全国都道府県女子駅伝
2018 / 01 / 14 ( Sun )
全国都道府県女子駅伝

毎年1月の恒例行事となっております、全国都道府県女子駅伝は
今年は36回目が今日(14日)開催されました。

駅伝発祥記念碑

日本で最初に駅伝が開催されたのは大正6年(1917)4月27日に
京都三条から東京上野までを23区に分けて3日間かけて行われました。

その記念碑が昨年100年記念として三条大橋東詰北側に設置されました。

その3年後、大正9年に箱根駅伝が開催されています。

全国都道府県女子駅伝は1983年から始まりました。

この駅伝の開催によりまして、日本の長距離ランナーの育成となって
マラソン選手が育ってオリンピック選手も選出できるようになっています。

今年も華やかな女子選手が都大路を駆け抜けていきました。

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女子駅伝は華やかで、色とりどりのユニフォームが飛ぶように駆け抜ける
姿は躍動感とともにしなやかさを感じさせてくれます。

選手

選手2

ご当地応援団も駆けつけ、市民の皆さんも どの選手にも惜しみない
声援を送っておられました。

今年の1位は兵庫県、2位に京都、3位は長崎でした。
どの選手もお疲れ様でした。
そして素晴らしい姿は元気を頂きました。又来年に向かって頑張って
頂きたいと願っています。
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御苑 土御門第跡
2017 / 12 / 22 ( Fri )
藤原道長邸宅跡

京都御苑の中に(仙洞御所の北)土御門第跡と駒札が建てられている
辺りは平安時代中期の公家で摂政藤原兼家の五男「藤原道長」の邸宅が
あったところとされています。

駒札

邸宅は南北二町に及び、上東門第、京極第などと呼ばれました。

道長の長女彰子を一条天皇の中宮とし、里内裏である道長邸で
後一条天皇や後朱雀天皇が誕生されています。

此の頃道長の権勢は目を見張るものがありました。

寛仁3年(1019)には出家して行観(後行覚)と称しました。

道長の日記『御堂関白記』14巻は自筆本で我国最古の日記として
国宝に指定されています。

この道長邸宅にて催された宴席で

 ”この世をば わが世とぞおもふ 望月の 欠けたることも なしと思えば”

と歌われてから来年は1000年に当たります。

十三夜2


地形からして、この邸宅跡からは月が見えないと思いきや、意外にも大文字山
から月を見ることができるのです。

当時は高層ビルもなく、月の眺めも一際綺麗で、夜長を歌を詠みながら愛でた
ことでしょう。
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大宮御所・仙洞御所
2017 / 11 / 13 ( Mon )
大宮御所・仙洞御所

大宮御所門

京都にはかって1000年の長きにわたって都がおかれてきました。
現在もその足跡が残されていて、京都御所、大宮御所、仙洞御所そして
現在は市民の憩いの場ともなっています京都御苑が存在いたします。

それは市中の真ん中にあり、京都御苑は誰でもいつでも行くことができ、四季折々に
風景が変わり楽しむことのできる場となっております。

今から150年前に徳川慶喜が大政奉還を致しまして、京都の様子も変わりましたが
それでも市民の心の中には京都御所は特別なものとなっております。

京都御所は近年通年で参観できるようになりましたが、大宮御所・仙洞御所は
申込制となっております。

ちょうど紅葉が始まりだした今日参観してまいりました。

大宮御所3

大宮御所の大宮とは皇太后,太皇太后の敬称で、御水尾天皇の中宮東福門院
和子の女院御殿として造営されました。
東福門院・和子は徳川家康の孫、徳川秀忠の息女です。

大宮御所2

大宮御所は現在でも天皇陛下や皇太子殿下が京都にお見えになった時の宿泊所と
なっております。
中は洋風になっているそうです。
中庭には紅白の梅があり、松、竹と吉兆の樹木が植えられております。

大宮御所松

大宮御所竹

大宮御所灯籠

御所の中門を潜ると北池へと続きます。
ここから仙洞御所となります。
仙洞とは俗界を離れた清浄な地で仙人の住むところとされています。

作庭は小堀遠州によるものだそうです。

北池

ちょうど紅葉が真っ盛りで池の水面に映る景色も最高です。
鴨が泳いでいました。

北池2

暫し景色を御覧ください。

北池3

右手には船着き場があります。

北池4

北池5

阿古瀬渕の池に鷺が一羽止まっていました。絵になります。

鷺

小高いところに紀貫之の邸宅跡という石碑が見えます。

紀貫之邸跡

少し進みますと鎮守社があります。
伊勢神宮、下鴨神社、石清水八幡宮、春日大社の祭神が合祀されているそうです。

柿本社

北池橋を通過し、更に奥へと続きます。

北池橋

この雪見灯篭は徳川光圀公(水戸光圀)より献納されたものだそうです。
茨城県産の結晶質凝灰岩・寒水石で出来ています。

雪見灯篭水戸光圀

船着き場で、ここより船で池の眺めを楽しまれるところです。
秋の夜長、池に映る月を愛でながら歌など詠まれて過ごされたのでしょう。

船着き場

南池へと続きます。

南池

正面の奥には滝が流れています。

南池2 滝

前方には八つ橋と呼ばれる石橋が見えます。

八ッ橋

南池3

仙洞御所の中で最も古い建物といわれる「醒花亭」と名付けられた茶室です。

醒花亭

創建は江戸中期とも後水尾上皇の時代ともいわれています。
杮葺き屋根に庭園全体が眼下に眺めることのできる絶好の場所に位置します。

醒花亭の名前は中国の李白の詩文「矢来月下臥醒花影」から名付けられたとか

醒花亭2

詩文の額が掲げられています。

漢詩

醒花亭の前庭も紅葉が非常に綺麗です。

醒花亭前庭

南池に敷き詰められた州浜の石は白灰色の丸い平たい石で小田原藩主の
大久保候が小田原の海岸から取り寄せ、1個づつ真綿にくるんで納められた
そうです。

州浜

この石1個で米1升と引き換えられたといわれ、俗に「1升石」と呼ばれています。

一升石

南池を一周して戻ってきますと外腰掛が見えてきます。
これがもう一つのお茶室「又新亭」の外腰掛になります。

外腰掛

又新亭はもとは今出川御門の南西にあった近衛家の茶室で、明治17年に
近衛家が東京に移住されたためにここに移設されたものです。
裏千家の第11世玄々斎好みの茶室と言われています。

