FC2ブログ
節分会 平安神宮
2019 / 02 / 04 ( Mon )
平安神宮の節分会

節分は元来立春、立夏、立秋、立冬の前日をさす言葉といわれていましたが、
古くから旧暦で立春が年の始まりと考えられ、重要視されてこの日を宮中で
追儺の日として「鬼やらい」の行事が行なわれてきました。

平安京が置かれていた、京の都では各社寺でいろいろな追儺の行事が行われて
きて、それが継承されています。

今回は平安神宮の「大儺の儀」「鬼の舞」「大火焚き神事」に参拝してきました。

應天門

平安神宮は明治28年に平安遷都1100年を記念し、桓武天皇をご祭神として創建
されました。昭和15年には孝明天皇が合祀され現在の姿に整えられた神社です。

この平安神宮で毎年行われている追儺の行事は昭和49年に猪熊兼繁京大名誉教授
によって、式次第、作法、祭壇、衣装に至るまで綿密に時代考証がなされ再現した
「大儺の儀」だと伝えられております。

午後2時より大極殿の前に設けられた斎場で「大儺の儀」が行われます。

斎場の四隅の斎竹には厄除けの赤、白、紫、緑の布が吊るされています。

斎場2

先ず斎場に陰陽師と斎王が神饌をお供えするために入場いたします。

陰陽師

引続き殿上人が斎場を祓い清めるために入場いたします。

祓い師

揃ったところで陰陽師が独特の歩行(足を高く上げて)で大極殿の正面にむかって
神饌のお供えをいたします。

神饌

その後殿上人が桃に弓で葦の矢を北東、北西に放ちます。

弓矢

弓矢の後、桃の杖で四方を「お~」と声を発し地を打ちます。

桃の枝清め

斎場が清められたら、四つ目の方相氏が神童8人をつれて登場いたします。
方相氏は大きな盾と杖を持ち、神童は松明を持って入場いたします。
5歳になるかどうか位の神童はとても可愛らしく、衣装も、足許もおぼつかなく
松明が重そうです。
それでもしっかりと歩いて見事でした。

方相氏

大極殿の正面で方相氏が前に出て「鬼やらう~」「鬼やらう~」「鬼やらう~」と
3回大声で叫びながら盾と杖を打ってならします。

鬼野郎

「鬼やらう~」と叫び鬼を呼びい出してから方相氏を先頭に神童、陰陽師、殿上人
本日参拝の関係者の方が斎場を3周して、鬼を應天門へと追いやります。

三周

應天門へ

應展門へ2

應天門を出ますと、門が閉じられて門前で先ほど斎場で行われた弓矢と桃の杖で悪魔祓いが
もう一度行われます。

ここで門が閉じられて、大儺の儀が終了いたします。
この後午後3時から「鬼の舞」豆まきの儀が行われます。

午後3時、門が開かれますと、まだ残っていた鬼が6匹應天門から中に入ってきて暴れまわります。

鬼2

鬼の手には盾、斧、槍などを持って威嚇します。

鬼1

衣装がとても綺麗でお面も凄みをあらわしています。

鬼3

鬼は大極殿へ駆けていきます。
鬼さんは狂言師の茂山社中の方が扮しておられるそうです。
鬼の仕草がとてもしなやかで、腰の使い方、立ち姿が狂言ならではの姿です。

鬼4

大極殿に上がった鬼は「鬼の舞」を披露いたします。

鬼の舞

鬼の舞が舞われた後、地元の名士の方々による鬼追いの豆まきによって
鬼が又應天門へと追いやられていきます。

鬼追い

豆まき

鬼はタイガーのチャンピオンベルトをしています。

豆まき2

「鬼さん 近いヨ!!」 「足許大丈夫かな?」

鬼5

次第に應天門へと追いやられていきます。

鬼追い2

無事鬼が退散したところで、大極殿において福豆の授与が行われます。
今年一年の無事と健康を祈って福豆を頂きます。

豆まき3

福豆

豆まきが終わる頃から雨が降り出しました。

下に移動した斎場でこの後、護摩木の大火焚祭が行われます。

自然斎灯した種火から護摩壇に火がつけられます。

護摩木供養

生憎の雨なので、大火焚祭の斎条は應天門の軒下で行われました。
9人の神官のかたによる斎条は護摩壇までマイクを通してよく通り、声が
エコーのように聞こえて神聖でした。

