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曲水の宴
2009 / 04 / 29 ( Wed )
曲水の宴

城南宮 曲水の宴 看板

平安遷都の際国を守る神社として創建された城南宮で毎年4月29日と11月3日に
曲水の宴が開催されます。

   曲水の宴1

古代中国が起源とされるこの宴は、その昔中国や日本でも長い冬の寒さから開放され
春陽に誘われて野山に繰り出し心をはずませるが、それにつれ疫病ももたらすので
川原にでて水を浴び身を清め無病息災を祈る信仰がありました。

春の禊は奈良時代から平安時代には大宮人の雅な遊びとして曲水の宴に発展し
貴族の姫の雛飾りとなって3月3日の桃の節句へと発展していきました。

その後宮中儀式としてとりあげられ、それが次第に公卿文人の遊びとなり大名
町民の曲水の宴へとして楽しまれるようになりました。

  白拍子の舞
   白拍子の舞

曲水の宴2 曲水の宴5

曲水の宴3 曲水の宴4

29日は午後2時から城南宮の平安の庭 遣水のほとりで

1、今回の課題拝見
       「花によせて祝う」
1、水辺着座
       公卿の狩衣、女官の小袿 童子の水干、白拍子の水干と夫々王朝の衣装
を纏った歌人や舞人、朗詠者などが艶やかな姿で着座します。
1、白拍子の舞
       京都舞楽会による舞
1、流觴(りゅうちょう)曲水
       童子が盃に酒を満たし羽觴を流す
       唐の国では鳥の羽根を重ねその上に盃をのせて流したようで、城南宮の
羽觴は御所に伝わるもの
1、一觴一詠
       歌人 各々最初の羽觴を見送り和歌を詠み短冊にしたためる
1、新酒拝戴
       歌人 流水の羽觴をとり盃を戴く
       童子歌人の短冊を集めて供物案に捧ぐ
1、披露
       朗詠者が朗詠する
                         (城南宮曲水の宴次第より)
の順に進められ上流から流れてくる盃が自分の前を流れすぎないうちに和歌を
つくり盃を戴くという王朝の優雅な宴が多くの見学者が見守る中で行われました。

文目2 文目

          蕨

丁度いいお天気に恵まれ遣水の下流では文目(あやめ)が清流のほとりに
早くも咲き、蕨も芽をだしはじめました。

京の都は何とも雅な都であります。
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21 : 44 : 08 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
平等院2
2009 / 04 / 29 ( Wed )
京の都の花便り 平等院2

”ふじの花” が見事に咲いている平等院は今つつじも満開となっています。

藤とさつき 扇の芝

平等院の門を入ってすぐの左手には扇の芝というのがあります。
冶承4年(1180年)5月源頼政は平家打倒に立ち上がり平知盛の大軍を宇治川に
迎え撃ちましたが敗戦してしまい流れ矢で傷ついた頼政軍は吉野に逃れた。 
その源頼政は「埋もれ木の花咲くこともなかりし身なる果てぞ」との時世の句をのこしてこの地で
自刃した跡とされていて石塔がたてられています。

           宇治川先陣の碑

平等院を出ると宇治川に2つの中州川があります。
一つは「宇治川先陣の碑」がある橘島と、もう一つは十三重石塔がある塔の島

「宇治川先陣の碑」は昭和6年に建立されたもので木曽義仲と朝廷から義仲打倒の命
を受けた源義経の決戦の故事にちなんでたてられたそうです。

この先では6月から8月ころまでは”鵜飼”を楽しむことができます。
現在は女性の美人鵜匠が見事に鵜を操って魚をとるシーンを披露されるようです。

          宇治川

宇治上神社 宇治神社

宇治川を渡った川向こうには宇治神社があります。
藤原頼道が平等院の創建に当たり鎮守として永承7年(1052年)に建立した神社で
平安貴族に崇敬され明治維新までは宇治離宮明神(八幡宮)と称されていたようです。

新緑が色鮮やかさを増し、京の都は広範囲にわたり訪れて心和むところが沢山あります。
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平等院
2009 / 04 / 28 ( Tue )
京の都の花だより ”ふじの平等院”

