今熊野観音寺
2017 / 12 / 03 ( Sun )
紅葉散歩 今熊野観音寺

西国三十三所観音霊場の第15番札所にあたる今熊野観音寺は
山号を新那智山と号し、ご本尊は十一面観音をお祀りします。

石柱-1

紅葉2-1

弘法大使(空海)が熊野権現の化身である老翁から十一面観音を
授けられて建立されたと伝えられております。

本堂-1

ご本尊は弘法大使が熊野権現より授かった一寸八分の観音像を
胎内仏として自ら彫刻された十一面観音像であるとされています。

ぼけ封じの観音-1

ご利益として特に頭痛封じ、病気平癒、知恵授けに霊験があらたかと
いわれ、大師堂の前には「ぼけ封じ」の観音様がお祀りされ多くの
信仰を集めています。

紅葉4-1

境内では紅葉が見事に色づいています。

紅葉5-1

紅葉6-1

本堂東側にそびえるのは平安様式で「医聖堂」と呼ばれる多宝塔が
あります。
堂内には医界で活躍された多くの方がお祀りされているようです。

多宝塔-1

又境内には弘法大使が観音をお祀りするにふさわしい霊地を選定する
ために錫杖をもって岩根を打たれていると霊泉が湧き出たところから
この清水を「五智水」と名付けられました。
その霊水は今日まで枯れることなく湧き出ています。

五智水-1

霊水を頂いてぼけ封じを祈願し、紅葉を愛でてお参りして参りました。

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八朔祭
2017 / 09 / 03 ( Sun )
八朔祭 松尾大社

松尾大社は京の嵐山の麓にあって、京都最古の神社といわれています。
秦忌寸都里(はたのいみきとり)が松尾山大杉谷の磐座の神霊を勧請して
社殿を造営したと伝えられています。

大鳥居

一条天皇の行幸以来歴代天皇の行幸も度々行われ官幣大社とされています。

官幣大社

古くから酒の神様として崇められ、境内の霊泉「亀の井」の水を醸造の時に
混ぜると酒が腐らないと伝えられ、今も酒の神様として多くの信仰を集めて
おります。

お酒奉納

境内には重森三玲作庭の松風苑や蓬莱の庭、曲水の庭があります。

蓬莱苑


その松尾大社で9月2日、3日と2日間八朔祭が行われました。

八朔とは旧暦の8月1日(朔日)で暦の上では二百十日頃にあたります。
古くは「田の実の節」といって、五穀豊穣、家内安全を祈願する神事として
八朔祭が行われてまいりました。

京の各商家では「田の実」は「頼み」に通じることから日頃お世話になっている
お得意先やご贔屓様に感謝を込めてご挨拶にまわる習わしがあります。
お中元などはこの頃から始めたものでした。

松尾大社の八朔祭は
9月2日は郡太鼓の奉納、盆踊り
9月3日は神事や子供神輿、女神輿が繰り出し、八朔相撲、上桂御霊太鼓の
奉納、嵯峨野六斎念仏等が行われます。

神饌

秋の収穫物を神前に御供えをして 宮司様の祝詞、収穫感謝、豊作祈願、
家内安全祈願の後

宮司祝詞

神楽舞が奉納されます。

神楽舞

子供みこしもきれいに飾り付けられました。

子供みこし

神輿を組み立てるには麻のロープだけで組み立てます。
結び方も代々継承された男結びをされます。
紐を結んでから水をかけるとしっかり締まって解けることはないそうです。

神輿ロープ

境内の土俵では奉納相撲が行われます。

高校生に続いて大人の部に分かれて力強い相撲が繰り広げられます。

奉納相撲

大人の後は赤ちゃんの土俵入りです。

赤ちゃん土俵入り

赤い廻しに赤いハチマキで、子供の健やかな成長を願っての土俵入りです。

赤ちゃん土俵入り2

びっくりした赤ちゃんは大泣きです。
可愛くも微笑ましく、きっと力強い立派な男子に成長してくれることを皆様と
ともに祈りました。

子供太鼓奉納

拝殿では上桂御霊太鼓社中による奉納太鼓が行われました。
最近は太鼓ブームもあってか社中では30名余りの子供たちが練習
を積んでいるそうです。
息もピッタリと可愛い太鼓が奉納されました。

