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伝統芸能
2009 / 02 / 25 ( Wed )
能楽囃子と西洋管弦楽との饗宴

日文研 日文研1

京都は西京区桂坂の山手に閑静な高級住宅街が並び眺めの素晴らしいところに
国際日本文化研究センターがあります。

創設準備室長 梅原猛先生が就任され昭和62年に大学共同利用機関として創設
されました。
平成7年には2代目所長に河合隼雄先生が就任されています。

能楽

國際日本文化研究センターでは「町づくり」「物づくり」「人づくり」「劇づくり」を行って
おられ、今日(25日)は日本の伝統芸能 ”能楽囃子”と”西洋管弦楽”
との新しい試みとして饗宴が開催されました。

日本の伝統文化は世界的に高い評価を受けていますが、現代の文化として
ではなく、あくまで伝統文化としてとらえられている。

現代の社会の中に活かすことを趣旨として保存するのではなく現代にうまく活かす
ことを目的に今回新たな試みとして開催に至ったと笠谷和比古教授の趣旨説明が
ありました。

gakki.jpg

能楽四拍子の
 笛   杉 信太朗氏、
 鼓   曽和 尚靖氏
 大鼓 谷口 有辞氏
 太鼓 前川 光範氏
による精鋭の囃し方四氏による。

作曲は武内基朗氏、

最初は能楽囃子の伝統的演奏3曲、引き続き西洋管弦楽(テープ)とのコラボレーション

管弦楽のバックグランドに能楽の囃子が演奏されるという協奏、初めてこの演奏を
聞きましたが、なんとも不思議な世界でした。
確かに能楽の世界は私たちにはなかなか難しいものがありますが、今後いろいろな
工夫が凝らされて、新しい能楽囃子が生まれてくるともっと親しみが生まれてくることと
今後を楽しみにしたいものです。

この国際日本文化センターでは他にも講演会やいろいろの催しも開催されています。

国際日本文化センターえは阪急桂駅下車、市バス西6 京都バス20で桂坂小学校前下車
徒歩5分くらいです。
21 : 16 : 31 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
世界遺産 醍醐寺
2009 / 02 / 23 ( Mon )
醍醐寺の五大力尊仁王会

醍醐寺 醍醐寺2

2月23日は”五大力尊仁王会”が醍醐寺で行われます。

五大力尊仁王会とは醍醐寺の祖師”理源大師聖宝”の遺訓により上醍醐五大堂
等において修行されている「仁王会式(にんのうえしき)」のことで
真言密教の大法儀で「七難即滅(ひちなんそくめつ)」「七福即生(ひちふくそくじょう)」
の一大祈祷を行う最上無比の権儀だそうです。
醍醐寺の最も大きい行事で一般には”五大力さん”として多くの信仰を集めています。


この大法会のご本尊「五大力尊」は「不動明王」「降三世明王」「軍荼利明王」
「大威徳明王」「金剛夜叉明王」の五大明王の総称で、この不動明王を信仰すれば昼夜
を問わず寄り添ってその身を守り、家を護り、あらゆる災難を払いご加護が頂けるといわれ

醍醐寺では23日の仁王会に先だち、2月15日から21日の7日間全山から集まった
お坊様1000人以上が堂に集まり合計21座の仁王前行が行われご祈祷された
「御影(みえい)」が当日23日限り授与されることになっています。

               御影

この御影のご利益を求めて全国から多くの方々が御参りに入山されます。

      力持ちくらべ

またこの五大力尊仁王会でもう一つ有名なのが”餅あげ力奉納”です。
力を奉納することによって五大力さんの霊験が授かると自然発生的に行われるようになったそうです。
当日女性は12:00から男性は13:00から醍醐寺金堂前にて

女性は90Kg、男性は150Kgの紅白のお餅を持ち上げた
時間をきそう力くらべが行われます。

                          おかげ餅

このお餅は「おかげ餅」といわれ、軽くてのひらでさわること
によって五大力尊の「健康長寿」の力が頂けるそうです。

沢山の”おかげ餅”が奉納されていました。

ちなみに今年は女性は18人、男性は46人が挑戦されました。

力持ち女性力持ち女性2

女性の過去の記録は7分46秒で今年は新記録が生まれ8分36秒の快挙でした。

力持ち比べ 男性

中には男性で今年は4回目の参加という方もおられました。
男性の過去の記録は12分04秒だそうで、今年新記録が生まれたのでしょうか?

