堀川
2009 / 03 / 30 ( Mon )
蘇った堀川

その昔、堀川は平安京造営時に運河として開削され、主に大内裏造営のため北山連峰
の豊富な木材の運搬路として利用されていました。
その後、物資の運搬のほか貯水場、農業用水や友禅染めなど京の都の人々の暮らし
を支える重要な役目を担ってきましたが、近年の急激な都市化や水質の悪化、浸水
などにより、改修工事が行われ昭和30年代に水なき川となりました。

         堀川 

鳩2

そこで堀川にもう一度清流を復活させようと「新世紀によみがえれ京の堀川」をテーマに
京の川の再生委員会が設置され、京都市が事業費約18億円をかけ左京区下鴨から
堀川御池までを第二疏水分線から水を導入して市民の憩いと潤いの場となる新しい
堀川が蘇り、昨日(29日)通水式が行われました。

この蘇った堀川は小川のせせらぎのように優しく、潤いを与えてくれ、鳥達も水遊びをし
又史跡の新たな発見にもなりました。

水車2 水車1

子供達もその一役を担い
地域の将来をどのようにしていきたいかを発表する「堀川ジュニアサミット」が昨年
12月6日に開催され、水と親しむ生活づくり、環境との共生、植物育成、災害時の
水の利用などが話し合われ、子供達の夢を形にと北山杉を使った手作り水車が実現しました。

戻り橋

そして、この堀川で有名な伝説の橋「一条戻り橋」
延喜18年(918年)文章博士で三善清行がみまかった時、父の死を聞いた熊野の
僧「浄蔵」が紀州熊野から京都に馳せ帰ってみると葬列は丁度戻り橋の上を通っていた
浄蔵は棺にすがって泣き悲しみ神仏に熱誠を込めて祈祷したところ、不思議にも父清行は
一時蘇生し父子物語を交わしたという伝説が伝えられ
この一条戻り橋は「あの世」と「この世」をつなぐ橋とも言われております。

又陰陽師として名高い阿部清明の父である「保名」が殺害された場所でもあり、清明は
呪法を駆使して父保名を蘇らせた場所とも言われております。


晴明神社 晴明神社2

この一条戻り橋の向側にはその”清明神社”があり、陰陽師の映画などで最近は
若い女性やカップルも大勢お参りに遠方よりみえます。

               第一橋(鶴橋)

戻り橋より下っていくと堀川第一橋という石造りのアーチ型の橋があります。
この第一橋は二条城と御所を結ぶ公儀橋として明治6年に架橋された橋で
別名鶴橋ともいわれております。

石垣2 石垣山

      P3302385二条城

さらに下っていくと西側は変わった石垣が見えてきます。
この石垣は二条城築城に伴って慶長8年(1603年)頃外堀として築かれたもので
昭和14年11月30日二条城とともに国の史跡に指定されているそうです。
この石垣には「是より北紀州」や山、◎などいろいろな文字や記号が21箇所
彫られていて工事に関わった大名達の受け持ち区分の目印が刻まれたと
いわれております。

このようにして京の都では古を思い起こし、市民に親しまれる新たな史跡がつくられ
後世へと大切に(ゴミなど捨てずに)受け継いでいきたいものです。

小でんまり 柳

桜が漸く咲き出し柳も芽吹き桜並木の続く蘇った堀川をお花見の散策に是非訪れて
いただきたいものです
18 : 43 : 13 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
比良八講
2009 / 03 / 26 ( Thu )
比良八講荒れじまい

ここ2,3日寒の戻りで真冬並みの寒さとなっています。

この時期3月末頃京の都では時には雪がちらほらする年もありますが、さすがは
暖冬の昨今桜便りも聞かれ、雪が舞い散ることはありませんが、寒さがぶり返します。


af942ff6c90029de比良八講2 比良山 比良八講会
   

この寒さについて、3月26日は”比良八講荒れじまい”と昔から言われ、比良山から
突風が吹きこの冬最後の寒気が流れ込み、やがて本格的な春へと季節が移り変わる
目印とされています。

比良八講とは
天台宗のよりどころとなる教典「法華経」は八巻二十八品からなり、天台宗では
法華経八巻と講説する法要を「法華八講」といいます。
平安時代比良の地に多くの僧坊が建てられ仏教の隆盛とともに古代の神々が
仏教と習合して「比良明神」「比良権現」「次郎坊」などとして人々に信仰されるよう
になりました。