又新亭2

屋根は茅葺で4室からなります。内部には斬新なアイデ7が施されて
いるそうです。

又新亭

花頭窓がありますがその前には大きな木が植えられています。
これは敢えてそのようにされているとか!
外の風や空気が入るが外景に見とれることがなく、大きな木でもって
お茶に集中するようにとのことからこのような造りとされているとか。

又新亭花頭窓

丁度柊の花が咲いていました。かなり老木になってきているので葉のとげが
あまり見られなく葉も丸くなっています。

人の一生も年老いて人間味が丸く仙人のようになっていければいいですね!

柊の花

約1時間かけて大宮御所・仙洞御所を一周して拝観して参りました。
秋の紅葉は格別ですが、新緑も、藤の花の頃も、雪景色も素晴らしいとご説明
がありました。

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花山天文台
2017 / 10 / 23 ( Mon )
花山天文台

門柱

京都市山科区北花山にある京都大学の花山天文台は1929年に設立された
歴史ある天文台です。

京都大学理学研究付属天文台は花山天文台と岐阜県にある飛騨天文台から
構成されています。

花山天文台は開設以来80年にわたり日本の天文学の観測拠点の一つとして
最先端の天文学研究を推進してきたといわれております。

プレート

この天文台で研究されているのは
*太陽物理学(太陽の活動現象)
*太陽・宇宙プラズマ物理学(太陽,恒星、銀河、ブラックホール等天体での
  宇宙プラズマ現象の研究)
*恒星物理学(激しく活動する天体の謎)
等が研究されています。

現在は天文台の観測の主力は飛騨天文台で行われているようですが
ここ花山天文台でもいろいろな研究が行われています。

2014年には京都市の「京都を彩る建物や庭園」に認定されています。

本館
建物群では本館
本館の建物は花山天文台の象徴的な建物となっています。

別館
別館

歴史館
歴史館

新館  太陽館で構成されています。

本館には国内で3番目に大きなレンズを持つ45cm屈折望遠鏡が設置されています。
この望遠鏡は1927年にイギリスから輸入され花山天文台設立とともに設置された
ものだそうです。
構造も接岸レンズの奥に対物レンズ、反射鏡が入っているようです。
このレンズで遥か彼方の宇宙の様子を観察できるとはなんとも理解しがたいことです。

花山天文台の第3代台長の宮本正太郎博士は来る日も来る日も研究に没頭され
ご家族からは、「お父さま、今度のお正月はお家でお迎えでしょうか」と問われる程
だったとか
1956年~1976年まで継続的に火星の観測を行い、大黄雲(超台風)の発見
がなされ数多くの世界的な天文学の成果をあげられた博士です。
2007年にはこの功績をたたえ、火星クレーターの一つがmiyamotoと名付けられた
そうです。

望遠鏡

歴史観は現在は天文台の歴史を伝えるミニ博物館となっています。
ここにも珍しい観測機や子午機や精密時計などが展示されています。

太陽館は建物全体で太陽分光望遠鏡として機能し、70cmシーロスタット鏡による
太陽光が建物内に導かれ分光器によりスペクトルを取得することができる
そうです。
専門的なことはなかなか理解に時間がかかります。

景色

この天文台は東山ドライブウエイの頂上近くにあり、ここから西の京都が
一望でき、お天気のいい時は阿倍野ハルカスもかすかに見える眺めの
すばらしいところです。


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京の夏の旅
2017 / 09 / 17 ( Sun )
京の夏の旅 本野精吾邸

京の7夏の旅シリーズ 「本野精吾邸」のご紹介です。


看板

本野精吾は明治15年生まれで、大正から昭和に活躍した建築家です。

父盛享(もりみち)は読売新聞の創業者、兄一郎は外務大臣という閨閥の家柄、

精吾は東京帝国大学建築科卒業後、明治41年に現京都工芸繊維大学の
図案教授に就任。 明治42年から3年間ドイツ留学。
当時ヨーロッパで盛んだったモダンデザインに影響を受け、帰国後は
鉄骨や鉄筋コンクリートを使用した建築作品を造り出し、日本における
モダニズム建築の先駆者の一人として知られている方です。

邸宅2

京都の北区等持院にその邸宅が残されています。

自邸はL字型のコンクリートブロックの組み合わせ(中村鎮式ブロック)
という当時ではモダンな建築様式で建てられています。
これは早くから地震対策も考えられていたものなのですね。

中村式ブロック2

1階は板張りで食堂と居間兼用でお部屋を広く機能的に使えるようにされて
います。 暖炉も作られています。

これは優れたモダニズム建築として国際組織のドコモモ日本支部によって
選定されているそうです。

21階

暖炉2

窓の開閉ツマミもデザインが凝らされています。

窓ツマミ2

お部屋の2階からは左大文字を見ることができます。

左大文字

また本野が手掛けた建物は京都市考古資料館(大正3年建築)
鶴巻鶴一郎邸(現栗原邸) 昭和4年建築 山科区疏水べり
京都工芸繊維大学3号館(昭和5年)左京区
等が現存しています。



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