FC2ブログ
観月の夕
2019 / 09 / 16 ( Mon )
観月の夕 大覚寺

今年の仲秋の名月(十五夜)は9月13日に当たりますが、月の満ち欠けからは
14日頃が満月とされています。

京の都ではこの仲秋の名月の日には、観月祭が各社寺で行われます。

今回は15日に嵯峨大覚寺の「観月の夕」に出掛けました。

玄関ブログ


大覚寺は嵯峨御所とも呼ばれ、平安初期に嵯峨天皇が壇林皇后とのご成婚に
あたりその離宮を建立されたのが始まりとされ、大覚寺と改められたのは
貞観18年(876)といわれております。
その後明治時代始めまで代々天皇もしくは皇室の方々によって門跡(住職)を
務められたところから門跡寺院として格式が重んじられてきました。

その大覚寺では、かって嵯峨天皇が空想の動物を船首につけて仲秋の名月
を愛でる船遊びをされたのを起源とする「観月の夕」が大沢の池で毎年行
われています。

大沢の池は嵯峨天皇が離宮を造営するにあたり唐の洞庭湖も模して造られたといわれ、
日本最古の人口の林泉で 「庭湖」と呼ばれています。

大沢の池


今年も9月13日~15日迄 龍頭・鷁首の二隻一対の船で大沢の池を17時、18時、19時
20時と4回に分けて約20分かけて巡る船遊びが行われています。

龍頭船2
 龍頭船

鷁首船
鷁首船

平安時代貴族が池や泉水などに浮かべて管弦等の遊びをするために
船には龍頭・鷁首の空想の動物を象ったものを船首につけ2隻一対とし、
て使われていました。
龍はよく水を渡り、鷁はよく飛んで風に耐えると言われるそうです。
船は棹を差して漕ぎます。 漕ぎ手を「船差(ふなさし)」と呼びます。

鷁首船3

蓮の花を愛でながら巡回していきます。

鷁首船2

陽がだんだん西に傾き稜線が茜色に染まりだしました。

今夜の月の出は19時だそうで、山間から月が顔を出すのは19時20分~30分位

満月4

漸く月が浮かびだしてきました。
池面にもその姿が写りライトの灯りとともに揺らいでいます。

満月2


現代のように電力による照明がなかった時代では月の満ち欠けは大切な明かりで
生活はもとより人々の心のよりどころともなり、時間もゆっくりと過ぎていったようです。

百人一首(79)には
 秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影さやけき
                     左京太夫顕輔

又松尾芭蕉は
  名月や 池をめぐりて 夜もすがら

というのもあります。 

3日間の観月の夕では初日に観月の法会が、2日目にはいけばなライブも
開催されました。

又11月8日から大沢の池のライトアップも開催されるようです。
事前にご確認の上又ライトアップ「真紅の水鏡」にもお出かけしてみられては
如何でしょう。
16 : 51 : 22 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
京の六地蔵めぐり
2019 / 08 / 28 ( Wed )
京の六地蔵めぐり

京の都ではお盆の行事が済みますと、各お町内で地蔵盆が8月23日前後に
行われます。
地蔵盆の行事は京都をつなぐ無形文化遺産第三号に指定されていて、
行事を通して子供も大人も幅広く世代の交わりの場となり、連携や協力
体制を強める大切な場となっております。

そしてもう一つ京の六地蔵めぐりという八百年の歴史を有する行事が現在も
続けられています。

六地蔵めぐりの起こりは、
平安時代 朝廷につかえる参議 小野篁が48歳の時 大病に罹り生死をさまよって
いた時、夢の中で地蔵尊の世界に行き、地獄の中で苦しむ罪人を生地蔵尊が救済
している姿を見ました。
この地蔵尊はお釈迦様より付託を受けて罪人の救済を行うが、無縁の衆生を救う
ことは中々叶わない。 よってそなたが娑婆の世界に戻ったなら、罪業を犯すと
地獄で恐ろしい苦痛をうけることになる、その事を知らしめて地蔵尊に帰依させよ
とのお告げを受け、木幡山の桜の木で六体の地蔵尊を刻み木幡の里に安置されました。
その後、後白河天皇はこの六地蔵尊を深く信心され王城鎮護、厄病退散、宝詐長久
を祈願して平清盛に命じて都の街道の入口六ヶ所に六角堂を建て一体づつ安置を
されたことに始まるとされています。
この六地蔵めぐりが毎年8月22日、23日の2日間にかけて行われています。