そして比良の寺々では冬から春の季節の変わり目に五穀豊穣、風雨順時を祈願して
法華八講法会が行わたといわれ、これが比良八講法会の起源とされています。

その後戦乱などで一時途絶えていたが昭和30年箱崎文応大僧正によって再興され
毎年3月26日に天台宗の僧侶によって打見山で取水した水を琵琶湖に注ぎ水難者の
供養と、命の水がめ”琵琶湖”への感謝、報恩、水源の山々の保全を祈願して
護摩供養が行われています。

この比良八講の法要の時期が毎年天候が荒れることから比良八講荒れじまいと
いわれています。

又、こんな悲しい伝説が語り継がれております。

その昔一人の若い修行僧が東江州へ托鉢に出かけたある日急な病である家の軒先に
倒れてしまいました。その家の人々は手厚く看病し修行僧はまもなく回復して自坊へ
無事帰ることができました。
この時看病した家の娘はこの修行僧に深く思いをよせてしまいました。
翌年この修行僧が礼を述べにこの家に訪れた際、この娘は思い余ってその胸のうちを
修行僧にうちあけました。だが修行の身である自分にはこの気持ちを受け入れることは
出来ず、かといって恩人を一蹴することも出来ず、対岸の比良まで百日間通い続けることが
できたならそのときは夫婦となりましょう。と約束してしまいました。
娘はその日から毎日比良の灯火をめざしてたらい船で通いつづけました。
だが満願の百日目の夜比良の風に灯火は消され湖は荒れに荒れ娘ははかなくも思いを
遂げられずにたらい船と一緒に湖に沈んでしまったという悲しい伝説で、
毎年この頃に吹く比良の風はこの乙女の無念によるものだとも言われているそうです。

なんだかこのお話は小野小町と深草少将のお話と似ていますが、、、、、、

今年も今日はその比良八講荒れじまいの日、寒い一日となりました。

これで愈々京の都にも桜が開花し、穏やかな春の日を迎えます。
     
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木蓮
2009 / 03 / 23 ( Mon )
木蓮

京の都では梅便りが過ぎ桜までの間は木蓮が咲きだしました。
木蓮は地球上で最古の花木といわれているそうです。
その昔からすでに今のような姿であったらしく、特にお寺の庭先によくあう
花木として楽しまれています。
香水の材料にも使われているようで、椿類、躑躅類とともに3大花木とされています。

白木蓮3

白木蓮1 白木蓮2


紅木蓮 紅木蓮2

ここ妙蓮寺には赤、と白の木蓮が満開となり大きな花弁が開花しています。


お会式桜1
               お会式桜2


又この妙蓮寺には「お会式桜」という桜があり、日蓮上人が亡くなられた時、
時ならぬ桜が咲き出したことから「お会式桜」と名づけられ10月13日ころから咲き始め
4月頃まで咲いていますが、今可憐な花を咲かせ満開となっています。

なんでもこの散った花びらに願いを込めて持ち帰ると恋が成就するとか?
本当かどうかはわかりませんが、あくまで散った花びらにその効果があるそうです。

一度試してみては如何でしょうか?

妙蓮寺へは堀川寺ノ内を西へ100m位(市バス9、12堀川寺ノ内下車すぐです)
17 : 19 : 52 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
随心院
2009 / 03 / 19 ( Thu )
随心院

随心院

小野小町ゆかりのお寺が山科区にありその名を牛皮山随心院といいます。

東西線の小野駅から徒歩5分くらいのところにあり真言宗善通寺派の大本山

その昔この付近はこの地方の勢力者小野一族の土地であったそうで随心院境内は
小野小町の旧跡と伝えられ、かって小町は境内の「小町化粧の井戸」のあたりに
住まいしていたと伝えられています。

ご本尊は如意輪観世音菩薩で正暦2年(991年)弘法大師より8代目弟子の仁海僧正
が当地に牛皮曼荼羅を祀って曼荼羅寺として開基したが承久の変で焼失してしまった
その後5世増俊阿闍梨の時に随心院を建立、第7世新厳大僧正が寛喜元年(1229年)
後堀河天皇より門跡の宣旨を受け門跡寺院として今日に至っているそうです。

