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御室 仁和寺
2018 / 12 / 03 ( Mon )
御室 仁和寺 特別拝観

御室とは天皇がお住まいされたところ(僧坊)のことをいいます。仁和寺があるところはこの
御室が地名となっております。

三門


仁和寺はユネスコ世界文化遺産に登録されています。
山号を大内山と号し、真言宗御室派の総本山にあたります。
仁和4年(888)宇多天皇が父上に当たる光孝天皇の遺志を継いで建立されました。

仁和寺にある金堂は慶長18年に建立された御所の紫宸殿を寛永19年~21年にかけて
移築されたもので、仁和寺の中では最も重要な建物とされ、現在は国宝に指定されています。

金堂

移築された紫宸殿の内部には新たに板扉が設けられ、内陣と外陣が
分けられ寺院の様相がつくられました。

内陣には阿弥陀三尊像が安置され、その後壁や柱、長押には仏画が
描かれています。
後壁には西方極楽浄土の世界を、六本の柱には四八体の尊像が
画かれ金堂内が一段と荘厳さを感じさせられます。

今回第51世門跡様の晋山記念としてこの金堂の裏堂に描かれている
五大明王像の一般公開が初めて372年ぶりに12月16日迄開催されています。

五大明王壁画公開

金堂裏堂は今まで一度も公開されたことがなく、しかも日の当たらない
暗闇であったのでその状態は非常にきれいで、鮮やかです。

五大明王は
 金剛薬叉明王・・・一切の苦しみや悪、煩悩を噛み砕き呑み込んで
             しまう。 不食、拒食の人に霊験あらたか
 降三世明王・・・・ 降三世は過去・未来・現在を示し、この三世の煩悩を
             降す。
 不動明王・・・・・・ 五大明王の中心となる明王
             地獄に落ちないよう戒め導く明王
 軍茶利明王・・・ 悟りを妨げる魔をを除く 結界を司る
 
 大威徳明王・・・ 六面六臂六足(六つの顔、腕、足)に描かれ
            善人に悪意を抱く者や、危害を加えようとする者を
            懲らしめ、悪人の呪縛を解き、悪夢を消滅し、悪病を
            除く

向背の火炎の朱がとても鮮やかで迫力がります。

中門を通り抜けて、金堂に至るまでの両サイドには紅葉が一段と
色鮮やかさを増して晴天の青空と色のコントラストが素晴らしいです
しばし紅葉をお楽しみください

紅葉1

正面に金堂がみえます。

紅葉3

紅葉4
             
紅葉5

紅葉6

紅葉7

五重塔は春は桜の借景となり、秋は紅葉の借景となります。

五重塔

真紅とはこのような色をあらわします。

紅葉8

今年の台風21号で京都の各社寺では倒木が沢山あり被害も大きかった
ですが、それでも季節の移ろいとともに今年も見事に色づき秋の風情を
楽しませて頂くことができました。

12 : 23 : 14 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
大覚寺
2018 / 12 / 02 ( Sun )
大覚寺(戊戌開封法会)

京都市右京区嵯峨大沢町にある大覚寺は正式には
「旧嵯峨御所大覚寺門跡」といいます。
真言宗大覚寺派の本山で心経写経の根本道場とされています。
その昔、平安時代 ここに嵯峨天皇の離宮”嵯峨院”が建立されたところで、
嵯峨天皇の皇女正子内親王が清和天皇に上奏され大覚寺と改められました。
初代住職には嵯峨天皇のお孫さんに当たる恒寂入道親王が就かれました。
このことから大覚寺は格式の高い門跡寺院といわれております。

門前ぶろぐ

この大覚寺には嵯峨天皇が弘仁9年(818)の春に都で大旱魃から全国に疫病が蔓延し、
た時、その状況を憂慮され弘法大師の勧めによって疫病退散を願い、一文字書く度に
五体投地という礼拝を三度しながら般若心経を淨書されました。

その写経が完成し、弘法大師が護摩供養されると、たちまち疫病が治まり都に安寧が
もたらされたことから、この嵯峨天皇の写経を霊経として心経殿に勅名により封印され
奉安されてきました。

この写経は写経された年の干支が戊戌(つちのえいぬ)であることから、以来60年に
一度だけ心経殿が開封され、関係者の方によって法会が行われてきました。

今年はその60年目を迎えることとなり、しかも写経がなされてから1200年という記念の
年に当たることから、二度とないこの歴史的瞬間を広く一般に公開されることとなり
10月~11月末まで公開されてまいりました。
毎日大型バスを連ね檀信徒の方は勿論、一般の方も大勢が参拝されました。

玄関ブログ

式台玄関(大玄関)は江戸時代に京都御所より移築されたもので、特別なお客様のみ
お入りになる玄関となっております。

丁度嵯峨菊が満開となっております。
嵯峨天皇は平安時代の初め大沢池の菊ガ島に咲く菊を手折られ花瓶に挿されたところ
その形が「天、地、人」の三才のうつくしさであったところから、後世花を生けるときはこの
形を範とするべしと仰せられた処から「嵯峨御流」の華道が誕生したと伝えられています。
その嵯峨菊は可憐で愛らしく高貴な菊です。

