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東北の旅5
2018 / 07 / 22 ( Sun )
東北の旅5
 盛岡~平泉  毛越寺、中尊寺、達谷窟毘沙門堂へ


平泉の地は平安時代後期に豪族藤原清衡を父とし、その子基衡、
孫の秀衡と三代にわたりおよそ100年間奥州文化を築いたところです。

平泉に到着すると、駅前から15分間隔で毛越寺、中尊寺、高館義経堂、無量光院跡
など8か所をめぐる巡回バス”るんるん”が出ています。
一日フリー乗車券を買って、まずは毛越寺から出発です。
毛越寺、中尊寺は平成23年(2011)に世界文化遺産に登録されています。

毛越寺山門

毛越寺は創建当時は金堂円隆寺をはじめ嘉祥寺、講堂、常行堂、南大門など
の堂宇が立ち並びその前庭に大泉が池を中心に浄土式庭園が配置される
広大な寺院であったと伝えられています。

毛越寺の由来には白鹿伝説があります。
嘉祥3年(850)慈覚大師が東北を巡遊の時、この地にさしかかると、あたり一面に
霧がかかり前が見えなくなりました。
そんな時、ふと足元をみると点々と白鹿の毛がおちていました。大師はその毛を
辿っていくと前方に白鹿がうずくまっていました。
大師が近づくと白鹿は姿を消してしまいました。やがてどこからとなく白髪の老人
があらわれこの地に堂宇を建立して霊場にせよと告げました。
大師はこの老人こそ薬師如来の化身と感じ、一宇の堂を建立し、嘉祥寺と号しました
これが毛越寺の起こりとされていると記されています。

毛越寺本堂


現在は多くの堂宇は焼失してしまいましたが、当時の堂宇、回廊の基壇、礎石、土塁
等が遺されていて、平安の伽藍様式、浄土庭園を知る貴重な遺構とされています。

毛越寺庭園1

大泉か池は雨で緑が一段ときれいで池面の浮かぶ龍頭船が絵になります。

龍頭船

あやめが池にはちょうどあやめが咲いていました。
あやめが池

地蔵菩薩も鎮座しています。
地蔵菩薩


中尊寺

中尊寺はバス亭から金色堂までは可なりの坂道を上っていきます。

藤原清衡が造営したが度重なる火災で多くの堂塔が焼失したが、金色堂だけは
創建当時のまま残され、堂内には藤原氏四代の遺体が納められているそうです。


中尊寺

金色堂は昭和37年(1962)解体修理が行われたが、その材料の中には現代では再現できない
ものもあったとか、痛みが激しく修復に困難を極め修復に当たった方はこれは修理か破壊か
と疑問視せざるをえない場面もあったとか。
そこには相当の苦心、苦労があったようで、それを乗り越え又今日燦然と輝く金色堂へと
復活をはたしました。

金色堂
(パンフレットより)
金色堂が世界遺産に登録されたのは東北大震災の3ケ月後、中尊寺では震災直後より
物心両面での支援を続けてこられたと報道されています。
藤原清衡が念願としていた、人々が助け合う、支え合う浄土思想の実践がこの東北で
行われていることを感じました。

達谷窟毘沙門堂

達谷岩屋毘沙門堂 山門

達谷窟毘沙門堂は延暦20年征夷大将軍坂上田村麻呂の創建と伝えられています。

境内は神域として古くから殺生の禁断地とされ、動植物の採取、煙草・飲食の行為
犬猫を伴っての参拝は堅く禁じられているされています。
大変厳密なお寺です。

毘沙門堂は寅年の守り本尊、多くの御利益があるそうです。

毘沙門堂は懸造りとなっていて、大きな岩肌に面して建てられています。
御堂床下の広い空間は、昔から諸国行脚の聖や山伏、乞食などが休める安住の宿
として、また合戦に敗れたもののふが身を隠し、再生し生まれ変わっていく場として、
また祖先の霊があの世から還って集う聖地として、現在も人が立ち入ることを許さない
禁足地とされているので注意しなければなりません。

懸け造り

岩面に大仏様が刻まれていますが、大仏様は極楽の仏様とされているそうです。
この大仏様は高さ16.5m、顔の長さ3.6m 肩幅9.9mもあり、全国で五指に入る大像
といわれています。