上桂御霊太鼓

子供に引き続いて大人の部

腹の底まで響く勢いの太鼓は勇壮で力強さを感じさせてくれました。

上桂御愛太鼓

暑くて熱くて汗が滝のように流れる今年の夏も漸く秋風が心地よく感じられる
ようになり始めました。

災害の少ない五穀豊穣を祈願しての八朔祭でした。
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お茶の京都
2017 / 06 / 18 ( Sun )
お茶の京都

京都府の取り組み、「もう一つの京都」、行こう で
平成29年度はお茶の京都をテーマにお茶の生産地を中心に
いろいろな催しが行われております。

京都府庁では毎月第3土曜日に「土曜講座」として
「お茶の京都」から京都の”こころ”がみえてくるをテーマに
 4月は「お茶が語る日本と京都の近代」 寺村安道先生
 5月は「飲み食いの文化史」 宇野日出生先生
 6月は「茶室に学ぶ日本建築の伝統と未来」 矢ケ崎善太郎先生
 7月は「茶の湯文化の展開ー裏千家を中心に」 伊住禮次朗先生
 9月は「宇治茶の生産ー碾茶づくりにかける思いー」 古川嘉嗣先生
の講演が行われて、毎回定員オーバーの人気の講座となっております。

      お茶の京都講演会


京のお茶の主要生産地の一つ木津川市上狛は
 室町時代には狛氏(荘園の役人から有力者にのし上がった)が勢力を
 伸ばした地とされ、水運が発達し、木津川の要所でお茶の集散地として
 栄えた地です。

古民家

倉庫2

上狛は狛氏が拠点を置いた「上狛環濠集落」として邸宅跡や大井戸が
あったり、古い農協倉庫が今も残されています。
倉庫は戦時中敵から狙われないように白壁は黒くして目立たないようにした
ものだそうです。

鬼瓦

茶問屋の建物は和建築の立派なものが多く鬼瓦には屋号や創業者の名前が込められた
ものが置かれていたり、雨樋のつなぎ目にはお茶壺の細工がされていたり、とても
凝ったつくりがなされています。

      雨樋

特に上狛は木津川、淀川、大阪湾を経て神戸港に通じる木津川水運のかなめとして
各地から茶葉が集まり茶問屋が形成されるなど隆盛を極め「東神戸」「今神戸」
などとよばれていました。

山城茶業の碑

この上狛に「伊右衛門」で一躍有名になったお茶の福寿園の本社があります。
そしてJR山田川駅の近くに福寿園CHA研究センターがあり、お茶摘みの体験が
でき、積んだ茶葉をその場で石臼で曳いて、抹茶にして頂くことができます。

お茶摘みは新芽の上の3枚葉だけを摘みます。

茶葉

摘んできた茶葉はすぐに石臼でひきます。

石臼

お茶のふくよかな香りがして、とても貴重な楽しい体験です。

抹茶となったお茶を使って自分でたてて戴きます。

抹茶プリンやお茶葉の天ぷらも味わうことができました。

抹茶プリン

お茶の葉の天ぷらは、葉っぱは柔らかく、ほろ苦みも加わって
大人の味わいです。 とてもおいしいでした。

   お茶の天ぷら

お茶の葉は現在ではお料理にも使い、いろんな工夫がなされています。

お茶の京都は今も脈々と継承され、京都の特産品の一つとなっております。

その効能も見直され、ペットボトルの急激な拡大とともに頑張っています。
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上御霊神社
2017 / 04 / 29 ( Sat )
上御霊神社のイチハツ