護摩木供養奏上

雨はなんのその、奉納された護摩木は勢いよく大きな炎を上げて勇壮に
燃え上がりました。

護摩木供養3

今年も無病息災で大きな災いもなく一年が過ごせますようにと祈りながら参拝
して参りました。
17 : 00 : 48 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
護王神社
2019 / 01 / 09 ( Wed )
亥年の守り神 護王神社

京の烏丸通下長者町下るに鎮座します護王神社は亥年の守り神で通称
「足腰の神様」として市民から厚い信仰をえています。
門前には「平成の霊猪像」として狛いのししが平成18年に建立されています。

駒猪

今年は亥年で新年早々から多くの参拝客で賑わい、その人出は烏丸通にまで
延々と行列が続いています。

拝殿には大きな開運の絵馬が置かれ、その前には雌雄の狛いのししが鎮座して
います。

護王神社はもともとは高雄山神護寺の境内に和気清麻呂公の霊社としてお祀り
されていましたが、嘉永4年(1851)に孝明天皇から清麻呂公の歴史的功績を
称え「正一位護王大明神」の神号が授けられ、明治7年に別格官幣社となり、
明治19年(1886)明治天皇の勅命により現在地である元華族中院家邸宅跡
に移されました。

大正4年(1915)には清麻呂公の姉にあたる和気広虫姫を子育て明神として
お祀りされています。

駒猪2

本殿前には長蛇の参拝客の列ができています。
神様もこんなに多くの人の願いを聞き届けるのは大変なことです。

本殿


和気清麻呂公の銅像

和気清麿呂像2


護王神社が猪に縁のあるのは何故かと? その謂れは
奈良時代和気清麻呂は孝謙天皇に仕えておりました。
当時孝謙天皇の重鎮であった僧の弓削道鏡は天皇の寵愛をうけ、
その皇位をわがものにしようと企んでおりました。
これをいち早く清麻呂公は察知し、天皇に進言しており宇佐八幡の神に
参拝し、八幡神の託宜として道教の野望にあらずとその言葉を復奏されました。
それを聞いた道教は烈火のごとく怒り、清磨公を九州の大隅へ配流して
しまいました。
その途中道教の差し向けた刺客により清麻呂公は足の健を切られ足萎え
となって歩くこともできなくなってしまいました。
九州の途次宇佐八幡に参詣するため豊前国宇佐郡楉田村迄くると野猪が
300頭ばかり道を挟んで連なり清麻呂公をお守りして参拝を助けました。
するといつしか足萎えが回復し、歩むことが出来るようになりました。
その上八幡神のご神託により「神封綿8万余り」を賜ったので、それを
宇佐八幡宮の宮司や豊前国中の人々に分かち馬で馳せ帰られた。
天皇も道教の野望を阻止し、道教はやがて左遷され、清麻呂公は無事
天皇の皇位をお護りしました。
これが『日本後記』に記されているとされています。

猪手水鉢

このことから猪は足腰の守り神とされております。

手水鉢から出るお水も猪の御利益が頂けるよう猪が活躍いたします。
特に拝殿前のご神水の猪の手水鉢の猪の鼻をなでると幸せが訪れるといわれます。

足仏

足仏・・足をかたどった上に乗り足腰の健康を祈ります・

足腰の神2

護王の神

本殿の両さいどには「願掛け猪」と「座立亥串」の斎場があります。
2本1組になった願掛けした紙札を串にはさんで1本を境内に納めてもう1本を
家に持ち帰り神棚や玄関にお祀りすると願が叶うというものです。

願掛け猪

「なで猪」もあり、イノシシの身体をなでて、自分の患部をなでると
病気が治るというものです。

なで猪

城所ケイジ氏によるチェンソーを使って彫られた「昇り神猪」と「降り神猪」
「飛翔親子猪」がお祀りされています。

彫刻

拝殿にはまだ新しい猪の彫刻もおかれていました。

猪彫刻

年を重ねて足腰が弱ってきたら護王神社にお参りをいたします。
今年も無事怪我もなく過ごせますように!!
13 : 42 : 22 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
御室 仁和寺
2018 / 12 / 03 ( Mon )
御室 仁和寺 特別拝観

御室とは天皇がお住まいされたところ(僧坊)のことをいいます。仁和寺があるところはこの
御室が地名となっております。

三門


仁和寺はユネスコ世界文化遺産に登録されています。
山号を大内山と号し、真言宗御室派の総本山にあたります。
仁和4年(888)宇多天皇が父上に当たる光孝天皇の遺志を継いで建立されました。