その昔、陸奥の守源義家公が敵味方の諸霊を供養するために馬上より弓張をもって
彫りつけたと記されていました。
岩面大仏2

6月8日から3泊4日の東北の旅でしたが、今回は天台宗関連の寺院を中心に
中身の濃いすばらしい旅となりました。
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17 : 13 : 58 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
東北の旅4
2018 / 07 / 22 ( Sun )
東北の旅4
  三沢駅~八戸 (櫛引八幡宮)~東北エモーションで久慈~盛岡(


東北の旅№4は三沢駅から青い森鉄道で八戸へ。

八戸では南部一之宮といわれる櫛引八幡宮へ
櫛引八幡宮は平泉合戦で戦功をたてた南部家初代の光行が創建した神社
と伝えられています。

源頼朝から青森岩手北部の広大な土地を拝領して神託により
櫛引村を社地とし貞応元年(1222)社殿を造営、南部領総鎮守として
創建されたと伝えられます。

櫛引八幡宮鳥居

本殿は重要文化財に指定されています。

櫛引八幡宮本殿

国宝館には鎌倉末期の
 赤糸縅鎧と白糸縅妻取鎧が展示されています。
 緻密な括りや塗技法等素晴らしいものでした。

境内には杉の大木が沢山みられ、連理の3本杉や夫婦杉が堂々と
そびえています。

夫婦杉2

櫛引八幡宮に伝わるカッパ伝説
八幡様の使いの鷹が、メドツ(河童)が勝手に暴れないように押さえつけている
通常本殿には縁起のいい鳳凰や龍、獅子などの彫刻がみられるが、何故か
こちらにはカッパ(妖怪)が彫刻されています。

カッパ(メドツ)

又日本三駒と言われる八幡馬の置物も有名です。
その昔、馬に乗ってお嫁入りした際に馬を飾りたてたものを表現したとか
流鏑馬のときの馬の飾りを表現したものとか2説あるそうです。

櫛引八幡宮から根城跡へ

根城1

根城は南北朝時代に南朝方の武将南部師行が築城し、八戸統治の
拠点としたところだそうです。

お正月には大広間で武将が新年を祝う饗宴の様子が再現されています。

根城正月風景(大広間)

南部氏が支配していた広大の範囲が記されています。

根城 南部氏支配図

当時の建物は雪深い地で平城として築城された、安土桃山時代の
お城の面影を伝える貴重な史跡とされています。

納屋2

この後は八戸から東北エモーションというレストラン列車で久慈まで
東北エモーションは各個室となっていて、列車の中でお食事を戴くことが出来ます。

東北エモーション4

列車が走りだすと、各ブースにお食事が運ばれてきます。
先ずはリンゴジュースでさっぱりと気分爽快、食欲をそそります。

エモーション 食前酒

前菜は、甘海老のクリュ、ホタルイカ、柑橘とシナモン、クリームチーズ
かにとコブミカン じゃがいものフリット

エモーション前菜

メインディシュは豚肉ロースのロティ、味噌漬けベーコン アスパラガス、チーズ
エモーションメインディシュ

デザート プチフール(マドレーヌ、カカオのチョイール、フロマージュプランの
サパラン イチゴ)
プティフール

外の景色が流れていく中で素晴らしいひと時でした。

途中東北復興のお礼にと沿線の方が旗をふって感謝の気持ちを
あらわしておられました。
まだまだ復興途中で皆様必死に再起をかけ頑張っておられる姿を
再確認し、応援の気持ちを強くもちました。

震災復興

この日の宿は盛岡です。
14 : 16 : 28 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
世界遺産 二条城
2018 / 07 / 07 ( Sat )
雨にけぶる 元離宮二条城