上御霊神社は正式には御霊神社とよばれ、出雲氏の氏寺である上出雲寺の
鎮守社であったとも伝えられています。

唐門

この上御霊神社は1467年に応仁の乱が勃発したところとしても
知られています。

応仁の乱勃発碑


細川勝元軍の東軍と山名宗全軍の西軍にわかれ11年間畠山家の
跡目をめぐる戦いが繰り広げられたところとされています。

今年はその応仁の乱が勃発して550年目にあたり5月21日には
上京区役所で「応仁の乱 今輝け東陣を訪ねて」と題しての
関係者の特別対談が開催されることとなっております。

今年は応仁の乱に注目が集まり、書籍も出版され、賑わいをみせて
おります。

上御霊神社では桜の後、境内のお堀にイチハツが見ごろを迎えております。
イチハツはアヤメ科で別名子安草とも呼ばれる。
中国原産で古くから絵画にも描かれ、アヤメ科の中ではイチハツだけが
鑑賞用とされていたそうです。

イチハツ3


今日は雷雨の後、一段と瑞々しく色鮮やかさを増しています。

イチハツ4

上御霊神社のイチハツは以前は杜若が群生していたようですが、途絶え
氏子の方々が20年前にこのイチハツを植えられたと報道されていました。

イチハツ2

イチハツ5

ichihatu.jpg


寒い冬を通り越して、桜が、藤が、躑躅、杜若、、シャガ等次々と開花
を迎え華やかさの中に、気持ちも浮き立つ季節を迎えました。

御神輿


5月には御霊祭が行われることとなっており、立派な御神輿3基が18日に巡行し、
御苑で差し上げが行われます。
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京の冬の旅シリーズ
2017 / 03 / 11 ( Sat )
京の冬の旅 建仁寺 久昌院

2017年京の冬の旅で特別公開されている文化財の中で、今回は
20年振りの公開とされている建仁寺の塔頭「久昌院」を訪ねてきました。

冬の旅看板

久昌院は、慶長13年(1608)に美濃加納城主の奥平信昌が三江紹益(さんこうじょうえき)
を開山とし、奥平家の菩提寺として建立されたのが始まりです。

奥平信昌は長篠の合戦(織田信長と徳川家康の連合軍対竹田勝頼の合戦)において
長篠城に約一か月籠城し、城を死守して武田軍を撃退した勇将と言われています。

この功績により名前の一字を信長の信を得て信昌とし、さらに家康の長女亀姫
を妻に迎えた信望の厚い武将でした。

関ヶ原の合戦にも参戦して徳川の勝利に貢献し、初代京都所司代に任命
された後、慶長6年には加納城主となって十万石が与えられました。

山門

方丈には仏間の背後に2室の座敷があり、仏間の隣に功績をたたえて
宇喜多一慧が描いた「長篠合戦」の襖絵が展示されています。
時代を感じる襖絵ですが、甲冑や人物が緻密に描かれている襖絵
でした。

書院「高松軒」は方丈の西側にあり渡り廊下とつながっていて
十二畳の座敷には上段の間と火頭窓が設けられています。
その隣の三畳台目の茶室があり、この茶室が「遠州別好ノ席」
と名付けられ、天井、間取り、入口に複雑な造りがなされていました。

また書院には長沢芦雪筆による「牧童吹笛図」という、筆ではなく指で
描かれた「指頭画」が掲げられていました。
童子が牛にまたがって笛をふいている画ですが、とても指や手のひら
で書かれたものとは思えない趣のある画でした。

本堂2

お庭は心の字を表した心字池に生垣がきれいに刈り込まれています。
この刈込は2段になっていてその段差によってお庭を広く見せるという
工夫がなされているそうです。
その借景に建仁寺の堂宇や東山を望むことができる池泉回遊式のお庭です。

庭園2

お庭の右端の屋根がみえるのは御霊屋で奥平信昌夫妻の五輪の石塔が安置
されています。

庭園

鐘楼は寛永4年(1627)に信昌の十三回忌に建立されたとの記述が残されて
いて、久昌院の建物の年代を考察するうえの基準となっているようです。

鐘楼
20 : 58 : 07 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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