この餅あげ力くらべは、しりもちをついたり、最後元に戻さないと失格となるそうで
持ち上げるにはコツがあるようです。
ちなみに今年新記録の快挙をなしとげた女性はスラットしたスマートな素敵な女性でした。


七峰会

又信仰のあつい方々がお参りされる七峰会はお不動さまの前でご祈祷が行われていました。

こうして醍醐寺の五大力さんの行事が終わるとやがてこの醍醐寺一体は春を向かえ太閤さん
の醍醐の花見で賑わうこととなります。




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京の朝市
2009 / 02 / 21 ( Sat )
<京の冬の風物詩 都の賑わい>

                    京の朝市

京の朝市

2月21・22日の両日平安神宮と岡崎公園を会場に京都市の観光協会などが主催する
「京の朝市」が開催されています。

京都と全国の「小京都」の特産品が53のブースで繰り広げられています。

高知県 富山県


遠くは鹿児島の知覧の焼き芋 おさつせんべいから松江(島根県)のしじみの佃煮・いか天
高知県の鮎の塩焼き・一夜干し、篠山の黒豆、城端(富山県)のかぶら寿し、小浜の鯖焼き

京野菜  みたらしだんご

そして地元の京野菜、七味唐辛子、ちりめん山椒、みたらし団子、麩饅頭、ゆばまん
すぐき、お茶、あま酒、八ツ橋、京扇子、西陣織ネクタイ、小物、等々

朝から寒く風が冷たい日でしたがなんとかお天気も持ち直して多くの人々がお目当ての
品を求めてブースに集まっていました。

お昼時には熱々のおでんやかす汁、たこ焼きなど行列ができるブースもありました。

がかの油売り  がまの油売り2

岡崎公園では東映太秦映画村の俳優さんによる大道芸「がまの油売り」が催され
大勢の人垣ができていました。

さアてお立会い!手前ここにとりいだしたるは陣中膏は四六のガマだ、
縁の下やそんじょそこらにいるガマとはガマがちう...........................
とりい出した軟膏をみせて「これはオロナインとは違う」と...................
人々の笑いを誘っていました。

ぎゅうしゃぎゅうしゃ2

又平安神宮の応天門前に「時代祭りの豊公参朝列の牛車」が特別に展示されていました。

郡上おどり 郡上おどり2

その前では全国にある小京都の一つ”郡上八幡”の「郡上おどり」が飛び入りのお客様も
交え開催されていました。

この京の朝市は22日(日)も朝9時30分~午後4時迄開催されています。

18 : 13 : 28 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
三条通り
2009 / 02 / 18 ( Wed )
三条通り

三条大橋は東海道五十三次の京の都からは起点であり、お江戸からは終点にあたります。
当時の町並みは(江戸時代)経済の発展と町小路(都)の発展から三条通を中心として
賑わいをみせていました。

                 弁慶石

三条通りのビルの軒下に ”弁慶石” という石があります。
その昔弁慶は幼少の頃三条京極に住み、死後弁慶が大切にしていたこの石は奥州高館に
ありましたが発声鳴動して「三条京極に住む」といいました。
この在所には難病が蔓延していたので土地の人が恐怖し三条に移して以来、当町を
弁慶石町と称するようになったそうです。


京都市道路元標


この三条通りは東は山科(四の宮)から西は右京区の嵯峨天竜寺まで続き
この三条大橋が京都の道路元標とされその元標が三条大橋西詰めに建てられましたが
現在は三条烏丸の東南角(京都銀行前)に移転しています。