京の都は桜から山吹、しゃくなげ、しゃが、ぼたん、つつじ、そしてふじ
と次々と花便りが届きます。

今回は藤棚 規模も大きく樹齢200年以上といわれる 平等院 をご紹介します。

平等院1 鳳凰堂2

宇治川の流れと新緑が眩しい風光明媚なところに平等院があります。

        鳳凰堂

世界遺産に登録されている平等院は
単立の寺院で ”朝日山 平等院” ご本尊は阿弥陀如来
永承7年(1052年)藤原頼道が父道長の別荘の宇治殿をを寺としたのが平等院の
始まりです。天喜元年(1053年)には阿弥陀堂(鳳凰堂)が建立されました。

鳳凰堂は極楽浄土の宮殿をモデルにして定朝作とされる本尊阿弥陀如来坐像と
雲中供養菩薩52体や来迎を描いた障壁がなどが納められています。

その後藤原一族によって法華堂、多宝塔などが造営されました。
又観音堂は鎌倉時代の建築で重要文化財に指定されています。

庭園は浄土式庭園として史跡名勝庭園に指定されています。
現在鳳凰堂周辺の州浜や平橋,反橋、小島などがつつじの彩りをそえて
荘厳さを鮮やかにしています。

阿弥陀如来 鳳凰

庭園から鳳凰堂は硬貨にも、鳳凰は1万円札の図柄にも採用され親しみの
あるものです。

藤1 藤2 

藤とさつき2 藤とさつき


    藤だな

平等院のふじ棚は長さ3m周囲25mもあり、花房も長く今見事にさいています。
ここ2,3日時ならぬ寒波の訪れで少し長い期間この見事なふじが楽しめそうです。

            茶だんご

そして宇治といえばお茶、 茶だんご もお楽しみを

平等院へは京阪宇治、JR宇治下車 徒歩15分~20分くらいです。

次は宇治神社へとご案内します。

22 : 39 : 22 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
長岡天満宮
2009 / 04 / 26 ( Sun )
”きりしまつつじ”の長岡天満宮

       天満宮

菅原道真公が生前在原業平らと詩歌や管弦をしばしば楽しまれたといわれる
ゆかりの地で、道真公は次第に権勢を強めたが故に誣告を受け大宰府に左遷される
時にこの地に立ち寄り「わが魂、長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しまれた
ところから、道真公の没後家臣たちが聖廟を建て自作の木像をお祀りしたのが
長岡天神の始まりだそうです。

鳩 通橋

江戸時代始めには八条宮智仁親王が社地を整備され社殿の東に八条ケ池が灌漑用水
をかねて造営されました。

きりしまつつじ1  つつじ3

この八条ケ池の中堤の両側には樹齢百数年のきりしまつつじが多数植えられて、
その見事さはわが国随一といわれるくらいだとか。

長岡天満宮の本殿は昭和16年に平安神宮の本殿が移築されたものだそうです。

つつじ2  つつじ5

つつじ4  錦水亭



このきりしまつつじは今満開です。燃えるような真っ赤なつつじが加賀の前田公が
寄進されたと伝えられる太鼓橋の両側に一杯の花をつけています。

池の向こうには筍料理で有名な料亭もあります。

長岡の地は砂地でもあるところから毎年立派な筍の産地としても名高いところです。

長岡天神へは阪急京都線で長岡天神下車 徒歩10分のところにあります。
この時期は多くの観光客や参拝者で時間ぎりぎりまで散策を楽しまれています。

又29日にはきりしまコンサートも催されるようです。

このきりしまつつじは5月の連休くらいまで楽しめそうです。
15 : 39 : 07 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
乙訓寺
2009 / 04 / 25 ( Sat )
牡丹の寺 「乙訓寺」