台風後の梅雨前線が活発になり今日の二条城は雨にけぶる
景色となりました。

今月から始まる二条城の特別企画、早朝拝観と遠侍二の間特別入室、
そして早朝食事会の参加です。

清龍邸庭

香雲亭からの清流園の雨の景色を眺める機会もめったにないかも!
しっとりとした雨景色の中、時折雨音が激しく聞こえてきます。

清流庭

右端には和楽庵が見えます。
香雲亭の辺りは二条城が建てられた頃は、白番武士の宿所がおかれて
いたところで、明治になって角倉了以の屋敷から茶室や石が移設され苑地
となったところです。
大正天皇の即位のときには御大典の殿舎が建てられました。

太平洋戦争後GHQのテニスコートとなった時代もありました。
又、ダイアナ妃が来日された時にはここで園遊会が行われたところでもあり
時代とともにいろいろな歴史が繰り広げられたところとなっています。

この香雲亭で7月1日~9月30日まで早朝の朝御膳を戴く企画に参加して
参りました。

床の間の飾りはシンプルに初日の出に鶴のお軸と
丁度季節柄祇園祭のタペストリーが飾られていました。

清流邸床飾り

祇園祭タペストリー

第19代高山義三京都市長の揮毫による「香雲亭」の扁額です。

高山義三扁額

違い棚

違い棚2

祇園祭の屏風も飾られていました。
時代、作者は判らないそうです。 季節にぴったりの趣向と拝見いたしました。

祇園祭屏風

お食事は京料理いそべさんの「京ゆば粥御膳」です。

くみあげ湯葉に土佐酢のジュレおくら添え、季節の野菜煮、
蓬麩と山科茄子のラタトゥイユ、出汁巻玉子、枝豆、海老、茗荷
生麩饅頭 湯葉フレーク

早朝食事1

祇園祭は鱧です。 梅肉で頂きます。(季節の一品)

鱧

湯葉粥 

粥

湯呑は近藤悠三氏の作だそうです。

近藤悠三作湯呑

朝粥御膳を戴いた後、二の丸御殿の「遠侍 二の間」でデジタル復元が完了した
新しい「竹林群虎図」の襖絵を真近で拝見してきました。
金箔がキラキラと輝き、ふっくらした虎が浮き立っていました。

特別入室は8月末まで行われているようです。
17 : 19 : 34 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
祇園祭
2018 / 07 / 02 ( Mon )
祇園祭 くじ取り式

7月2日は祇園祭のくじ取り式

式次第


京の三大祭りの一つでユネスコ無形文化遺産に登録されている祇園祭は
7月1ケ月かけて行われる厄除け神事です。

くじ取り式は祇園祭で神事の先払いとされている山鉾の巡行の順番を
決めるための大切な行事です。

その昔山鉾巡行の先陣争いが絶えず、応仁の乱以降明応9年(1500)
よりその先陣争いを避けるために始められました。
今年はその回を重ねる事518回目を迎えました。

江戸時代には雑色(京都所司代に属して京都の行政、警察、司法の補助を
する人)立合いのもと六角堂で行われ、京都所司代の花押等のあるくじが
渡されたと説明にありました。
場所は明治以降は府庁、同32年から市役所に変わり、戦後一時期八坂神社
となりましたが、昭和28年からは京都市会議場で行われるようになりました。
そして日程も7月2日と決められています。

京都市役所は1927年竣工で政令指定都市の市役所では一番ふるくからある
建物です。
設計は武田五一、中野進一氏によるものです。
平成31年には京都市会誕生130周年を迎えます。

議場

議場2

議場3

このくじ取り式が一般公開され見学してきました。

くじ取り式には、京都市長、八坂神社宮司、始め山鉾連合会会長、清々講社幹事長
祇園祭関係者の多くの方の出席のもと33基の山鉾の代表者が紋付き袴姿で出席
され午前10時から行われました。

籤取式

籤は慎重にその数の確認が行われ、あらかじめ籤をひく順番をきめるよび籤取
が行なわれていて、その順番に従って籤がひかれます。

籤取式2

籤取式3

籤は巡行する33基の山鉾のうちでくじ取らずの
長刀鉾、函谷鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾、橋弁慶山、北観音山、南観音山、大船鉾
以外の山鉾が籤をひきます。