上善寺

第1番目は鞍馬口地蔵尊をお祀りする上善寺です。
 北区鞍馬口通寺町東入るにある「上善寺」は正式には千松山遍照院 上善寺と
申し浄土宗に属します。

上善寺本堂

御本尊の阿弥陀如来は行基の作と伝えられ、後水尾天皇が嵯峨今林蓮花清淨院の
本堂を移させたものとも云われています。

上善寺 阿弥陀

地蔵堂に安置されているのが鞍馬口地蔵尊です。または深泥池地蔵とも呼ばれています。

上善寺 地蔵尊

水回向も行われています。
初盆を迎える新仏様には3年間六地蔵めぐりをし、回向すれば極楽へ行かれる
ともいわれています。

水回向

各お寺で授与される幡を6枚集めてそれらを纏めて玄関に吊るしておくと
一年間の厄病退散、家内安全、福徳将来が得られるそうです。
鞍馬口地蔵尊では赤い幡が授与されます。

上善寺 幡

そして一年過ぎればまとめて又六地蔵の内のどこかのお寺に返納致します。

おはた

2か所目は 右京区常盤馬塚町にある源光寺の常盤地蔵です。

常盤 源光寺

源光寺は臨済宗のお寺で、元は鳥羽天皇の皇女八條院の山荘常盤殿が
あったといわれています。
又後深草天皇も一時この地に隠棲されたとも、歌人の藤原為業が出家をして
寂念と称して閑居したともいろいろ伝えられています。

常盤地蔵

源光寺 常盤地蔵尊のお幡は紫色です。

常盤地蔵 幡

境内には常盤御前も一時この地に隠棲されたと伝えられその石塔も
お祀りされています。

常盤午前像

3番目は西京区桂春日町にある地蔵寺です。

この辺りは昔は桂川の渡しに近くて、桂大納言経信や伊勢女兼の
歌人の住まいがあったところと伝えられています。
お寺は光厳天皇の勅許により虎関師錬によって南禅寺の開山無関普門の
塔所として建立され、慶長7年(1602)に細川幽斎が再興したといわれています。

地蔵寺本堂

地蔵寺の六地蔵の内の一体は桜の一木では最下部のところから刻まれた
地蔵尊で姉井地蔵とも呼ばれているそうです。
身丈も大きく非常にきれいなお姿です。

桂地蔵尊

地蔵堂には帆掛け船をかたどったお供えが沢山おかれていました。

地蔵寺 お供え

水回向も行われています。

地蔵寺 水回向

境内には子安地蔵尊や 日比地蔵尊もお祀りされていました。

地蔵寺 子安地蔵

桂地蔵のお幡はグリーンです。

桂地蔵 幡


四番目は南区上鳥羽岩ノ木町にある淨禅寺です。
淨禅寺は西山禅林寺派に属します浄土宗のお寺です。
寿永元年文覚上人によって開基され御本尊は阿弥陀如来をお祀りされています。

淨禅寺2


鳥羽地蔵尊は元は木幡の里に祀られていたもので保元年間(1156~1159)
に現在地に移されたそうです。
こちらも立派なお地蔵様でとてもきれいでした。

淨禅寺 鳥羽地蔵

淨禅寺では副住職様より法話を聞くことができました。
六地蔵尊の起こりや、袈裟御前の伝説をお聞きしました。

袈裟御前は平安末期渡邊左衛門尉源渡の妻で『源平盛衰記』によれば
遠藤武者盛遠に横恋慕されたが袈裟御前は毅然としていました。
しかしあまりに執拗に迫られ、それならば夫を殺してくれれば貴方の許へ
参りましょうと返答いたします。
さてその夜 盛遠が夫を殺しに参りましたが袈裟御前は夫の身代りとなって
盛遠の刃によって殺されてしまうという悲しい伝説で、後の盛遠は出家して
悔い改め文覚上人として仏門に入ったという物語です。
本堂には袈裟御前の遺影がお祀れされ、又境内には袈裟御前の五輪塔が
お祀りされています。