長岡京は歴史的には桓武天皇の命で平城京から遷都されたかっての都でした。

三川が合流する地の利から海運が盛んで都からの物流が図られ、豊富な水で
生活は潤い、清潔な都でありました。

乙訓寺門 
本堂


その長岡京市に牡丹の花で名高い真言宗豊山派の ”乙訓寺” があります。
正式には「大慈山乙訓寺」 (法皇寺ともよばれます。)といいます。

弘法大師

ご本尊は合体大師、本殿の前には弘法大師の像も安置されています。

乙訓寺は聖徳太子が十一面観音像を本尊として伽藍をたてさせたその伽藍が乙訓寺
だとされています。

早良親王(桓武天皇の弟)が延暦4年(785年)に起こった藤原種継暗殺事件の首謀者
として捕らわれこの地に幽閉されました。

弘仁2年唐から帰朝した空海は乙訓寺の別当として入山し真言宗となり、
中世には足利義満がこの寺を南禅寺の僧に与え寺号を法皇寺と称した。

永禄年間には織田信長の兵火により一時衰退したが元禄6年五大将軍綱吉が
再興し徳川家の祈願寺とし今日に至ります。

ぼたん1 ぼたん2

この乙訓寺は 牡丹の花 でも知られています。
境内には2000株もの牡丹が咲き誇ります。

ぼたんピンク ぼたん赤 

ぼたん黄色 ぼたん赤2

      ぼたん白

この牡丹は昭和9年の室戸台風の時にほとんど倒木してしまい、乙訓寺の住職の叔父様
で長谷寺のご住職がこの被害を憂い本尊への供花(荘厳花)、参拝者への安らぎを願い
長谷寺の牡丹2株を寄進せられ、それを乙訓寺のご住職が大切に育て今日の見事な
牡丹となったそうです。

まさに今荘厳な花は満開で色とりどりの牡丹が見事に咲いています。
雨を避けるため傘をさして参拝者の方々の目と心を和ませています。

乙訓寺へは阪急京都線の長岡天神下車徒歩20分
この牡丹の期間長岡天神近くからシャトルバスがでています。(5月6日まで)

21 : 38 : 33 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
大山崎山荘
2009 / 04 / 22 ( Wed )
大山崎山荘美術館

      大山崎山荘6
      テラスからの眺め 雨で霞んでいます

京都と大阪の境、大山崎はその昔豊臣秀吉と明智光秀の天王山の合戦で有名な地です。
この辺りから八幡の方面にかけて三川(桂川、宇治川、木津川)が合流する地形で山手から
の眺めは前方が開けてとても綺麗な地形です。

大山崎山荘門  大山崎山荘
 山荘への門                     山荘入り口                         

その山手に大正の初期から昭和の始めに建てられた”大山崎山荘”があります。
関西の実業家でニッカウヰスキーの設立にも関わった加賀正太郎(1988~1954)が
欧州遊学の際西欧の文明に感銘をうけ、テムズ川の流れの記憶から京都の西に広がる
広大な地に自ら設計し、木造の洋館の別荘を建てたのが始まりです。

加賀正太郎は実業家としての名声も高く、その交友も広くて、夏目漱石や津田清楓、
西川一草亭などもこの別荘でお花見をしたりして楽しんだようです。

大山崎山荘1  大山崎山荘2
お庭から眺めた山荘               白雲楼

1961年には加賀正太郎の手から離れ荒廃の危機に瀕して、マンション建設計画
もあったそうですが、地元と京都府の熱意からアサヒビール株式会社がその要請に答え
修理、改修されて今日の美術館として1996年に開館され、現在では四季を通して大勢の
方が訪れ文化的価値が認められて国の有形文化財として登録されています。

地下には安藤忠雄設計による円形の展示室で印象派の巨匠クロード・モネの「睡蓮」
などが展示されています。
又本館では李朝の壷、伊万里の赤絵の壷や、河合寛次郎、バーナード・リーチの絵皿
など由緒ある作品が展示されています。

            大山崎山荘7
            当初はガレージ

大山崎山荘5  大山崎山荘4
 お庭のブロンズ像              シャガが咲いていました


喫茶室もあり、テラスから眺めるお庭は加賀正太郎の思いが込められた素晴らしい眺め
です。

大山崎山荘へは阪急京都線で大山崎下車 徒歩10分、シャトルバスも出ています。



19 : 04 : 14 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
穀雨
2009 / 04 / 21 ( Tue )
穀雨

穀雨は二十四節句の一つで4月20日頃とされています。
この頃から立夏までの期間、太陽黄線が30度のときで田畑が整いその頃に
降る春の雨は穀物の成長を助けます。

  「春雨振りて百穀を生化すればなり」と歴便覧に記されています。

  P42103971.jpg
         
そして穀雨の4月は ”卯月” (卯の花の咲く頃)と呼びます。
北の国ではそろそろストーブを片付け冬服を脱いで身軽くなり、京の都では
桜が花筏となり、藤の花が咲き始め木の芽が色鮮やかに芽吹きだします。

