壇王法林寺
2012 / 05 / 16 ( Wed )
壇王法林寺

京の三条京阪駅の北側に「だん王」さんとして地元で親しまれている
壇王法林寺があります。

正式名は「朝陽山 栴檀王院 無上法林寺」という長い名前です。
元は天台宗に属し、蓮華蔵院と称していましたが、文永9年(1272年)に
望西楼了恵上人が浄土宗に改め、悟真寺と称したことにより始まります。

この悟真寺は永禄年間(1558〜69)に焼失し、廃絶いたしましたが、
琉球から帰国した袋中上人が慶長16年(1611年)京都に入り、この地に
草庵を建立「朝陽山 栴檀王院 無上法林寺」と名付けました。
ご本尊は阿弥陀如来

この後を継いだ2世團王上人が寺院興隆に力を尽くされ、阿弥陀堂(本堂)
を建立され、人徳も厚く町衆信者との交流を深められ「だんのうさん」
として親しまれてきました。

袋中上人は中国へ渡り勉学をし、未渡の経論を持ち帰りたいと願いましたが
許されず、琉球に3年間滞在の後帰国いたしました。
その琉球滞在中にも布教に努め王からも深く帰依されたと言われています。

琉球の伝統芸能エイサー踊りにも袋中上人の念仏の教えの影響がみられる
とも言われています。

そんな影響もあってこのだん王さんには琉球の雰囲気が感じられるところが
多くあります。

石柱


駒札

山門は瓦葺の唐破風屋根の下に仁王様がおられます。

山門


仁王像 仁王像2


蹲

本堂は京都市の指定文化財になっていて、寛政3年(1750年)12世上人の
時に建立されました。
内陣には細かな細工が施され、荘厳を極めた造りになっています。

まただん王さんでは、猫は古くから主夜神様のお使いであるとされ、江戸中期
より主夜神様の銘を刻んだ黒色をまとった招福猫(招き猫)が作られ信仰を
集めています。
寺社関連の招き猫としては最古のものだともいわれているようです。

当山でお祀りされている龍神様は加茂川龍神、または八大龍神とも呼ばれ
晴雨を司り、日照りや水難から守ってくださると龍神様で、6月の第1土曜に
「龍神法要」が営まれます。

本堂

西の川端通りに面した「川端門」も京都市の重要文化財になっています。
明和3年(1766年)本堂再建の際、有栖川音仁親王の寄進により建立された
ものだそうで、主夜神堂へ続く門であるため朱塗の開運門と呼ばれています。

西門

日頃通り過ぎてしまうところではありますが、中に入ってみるといろいろな
発見があり興味深いものがあります。

19 : 49 : 05 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
鶴屋吉信
2012 / 05 / 14 ( Mon )
京菓子の実演 鶴屋吉信

京の堀川今出川西入るにお菓子司の鶴屋吉信があります。
こちらのお店では京菓子の出来るまでの実演を拝見しながらお茶を戴く
ことができます。

店舗

お店の2階は数寄屋づくりのお休み処となっていて、「菓遊茶屋」で
熟練したお菓子の職人さんによる、京菓子の実演を拝見し、お茶を戴く
ことができます。

月替わりでお菓子の種類が変わります。5月のお菓子は「岩根つつじ」と「花菖蒲」の
いずれかから選んで作って頂きます。


実演1 実演2

花菖蒲は白餡が中にはいります。
先ず外側の菖蒲をそめた生地に花菖蒲の中心を白餡でぼかしをいれます。
それを裏返して中に白餡を包み込み、茶巾しぼりにして形を整えます。


         実演3

茶巾しぼりをする時の襞のとりかたがポイントとなるそうです。
あっと云う間にできあがります。

         実演4

岩根つつじは「きんとん」で中は粒餡が入ります。
躑躅になる部分の生地を裏ごしにしてほそく出てきたのを餡に
くっつけていきます。
この裏ごしの時には一挙に力強く押し出すのがポイントだそうです。
そうしないと細いものや均等にできないそうです。

実演7 実演8

躑躅の花びらとなる処はさらに細かい裏ごしをかけます。
鮮やかな赤い花びらが緑に映えてとても綺麗です。


       実演5


    実演6

完成した出来たてのお菓子と抹茶を戴きます。
甘すぎず、抹茶お福加減もとてもよくおいしく頂きました。

完成

鶴屋吉信さんの菓遊茶屋は水曜日がお休みです。
実演と御抹茶は800円で戴くことができます。


           お菓子
17 : 23 : 11 | 京菓子 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
弥次さん 喜多さん
2012 / 05 / 13 ( Sun )
弥次さん、喜多さん像

京の三条大橋は天正18年(1590年)豊臣秀吉によって東海道の
西の起点、東からは終点にあたる京の玄関口として架けられました。

その三条大橋の西詰めの辺りに弥次さん、喜多さんの像が置かれて
いるのをご存でしょうか?