仁和寺にある金堂は慶長18年に建立された御所の紫宸殿を寛永19年~21年にかけて
移築されたもので、仁和寺の中では最も重要な建物とされ、現在は国宝に指定されています。

金堂

移築された紫宸殿の内部には新たに板扉が設けられ、内陣と外陣が
分けられ寺院の様相がつくられました。

内陣には阿弥陀三尊像が安置され、その後壁や柱、長押には仏画が
描かれています。
後壁には西方極楽浄土の世界を、六本の柱には四八体の尊像が
画かれ金堂内が一段と荘厳さを感じさせられます。

今回第51世門跡様の晋山記念としてこの金堂の裏堂に描かれている
五大明王像の一般公開が初めて372年ぶりに12月16日迄開催されています。

五大明王壁画公開

金堂裏堂は今まで一度も公開されたことがなく、しかも日の当たらない
暗闇であったのでその状態は非常にきれいで、鮮やかです。

五大明王は
 金剛薬叉明王・・・一切の苦しみや悪、煩悩を噛み砕き呑み込んで
             しまう。 不食、拒食の人に霊験あらたか
 降三世明王・・・・ 降三世は過去・未来・現在を示し、この三世の煩悩を
             降す。
 不動明王・・・・・・ 五大明王の中心となる明王
             地獄に落ちないよう戒め導く明王
 軍茶利明王・・・ 悟りを妨げる魔をを除く 結界を司る
 
 大威徳明王・・・ 六面六臂六足(六つの顔、腕、足)に描かれ
            善人に悪意を抱く者や、危害を加えようとする者を
            懲らしめ、悪人の呪縛を解き、悪夢を消滅し、悪病を
            除く

向背の火炎の朱がとても鮮やかで迫力がります。

中門を通り抜けて、金堂に至るまでの両サイドには紅葉が一段と
色鮮やかさを増して晴天の青空と色のコントラストが素晴らしいです
しばし紅葉をお楽しみください

紅葉1

正面に金堂がみえます。

紅葉3

紅葉4
             
紅葉5

紅葉6

紅葉7

五重塔は春は桜の借景となり、秋は紅葉の借景となります。

五重塔

真紅とはこのような色をあらわします。

紅葉8

今年の台風21号で京都の各社寺では倒木が沢山あり被害も大きかった
ですが、それでも季節の移ろいとともに今年も見事に色づき秋の風情を
楽しませて頂くことができました。

12 : 23 : 14 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
大覚寺
2018 / 12 / 02 ( Sun )
大覚寺(戊戌開封法会)

京都市右京区嵯峨大沢町にある大覚寺は正式には
「旧嵯峨御所大覚寺門跡」といいます。
真言宗大覚寺派の本山で心経写経の根本道場とされています。
その昔、平安時代 ここに嵯峨天皇の離宮”嵯峨院”が建立されたところで、
嵯峨天皇の皇女正子内親王が清和天皇に上奏され大覚寺と改められました。
初代住職には嵯峨天皇のお孫さんに当たる恒寂入道親王が就かれました。
このことから大覚寺は格式の高い門跡寺院といわれております。

門前ぶろぐ

この大覚寺には嵯峨天皇が弘仁9年(818)の春に都で大旱魃から全国に疫病が蔓延し、
た時、その状況を憂慮され弘法大師の勧めによって疫病退散を願い、一文字書く度に
五体投地という礼拝を三度しながら般若心経を淨書されました。

その写経が完成し、弘法大師が護摩供養されると、たちまち疫病が治まり都に安寧が
もたらされたことから、この嵯峨天皇の写経を霊経として心経殿に勅名により封印され
奉安されてきました。

この写経は写経された年の干支が戊戌(つちのえいぬ)であることから、以来60年に
一度だけ心経殿が開封され、関係者の方によって法会が行われてきました。

今年はその60年目を迎えることとなり、しかも写経がなされてから1200年という記念の
年に当たることから、二度とないこの歴史的瞬間を広く一般に公開されることとなり
10月~11月末まで公開されてまいりました。
毎日大型バスを連ね檀信徒の方は勿論、一般の方も大勢が参拝されました。

