礼

今年は明治150年の記念の年であり、平成30年の節目の年を迎えております。
そして来年(平成31年)には平成天皇が譲位され元号が変わり、その年には
新たな天皇の即位の礼や大嘗祭が盛大に行われることとなっております。

明治になって天皇が東京にお移りになってからも、大正天皇や昭和天皇の即位礼と
大嘗祭は京都で行われて参りました。
大正4年(1915)の大正の御大礼は京都御所の紫宸殿で行われ、饗宴は二条城の
現在の清流園の辺りに新たな建物が新築され行われたようです。

この記念の年にあたり、9月1日から 「京都の御大礼」と題して、細見美術館や
京都市美術館別館、みやこめっせ、上賀茂神社、下鴨神社で御大礼ゆかりの
展示会や関連の講演会、よみがえる味 大正大礼のおもてなし料理、などの催しが開催
されております。

パンフレット


今日は二条城の台所で開催の宮廷文化を吟味する特別な体験として
 よみがえる味 大正大礼のおもてなし料理 の体験をしてまいりました。

特別講演会は「”京都の御大礼”がもつ意義を考える」
 天皇の歴史と文化研究者の所功先生のお話と
 皇室ジャーナリストの久能靖先生との対談がありました。

即位の礼が始まったのは飛鳥時代からで当時は中国の影響を受けていました。
大嘗祭というかたちが整ってきたのは奈良時代だとみられます。
衣装も孝明天皇の時は中国式、明治天皇の時より束帯姿になり、
高御座も大正天皇の時に復元されました。
大正天皇の時から皇后様の御帳台も置かれるようになりましたが、この時
皇后様はご懐妊されていたので、お立ちにはならなかったそうです。
衣食住の中で最も大事とされる食、新嘗祭はお米や粟をお供えして天皇がそれを
戴かれる直会の儀式で、このお米や粟が京都を中心に東西に分かれて奉納されて
きました。
等貴重なお話を伺うことができました。

図録


その後は飛鳥時代から大嘗祭の際に舞われた五節舞が披露されました。
五節舞には諸説あり
天武天皇の時代に吉野の天女が現れ袖を五度振って舞ったとか、
五度袖を振るのは呪術的であり、新嘗祭の前日に行われる鎮魂祭とも同じ意味が
あるという説や五節=五声として先王が5つの音調を用いて楽を作って民衆に教化した
等いろいろあるそうです。

五節会の舞1

この衣装は十二単の衣装で頭には日陰糸をつけます。
衣装を新調するには( )億円はかかるそうです。

御節会の舞2

本来新嘗祭の際には4名で、大嘗祭の際には5名で舞われるそうですが、
本日は2名で舞われました。

御節会の舞3

雅やかで、豪華な衣装とゆったりとした雅楽にあわせて舞われる五節舞は
優雅で艶やかな舞です。

御節会の舞5

この後は
西陣の魚新さんが作られた「御大礼おもてなし弁当」を頂きました

お弁当2

大正大礼の献立から現代風にアレンジした献立のお弁当です。
献立は
 *鯛糸づ造り、 いか松笠焼目、 うど
 *鮭黄身焼、日の出かまぼこ、松葉黒豆、鳥松風焼き、寄せ金柑
   ひしはなびら、浅漬け大根、松笠慈姑
 *炊合せ
   鴨じぶ煮、椎茸、すだれ麩、菠萩草
 *ご飯
   たいそぼろ、錦糸玉子、筍、紅生姜
が夫々彩りよく詰められていました。

西陣魚新さんは京都では萬亀楼さんと二軒だけ有職料理を継承されているお店です。
本日の献立は元宮内庁大善課に勤務されていた谷部金次郎氏の助言のもとで
つくられたものだそうです。

京料理のおもてなしは雅ななかにも素材の味がしっかり出されていて調和の
とれた大変おいしいお弁当でした。
20 : 34 : 31 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
京の伝統野菜料理 
2018 / 08 / 22 ( Wed )
京の伝統野菜料理 萬川

「京の伝統野菜」は1987年に京都府で40品目を認定いたしました。
その「京の伝統野菜」としての定義付けは
 ①明治以降の導入の歴史を有する
 ②京都府内で生産されているもの
 ③たけのこをふくみ
   キノコ類、シダ類を除いたもの
 ④現在も栽培または保存されているもの、
   及び絶滅した品目を含む
とされています。

この他にもブランド京野菜として京都の永い歴史と伝統に育まれて
京の食文化を支えてきたものを、公益社団法人京のふるさと産品協会が
認定した「京マーク」のついた野菜25品目があげられます。

このように京は良質な水に恵まれ四季の寒暖の差が明確なところから
早くからブランド的な野菜が豊富で京の食文化の発展に大きく寄与してきました。

そして産地直の京野菜を使った京料理のお店も最近は予約が混んでいる
お店も多くなりました。

今回は京野菜の主産地である上賀茂の町家「萬川」にお伺いしてきました。

萬川

お店の雰囲気は築100年は経過している古民家、なんとなく「ほっこり」するという
感じです。 大人数ではなく20名位がお食事できるお店です。
大きなテーブルには季節の花が活け込んであります。

