丑年の始まり
2021 / 01 / 03 ( Sun ) ”もお~と” 新型コロナを抑えて
2021年丑年が始まりました。 丑年は焦らずに着実の物事を進めていく年だとか!! 年明け早々新型コロナは過去最高の罹患者が出るなどの騒ぎで 始まりました。 何処の神社仏閣も参拝縮小、不要不急の外出は控えての静かな 新年となっています。 今年の北野天満宮の新年の様子は例年の半分以下の参拝状況でした。 ![]() 楼門には巨大な絵馬が掲げられています。 三輪晃久画伯の赤梅に黒和牛のどっしりとした穏やかな絵馬は重さ120kg 総檜で横幅3.3m 高さ2.25mもあります。 ![]() 2日から始まる筆始めも間隔を空けて行われていました。 楼門を潜ると、いろいろな縁起物やおみくじ、厄除けの品々が授与されています。 ![]() なぜかぼけ封じ、足腰健全のお守りがやたらと目につきました。 ![]() 可愛い福みくじは若い女性に人気を博しています。 それぞれにいわれがあり、その顔も一つづつ違う手書きであったりいたします。 楼門から三光門へと進むとなで牛が横たわっています。 ここも感染予防が施されていて、消毒液も置かれていました。 北野天満宮の牛は臥牛の姿をしています。 これには、菅原道真公が大宰府に配流されていた時にわが身は牛のとどまる 所にとどめよとの遺言により、そのような姿をしているのです。 ![]() 本殿前のおみくじをひく所も人混みはなくすいすいと潜り抜けられます。 ![]() 昨年の9月4日には北野天満宮と比叡山延暦寺が合同で550年振りに 「北野御霊会」が行われました。 新型コロナウイルスの早期終息や国の安寧を願い神仏習合、宗教を超えた 祈りが厳かに捧げられました。 その様子が説明されていました。 ![]() 北野御霊会の起源は平安時代に始まったもので、勅裁「北野祭」の一環として 行われてきましたが、応仁・文明の乱で途絶えていました。 北野天満宮は神仏習合の時代は延暦寺の管轄下にあり、宮司の役割は 天台宗五箇室門跡の曼殊院門跡が代々務めておられたそうです。 明治の神仏分離により夫々独立いたしました。 菅原道真公も比叡山の法性坊尊意僧正を師と仰ぎ北野天神縁起絵巻等によると 比叡山から天に登ったとの伝説ものこされています。 このように比叡山延暦寺と北野天満宮とは深いつながりがありました。 今年は天台宗宗祖最澄の1200年大遠忌があり、節目を迎えるのを機会に この国難の疫病退散を共に祈る御霊会が行われました。 今から100年前にもスペイン風邪や香港風邪が流行り人々の生活を 脅かしてきました。 その時も北野天満宮日誌に被害甚大で神職も出社できず、休業的な 対策を講じたとの記録が残されているようです。 歴史は繰り返されます。一日も早い終息をお願いいたしました。 梅園入口には早咲きの白梅が清らかな香りを放ちながら花を咲かせていました。 ![]() |
隠れた紅葉の名所
2020 / 09 / 22 ( Tue ) 隠れた紅葉の名所 淨住寺
京都市の西京区 阪急上桂駅から10分位のところには観光の名所 苔寺で有名な西方寺、女性に人気の鈴虫寺、細川家ゆかりの地蔵院等 があります。 ![]() 地蔵院への丁度分かれ道 右→地蔵院 左→淨住寺の石の標識を 左に折れて、すぐのところに「淨住寺」があります。 ![]() 通常は非公開とされ、山号は葉室山 黄檗宗の寺院です。 創建の歴史は古く平安時代に遡ります。 弘仁元年(810)嵯峨天皇の勅願寺として天台宗の第3世慈覚大使(円仁) によって創建されたと伝えられています。 弘長年間(1261~1263)藤原家の流れをくむ中納言葉室定嗣(定然)が当地に 隠棲、奈良西大寺の叡尊を迎えて律宗道場としたと伝える。 南北朝時代に荒廃、元禄2年(1689)に黄檗宗の鉄牛道機禅僧が中納言 葉室孝重の援助を得て再興、黄檗宗に改められました。 境内には本堂、開山堂、観音堂、位牌堂、方丈(伊達藩士伊達綱村公建立)、 寿堂(京都市有形文化財)などが建立されています。 ![]() ![]() 通常は非公開であまり知られてはいませんが、隠れた紅葉の名所でも あります。 三門から参道は紅葉のトンネルとなり、春から夏にかけては 青紅葉を 楽しみ、秋には参道一面真赤に染まり、赤い絨毯を敷き詰めた光景を 見ることができます。 ![]() 参道の突き当りに本堂があります。 本堂の裏手に位牌堂、開山堂、寿堂が続きます。 