淨禅寺 袈裟御前 五輪塔

鳥羽地蔵の幡は黄色です。

鳥羽地蔵 幡

五番目は伏見区桃山町にある大善寺です。
大善寺は正式には法運山淨妙院といい、浄土宗のお寺です。
大善寺は慶雲2年(705)藤原鎌足の子、定慧によって創建されたと伝えられる。

大善寺 六地蔵 地蔵堂

地蔵堂の中の地蔵尊は被り物をされていて、幻想的な雰囲気です。
当初は小野篁によって刻まれた六体の地蔵尊はこちらに安置されていました。
ゆえに六地蔵を名づけられたといわれます。

大善寺 六地蔵2


御本尊は阿弥陀如来

六地蔵 本尊


六地蔵の幡は白です。

六地蔵 幡

六番目は山科区四ノ宮泉水町にある徳林庵の山科地蔵です。

もともとは六地蔵にあった六体のうちの一体は1157年の東海道の街道に
安置されました。
以後山科地蔵は東海道の街道をお守りする守護佛となりました。

徳林寺 山科地蔵尊

地蔵堂の裏には延命地蔵尊が 綺麗なよだれかけを掛けて貰っていました。

徳林寺 延命地蔵尊

徳林庵は仁明天皇の第4宮 人康親王の末裔 南禅寺第260世
雲英正怡(うんえいしょうい)禅師が1550年に開創したと伝えられています。

境内には室町時代作の人康親王の供養塔がおかれています。

人康親王 五輪塔

茶所には鎌倉時代の四体石仏も安置されています。

徳林寺 四体石仏

街道筋であったため往来の人々のための茶釜(飛脚釜)や荷馬のための井戸も
あります。

徳林寺 茶釜


六番目 山科地蔵の幡は青色でした。

山科地蔵 幡

五色揃った幡はさっそくまとめて玄関に吊るしておきます。

今回は京都新聞旅行センター企画のバスで巡る 六地蔵めぐりを体験して
参りました。
朝9時30分京都駅を出発し、六地蔵全て巡って京都駅には午後5時30分の
8時間でした。 途中バスから地蔵堂迄距離があった大善寺で土砂降りの雨で
全員ずぶ濡れになり、非常に思いで深い六地蔵めぐりとなりました。
19 : 45 : 19 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
貴船神社
2019 / 07 / 13 ( Sat )
7月 貴船神社

鴨川の源流にあたる貴船は命の源である水を生み出すところとされ
「気生根」・・(気が生れる)とも書かれます。

参道

玉依姫命が黄船に乗って大阪湾から淀川を昇ってさらに鴨川を遡って
辿り着かれたところが貴船の奥宮の地であり、ここに水の神様をお祀り
して祠が作られたのが貴船神社の始まりであるとされています。

奥宮

この奥宮には本宮と同じ水や雨を司る神様 「高竉神(たかおかみのかみ)」を
お祀れされています。

船形石

境内の横には貴船神社の伝説にまつわる「船形石」がおかれていて、
これを積み囲んだ小石を持ち帰ると航海安全にご利益があるとか

奥宮 権殿

本殿下には龍穴というのがあって、文久年間(1861~1863)に本殿修理の際
大工さんが誤って工具のノミをこの龍穴に落としてしまったところ、一天にわかに
曇り突風が起こり、ノミを空中に吹き上げたという伝説も伝えられています。

そして貴船の「鉄輪」伝説の丑の刻詣りでも知られているところです。

丑の刻詣りはご祭神が国土豊潤のため、丑年、丑月、丑刻に降臨されると
伝えられる古事によるものから心願成就信仰から丑刻詣りが謡曲「鉄輪」で
演じられているものです。