隋心院梅圓   梅

鶯  はねずおどり

             随心院梅1


この随心院には小野梅園があり紅梅、白梅が今満開となり
梅の香りが漂っております。

この紅梅のような薄紅色を古くは「はねず」といいこちらの梅もはねず梅と呼ばれています。

毎年3月の最終日曜日にこの境内で「はねず踊り」が催されています。
この踊りはいつの頃から受け継がれてきたかは定かではないそうですが、50年前ころには
「はねず」の咲く頃里の子供達が近くの家を尋ねて門前で踊っていたことから、それが衰退
することを希う人々によって昭和48年「はねず踊り」が復活されたようです。
今年も3月29日に11時、12時半、午後3時と催される予定です。

小町井戸 小町井戸2

           歌碑

又境内には小町の「化粧の井戸」「歌碑」「文塚」深草少々をしのんだ「ケヤキ」などもあります。

随心院へは東西線小野駅より徒歩5分、京阪バス小野駅より徒歩1分。
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花灯路
2009 / 03 / 17 ( Tue )
京都・東山花灯路

花灯路 灯路

          友禅灯篭

今年で7年目を迎え3月13日より始まった京都・東山花灯路は
今年も賑わいをみせています。

  
知恩院三門
  知恩院三門(国宝)

神宮道の青蓮院から知恩院を通り円山公園、八坂神社、高台寺、清水寺までの
散策道に約2,400基の行灯をともし、古都京の都の風情を楽しんでいただくために
始められた花灯路は毎年多くの方々が散策にみえます。

使用する電気は全て京都市内・市民参加型太陽光発電施設「おひさま発電所」
で発電されたものを使用して行われております。

行灯はそれぞれ趣向をこらしたもので学生の街京都で創作行灯デザインコンペ
で最優秀賞に学生のデザインが選ばれ「洛花灯」と名づけられ素晴らしい行灯が
ともされております。

竹

竹灯り・幽玄の川では円山公園を流れる吉水のせせらぎで100本の竹で作られた
灯路は幽玄な世界をあらわしております。

狐の嫁入り提灯 P3162258人力車


狐の嫁入り先導


狐の嫁入り1 狐の嫁入り3

               

この花灯路で見逃せないものの一つに狐の嫁入りがあります。
夜7時頃と8時頃の2回知恩院を出発して、丸山公園~長楽館~圓徳院~春光院~高台寺
まで人力車に乗って嫁いでいきます。

その昔夜の河原や山中で提灯の灯りが一列に見えることを狐火ともいわれ
高台寺創建以前より妖怪の怪火に遭遇したとの言い伝えもあるそうで、花灯路に
あわせて狐の嫁入りを再現して行われているそうで、

 先導の方が鐘を チーン~とならし、狐のお付が拍子木をカッチ、カッチと
 打ちながらしずしずと行列が続いていきます。


今では辺りが人で喧騒として行列に多勢に人がついて移動するので、妖艶さや
怖さはありませんが、それでも京の都の花灯路にはなんとも似つかわしい行列
です。

  花展
               
この他にもこの界隈では特別拝観ができたり、花展があったり、舞妓さんと写真
撮影ができたりと盛沢山の催しが行われています。

そして今日は彼岸の入り、後少しで円山公園の桜も開花し妖艶な姿をみせてくれます。

花灯路は3月22日まで午後6時から午後9時30分まで行われています。
17 : 35 : 45 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
大堰川
2009 / 03 / 13 ( Fri )
大堰川

渡月橋1

京都の観光客を多く集める嵐山の桂川に架かる渡月橋は
道昌僧正が承和年間に架けられた橋で、平安時代には法輪寺にちなんで法輪寺橋
とも呼ばれたが、その後亀山上皇が「くまなき月の渡るに似る」と言われたことから
渡月橋と名づけれました。

この渡月橋をはさんで川上を大堰川(おおいがわ)、川下を桂川(かつらがわ)と呼びます。

            嵐山おおい川

この大堰川の源流は左京区広河原、佐々里峠で由良川水系との分水嶺で
日本海へ行く水と瀬戸内に注ぐ水との大分水界から始まります。

広河原から花背を通り、京北、周山、日吉ダムへ、日吉ダムを経た川は山峡を蛇行
して流下し八木町西部で大支流園部川とY字を描いて合流します。

さらに合流した川は亀岡盆地を潤し、保津峡へと進みます。
この辺りにくると川の落差が大きく蛇行し激しく狭隘な荒瀬も現れます。
かつてこの辺りをゆく観光船は江戸時代より風流人に愛され明治になって観光事業化
されました。
これが現在の保津川下りとして今も廻りの風光明媚な姿を写しトロッコ列車と一緒に
楽しまれております。