イギリスにも「4月の天気は雨と日光がともに降り注ぐ」という諺があると
何かに記されていたのを思い出します。

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京の都ではこの恵みの雨が新緑をより美しくし、夏の訪れを告げる季節へと
移り変わります。

万葉集に 
  ”卯の花の 咲き散る岳ゆ ほととぎす鳴きてさ渡る 君や聞きつや”

 卯の花が咲き散る岳を通って、ほととぎすが鳴き渡りましたが 
                          あなたは聞きましたか

ほととぎすの泣き声は「テッペンカケタカ」「特許許可局」と聞こえるそうです。
双ケ丘から仁和寺”きぬかけの道”を歩いてきましたが未だ鳴き声は聞こえてきま
せんでした。
九州から渡ってきて鶯に托卵するかわいい鳥です。

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いまは、山吹が満開で、藤の花が咲き出しました。

これから皐月京の都では新緑が一段と色鮮やかさを増し、東山三十六峰は眩しく、
”山笑う”ころとなります。
21 : 27 : 15 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
五智山 蓮華寺
2009 / 04 / 17 ( Fri )
五智山 蓮華寺

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御室仁和寺の東門を出たところに
近畿36不動尊霊場 第15番五智不動尊の蓮華寺というお寺があります。

仁和寺の境内は参拝者、見学者が大勢みえ桜のこの時期は人、人で賑わいをみせて
いますが、一歩出るとここは静かなホットするお寺です。


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P41303331.jpg


境内に入ると”ハット”するような石仏が並んで威厳を感じさせられます。

蓮花寺というお寺は
宗派は真言宗御室派、弘法大師の開創といわれ、

大同元年(806年)中国より帰朝された弘法大師は北嵯峨(現在の後宇多天皇御陵地内)に
岩屋の中に不動明王を感得され石に刻んで一切の衆生の病苦。悪霊を断ち切って丈夫で
安楽に生きられるよう ”きゅうり封じ” の秘法を残されたと記されています。

毎年土用の丑の日に行われていて願い事をきゅうりに託し、加持されたきゅうりを持ち帰り、
3日間病んでいるところを真言を唱えながらそのきゅうりでさすって、4日目の朝人の踏まない
正常な土に埋めるか川に流すとご利益があるといわれて毎年多くの方が参拝されます。

又天喜5年(1057年)藤原康基はこの不動尊を奉祀するとともに、弥陀、観音等の諸像を
安置し蓮華寺を建立されましたが、応仁の乱後荒廃の余儀なき歳月をおくりました。

寛永18年(1641年)樋口太夫家次翁が仁和寺の寺宮覚法親王の庇護により後宇多天皇
の五智輪円の遺門を顕彰して鳴滝音戸山に五智如来の石仏群像を造立、伽藍、堂宇を
再興し五智山蓮華寺と称されたそうです。

昭和3年に山上に残された石仏が現境内に遷され今日に至ります。

 圧巻の石仏は 釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来、宝生如来、薬師如来の五体
木喰上人が作られたものとされています。

今はみつばつつじが石仏の周りに彩りをそえています。
18 : 51 : 21 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
桜便り
2009 / 04 / 13 ( Mon )
桜花爛漫の京の都(Ⅴ)

          P41302801.jpg

京の遅咲きの桜といえば御室仁和寺の桜

  「わたしゃお多福 お室の桜 花が低くても 人が好く」 といわれ

こちらの桜は地が粘土質のため根が深く張ることが出来ず樹高の低い桜です。

御室仁和寺は真言宗御室派総本山で”大内山仁和寺”
世界遺産に登録されています。
ご本尊は阿弥陀三尊、仁和4年(888年)宇多天皇によって創建されました
天皇が退位後出家され寛平法皇として仁和寺に僧坊を営み住居とされたので
「御室御所」とも呼ばれました。
が、応仁の乱で焼失してしまい、現在の伽藍は寛永年間(1624~1644年)に
徳川家光の援助をうけ再興されました。
世界遺産にも登録され、国宝、重要文化財も多数見られます。
今回は中門から金堂、鐘楼、御影堂、観音堂、五重塔などをご紹介します。