昔宇治の橋姫が丑の刻(午前2時)詣りをして男に呪いをかけるという「鉄輪」伝説

桂の木

境内には京都市指定の天然記念物カツラの高木やご神木の連理の杉など
自然の宝庫でもあります。

奥宮から下がってまいりますと「思ひ川」に架かる橋を渡ります。

思ひ川


もともと奥宮が本殿であった時は参拝者はこの谷に流れる川を「禊の川」
「物忌の川」として、ここで身を清めてから参拝をしたといわれるところです。

和泉式部は夫の愛を取り戻そうとして貴布禰詣でを思い立ち、この禊川で
身を清め恋の成就を願ったところ復縁祈願が叶ったところから縁結びの
神様としても信仰されています。

思い川を渡るとすぐに「結社」があります。
このお社は昨年秋の台風21号によって社殿に倒木があたり壊れてしまいましたが
多くの方からの寄進により新たに社殿が今年の3月に完成いたしました。

結社


結社のご祭神は磐長姫命で縁結びの神様、恋を祈る神様として信仰を集めています。

和泉式部も切ない心情を歌に託して祈願したといわれております。

 もの思へば 澤のほたるも わが身より あくがれいずる 魂かとぞ見る

歌碑が境内におかれています。

天の磐船石

境内におかれている「天の岩船」は自然石で貴船の山奥より平成8年に
出土したもので造園業のかたによって奉納されました。

船は昔は唯一に交通手段で人と人を、文化の交流を結ぶという所から
縁結びの信仰とかかわりがあるとされ神聖視されています。

町並み

貴船の街並みは風情があり、夏は川床でにぎわうところです。

貴船川に床を張り出して渓流の音を聞きながら川魚料理、(この季節は天然の「鮎」が
出される)を楽しむ京の奥座敷です。

川床

川沿いには料亭が立ち並びます。

本宮にはご神水が流れる斎庭があり、この水で身を清め、お御籤を
ひいてこの水に浮かべると文字が浮き出てくるというお御籤が人気を集めています

水占愈庭

水占御籤

7月8日の水まつりではご神水をつかったお茶席が本席と副席の2席が設けられていて
当日のチケットを購入すれば入席することができます。

因みに今回の本席は「ひろや」さんで 床の間の掛軸は裏千家 鵬雲斎大宗匠の翠竹

本席 掛軸


お花は5種 唐松草、 姫百合、唐糸草、糊空木、朝鮮ヨメナ
大広間の茶席に色鮮やかさを示した素晴らしい取り合わせでした。

本席 お花

副席はふじやさんで床のお花は芒、木槿、桔梗など道具の取り合わせとともに
お菓子も行き届いたおもてなしのお茶席を堪能することができました。

副席 床飾り

貴船は京の町中よりも気温が2~3度低く涼を求めてぜひ奥座敷へ
訪れてみては如何でしょうか。


13 : 32 : 20 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
貴船の水まつり
2019 / 07 / 10 ( Wed )
貴船の水まつり

貴船神社は鴨川の水源地左京区鞍馬貴船町にあり、水の供給を司る
神様をお祀りされています。

貴船神社

伝説によれば、神武天皇の皇母である玉依姫命が黄船に乗って、大阪湾から
淀川、鴨川を遡って貴船神社の奥宮の地に至り水の神様を祀ったのが始まり
とされています。

ご祭神は
本宮 高龗神(たかおかみのかみ) 水の供給を司る神様
結社 磐長姫命   縁結びの神様
奥宮 高龗神

貴船神社本宮では7月8日に水まつりが行われました。
命の水である神様に感謝を捧げる行事です。

看板

丁度七夕の行事も同時に行われています。 夫々の願いをかいて笹に沢山
飾り付けていきます。

七夕飾り

本宮ではお着物で参加されている方も多くみかけ、さすが京の都という風情です。

午前10時から静寂の中、早朝に組みだされた神水で裏千家によって濃茶と薄茶の
2碗の献茶が行われました。

献茶式

引続いて樂辰会ご奉仕による舞楽「陵王」が舞われました・
演目の「陵王」の中の蘭陵王は優れた武将で部下がみとれるほどの美男子であった
ため、味方の兵士の士気を高めるために獰猛な面をつけ指揮をとった所、次々と
勝利をもたらした伝えられ陵王はそれを祝して造られた曲であるとされています。