嵐山船

この保津川くだりを楽しみながら川は嵐山に出ます。
(3月10日は川開きの日でもあります。)

大堰川の名は秦氏が嵐山の下流に大きな堰を設け農耕のため水利の便をはかった
ことから大堰川と呼ばれるようになりました。

この後、渡月橋から川下を桂川と呼び、東海道線や新幹線が桂川を渡る辺りまでくると
大河となり悠然と流れ、伏見市街地西で鴨川が流れ込み、淀域の西あたりから
宇治川など三川合流へと向い、淀川へと流れていきます。

水の流れるところには人が集まり町が構成され文化が発展し、その地域にあった
風情を醸し出し今日の京の都となっております。

嵐山角蔵 嵐山あせび

とりわけ大堰川の船下りの終点あたりは、標高381mの嵐山が四季折々の顔を持ち
多くの歌にも詠まれているところで、高級料亭や亀山公園などがあり舟遊びを楽しんだりと
市民の憩いの場でもあります。

亀山公園にはもうアセビが満開で京都のかっての豪商で大堰川の開削を行った
水運の父とも呼ばれた角倉了以の銅像があります。

嵐山鳥


             嵐山鴨

また大堰川には四季折々にいろいろな野鳥が訪れますが、3月はセキレイが飛んできたり、
鴨が悠然と子供達を従えて泳いでいたりする心休まるところでもあります。

目抜き通りでは年中多くの人々が訪れますが、桜や紅葉の季節は人、人で溢れんばかりの
賑わいをみせます。
11 : 18 : 18 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
嵯峨の虚空蔵さん
2009 / 03 / 11 ( Wed )
法輪寺

表門 本堂
  表門                             本堂

嵐山の渡月橋を渡ったところに智福山 法輪寺があります。
京の都では嵯峨の虚空蔵さんとして親しまれている真言宗のこの法輪寺は
十三まいりや針供養のお寺として広く信仰を集めています。

歴史は古く奈良時代元明天皇の和銅6年(713年)由緒ある寺域に勅願により
行基菩薩に命じ堂塔を建てられた、その寺の名が「木上山葛井寺(もくじょうざん
かずいのてら)」と呼ばれ国家安泰、万民繁栄、五穀豊穣、産業の興隆を祈る
勅願所となった。これが法輪寺の起源といわれております。

渡月橋1


弘法大師の高弟で道昌僧正という立派な高僧が勅願により大堰川に橋を架け
この橋が亀山天皇により渡月橋となづけられました。

この道昌僧正は弘法大師の教えにより虚空蔵求聞持法百日間参篭修行をされ
その満願の日に虚空蔵菩薩が来迎され袖の上にそのお姿を止め数日経っても
消えることがなかったことから一木に虚空蔵菩薩を彫って葛井寺に安置、その
直後貞観10年(868年)この葛井寺を「法輪寺」と改められたそうです。

その後応仁の乱、蛤御門の変などにより度々灰塵し、大正13年に往事のお寺
に復興され今日に至っております。

針供養塔 針供養塔2-1
  針供養塚                       針供養塔

この法輪寺は平安時代清和天皇の廃針を納めた針堂を建てられたことから
針供養が行われるようになり、今でも毎年2月8日、12月8日の年2回行われて
おります。

又「虚空蔵求聞持法」は無限の知恵にあやかり百日間、百万遍の真言を唱える
ことで記憶力の増進を得ることから知恵と福徳を授かり、幸福で充実した人生を
おくれるようにと、幼少期から成長期に入る成人儀礼の「十三まいり」や
芸能上達、裁縫道上達などの祈願をこめたお参りがなされています。

今年も3月13日から5月13日まで十三まいりがおこなわれます
この十三まいりをした後渡月橋を渡り終えるまでは絶対に振り向いてはいけない。
なぜなら折角授かった知恵が逃げてしまうといわれて振り向かないよう心して
わたっていきます。

丁度今日3月10日は芸能上達祈願の日であり、法要の後茂山家の狂言「附下」が
奉納されました。

そうしてなによりこの法輪寺奥本殿に納められている「求聞持法」のご本尊として
用いられる「板絵虚空蔵菩薩絵像」の復元が完成した復元記念法要も同時に行われ
参拝者にご披露されました。