開山堂には中興の祖鉄牛道機の像が図子のなかに御祀りされています。 寿堂(じゅとう)には巨石の下に石窟があり、鉄牛禅師の舎利が安置 されているそうです。 この寿堂は前代より非公開とされています。 今回は新型コロナの関係で人数を限定しての座禅体験をしてまいりました。 座禅には面壁(壁に向かって行う座禅)と対面の座禅があり、面壁は無の境地と 対面は問答(考える)座禅、いずれも調身、調息、調心 (姿勢を整え、呼吸と整え、心を整える)という修行の方法 私達は対面で20分間体験させて頂きました。 息を大きくゆっくりと整えて、定点とみつめていると最初は次第に眠気が やってきます。 日常の喧騒にまぎれているとこんな体験も清々しく穏やかになります。 ![]() 境内には丁度今、萩が枝を伸ばし間もなく開花を迎えようとしています。 ![]() 方丈は仙台藩主伊達綱村公が幼少期に過ごされた屋敷を淨住寺に寄進移築された そうです。 江戸時代の武家屋敷の造りで上段の間があり、池泉回遊式の庭園があります。 ![]() ![]() ![]() 一昨年の台風21号でお寺も大分傷んだご様子で、修繕がなかなか追いつかない とご住職がおっしゃっていました。 お寺は格式のあるとてもいい雰囲気で黄檗宗の様相を伺うことができます。 ご住職様もまだお若く溌剌とされ非常に熱心にご説明頂きました。 参道には珍しい亀甲竹や四方竹もあります。 紅葉の頃に又訪れてみたいお寺です。 |
京の六地蔵めぐり
2020 / 08 / 23 ( Sun ) 京の六地蔵めぐり
毎年8月22日23日 京の都では六地蔵めぐりが行われています。 ![]() 平安時代 参議左大瓣小野篁公が生死のはざまで地蔵菩薩を拝して蘇生した 後に、木幡山の一本の桜の大木を以って六体の地蔵菩薩を刻み木幡の里 に安置した。 この地蔵尊を後白河天皇が深く信仰され、後に平清盛に勅命し、 都の街道入口六ヶ所に六角堂を建て、一体ずつ安置したのが始まりとされ、 以降庶民に親しまれ「六地蔵めぐり」の風習が起こったとされています。 ![]() この六体の地蔵菩薩を巡って罪障消滅、家内安全、無病息災、家運繁栄と 祈願をこめてお参りをいたしますが、 一方京の町々では各お町内で地蔵盆(地蔵祭)が行われるのも六地蔵 信仰に起因するものだとも言われております。 明治時代以前は「地蔵祭」や「地蔵会」と呼ばれ地蔵菩薩をお祀りする 仏教行事でありました。 地蔵菩薩は数々の苦難から人々を救い子供などの弱い人々を助けてくれる 仏様として信じられ、子供を主役として行われる行事として定着してきました。 この日は子供中心で、おやつを頂いたり、ゲームをしたり、読経と一緒に 数珠まわしを大人もいっしょになって楽しみます。 こんな経験を通して生活の中に人とのつながりや、宗教的な行事というものを 学ぶいい機会でもあります。 今年は生憎の新型コロナウイルス拡散により、町のどの辻からも子供の声は 聞こえてきません。 静かな地蔵会であり、静かな六地蔵めぐりであります。 六地蔵めぐりを3年続けてお参りすると六道の苦を免れると言われていますが 今年はなかなか難しいです。 ![]() 今年は近くの上善寺さんの鞍馬口地蔵様だけお参りをし、コロナの早い終息を お願いしてきました。 護符も今年は赤色一色で門口をお守り頂きます。 ![]() 来年はまた六ヶ所めぐりをして5枚の護符を頂きたいと思います。 |
祇園祭2020
2020 / 07 / 26 ( Sun ) 2020年 祇園祭り(後祭り)
新型コロナウイルス感染により2020年の京都は 三大祭が神事のみとなったり、その他の行事も中止や縮小されております。 例年7月に入りますと、1日から祇園祭の行事が次々と行われて参ります。 17日は祇園祭のハイライト巡行が行われ街中は一気に活気にあふれます。 ![]() 神幸祭では鉾、山の巡行やお神輿の渡御は中止されましたが、八坂神社の 三神(素戔嗚尊、櫛稲田姫命、八柱御子神)が榊に移され、例年通りお旅所に 還幸祭の24日迄安置されます。 今日(24日)は三神の還幸祭を迎えました。 午後5時30分より三神にお出ましを頂き、榊に移す神事の後、神馬の背に御移り 頂きます。 ![]() 午後6時から、例年 中御座が都大路を練り歩きながら八坂神社へ戻る道順に 沿って同じコースを通って疫病鎮めの清祓いをしながら巡行していきます。 お旅所から祇園祭の母体である 清々講社の幟が出発していきます。 この頃には四条寺町辺りは既に三密の状況となってきました。 ![]() 幟に続いて神宝組が夫々の神宝を供え報じて続いて参ります。 勅版、 盾、 弓、 矢、 琴 ![]() 幟の後には素戔嗚尊を背に神馬が巡行いたします。 ![]() 神馬の次には神官の方、役員の方々が追随されます。 ![]() そして例年中御座のお神輿を担ぐ威勢のいい與丁(三若)の方々が続きます ![]() 途中寺町では通常神輿渡御が行われるため電線等が処理されていますが、 今回は神事のみの為電線に架かりそうで何度も道端に寄せながら一苦労がありました。 ![]() 四条お旅所から寺町通を下って高辻通り迄進みます。 寺町高辻を西に向かいます。 ![]() 先導の神官の方が先を榊で清めながら隊列が進行いたします。 途中でお茶の接待も行われました。 ![]() ![]() 高辻通りから烏丸通を北に上がります。 高辻を上ったところで、大政所お旅所へ立ち寄り拝礼をいたします。 ここはかって中御座、西御座の二基が安置された場所です。 天正19年豊臣秀吉によって四条御旅所に移築されてからは現在のお旅所 に三神が安置されます。巡行の時は必ずここで拝礼をいたします。 ![]() この後、烏丸四条を西へ→ 四条大宮を北へ→ 御池通を西へ→ 神泉苑 へと徒歩で進みます。 神泉苑は祇園祭の起こりの場所、ここで神事が行われます。 この辺りまで参りますと辺りは暗くなって参ります。 提灯にも火がともります。 ![]() 神泉苑では準備万端で関係者の方が鳥居までお出迎えをいたします。 到着は午後8時すこし前です。 ![]() 行列が到着致しますと神馬だけが中に入って神事が行われます。 世の中の悪病、疫病が退散いたし、安穏な平和な世になりますように!! ![]() 神事が終わる頃には雨がポツポツと降り出しました。 お馬さんも ”早く進みましょう” と前足をカリカリ動かします。 ![]() 神泉苑 → 千本通 → 三条商店街へ ここ三条商店街にある 八坂神社御供社で通常は三基の神輿が揃い踏みで 勇壮に神輿の差し上げが行われ、オハケ(三神)に拝礼を致します。 そしてここで休憩タイムとなります。 ![]() この後は三条 → 寺町通南下 → 四条通東 → 八坂神社 へと戻り 午後10時頃から神移しの儀が暗闇の中で執り行われます。 かくして還幸祭の行事が終了いたします。 このような神事の行われ方は1150年間を通じて初めてのことで歴史に残る 祇園祭となりました。 7月31日には八坂神社の境内摂社で茅の輪くぐりが行われます。 茅の輪を潜って、早くコロナウイルスが退散致しますようお願い致しましょう。 |
五月の京菓子
2020 / 05 / 25 ( Mon ) 五月の京菓子
今年は年初から新型コロナウイルス肺炎が世界中に拡散し、京都も被害が広がりました。 世界では30万人が罹患し、日本では16375人が罹患しています。 そのうち京都では358人が罹患いたしました。 4月18日からは三密をさけ拡散防止のため緊急自粛要請が発令され、町は静まり かえっていました。 漸くここにきて第1波が静まってきてこの23日に解除され最初の週末を越えたところです。 そに間、京の厄除け祈願の「やすらい祭り」も京の三大祭り「葵祭り」も 神事だけの行事になり、各商店も自粛で閉店されていたのが解除とともに少しづつ 明るさを取り戻して参りました。 そんな状況の中でも季節は間違いなく巡ってまいります。 鶯のさえずりも、野山の花木も花をつけ、新緑は深まり、彩はまさに初夏へと進んでおります。 今日は初夏の好天に恵まれ、町を少し歩いてみました。 お菓子屋さんには、初夏のお菓子が並べられていました。 五月の最終週のお菓子を2題 ![]() 牡丹の花をあらわした京菓子銘は「富貴草」です 牡丹の花は原産は中国北西部で古くから薬用に栽培されていました。 日本には遣唐使や空海が持ち帰ったともいわれています。 日本に入ってからは品種改良などもされ、観賞用として見事な大輪の花を咲かせて 百花の王とも言われています。 松尾芭蕉は 冬牡丹 千鳥よ雪の ほととぎす と詠っています。 ![]() そしてもう一種は「薫風」です。 薫風は初夏の季語でもあります。 今、新緑が一番きれいな時期を迎えています。 柔らかな若葉の色が鮮やかで、山が笑う季節を迎えています。 コロナウイルスの終息が早からんことを祈りながら、ひと時京菓子で初夏を 楽しみました。 今回の京菓子は「俵屋吉富」さんのお菓子でした。 |