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天龍寺で精進料理
2009 / 05 / 30 ( Sat )
天龍寺で精進料理

天竜寺門 マスク

      天竜寺本堂

天龍寺は臨済宗天龍寺派の大本山、正しくは霊亀山天竜資聖禅寺といいます。

暦応2年(1339年)後醍醐天皇の菩提を弔うため足利尊氏が夢窓国師を開山として
創建されました。

後醍醐天皇はこの地で幼少期を過ごされたとされています。
夢窓国師は堂塔建立資金調達のため中国との貿易を進言し1343年には七堂伽藍が
整い京都五山の第一位の寺格を誇っております。

が過去に8回の大火に見舞われ現在の堂宇の多くは明治期に再建されました。
天龍寺の庭園曹源池は国の史跡、特別名勝第1号に指定されています。
そして平成6年(1994年)には世界遺産に登録されています。

この天龍寺の法堂には加山又造画伯の八方睨みの雲龍図でも有名です。

いつもは天龍寺は修学旅行生や観光客で多くの人たちが参拝に訪れますが
新型インフルエンザの影響で人もまばらで、マスク マスクの人達です。
観光京都の町もひっそりとしております。

曹源池 菖蒲
  曹源池                     曹源池の菖蒲

更紗空木 ハス
  更紗空木                    蓮の花

 

友雲庵

今日は天龍寺の友雲庵で精進料理を戴きました。

今農林漁業の体験を通して自然や文化にふれ地元の人達と交流する滞在型の旅
「ツーリズム」が注目され、京丹後プロジェクトも田植え体験やジビエ料理の取り組み
などいろいろな活動がなされていてその総会がこの友雲庵で開催され、
この精進料理にもその京野菜や地元の野菜が使われて調理されているようです。


    精進料理 

精進料理汁 精進料理茄子

胡麻豆腐、ずいきの胡麻和え、盛り合わせ(牛蒡 こんにゃく青梅 長いも 麩饅頭 
茎わかめ) 麩 ゆば きぬさやの煮物、青豆のすりながし汁、 茄子田楽、 香物、
ご飯 水もの(メロン)

と全9種で大豆蛋白に根野菜、旬の野菜と色とりどりで、特に青豆のお汁はとても
まったりした乙な味わいでした。 (お値段は今回は3000円でした。)

このように京都のお寺では鉄鉢の色どりもとてもきれいで味わいのいい
精進料理を戴くことができます。

   天龍寺へは京福電鉄嵐山下車、JR嵐山下車 すぐです。

19 : 06 : 29 | 京料理 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ラビ・アン・ローズ
2009 / 05 / 25 ( Mon )
ラビ・アン・ローズ

              ラビアンローズ玄関


京都嵯峨にラビ・アン・ローズというそれは見事なバラが咲き誇る期間限定
で開店されている喫茶店があります。

ご主人の亀山 寧(やすし)さんがお嬢様の誕生日の記念にとバラを植えたのを
きっかけに約50年余りかけて今では150種類以上のバラを育てておられます。

新種もつぎつぎ出され世界でも知られるバラの名手であらせられます。
展覧会でも多くの賞を受賞されておられます。
バラは手入れすれば年中咲いてくれるそうです。

バラ2 バラ3

バラ7 バラ11

10バラ バラ9

バラ4 バラ6

バラ5 バラ8

このバラをともに楽しんでもらおうと25年前に庭園内に喫茶店をはじめられました。
があまりにも多くの方々が訪れ対応しきれなくなり今では期間限定で開店されて
おられるようです。

甘い香りが漂う店内から700株あまりのバラを眺めながらハーブローズやローズ
ワインの紅茶を味う気分は別世界へ迷い込んだようです。

バラは古今和歌集では「そうび」とよばれ

  われは そうびにそい みつる花の色を あだなる物というべかりけり

と謳われていたり、

 万葉集では ”うばら” 、伊勢物語では ”そうりゅう” とよばれ日本古来より

親しまれていたようです。

ご主人の亀山さんは『世界と日本のローズガーデン』という本も出版されて
おられます。

ラビ・アン・ローズへは京福電鉄嵯峨駅を南へすぐです。
6月3日までの午前10時~午後5時まで営業されています(木曜日=定休日)
22 : 06 : 23 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
清涼寺
2009 / 05 / 21 ( Thu )
五台山 清涼寺(嵯峨釈迦堂)