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”金堂” 慶長18年に造営された御所の紫宸殿を寛永の再興の際移築され寛永21年に
      仁和寺金堂として完成したもので現存する最古の紫宸殿の遺構であるとされ
      国宝に指定されています。

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  "鐘楼” 江戸初期に新築されたもので鐘楼の形式は「袴腰式」といわれる本格的な
         建造物で重要文化財に指定されています。

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  ”御影堂” 慶長年間造営の京都御所の清涼殿を賜り寛永年間に再建された。
         ご本尊に弘法大師が祀られています。

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  ”観音堂”  寛永18年に着手、正保元年に落慶され主に密教儀式の伝授や修行道場
          として使用されご本尊は千手観音菩薩、脇侍不動明王、隆三世明王

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  ”水掛不動  昔堀川戻り橋が大洪水で流れ、その復旧の時櫓の下より取り出されたのが
           この尊像で心なき者が悪戯するため仁和寺に帰りたいとお告げがあり
           当地に安置されたもので、依頼霊験あらたかで諸願成就、幼児の難病平癒
           に霊験あらたかといわれております。


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  ”五重塔”  高さ36m 寛永21年造営の三間五重塔姿特徴は各層の屋根の大きさが
          ほぼ同じという和洋の建築様式で近世の五重塔のなかでも貫禄を示している。
          


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  ”中門” 寛永年間に再建されたもので 右に持国天王、左に多門天王が安置されています。

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 御衣黄桜                         関山桜

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 有明桜

桜の品種は主に有明桜で、車返し、御衣黄、関山など十数種類あり境内には200本余り
が植栽されていて、現在のものは江戸時代初期に植えられたもので大正13年に名勝に
指定されています。

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又今丁度 桜とともに”みつばつつじ”が色鮮やかに満開となっています。


こちらの御室仁和寺の桜は有名で連日多くの観光客や参拝者でにぎわいます。

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桜便り
2009 / 04 / 10 ( Fri )
桜花爛漫の京の都(Ⅳ)

市中の桜の名所

 京都御苑 ~ 平野神社 ~ 今宮神社 ~ 建勲神社 をご紹介します。

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烏丸通りの丸太町を上がると東側一帯は京都御所
明治2年東京遷都が行われてから周辺の公家屋敷等が取り壊され一角は御苑となりました。
当初宮内庁の所管で東京の皇居外苑や新宿御苑とともに国民公園となり四季折々の樹木
が植えられ散策やジョギングなど市民の憩いの場所となっております。
今は小手鞠や桜が咲き競っております。

御苑から今出川に出て西大路を北に上がると平野神社が見えてきます。

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平野神社は明治4年には官幣大社に列格されている神社で
平安遷都の際に平城宮の田村後宮から長岡京を経てこの地に移されたといわれ
拝殿は慶安3年(1650年)東福門院の建立で南門は慶安4年御所の旧門を下賜
されたものだといわれております。
本殿は寛永年間の建築で比翼春日造、または平野造と呼ばれています。
江戸時代「平野の夜桜」といわれるくらい桜の名所として全国に知られ珍種も多く
現在でも約50種類約400本が植栽されているそうです。
まさに満開の今、桜のトンネルの中にいるようです。能舞台ではハープとチェロの演奏が
行われていました。
4月11、12日には桜祭りが開催されます。

平野神社から北に上がり北大路に出東に行くと今宮通りへ出ます。

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こちらには今宮神社があります(別名紫野社ともいわれます)。
正暦5年平安京に疫病がはやり、これを静めるために御霊会が行われ船岡山に
創建された疫病鎮護の神社が起こりとされています。
明治29年に本殿は焼失しましたが、明治35年に再建され西陣はじめ多くの人の
崇敬を集めています。


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毎年4月の第2日曜日に行われる”やすらい祭り”は京の三大奇祭とされています。
     (鞍馬の火祭り、広隆寺の牛祭り)
光念寺から今宮神社まで祭鬼にふんした氏子が「やすらい花や」と囃子ながら
笛、笙、太鼓の音にあわせて鬼が踊り狂い、花笠の中に入ると厄逃れが出来る
といわれています。

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境内に「阿保賢(あほかしこ)さん」と呼ばれる石があり、三度叩いて持ち上げ
ると重くなり、願いを込めて三度撫でて持ち上げるて軽く感じれば願いが叶うと
いわれております。 是非お試しを!