室町時代に豊臣秀吉が軍馬の通る道として三条大橋を架橋し、その三条大橋を最初に
渡った人と伝えられております。

明治時代に東海道は国道1号線となり、三条通りには明治の代表的建築ルネッサンス
様式の建物が建ち現在もその面影を残しています。

旧不動貯金銀行2 日本生命

1916年に旧不動貯金銀行として建築され、1988年にSACRAとして改築され、現在は
文化庁の登録有形文化財に登録され国民的財産として保存されています(左写真)

日本生命京都三条ビルは辰野金吾、片岡安の設計で大正3年7月竣工、外観辰野式
昭和58年に改築され鉄筋コンクリートで補強、ファサード保存されているそうです(右写真)


京都文化博物館  中京郵便局


明治の代表的なものに三条高倉の「京都文化博物館(明治36年)」「中京郵便局(明治35年)」

「家辺徳時計店」は明治23年完成アーチ型デザインで京都最古の民間赤レンガの建築物
とされています。

当時の赤レンガの建物は今でもモダンで新旧の建物の中に溶け込んでその威容を
あらわしています。

          虫籠窓


又古くからこの三条通に店を構え今日尚立派に継承され、建物は江戸時代の町屋風を
残すものや一部様式を残し(虫こ窓等)改築されたものが混在となり、三条通を賑わして
います。

観光シーズンとなりますとこの三条通りにも多くの方が訪れウインドーショッピングを
楽しみます。

足袋屋臭い袋

京は着倒れの町、足袋は誂えて履くといったこだわりの装いを致します。
そんな方のために足袋の仕立て屋さんもあります。

三月はお雛様、雛人形をかたどった可愛い臭い袋もウインドーに飾られています。

かと思えばハンバーガーのお店やジーンズのお店も、和食のお店も、街に溶け込んで
賑わいをみせている。そんな三条通り(寺町~烏丸間)であります。


16 : 29 : 30 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
京の伝説②
2009 / 02 / 16 ( Mon )
京の伝説②

報恩寺の撞かずの鐘

報恩寺1  報恩寺2

京都は上京区の小川通寺之内下るに報恩寺があります。

報恩寺は正式には「堯天山 報恩寺」といい浄土宗のお寺です。
室町時代には法音寺と称し、八宗兼学の寺院として一条高倉付近にあったが
後柏原天皇の勅旨をもって慶誉が「報恩時」と名を改め浄土宗の寺院として
再興、天正13年(1585年)現在地に移転されました。

ご本尊は安阿弥快慶作”阿弥陀如来”

鐘  鐘2



この報恩寺には平安時代鋳造の梵鐘があります。
この鐘は"撞くなの鐘"。あるいは"撞かずの鐘"といい、悲しい伝説があります。

昔はこの辺りは西陣の織屋が並ぶ町並みで、朝夕に鳴る報恩時の鐘は
一日の仕事の初めと終わりの合図でした。

或る機屋に仲の悪い丁稚と織女がいまして、報恩時の鐘が幾つ鳴るかと賭けをしました。
丁稚は八つといい、織女は九つと言い争いをしました。

悪賢い丁稚は寺男に今夕だけは八つで止めてほしいと願いを約束させました。
何も知らない寺男は簡単に引き受けてしまいました。

夕刻になり鐘が鳴り始め丁稚と織女は数え始めましたが、どうしたことか鐘は八つしか
鳴りませんでした。

百八の煩悩を除滅することを願って撞くので百八が基準であり、十二分の一・・九つが
正しいので本当は九つなるのです。

賭けに負けた織女は悔しさ、悲しさのあまり鐘楼にて首吊り自殺をしてしまいました。
その怨霊のたたりかそれ以後鐘を撞くと不吉なことが生じるので、厚く供養をし菩提を弔い
以後鐘を撞くのをやめました。

