松風
2014 / 05 / 21 ( Wed )
京菓子 松風 その3

京菓子松風その3は北区紫野大徳寺前にある「松屋藤兵衛」さんです。

現在は9代目を継承されています。

その昔は豊臣秀次の付き人をされていたそうで、その後は御所の祐筆と
してお勤めをしながら家では松風を作っておられたと伝えられています。

5,6代前までは御所の清和院門前にお店を構えていましたが、
大正の末期(大正7年に京都電気鉄道が京都市に買収され、市電が拡充
されるようになるに従い、北大路通も拡幅されました。)
に北大路通が広くなり、茶道が盛んな大徳寺にも近いことから、現在の地に
越してこられました。

店舗

松屋藤兵衛の松風は「紫野松風」でその特徴は「大徳寺納豆」が用いられて
いることです。

大徳寺好みのお菓子として柔らかめに改良されてきました。

松風2

松風は特に茶道では立礼の時の主菓子や、お干菓子的に用いられることが
多いようです。
又抹茶だけでなく、コーヒーや紅茶にもあうお菓子として幅広く好まれています。

松風

松風3

松風の由来の一説には

  「江月照松風吹  (こうげつていしょうし、松風ふく

     永夜清宵何所為」  えいやせいしょうなんのしょいぞ)

秋の澄んだ月は川の水を照らし、松を吹く風は爽やかである。
 この永い夜 清らかな宵の景色は何のためにあるのか、
   それは何のためでもなく 天然自然にそうなのである。

唐の永嘉大師(曹洞宗開祖の弟子玄覚)の作成した詩の中の第103,104の句

からの節もあるそうです。
お菓子も極めれば奥深いものがあります。
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松風
2014 / 05 / 20 ( Tue )
京菓子 「松風」 その2

京菓子松風の老舗 「松屋常盤」が堺町通丸太町下がるにあります。
丁度御所の堺町御門を南に下がったところです。

創業は承応年間(1652~55)と伝えられているそうです。

店舗

後光明天皇より禁裏のお菓子匠の「山城」という大掾の白い暖簾を
賜り玄関には京菓子調進所「松屋山城」の白い暖簾がかけられております。

松屋常盤さんの松風は「紫野味噌松風」です。

大徳寺57世和尚から伝授されたと伝えられておりますが、57世和尚は
松屋常盤の創業と年代が相違いたしますので、大徳寺では後に「松風」と
伝わるお菓子が伝わっていれそれを伝授されたようであります。

松風 看板


松風看板2

創業当初より御所へのお出入りが許され、又大徳寺、茶道家元の
御用達として家族のみで受け継ぐ一子相伝の松風といわれております。

松風1

小麦粉、砂糖、西京味噌を練りこんで一晩ねかせて、発酵させた上に
黒ゴマが乗せられております。

松風の命名には、謡曲の「松風」の一説
 「浦寂し、鳴るは 松風のみ」の由来
焼き色がつくのは表のみで浦ではないところから、裏(浦)さいしいという
意味からとの一説があります。

松風3

明治天皇のご成婚25年の祝典に献上され、天皇家にも好まれ、
入江侍従長が直々にお買い求めに尋ねられたそうです。

お味はカステラに味噌の香が乗せられていて、どっしりとしたカステラ風味
です。

禁裏へお菓子を納めるときには、「たでん」というお菓子の入れ物に
いれて納められました。
その器は螺鈿が施された綺麗な立派な工芸品です。

たでん

お店には御所や相国寺に近いこともあって「宗旦狐」の置物がおかれて
いました。

狐が宗旦に化けてお茶会に出向き、お点前を披露したといわれる
滑稽で親しみを覚えるお話に由来する置物です。


宗旦狐

松風は1箱800円からあります。

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松風
2014 / 05 / 14 ( Wed )
  京菓子「松風」 その1

京菓子「松風」の老舗亀屋陸奥が下京区の西本願寺の斜め向かい
堀川通の七条上がるにあります。

その歴史は古く、創業は応永28年(1421)と言われております。
もともと本願寺にお仕えし、供物や慶事にかかわるお仕事に従事されて
いました。

本願寺の顕如上人が石山本願寺に移られたときも本願寺に追随し、織田信長の
石山本願寺攻めの戦のなかで戦って苦難をともにしたしました。
その戦は10年にもおよび、兵糧を遮断された時、第3代目の亀屋の主人
大塚冶右衛門春近が知恵をしぼり、兵糧のかわりに考案した品が「松風」でした。