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東門を出た両側に”あぶり餅屋”さんがあります。
市和さんとかざりやさん、どちらも同じあぶり餅屋さんです。
竹串にさした小さなお餅を備長炭で焼いたものを秘伝の味噌たれをつけた京餅菓子
どちらのお店も日本で最も古いお菓子屋さんとも言われているそうです。
あぶり餅に使われている串は今宮神社に奉納された斎串を用い病気平癒や
厄除けのご利益があるといわれております。
 一皿 500円でした。


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今宮神社から北大路通に出ると向かい側に建勲神社があります。
明治2年信長公の偉勲をたたえ、明治天皇の勅命により建立されたもので別格官幣社
格式の高い神社です。
織田信長が始めて入洛した日を記念して10月19日には「船岡祭」が開催されます。
また6月30日には”茅の輪くぐり”が行われ和歌を唱和しながら無病息災を祈ります。

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桜便り
2009 / 04 / 09 ( Thu )
桜花爛漫の京の都(Ⅲ)

”京都府庁の旧本館”

             京都府庁


京都府の行政を司る、京都府庁の旧本館は明治37年竣工、ルネサンス式様式で
正面外観は中心に一段高くなった屋根から左右対象に張り出した西洋近代の大邸宅館
を彷彿させ、内部は随所に和風の赴きが取り入れられ、夫々に装飾が凝られています。

知事室


旧知事室、旧食堂、旧応接室、旧貴賓室には大理石にタイルを組み合わせた暖炉が
据えられ、シャンデリアや調度品、格子天井など他のお部屋よりも素晴らしいデザイン
が施されています。

現在も執務室、会議室として使用されていて創建時の姿を止める現役の官公庁建物
としては日本最古のもので、平成16年には重要文化財に指定されています。


正面庭園は七代目小川冶兵衛氏の設計によるものだそうです。

府庁桜2 
  
     府庁枝垂れ桜
 

          府庁桜

本館を通り中庭には「桜守」として有名な16代目佐野藤右衛門氏の枝垂れ桜があり
今満開となっています。
この枝垂れ桜は円山公園の実生木(みしょうぼく・・・種から育った木)を植えられたもので
円山公園の初代枝垂れ桜の孫にあたるそうです。

五条橋脚


又、明治10年五条大橋が改修された時の余った橋脚がおかれています。
この橋脚は豊臣秀吉が建造した五条大橋の橋脚だと考えられているそうです。

毎年この時期一般公開されています。
今年も3月23日から4月5日まで公開されました。

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桜便り
2009 / 04 / 09 ( Thu )
桜花爛漫の京の都(Ⅱ)

桜が今まさに満開、今回は 
  松ヶ崎浄水場 ~ 植物園 ~ 鴨川 をご案内します。

琵琶湖疎水がひかれ水路閣を通って南禅寺へ、そこから東山の山麓を通り哲学の道から
銀閣寺、松ヶ崎へと水が送られ、水域には桜並木が続き見事に開花しています。

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北大路の高野橋を渡って北へ進むと松ヶ崎浄水場があります。

松ヶ崎浄水場から植物園に通じ鴨川へと流れ込む疎水べりは閑静な住宅が立ち並び
春は桜、秋は紅葉でとても綺麗な光景を楽しむことができます。

今は桜が満開で近年桜見物に訪れる人が増えてきましたが、それでも隠れた桜の
名所でもあります。
疎水べりに長く枝を伸ばし、水面に映る景色も格別のものがあります。
7月ころには蛍も飛び交い地元の方々の憩いの場となっております。

この辺りの近くには簡保の施設や洛北高等学校、宝が池公園があります。
又夏の五山の送り火妙法の松ヶ崎西山、東山の近くでもあります。

桜を楽しみながら約1km位西へ進むと下鴨中通へと出ます。 そこから徒歩10分位で
府立植物園へ、



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  源平枝垂れ桃                     利休梅

P40801781.jpg 植物園傘

植物園では正門より真っ赤なチューリップに染井吉野、紅枝垂れ桜、やなぎ桜、
利休梅、源平枝垂れ桃、庭梅などわれもわれもと咲き誇っています。
子供連れやサークルなど思い思いにお弁当を広げ一日楽しむことの出来る場と
なってます。