それ以後この鐘を撞くなの鐘、撞かずの鐘として、現在では除夜の鐘とお寺の大法要の
時のみ撞くようになったという悲しい伝説があります。

又この報恩寺は鳴虎の寺としても知られています。
鳴虎は文亀元年(1501年)後柏原天皇より下賜された虎の掛け軸で中国の画家「宜」
よって描かれたものといわれ豊臣秀吉がたいそう気に入り、聚楽第に持ち帰り床にかけて
折に触れ楽しんでいたが、どういうわけか夜になると鳴動がしてどうしても眠れない。

これは「鳴虎のせいだ 早くこの鳴虎の軸を寺に返せ」といって寺に返させたといわれる
"鳴虎の軸"もあります。

こちらの報恩寺は非公開のお寺ですが虎年の(1月1日から3日)までは鳴虎を拝見
することができます。

                羅漢さま

また境内には”賓頭盧頗羅隋闍尊者(びんずるはらだじゃそんじゃ)”があります。
おびんずるさまと崇め佛弟子十六羅漢の一人で阿羅漢果と証し神通力を得て
撫佛することによって難病を除き給う霊験あらたな羅漢さまだそうです。


報恩寺へは市バス⑨、⑫で堀川寺の内下車信号を渡って東へ一筋下るです。
16 : 37 : 43 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
京の伝説1
2009 / 02 / 13 ( Fri )
京の伝説①

水火天満宮 本殿

水火天満宮
京の堀川通鞍馬口を下がると水火天満宮があります。
御祭神は菅原道真水難火除けの神様として信仰を集めています。

         登天石

こちらに ”登天石” という御神石があり、これが京の伝説として語り継がれています。

その昔、延喜3年(903年)菅原道真は藤原時平の讒言により大宰府に左遷され
59歳の生涯を閉じました。

その死後京の都では天変地変が相次ぎ、人々は道真公の怨念の仕業だと信じ込みました。
時の醍醐天皇はこれを静めようと、道真公が師と仰いだ延暦寺の法性坊”尊意僧正”に
祈祷を依頼しました。

勅命を受けた尊意僧正は早速山を下り、宮中に急いでいた途中賀茂川まで来ると
突如として川の水位が増し、水が町に流れだしてきました。
だが尊意僧正は騒がず数珠をひともみし、賀茂川に向かって祈りを捧げました。

すると不思議に水位は下がりまっ二つに分かれ水流の間に一つの石が現れ、
その上に道真公の霊が現れましたが、やがて雲の中に消えていきました。

尊意僧正はその石を供養として”登天石”と名づけられ、今もこの水火天満宮で
おまつりされているそうです。

出世石 金龍水


また境内には”出世石” ”金龍水”というのもあります。

紅梅  白梅

境内は早くも紅梅、白梅が咲き誇っていました。
2月25日に北野天満宮では梅花祭が催されることになっています。

水火天満宮へは市バス9、12で堀川鞍馬口下車 すぐです。
12 : 57 : 56 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
初午
2009 / 02 / 06 ( Fri )
初午