駒札

この像は江戸時代後期享和2年(1802年)から文化11年(1814年)に
かけて初刷された十返舎一九が書いた『東海道中膝栗毛』の主人公
である弥次郎兵衛と喜多八をモデルにして造られたものです。

膝栗毛とは自分の膝を馬のかわりに使う徒歩旅行の意味です。

江戸は神田八丁堀の栃面屋弥次郎兵衛と居候の喜多八が厄落としに
お伊勢詣りを思い立ち東海道を江戸から伊勢神宮へ、さらに京都大阪
へと巡る様子を滑稽に描いた紀行文です。

物語では大阪に行く前に三条大橋に近い宿屋に泊って”はしご”を
買わされることになってしまう話になっています。

その三条大橋の西詰めに三条小橋商店街の方々によって平成6年に
建立されました。
作者は二科会の会員で彫刻家の小山由寿氏によるものです。

京都には旅の安全祈願をする西院春日神社があり、その春日神社に
旅行安全を、また還来成就の神である”還来(もどろき)神社に
ご祈祷をして頂いたありがたい像であります。

当時旅の姿や長閑な様子がうかがえます。

銅像


その弥次喜多像の隣にあるのが「撫で石」です。

「無事還りくる」を祈願する還来(もどろき)神社にならって、旅の
安全を祈願する「撫で石」も同時に設置されました。

この石を撫でて無事楽しい京都の旅が成就できることを祈ります。

この石は鞍馬から産出した「鞍馬石」で鉄の含有により玉葱状に
剥離が現れ鉄錆色が前面を覆っているのが特徴である石だそうです。

なで石

つい最近も京都祇園で痛ましい交通事故が起きました。
どうぞ事故がありませんように、京都に訪れてくださった方の安全を
お祈りいたしました。
22 : 39 : 39 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
櫟谷七野神社
2012 / 05 / 12 ( Sat )
櫟谷七野神社

京の上京区大宮通芦山寺上るに櫟谷七野神社があります。

鳥居

5月は京都の三大祭り、葵祭が15日に行われますが、その葵祭の斎王代に縁の
あるのが櫟谷七野神社です。

ご祭神は高紗大神、春日大神、武甕槌命をお祀りされています。

この辺りは平安時代から鎌倉時代にかけて賀茂社に奉仕する斎王が身を清め
住まわれていた御所(斎院)のあった場所で紫野と呼ばれていました。
「紫野斎院」とも呼ばれておりました。
その紫野斎院の一画にあるのが櫟谷七野神社です。


地元では春日神社とも呼ばれ文徳天皇の皇后(染殿皇后)が奈良三笠山の
春日神社に祈願して皇子(清和天皇)が誕生したことにより貞観元年(859年)
当社へ春日大神を奉祀したのを起源とするとあります。
社名は七つの神社を合祀して七野と名付けられたようだとも、または平安京周辺
の七野の惣社との説もあるようです。

本殿

お社


応仁の乱で灰塵に期しましたが永正9年に再興されたが織田信長が遊宴のために
社を麓に引き下ろしたのを、秀吉が山内一豊に命じて再建されました。

その時秀吉は各大名に石垣の寄進を命じ、その石には大名の家紋が刻まれて
いたのが、今でも残されております。

石垣 家紋

石垣 家紋2

本殿横には賀茂斎院跡の石碑が建てられていて、毎年葵祭の斎王代が決まったら
まずこの櫟谷七野神社に参拝されることになっております。

賀茂斉院跡

また当社では毎年春になるとどこからともなく一頭の鹿が神前に現れ、奈良へ送り
返すということが明治6年まであったようで、この神縁により明治28年当社の依頼
により奈良の春日神社から神鹿2頭が貸与されたとの記録が春日大社に残っている
ようです。

今では鹿の銅像が置かれています。

春日神社石碑

鹿

又第59代宇多天皇の皇后が離れてしまった天皇の愛を復活させてほしいと
祈ったところ神前に白い砂を三笠山の形に積み、祈願せよとのお告げがあり
その通りにしたところ天王の愛情が戻ったとの言い伝えから、社前に白砂を
積めば浮気封じ・愛情復活の願いが叶うと言われ、社前に積む砂「高砂山」
と呼ばれ今も信仰を集めています。

御祈祷

御祈祷の砂

砂で愛情を取り戻すというのもなかなか面白いです。



23 : 58 : 52 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
萬壽禅寺
2012 / 05 / 11 ( Fri )
京都五山 萬壽禅寺(万寿寺)

足利尊氏が建武政権から離れて南北朝時代となると禅宗を信仰して
いたため夢想疎石が中心となり京都の寺院から新たに五山が制定
されました。

室町時代、第3代足利義満が相国寺を創建してから京都五山、鎌倉五山を
区別し、南禅寺を五山の上に置くと云う改革が行われました。

その京都五山のうちの一つ万寿寺があります。
東大路通の東福寺バス停前に萬壽禅寺と書かれているのが当該の
寺院です。

山号は京城山、 ご本尊は阿弥陀如来坐像

白河天王の皇女郁芳門院の御所(下京区万寿字通高倉付近)を寺として
改めた六条殿が前身といわれております。

正嘉年間(1257〜59年)十地覚空、その弟子東山湛照が東福寺の開山
円爾弁円に帰依し浄土宗から禅宗に改宗し、萬壽禅寺といたしました。
京都五山第5位に列したが永享6年(1434年)現在地にあった三聖寺に
移して再興されました。
伽藍は東福寺北大門の東北一体に広がっていましたが、1935年
京都市電の開通で東福寺の伽藍から分断されることになりました。

石柱

鐘楼門は国の重要文化財に指定されています。

山門

新緑がまぶしい境内は綺麗に整備されています。

本堂

通常は非公開で中に入ることはできません。

お庭
22 : 52 : 52 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
| ホーム | 次ページ