店内2

床の間飾り
床飾り

店内

玄関横の土間は現在はカウンターに変身
お得意様のキープボトルやいろんな種類のお酒が並べられています。
これもアートですね

カウンター

まずはおばんざい3種盛
 亀岡産茄子、小芋、 万願寺とうがらし の煮物
唐辛子 茄子 小芋

京水菜と大根のサラダ
 ピンクペパーの香がほんのりとします。
水菜サラダ

万願寺唐辛子の3種あぶり焼き(城陽産のとうがらし)
万願寺唐辛子は非常に大きく長く食べごたえがあります。
削りぶしのいい香りと相性がよろしく素朴な味わいです。
万願寺唐辛子

デトックス 豆乳ドリンク
 白味噌仕立ての和風スープといったところでしょうか
 豆乳の味が勝でもなく、白味噌の味が勝でもなく、お互いが
 マッチした夏には冷たく食欲をそそります。
豆乳スープ

今年の猛暑は野菜の栽培にも大きく影響しているそうで、上賀茂の賀茂茄子
は数が少なくなってしまっているそうです。
茄子田楽は産地の茄子を選んで調理して頂けるそうです。
今回は希少価値の上賀茂産をお願いしました。 他には亀岡産の賀茂茄子があります。

賀茂茄子

上賀茂産の茄子には上賀茂産野菜研究会のシールが貼られています。
上賀茂の農家の方はこのお茄子を栽培するのに、品種の保持だけではなく
これを育成保持していくことに誇りをもってその責任感で栽培されていると
お聞きしました。
賀茂ナス田楽

京山科茄子の焼きびたし、ゆばかけ
 焼きナスの香ばしい香とねぎ湯葉の歯触りがマッチしています。
焼きナス

京都産白米と18種の雑穀米の湯葉あんかけごはんに上賀茂産のすぐき漬けです。
湯葉もぱりぱりしたものと、餡かけのようにしっとりしたものと又感じが違い美味です。
湯葉雑炊 すぐき漬け

器にも心配りがあり、お料理にあった土物で素朴なお料理を引き立てる趣向が
垣間見えて美味しく頂きました。
急須

萬川さんは上賀茂神社から徒歩15分位です。
事前予約が必要です。
17 : 41 : 54 | 京料理 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
東北の旅5
2018 / 07 / 22 ( Sun )
東北の旅5
 盛岡~平泉  毛越寺、中尊寺、達谷窟毘沙門堂へ


平泉の地は平安時代後期に豪族藤原清衡を父とし、その子基衡、
孫の秀衡と三代にわたりおよそ100年間奥州文化を築いたところです。

平泉に到着すると、駅前から15分間隔で毛越寺、中尊寺、高館義経堂、無量光院跡
など8か所をめぐる巡回バス”るんるん”が出ています。
一日フリー乗車券を買って、まずは毛越寺から出発です。
毛越寺、中尊寺は平成23年(2011)に世界文化遺産に登録されています。

毛越寺山門

毛越寺は創建当時は金堂円隆寺をはじめ嘉祥寺、講堂、常行堂、南大門など
の堂宇が立ち並びその前庭に大泉が池を中心に浄土式庭園が配置される
広大な寺院であったと伝えられています。

毛越寺の由来には白鹿伝説があります。
嘉祥3年(850)慈覚大師が東北を巡遊の時、この地にさしかかると、あたり一面に
霧がかかり前が見えなくなりました。
そんな時、ふと足元をみると点々と白鹿の毛がおちていました。大師はその毛を
辿っていくと前方に白鹿がうずくまっていました。
大師が近づくと白鹿は姿を消してしまいました。やがてどこからとなく白髪の老人
があらわれこの地に堂宇を建立して霊場にせよと告げました。
大師はこの老人こそ薬師如来の化身と感じ、一宇の堂を建立し、嘉祥寺と号しました
これが毛越寺の起こりとされていると記されています。

毛越寺本堂


現在は多くの堂宇は焼失してしまいましたが、当時の堂宇、回廊の基壇、礎石、土塁
等が遺されていて、平安の伽藍様式、浄土庭園を知る貴重な遺構とされています。

毛越寺庭園1

大泉か池は雨で緑が一段ときれいで池面の浮かぶ龍頭船が絵になります。

龍頭船

あやめが池にはちょうどあやめが咲いていました。
あやめが池

地蔵菩薩も鎮座しています。
地蔵菩薩


中尊寺

中尊寺はバス亭から金色堂までは可なりの坂道を上っていきます。

藤原清衡が造営したが度重なる火災で多くの堂塔が焼失したが、金色堂だけは
創建当時のまま残され、堂内には藤原氏四代の遺体が納められているそうです。


中尊寺

金色堂は昭和37年(1962)解体修理が行われたが、その材料の中には現代では再現できない
ものもあったとか、痛みが激しく修復に困難を極め修復に当たった方はこれは修理か破壊か
と疑問視せざるをえない場面もあったとか。
そこには相当の苦心、苦労があったようで、それを乗り越え又今日燦然と輝く金色堂へと
復活をはたしました。