玄関ブログ

式台玄関(大玄関)は江戸時代に京都御所より移築されたもので、特別なお客様のみ
お入りになる玄関となっております。

丁度嵯峨菊が満開となっております。
嵯峨天皇は平安時代の初め大沢池の菊ガ島に咲く菊を手折られ花瓶に挿されたところ
その形が「天、地、人」の三才のうつくしさであったところから、後世花を生けるときはこの
形を範とするべしと仰せられた処から「嵯峨御流」の華道が誕生したと伝えられています。
その嵯峨菊は可憐で愛らしく高貴な菊です。

唐門ブログ

勅使門は天皇陛下が行啓される時のみ開封される門です。
手前の少し高くなっている部分は石舞台です。
かってこの場所に大覚寺の本堂である五大堂がおかれていましたが、大正天皇の即位の
時の饗宴殿が御影堂として移築されることになり、勅使門の正面に御影堂を建てないと失礼に
当たるということから五大堂が池川に移築されました。
その五大堂の基壇の跡に現在は石舞台として使用されています。

紅葉3ブログ
五大堂からお庭を眺めてみますと丁度紅葉が真っ盛りでした。

大沢の池ブログ

早朝の大沢池は静かで護摩堂廻りの紅葉がきれいに湖面に映し出されています。
大沢池の周囲は1kmあり、日本最古の庭園池とされ、中国の「洞庭湖」を模して造られた
ところから庭湖とよばれます。
池の畔には心経宝塔や石仏、名古曾の滝跡などがあり国の名勝地になっています。
名古曾の滝はかつて藤原公任が
 滝の音は 絶えて久しくなりぬれど なこそ流れて なお聞こえけれ
と歌を詠んでおられます。

大瀑池ブログ

丁度紅葉も今が見ごろとなっています。
嵯峨天皇の霊経の1200年記念開封法会に参拝して京の都が平成最後の年を
恙なく終えられ又飛躍の新たな年を迎えられることを祈念いたしました。
17 : 25 : 56 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
時代祭 行在所祭
2018 / 10 / 29 ( Mon )
行在所祭(時代祭)

平安神宮前整列

平安神宮は桓武天皇が京に都を遷され平安京が誕生してより、
遷都1100年を記念して明治28年(1895)に桓武天皇を御祭神として
創建されました。

その後昭和15年には、幕末の動乱期を乗り越え近代日本へと導かれた
孝明天皇を合祀されました。

時代祭は京の都が誕生した日にあたる遷都の日10月22日を祈念して
行われる祭礼です。

時代祭では京が平安時代より千年余り培ってきた伝統工芸の技を動く
風俗絵巻として披露する場となっています。

そのため時代行列で披露される衣装や装具は厳密な時代考証をもとに
作製された本物で、数千万円、数億円を越えるといわれております。

時代祭の母体は市民によって構成された平安講社が担います。
現在京都には11の区制が布かれ、その中には190余りの小学校区が
あります。
時代祭は行列ごとに責任を受け持つ学区が定められ、市の全地域が
いずれかの行列に所属して奉仕する町衆の祭礼で、経費も各戸から
集められる奉賛金が財源となっております。

行列の人数は供奉者も加えて2000人、牛馬70余頭が参加し、
その時代絵巻は全長2km余りの規模となっております。

時代は明治維新から遡り、平安時代まで時代考証された衣服を
纏い豪華絢爛たる祭礼が行われます。

鳳輦門より出


その時代祭は御所の建礼門前から出発する前に、平安神宮で神事が
行われてから桓武天皇、孝明天皇を2基の御鳳輦に御遷し、鳳輦と神宝とともに
約400人が平安神宮の応天門を朝9時に出発して御所建礼門前にお迎えし、
行在所祭を行う行事から始まります。

平安講社第7列

鳳輦御所到着

御所にお迎えした御祭神に祝詞をあげお供え物をいたします。
沢山の神饌がお供えされます。

神饌1

御所にお花を届けていた白川女より献花もされます。

献花

維新勤王の山国隊は農兵隊として鳥取藩付属として結成され、岩倉具視によって
命名されたと伝えられ、戊辰戦争に参戦した隊として、明治30年から大正6年まで
時代祭行列の本列の先導役を務めました。
大正10年からは維新勤王隊が組織され山国隊に代わって時代祭の先導を務めて
います。
今年は山国隊結成150年を記念して奉賛されました、

山国隊2

行在所祭の後12時から風俗時代絵巻が建礼門前から繰り広げられます。
時代祭の大切な神事行在所祭です。
19 : 35 : 13 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
| ホーム | 次ページ