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植物園から半木の道(なからぎの道)へ出ると見事な紅枝垂れ桜が地に
着かんばかりに花をつけ枝が伸びています。

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半木の道を下っていくと鴨川畔の染井吉野の桜並木へと続きます。
北山橋から延々桜並木は四条大橋へと続いて行きます。

京の都は桜の都でもあります。
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桜便り
2009 / 04 / 07 ( Tue )
桜花爛漫の京の都(Ⅰ)

今、まさに桜花爛漫の様相を呈している京の都
幾通りかのお花見ルートをご紹介して参ります。

 高台寺 ~ 円山公園 ~ 祇園新橋 ~ 高瀬川 のご案内

高台寺 高台寺2

ねねの道

京都東山下河原にある臨済宗建仁寺派の高台寺は正式には鷲峰山高台寿聖禅寺
といいます。慶長11年(1606)に豊臣秀吉の供養のため正室北政所(高台院)が
徳川家康の援助を受けてご本尊を釈迦如来として創建されました。
重要文化財指定の開山堂や霊屋、表門、観月台、傘亭、時雨亭などを有するお寺で
春は桜、秋は紅葉と京の都ではいち早くライトアップを実施され多くの参詣者で
賑わいをみせています。 こちらの枝垂れ桜は見事に咲きました。


霊山観音


高台寺の隣には第2次大戦の死者をまつり昭和30年に建立された霊山観音が見えます。
高さ24mのコンクリート造の白衣観音坐像で優しいお顔の観音坐像の台座の中には
十二支の守り本尊が安置されているそうで。

八坂の塔

さらに目を南に向けると八坂の塔が見えます。
聖徳太子が創建したといわれるが現在の八坂の塔は永享12年(1440)足利義教が
再建したといわれ塔の高さ46mあり最下層には五智如来が安置されています。

円山しだれ桜


長楽館1 長楽館2

高台寺”ねねの道”を通って円山公園へ、

現在2代目の枝垂れ桜が見事に開花しています。しかし近年この2代目の枝垂れ桜も
老木となり、土が踏みつけられて固くなり根を弱らせれ少し元気がなく小さくなりました。
それでも染井吉野や紅枝垂れの桜が沢山あり、夜桜見物に以前は新入社員が場所取り
に奔走し、一時の和やかな盛り上がりを見せる市民の憩いの場でもあります。
円山公園内には京都市指定文化財の明治期の建物"長楽館”があります。


円山公園から四条通に出て花見小路の新橋を西に入ると巽橋へ出ます。

白川1 吉井勇歌碑

花嫁 撮影会



京の最も京らしいお茶屋さんが並び白川沿いの風情を醸し出す桜並木があります。
よく映画の撮影にも使われる辰巳神社、歌人の吉井勇が詠んだ

  かにかくに 祇園は恋し 寝るときも 枕の下を水のながるる  の歌碑が
川沿いに建てられています。 桜の咲き誇る日に舞妓さんの撮影会も催されます。


この白川沿いを出て四条大橋を渡ると高瀬川に出ます。

高瀬川 高瀬川2


角倉了以

この高瀬川は大堰川の開削でも名高い角倉了以と素庵父子によって江戸時代の
初期(1611年)に京都の中心部と伏見を結ぶ物流用運河として開削され、以後
大正9年まで約300年間京都ー伏見間の水運に用いられていました。
明治27年に琵琶湖疎水ができ物流の減少などにより大正9年に水運は廃止されました。
今は歓楽街tなり桜並木が鴨川畔とともに続きます。

瑞泉寺

高瀬川沿いの三条辺りに慈舟山瑞泉寺があります。

浄土宗西山禅林派のお寺で豊臣秀次一族の菩提を弔うために建立されたとあります。
文禄4年7月に高野山において自害させられ、次いで8月には幼児や妻妾たち39人が
三条大橋西畔で処刑されその場に埋葬、石塔が建てられたが鴨川の氾濫で荒廃した。
慶長16年(1611)角倉了以が高瀬川を開削中に墓石がでてきて発堀してその地に
堂宇を建立し秀次の法号瑞泉寺殿をもって瑞泉寺と名づけたと伝えられております。

今まさに爛漫の京の中心街の”桜便り”をご紹介いたします。
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