舞楽2

動きも大きく躍動感のある舞楽の演目です。

舞楽

舞楽の次は生間流による「式包丁」が披露されました。
式包丁は平安時代より継承されている包丁式で食べるための料理ではなく
見せるための料理です。

式包丁4


手を一切使わず包丁と菜箸だけで魚や野菜を吉兆の形に切り分けるという
ものです。

式包丁3

まずは平安装束で袖口を絞り襷掛けをいたします。

今回は2種
先ずは鯛を7月は山開きにちなんで富士山を表します。

式包丁5

次は鯉で宸殿の岩、お伊勢さんの二見が浦を表します。
パフーマンスもより大きくなります。

式包丁7

式包丁6

見事に注連縄でつながりました。

式包丁8

最後はお清めをいたします。
花吹雪がまかれると一同溜息です。
素晴らしい式包丁の奉納がおこなわれました。
現在京都では萬亀楼さんと魚新さんで生間流の式包丁が継承されています。

この後 結社、思ひ川から奥宮の様子は№2でご紹介いたします。

22 : 22 : 58 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
鷺舞
2019 / 07 / 07 ( Sun )
祇園祭り 鷺舞

京の都に今年も祇園祭がやってきました。

八坂神社本殿

平安時代貞観11年(869)に疫病退散を願って始められた祇園御霊会は
今年で1150年の節目を迎えます。

7月1日に吉符入式が行われ以後31日まで祇園御霊会の神事が続きます。

綾傘稚児社参


本日7月7日は八坂神社では綾傘鉾の稚児社参が行われる日となっています。

そして記念の年に祇園御霊会で行われてきた鷺舞を、現在では津和野の
弥栄神社に伝わる保存会の方々を招待され里帰り奉納が行われました。

看板

鷺舞はもともとは八坂神社の祇園御霊会で奉納されていたもので、中国の七夕
伝説に端を発するものとされています。
鵲(カササギ)が七夕の牽牛と織姫のために天の川に桟を渡した伝承によってはじまった
とされていますが、江戸時代中期頃より山鉾など豪華絢爛な鉾におされ鷺舞が敗退の
憂目をみるようになったと伝わります。

奉納

一方津和野には天門11年(1542)に京都から山口を経て鷺舞が伝わったそうで、
毎年7月の20日の渡御、27日の還御の際に披露されていて、京都の祇園御霊会の
姿を今に伝える舞として国の重要無形文化財に指定されていると紹介されていました。

奉納2

本日は津和野の弥栄神社の宮司様も里帰り奉納に舞供されていました。

お囃子方

鷺舞は舞方、囃子方、唄方
舞方には棒振り、雌雄の鷺
お囃子方は鐘、太鼓、笛、鼓
その後ろに唄方で構成されています。

祇園祭のように大きな山鉾を動かすような威勢のいいお囃子よりも、舞を
あやつる静かなお囃子が奏でられました。

鷺舞2

鷺舞1

唄は
橋の上におりた鳥は なんの鳥
かわささぎの かわささぎの
ヤーかわささぎ さぎが橋を渡した
さぎが橋を渡した
しぐれの雨に ぬれとりとり
ヤーかわささぎ さぎが橋を渡した

と唄われます。

鷺舞3

京の都では昔、鵲(ささぎ)は飛来してこなかったので鵲は鷺の一種と考えられ
笠をかぶった白鷺を鵲に見立てたとの言い伝えもあります。

鷺枚4

鷺の羽は板が組み合わされていて手許で取っ手を引くと板が合わさって音が
出る仕組みになっています。
羽を広げると大きな鷺が勇壮に見えます。

京都の祇園祭での鷺舞は昭和31年(1956)に狂言師の木村正雄氏によって復興され
現在宵山の16日 神幸祭の17日、還幸祭の24日に八坂神社境内で奉納されています。

祇園祭はこれから日毎に神事が繰り広げられます。
17 : 27 : 33 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
前ページ | ホーム | 次ページ