唐門ブログ

勅使門は天皇陛下が行啓される時のみ開封される門です。
手前の少し高くなっている部分は石舞台です。
かってこの場所に大覚寺の本堂である五大堂がおかれていましたが、大正天皇の即位の
時の饗宴殿が御影堂として移築されることになり、勅使門の正面に御影堂を建てないと失礼に
当たるということから五大堂が池川に移築されました。
その五大堂の基壇の跡に現在は石舞台として使用されています。

紅葉3ブログ
五大堂からお庭を眺めてみますと丁度紅葉が真っ盛りでした。

大沢の池ブログ

早朝の大沢池は静かで護摩堂廻りの紅葉がきれいに湖面に映し出されています。
大沢池の周囲は1kmあり、日本最古の庭園池とされ、中国の「洞庭湖」を模して造られた
ところから庭湖とよばれます。
池の畔には心経宝塔や石仏、名古曾の滝跡などがあり国の名勝地になっています。
名古曾の滝はかつて藤原公任が
 滝の音は 絶えて久しくなりぬれど なこそ流れて なお聞こえけれ
と歌を詠んでおられます。

大瀑池ブログ

丁度紅葉も今が見ごろとなっています。
嵯峨天皇の霊経の1200年記念開封法会に参拝して京の都が平成最後の年を
恙なく終えられ又飛躍の新たな年を迎えられることを祈念いたしました。
17 : 25 : 56 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
時代祭 行在所祭
2018 / 10 / 29 ( Mon )
行在所祭(時代祭)

平安神宮前整列

平安神宮は桓武天皇が京に都を遷され平安京が誕生してより、
遷都1100年を記念して明治28年(1895)に桓武天皇を御祭神として
創建されました。

その後昭和15年には、幕末の動乱期を乗り越え近代日本へと導かれた
孝明天皇を合祀されました。

時代祭は京の都が誕生した日にあたる遷都の日10月22日を祈念して
行われる祭礼です。

時代祭では京が平安時代より千年余り培ってきた伝統工芸の技を動く
風俗絵巻として披露する場となっています。

そのため時代行列で披露される衣装や装具は厳密な時代考証をもとに
作製された本物で、数千万円、数億円を越えるといわれております。

時代祭の母体は市民によって構成された平安講社が担います。
現在京都には11の区制が布かれ、その中には190余りの小学校区が
あります。
時代祭は行列ごとに責任を受け持つ学区が定められ、市の全地域が
いずれかの行列に所属して奉仕する町衆の祭礼で、経費も各戸から
集められる奉賛金が財源となっております。

行列の人数は供奉者も加えて2000人、牛馬70余頭が参加し、
その時代絵巻は全長2km余りの規模となっております。

時代は明治維新から遡り、平安時代まで時代考証された衣服を
纏い豪華絢爛たる祭礼が行われます。

鳳輦門より出


その時代祭は御所の建礼門前から出発する前に、平安神宮で神事が
行われてから桓武天皇、孝明天皇を2基の御鳳輦に御遷し、鳳輦と神宝とともに
約400人が平安神宮の応天門を朝9時に出発して御所建礼門前にお迎えし、
行在所祭を行う行事から始まります。

平安講社第7列

鳳輦御所到着

御所にお迎えした御祭神に祝詞をあげお供え物をいたします。
沢山の神饌がお供えされます。

神饌1

御所にお花を届けていた白川女より献花もされます。

献花

維新勤王の山国隊は農兵隊として鳥取藩付属として結成され、岩倉具視によって
命名されたと伝えられ、戊辰戦争に参戦した隊として、明治30年から大正6年まで
時代祭行列の本列の先導役を務めました。
大正10年からは維新勤王隊が組織され山国隊に代わって時代祭の先導を務めて
います。
今年は山国隊結成150年を記念して奉賛されました、

山国隊2

行在所祭の後12時から風俗時代絵巻が建礼門前から繰り広げられます。
時代祭の大切な神事行在所祭です。
19 : 35 : 13 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
端午の節供
2018 / 05 / 06 ( Sun )
藤森神社 駆馬神事

京都の伏見区(京阪電鉄「墨染」駅から7分位のところ)に藤森神社があります。

本殿

平安遷都以前からお祀りされているという古社で
御祭神は神功皇后以下計12柱がお祀りされていると言われます。
本殿は中御門天皇より正徳二年(1712)宮中賢所の建物を下賜されたと
伝えられています。
唐派風の屋根は杮葺きで流れ造りとなっています。

この藤森神社は菖蒲の節句発祥の地とされ、端午の節供で飾られる武者人形
には藤森の神が宿るといわれます。

菖蒲の節句発祥の地

この菖蒲の節句は勝負の神様、馬の神様とも崇められ、毎年5月5日には
駆馬神事が行われます。

絵馬

今年も好天に恵まれ、午後1時から第1回目の神事が行われますが、1時間前
から境内は一杯の参拝客で賑わっていました。

駆馬神事は、古来早良親王が天応元年(781)に陸奥の反乱に対し、征討将軍の
勅許を受けて藤森神社に出陣祈願したのを模したものと言われます。
速さを競うものではなく、戦場で敵を交わす妙技で、江戸時代中期以降大陸系の
曲芸的な馬術の影響を受け、明治時代より氏子に伝承されてきました。