牛1 寅 
   牛                            寅

         法輪寺桜2
        寅の後ろには法輪寺桜が早くも咲いていました。

法輪寺は牛年、寅年のまもり本尊でもあります。

電電宮 電電
 法輪寺五社明神の一つ電電宮              電電塔

又電電宮というのがあり電波、電気の祖神が祀られています
電電塔はエジソンとヘルツを顕彰し広く電気電波に貢献された方の霊を慰めるとされています。

多宝塔 人形塚
   多宝塔                          人形塚 


法輪寺へは京福電鉄嵐山、阪急嵐山、市バス嵐山から徒歩5分のところにあります。

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京都シティーハーフマラソン
2009 / 03 / 09 ( Mon )
今年最後の京都シティーハーフマラソン

1994年(平成6年)に平安建都1200年記念事業の一環として
京都シティーハーフマラソンを通してスポーツ振興と市民の交流の輪を広げ
日本人の「心のふるさと」としての魅力ある京都を広く国内外に発信していくことを
目的に、京都市と京都陸上競技協会が主催で開催されて16年目を迎えた
京都シティーハーフマラソン、

毎年全国から7000人以上の参加者を迎え、老若男女を問わず
時間を競う参加者から走ることを楽しむ参加者まで夫々に思いを込めて16回目で
延べ88,000人の方々が参加され開催されてまいりましたが、財政難から今年が
最終年となりました。

ハーフマラソン1 ハーフマラソン2

朝から曇り空ではありましたが風の影響もなく、いいコンディションのもと7600人近い
参加者が平安神宮前を出発して都大路を駆け抜けていきました。

       ハーフマラソン3

最後の年ともあって沿道の応援も多くプラカードを掲げたり、拍手をしたり、応援選手
が近づくと大声で呼び精一杯の声援を送っていました。

ハーフマラソン5

中にはケロヨンの被り物を頭につけた人も、お年を召した方も楽しげに手を振って
駆け抜け、清々しい気持ちと元気を頂きました。

2年間は休止で3年目にフルマラソンの開催へと計画がなされているようで、又
都大路を人々の交流の場として新たな計画の実現を祈っております。

又1994年は京都ではユネスコ世界文化遺産に京都の神社仏閣17箇所が
「古都京都の文化財」として登録された年でもありました。

大切な文化財とともに人々の繋がりも大切に京の都が栄えることを願いたい
ものです。

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上巳の節句
2009 / 03 / 03 ( Tue )
上巳の節句

  雛飾り

3月3日は上巳の節句と呼ばれております。
「雛祭り」として京の都ではいろいろな行事が行われます。
雛祭りは平安時代から平安貴族の子女が御所を模した御殿や飾りつけを
「雛あそび」として遊んだのが始まりといわれております。

その後武家社会から江戸時代には庶民にも広まり「雛祭り」として発展して
いったようです。

又紙で作った小さな人形を形代としてその人形に穢れを移し身代わりとして
川や海に流して災厄を祓う「流し雛」として現在も下鴨神社で行われています。

江戸時代初期は立ち雛や座り雛であったのが、その後十二単の装束を着た
「元禄雛」や「有職雛」と豪華な雛飾りが作られるようになっていったようです。

子供達は雛祭りのご馳走を楽しみにし、

  灯りをつけましょ ぼんぼりに
  お花をあげましょ 桃の花
  五人囃子の笛太鼓  きょうは楽しいひなまつり

と歌いながら楽しみます。

ひちぎり  ちらし寿し

てっぱい カレー

雛祭りには  
  白酒・・・・・からだから邪気をはらう
  草餅・・・・・よもぎの香りが邪気や毒気をはらう (写真のお菓子はひちぎり)
  菱餅・・・・・3色(白・・雪の大地、青・・木々の芽吹き、赤・・生命)が自然の
(ひなあられ)   エネルギーを授かり健やかに成長することを祈る
  ハマグリ・・・合わせ貝が将来の良縁や節操を願う
  笹かれい・・・この頃の笹かれいは子持ちでお腹がピンク色になり子宝に恵まれる

 などをお供えして子供の健やかな成長を願います。

紅梅 白梅

           したれ梅

この頃は北野神社の紅梅、白梅、しだれ梅は満開となっております。

今日は雪模様の寒い雛祭りでしたが、暖かい日もあり春は真近です。

雛祭りの行事は市比賣神社や宝境寺(人形寺)などでも行われています。
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