今日2月6日は初午の日です。

節分を年の基準と考えられていた昔は、節分より数えてはじめての午の日を「初午」
として「初午祭」を催してまいりました。

京の都では
伏見稲荷が和銅4年(711年)2月7日初午の日に稲荷山三ケ峰に初めて御鎮座
されたことにより、この2月の初午の日に「初午祭」が毎年行われています。

伏見稲荷社では初午の二日前より稲荷山の杉と椎の枝で作った”青山飾り”を
お飾りしてこの初午詣でを福詣でとして多くの御参りされる人々を迎えます。

又参拝者には「しるしの杉」が授与され商売繁盛を・家内安全を祈願いたします。

一方京の都のそれぞれの家庭では

この初午の日には「畑菜のからしあえ」をつくって戴きます。

この時期畑菜は旬の季節を向かえ、狐の好物の辛し和えにして昔から食卓に登場いたします。

旬のものはその時の人間の身体には薬となるとよく言われ、先人の暮らしの中から
その知恵を学びとることができます。

今日は今井幸代先生の”京のおばんざい教室”より

辛し和え  白和え

                  三種盛り

な餅  稲荷すし

畑菜づくしの 畑菜のからし和え、畑菜の白和え、菜餅、いなり寿司をご紹介いたします。

畑菜はシャキシャキとして、和え物にも、煮物にも万能のお野菜です。
辛子の ”ピリリッ” ときいた辛し和えはより一層食が進みます。
白和えは白味噌をいれることによりまったりとした優しい味わいをたのしむことができます。
菜餅は今回はうるち餅で粒粒の感触はオハギのようでもあり美味しく戴くことができました。

あともう少しで梅がほころび、新芽が出始める春を迎えます。


13 : 23 : 26 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
立春
2009 / 02 / 04 ( Wed )
立春

今年の節分は生憎の雨となりました。

節分は立春の前日の日のことをいい、季節を分ける。季節の変わり目には
邪気(鬼)が生じると考えられていたことからこの邪気を払う追難の行事が
平安のころより始められたといわれております。

節分の頃は昔は門口に柊の枝に鰯の頭をさして、その臭いとトゲのある枝で
鬼やらいをしたり、今でもどこの家庭も豆撒きをして悪霊を祓って一年の無事を
祈願いたします。

京の都ではこの節分の行事は方々の神社やお寺で行われております。

有名なところでは吉田神社、平安の宮中で行われていた行事を昭和初期に
風俗史家江間努氏らによって復元され2月2~4日まで数々の行事が行われて
います。


          節分2

西陣の辺りでは千本釈迦堂でも「おかめ福節分会」が行われています。

千本釈迦堂は正式には大報恩寺といいます。
真言宗智山派の大報恩寺は「おかめ塚」でも知られています。このおかめ塚の物語は

義空上人(大報恩寺の創建者)が本堂を建立するにあたり、当時名大工として名声
を馳せていた長井飛騨守高次を総棟梁として選び、高次は数百人の頭として
指揮していましたが、あるとき本堂を支える四本の柱の内1本を短く切ってしまいました。
途方にくれている高次の様子をみて女房の阿亀が「出来てしまったことを悔やんでも
始まらない、他の柱を短くそろえて枡組を入れて高さを合わせればいいのでは」と進言
そのアイデアが効を奏し本堂は見事完成しました。
ところが女房の阿亀は棟梁が「女の知恵を借りて完成させることができた」といわれては
名声に傷がつくと本堂の棟上式を前に自害して果てたという悲しいお話です。

このお話は大工の間で受け継がれ江戸時代半ばに大工の
池永勘兵衛が本堂の脇におかめ供養塔を建立しその霊を慰めました。
この頃から京都では棟上に際しては「おかめ御幣」を飾り祀ることが生まれ今でも偶に
みることが出来ます。

このおかめさんにちなんで節分には「おかめ福節分会」が催されます。

おかめ塚  節分1


3日の午後3時から、まずおかめ塚に御参りをして、、その後本堂で

狂言  狂言2

茂山狂言会の方々により、暴れまわる鬼に年男が「鬼は外、鬼は外」と豆をぶつけます
一旦は逃げ出す鬼も豆が少なくなると又暴れだします
困った年男たちに「おかめ」さんがやさしく微笑んで諭すと鬼は怒りを納め改心して手にしていた
打ち出の小槌を「おかめ」に差出舞を披露して退散する。
という鬼追いの儀が奉納されます。 その後法要をして豆まきが行われます。

山伏  福おかめ

生憎の雨の中でも大勢の人が集まって法要や鬼追いの儀を見入って一年の無病
息災を祈っていました

そして今日4日は立春です。春は一歩一歩ゆっくり近づいています。

  千本釈迦堂は12月の大根焚きでも有名なお寺です。

 上京区今出川七本松北へ(市バス203、51、59系統 上七軒下車北へ徒歩3分)
16 : 46 : 04 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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