金色堂
(パンフレットより)
金色堂が世界遺産に登録されたのは東北大震災の3ケ月後、中尊寺では震災直後より
物心両面での支援を続けてこられたと報道されています。
藤原清衡が念願としていた、人々が助け合う、支え合う浄土思想の実践がこの東北で
行われていることを感じました。

達谷窟毘沙門堂

達谷岩屋毘沙門堂 山門

達谷窟毘沙門堂は延暦20年征夷大将軍坂上田村麻呂の創建と伝えられています。

境内は神域として古くから殺生の禁断地とされ、動植物の採取、煙草・飲食の行為
犬猫を伴っての参拝は堅く禁じられているされています。
大変厳密なお寺です。

毘沙門堂は寅年の守り本尊、多くの御利益があるそうです。

毘沙門堂は懸造りとなっていて、大きな岩肌に面して建てられています。
御堂床下の広い空間は、昔から諸国行脚の聖や山伏、乞食などが休める安住の宿
として、また合戦に敗れたもののふが身を隠し、再生し生まれ変わっていく場として、
また祖先の霊があの世から還って集う聖地として、現在も人が立ち入ることを許さない
禁足地とされているので注意しなければなりません。

懸け造り

岩面に大仏様が刻まれていますが、大仏様は極楽の仏様とされているそうです。
この大仏様は高さ16.5m、顔の長さ3.6m 肩幅9.9mもあり、全国で五指に入る大像
といわれています。

その昔、陸奥の守源義家公が敵味方の諸霊を供養するために馬上より弓張をもって
彫りつけたと記されていました。
岩面大仏2

6月8日から3泊4日の東北の旅でしたが、今回は天台宗関連の寺院を中心に
中身の濃いすばらしい旅となりました。
17 : 13 : 58 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
東北の旅4
2018 / 07 / 22 ( Sun )
東北の旅4
  三沢駅~八戸 (櫛引八幡宮)~東北エモーションで久慈~盛岡(


東北の旅№4は三沢駅から青い森鉄道で八戸へ。

八戸では南部一之宮といわれる櫛引八幡宮へ
櫛引八幡宮は平泉合戦で戦功をたてた南部家初代の光行が創建した神社
と伝えられています。

源頼朝から青森岩手北部の広大な土地を拝領して神託により
櫛引村を社地とし貞応元年(1222)社殿を造営、南部領総鎮守として
創建されたと伝えられます。

櫛引八幡宮鳥居

本殿は重要文化財に指定されています。

櫛引八幡宮本殿

国宝館には鎌倉末期の
 赤糸縅鎧と白糸縅妻取鎧が展示されています。
 緻密な括りや塗技法等素晴らしいものでした。

境内には杉の大木が沢山みられ、連理の3本杉や夫婦杉が堂々と
そびえています。

夫婦杉2

櫛引八幡宮に伝わるカッパ伝説
八幡様の使いの鷹が、メドツ(河童)が勝手に暴れないように押さえつけている
通常本殿には縁起のいい鳳凰や龍、獅子などの彫刻がみられるが、何故か
こちらにはカッパ(妖怪)が彫刻されています。

カッパ(メドツ)

又日本三駒と言われる八幡馬の置物も有名です。
その昔、馬に乗ってお嫁入りした際に馬を飾りたてたものを表現したとか
流鏑馬のときの馬の飾りを表現したものとか2説あるそうです。

櫛引八幡宮から根城跡へ

根城1

根城は南北朝時代に南朝方の武将南部師行が築城し、八戸統治の
拠点としたところだそうです。

お正月には大広間で武将が新年を祝う饗宴の様子が再現されています。

根城正月風景(大広間)

南部氏が支配していた広大の範囲が記されています。

根城 南部氏支配図

当時の建物は雪深い地で平城として築城された、安土桃山時代の
お城の面影を伝える貴重な史跡とされています。

納屋2

この後は八戸から東北エモーションというレストラン列車で久慈まで
東北エモーションは各個室となっていて、列車の中でお食事を戴くことが出来ます。

東北エモーション4

列車が走りだすと、各ブースにお食事が運ばれてきます。
先ずはリンゴジュースでさっぱりと気分爽快、食欲をそそります。

エモーション 食前酒

前菜は、甘海老のクリュ、ホタルイカ、柑橘とシナモン、クリームチーズ
かにとコブミカン じゃがいものフリット

エモーション前菜

メインディシュは豚肉ロースのロティ、味噌漬けベーコン アスパラガス、チーズ
エモーションメインディシュ

デザート プチフール(マドレーヌ、カカオのチョイール、フロマージュプランの
サパラン イチゴ)
プティフール

外の景色が流れていく中で素晴らしいひと時でした。

途中東北復興のお礼にと沿線の方が旗をふって感謝の気持ちを
あらわしておられました。
まだまだ復興途中で皆様必死に再起をかけ頑張っておられる姿を
再確認し、応援の気持ちを強くもちました。

震災復興

この日の宿は盛岡です。
14 : 16 : 28 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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