昭和58年には京都市登録の無形民俗財に指定され1200年の古来より伝わる
伝統行事として毎年行われています。

先ずは馬場のお祓いが宮司様によって行われます。

お祓い

出走馬のお目見えです。
今日は紫の綱をつける馬が大変気性が荒く いきりたっていました。

お渡り

ちびっこで将来の騎手になろう可愛い子供騎手も参列します。

ちびっこ

始まりのふれ太鼓が打たれます。

太鼓

大切な役割、行司の合図で馬が出走いたします。 
そしてここが終点となります。
全力疾走してきた馬はここで急ブレーキをかけます。

終点

当日披露される技には
 手綱潜り   敵矢の降りしきる中を駆ける技
 逆乗り     敵の動静を身ながら駆ける技
 矢祓い    敵を打ち払いながら駆ける技
 横乗り     敵に姿を隠して駆ける技
 逆立ち    敵を嘲りながら駆ける技
 藤下り     敵矢が当たったと見せて駆ける技
 一字書き   前線より後方に情報を送りながら駆ける技

騎手6

騎手7

騎手8

騎手9

騎手10

等が行われます。 
そこには大変危険があり、馬の調子にもよって騎手が様子を窺いながら披露されます。

落馬もありました。幸い大事には至らなかったのでよかったです。

大変勇壮なお祭り、「駆馬神事」は迫力満点です。
関係者の方々は事故がないようにと非常に神経を使い、この伝統行事を5日は2回
披露されました。

あまりにスピードが速いので写真撮影は大変です。
17 : 22 : 50 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
京の冬の旅
2018 / 03 / 07 ( Wed )
相国寺 林光院

第52回「京の冬の旅」は明治150年をテーマに特別展が開催されています。

林光院1

その冬の旅で公開されている相国寺の林光院を訪れました。

相国寺には15ケ寺の塔頭寺院があり、その代表的なのは境外塔頭として
金閣寺、銀閣寺があります。

林光院は境内塔頭寺院で今回冬の旅で初めて公開されています。

林光院 白梅2

室町時代に、第4代将軍足利義持の」弟義嗣の菩提を弔うために、
夢想国師を開山として二条西ノ京の紀貫之の屋敷跡に創建されたと伝え
られています。
その後移転を繰り返し、天正年間に豊臣秀吉の町割り政策によって現在地
相国寺山内に移転し、現在に至るそうです。

明治時代には荒廃し、一時廃寺となるも、大正8年に相国寺派管長の
橋本獨山によって再興されました。
現在の建物は江戸時代後期に滋賀県の仁正寺藩市橋家藩邸を買い取り、
移築したものだそうです。

林光院玄関2

相国寺林光院と島津家のつながりは
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの折、西軍に属していた島津義弘は背水の陣と
なり、東軍の中央を突破して伊賀に隠れていた時、義弘とかって親交のあった
大阪の豪商田辺屋今井道與が潜伏先に急行し、困難な逃避行を助け堺港より
乗船させ海路護送して無事薩摩に帰国させました。
この道與の嫡孫が後の林光院の第5世住職となったことにより、薩摩藩とは
深いつながりが生まれ、薩摩藩に関したものが多く残されているそうです。
又、相国寺の東門外の林光院の墓地には、幕末の変で戦死した72名の
薩摩藩士のお墓が祀られています。

この時助けた今井道與は後にこの功により島津藩より秘伝とされている薬の
調薬法の伝授が許され、現在の田辺製薬となりました。

林光院には珍しい「鶯宿売」が毎年3月には馥郁とした香りを漂わせて、見事な
花を咲かせます。  今年は未だ2,3輪しか咲いていませんでした。
1本の梅が真紅から淡紅、純白と色を変えていくのが大変珍しいのです。

平安時代、村上天皇が御所の梅が枯れたときに紀貫之の邸宅に咲いていた
この梅を移植するように命じられました。
この時、紀貫之の娘紀内侍は
 勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はととはば いかがこたえん」と歌をよんで
別れをおしみました。
 この意味は 帝のおぼしめしならば、いたしかたありませんが、今年も鶯が
 飛んできて、わがとまる宿はどこへ行ったのかと、とわれれば、なんと答えましょう

村上天皇はこの歌に心をうたれ、またもとに梅を返したという逸話がのこる
梅です。

京の冬の旅2

今回冬の旅で初公開されたのはこの林光院の襖絵が昨年藤井涌泉画伯によって
完成した記念の公開でもあります。
本堂には龍と虎(猫ではありません)林光院様からの依頼で後はお任せされたそうです。
牡丹図、梅図、松図、葡萄図、蓮図などが水墨画で描かれています。

虎は一見猫のように見えますが、なかなかユニークな虎の図です。
毛先は一本づつ繊細に描かれていてとても素晴らしい作品です。
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