山壱蟠

今年の先祭りの山一番には蟷螂山が、後祭りでは黒主山が決定しました。

山一番は長刀鉾の次に巡行するので一番をひきあてると、会場から「ほお ~」と
羨望の声がかかります。

鉾第壱番 鶏鉾

さあこれで巡行の順番が決められ、愈々祭り本番へと突入いたします。
23 : 00 : 14 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
東北の旅3
2018 / 06 / 29 ( Fri )
東北 三沢宿

東北の旅2日目の宿は三沢駅から車で5分の星野リゾート青森屋です。

もとは旅館であった建物を再生されていて、敷地22万坪というとても広い敷地に
池を囲んだ公園には古民家を利用した施設があり、とてもいい風情です。

青森屋

園内の地図を片手にお食事前の散策に出掛けます。

宿泊のお部屋は西館で、お食事や宴会場は本館です。

青森屋地図

玄関から西大門を潜って園内にはいりますと、足湯があったり、鐘撞堂があります

青森屋 西大門
 
そして先ず眼前には浮見堂が目にはいります。
池面にその逆さ姿を映し何とも不思議な建物です。
現在は守り神をお祀りする建物のようです。

浮見堂

南部曲屋は全国馬産地であった南部地方の馬屋と住まいが一体となった建物を
利用して現在はラウンジとなっているようです。

南部曲屋

藁屋根のカーブが何とも不思議なつくりです。

南部曲屋2

この園内に渋沢栄一旧邸があります。

渋沢栄一邸門

渋沢栄一は現在埼玉県の豪農の家に生まれ、文久元年に江戸に出、徳川慶喜の
幕臣となりその力を発揮、
大政奉還後は大蔵省に入省、第一国立銀行{第一銀行)みずほ銀行の頭取や
東京瓦斯、東京海上火災保険、王子製紙など多くの企業設立にかかわる。その数500
ともいわれて幕末から明治、大正にかけて日本の先駆的存在と言われる人です。

渋沢栄一の後を孫の敬三が継ぎ、同じく第一銀行頭取や日銀総裁、国際電信電話
会社社長等歴任し、日本経済復興の端緒を開いた人物といわれています。

旧邸の門を入ったところに、栄一と敬三両氏の銅像と渋沢神社が建てられています。

渋沢栄一銅像
旧邸宅はもともとは東京にあって、大蔵大臣官邸になったり、供用会議所に
なったりしていたようですが平成3年にこの地に移設されたようです。
ここに移設されたのは、星野リゾート青森屋の前身小牧温泉創業者の杉本氏が
渋沢家の執事として親子二代に亘って仕えていたといういきさつがあるようです。
建設は清水建設が、設計は西村好時氏だそうです。
広大な素晴らしい洋館の建物で内部は非公開です。

渋沢栄一邸

さて、食前の散歩を終えて愈々お食事タイムです。
お食事は全員で大広間で頂きます。

そこにはねぶたが堂々と三基据えられています。

ねぶたには3種類あります。

まず五所川原立佞武多
高さ23mもあるねぶたが町を練り歩くとその勇壮さは見事なものとか
「ヤッテマーレ、ヤッテマーレ」

弘前ねぶた

青森ねぶた
宵闇に大見得をきる迫力が素晴らしいねぶたです。
「ラッセラー、ラッセラー」

青森ねぶた

「弘前ねぶた」
弘前ねぶたは表には勇壮で色鮮やかな武者絵、裏には妖艶な美人画が
画かれているのが特徴
「ヤーヤードー」

五所川原立佞武多

どれも迫力満点です。
これは本物を縮小したものなので、実際にはもっと大きなものとなります。
掛け声もそれぞれちがうようです。

津軽といえば三味線、津軽三味線の音色もすばらしいです。
どこか哀愁を覚えます。

津軽三味線

ホテルの従業員さんは大変です。
笛は吹くし、踊りは踊るし、それも一流の芸人揃いです。
お客様も巻き込んで、旅の一夜を楽しませてくれます。
ここにも星野リゾートの企業秘密があるようです。

祭り

祭り2

お料理は
お祭り前夜菜、お造り、立佞武多五段セイロ、郷土料理(せんべい汁)、
香の物、甘味です

青森屋晩餐

配られたうちわはお土産にどうぞ!!

五段せいろ

かくして青森の夜は更けていきました。

18 : 45 : 17 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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