顕如上人が信長と和睦を結ぶまで、この松風は兵糧として門徒たちの命をつなげた
と言われております。

後に顕如上人が下間少進邸を訪れこの松風を召しあがったときに、当時を思い出し

 「わすれては 波のおとかと おもうなり
   まくらにちかき 庭の松風」  と一首をよまれたそうです。

この時に本願寺守護に貢献したこのお菓子に「松風」の銘を賜ったと伝えられて
おり、現在も本願寺の境内にあって、御用達の品として親しまれております。

店舗


看板

亀屋陸奥の商号は

豊臣秀吉が聚楽第で池に浮かべて遊んでいたといわれる檜造りの大きな亀を
後に公家の柳原家から譲り受けて家宝とし、

正徳5年(1715)に三条大納言より「陸奥」の大掾の御宣旨を賜ったことにより
「亀屋陸奥」と名乗るようになったとお聞きしました。

亀

亀屋陸奥の松風にはケシの実が上にふりかけられております。
ケシの実は香がよく、どちらかといいますとパンくらいの固さの歯ごたえ
があります。

松風

抹茶にも、紅茶にも、コーヒーにもあうお菓子です。

特にお茶席では立礼などの時に出されたり、お干菓子的に出されたり
いたします。

16枚入り1,100円、からあります。

松風2

「松風」は京の都では3店舗の老舗があります。
次回はその2をご案内いたします。

22 : 51 : 08 | 京菓子 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
2月の干菓子
2014 / 02 / 12 ( Wed )
2月 初午のお菓子


2月初午の頃の京都のお菓子は先ずは、法螺貝餅があります。

又、2月のお茶会の干菓子には欠かせないお菓子は「狐面にねじり棒」です。

お干菓子は濃茶の後、薄茶の席で出されるお菓子で濃茶用の主菓子よりも
軽いもので、お茶の味を引き立てる役目があります。

狐面はサクサクとして、表面に薄くかけられている砂糖がほんのりと甘く
口当たりがいいです。

ねじり棒は色取りが非常にきれいです。
有平糖は出来栄えが天候に左右され、砂糖蜜の煮詰め具合が非常に難しい
お菓子で、作り手泣かせのお菓子といわれております。


狐面とねじり棒は京では400年の歴史をもつ「亀屋伊織」さんで作られて
います。


亀屋伊織さんでは茶道用の干菓子を作り続けて400年の老舗です。

京の茶道家元のお茶会の要望にも常に答え四季折々のきれいな干菓子を
作り続けておられます。


狐面2

食べてしまうのはもったいないような京菓子、至福のひとときに抹茶とともに
味わって心豊かな時間にしたいものです。

亀屋伊織
22 : 55 : 55 | 京菓子 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
節分のお菓子
2014 / 02 / 04 ( Tue )
節分のお菓子 「法螺貝餅」

東大路通の松原上るに京菓子司の「柏屋光貞」があります。
創業は文化3年(1806年)と、200年余りの歴史をもつ京菓子の老舗です。

もともと宮中やお寺などのお食事を司る「大膳部」と呼ばれお出入りを
許されたお店と伝えられております。

こちらでは節分の護摩供の供用菓子として、節分の日にだけ作られる
お菓子「法螺貝餅」が販売されています。

柏屋光貞

「法螺貝餅」はクレープ状の薄い生地に白味噌餡を包みこんで、牛蒡で
法螺貝の吹き口に似せたお菓子です。

法螺貝には悪霊退散の意味があるところから、厄除けのお菓子とされています。

もともとは今の形ではなく「ふのやき」に似ていたといわれ、安政の御所炎上の
際、孝明天皇が避難されていた聖護院門跡で召し上がったといわれるものと
伝えられ、今でも年に一度だけ節分の日にだけ作られています。

お味は牛蒡の香りと白味噌餡とクレープの外皮とがマッチして現代風に
アレンジされています。

お店では時代の嗜好にあわせて微妙にお味も変化させておられるとか
食べごたえのあるお菓子です。

法螺貝餅

「法螺貝餅」は事前予約を必要とし、5個単位で予約販売されています。
22 : 25 : 50 | 京菓子 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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