      清涼寺門 

五台山 清涼寺は通称嵯峨釈迦堂として京の都では親しまれています。

もともと清涼寺は寛平7年((895年)源融の没後その山荘の棲霞観に阿弥陀堂
を建て、棲霞寺(せいかじ)としたのに始まるといわれております。

清涼寺2 清涼寺1

宗派は華厳宗、ご本尊は釈迦如来立像で国宝に指定され、日本三如来の
一つに数えられているほど屈指の釈迦如来で広く信仰されています。

この釈迦如来はお釈迦様の37歳の生き姿を刻んだものであるといわれ、
尊像はインドからヒマラヤを越えて中国に渡ったといわれております。

寛永元年(985年)奈良東大寺の僧、然上人がその尊像模刻して日本に
持ち帰ったといわれ、尊像が模刻された時に中国の尼僧5人が体内に絹で
五臓六腑をつくり体内に施入したといわれていて、その五臓六腑が昭和28年
にこの釈迦如来立像から発見されたといわれております。
これは中国において千年前から人間の体内構造を知っていたものと解剖学
的にも貴重な資料であるといわれています。

この清涼寺は「能」の演目「百万」の舞台にもなったところです。

その昔、奈良に住まいする百万という母がいて西大寺付近で子供を
見失ってしまい、生き別れた子供を想いあまりの悲しさに狂女となった
百万は子供を捜しまわり、人が多く集まる京の都に尋ねてまいりました。
当時清涼寺では多くの人があつまり念仏をおこなっていたので、
もしや子供に会えるのではないかと釈迦に祈り念仏の音頭をとり始め
ました。すると三国伝来の生身の釈迦如来の霊験あらたかにやがて
子供に会うことができた。・・・・・という内容です。

清涼寺の本堂前は非常に広く当時この堂の前で日々念仏踊りなどが
行われていたのでしょう。


毎年この清涼寺では円覚上人が庶民に教義を説くために作られたと
いわれる嵯峨大念仏狂言が開催され、この嵯峨念仏狂言は国の
指定重要無形文化財にも指定されています。

源融公の墓 六道の道

      多宝塔

そのほか徳川中期の建築で一切経蔵や聖徳太子の夢殿、
豊臣秀頼公の首塚、源融のお墓、又地獄と極楽の橋渡しをしたといわれる
小野篁のこの世の出口とされるしるしものこされております。

嵯峨清涼寺へは京福電鉄嵐山、JR嵐山下車北へ約徒歩10分位のところに
あります。

又京の都では6月1日、2日の夕に平安神宮で第60回記念の薪能が京都在住の
能楽師総出で優雅に披露されることになっています。
10 : 04 : 18 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
みたらし団子
2009 / 05 / 15 ( Fri )
みたらし団子

葵祭りで有名な下鴨神社(賀茂御祖神社)糺の森に「井上の社」
という小宮がありその前に「みたらし池」があります。

この池のほとりで葵祭りの斎王代が祭りの前日、今は5月4日に禊の儀という
厳かな儀式が行われます。

この池では水玉(水の泡)が一つ浮いて、やや経ってから、三つ四つと湧き出
します。

         みたらし茶屋



みたらし団子 みたらし団子2

その様子をかたどられてできたのがこの「加茂みたらし団子」の由来とされて
いるそうです。

この加茂みたらし団子は古くは平安朝のむかしから古の風味をそのまま今に
伝える京名物の一つでもあり、昔は団子を神前にお供えし祈祷を受けた後
これを家に持ち帰り、無病息災・平安を祈って戴いたものであります。

このみたらし団子ははじめ一つ後に四つが五十串に通してあり、これは五体を
(人間の身体)
を意味したものといわれております。


みたらし茶屋2
     
              みたらし茶屋3

その加茂みたらし茶屋は下鴨神社から下鴨本通にでたすぐのところにあります。
お店はいつもお客様がひっきりなしに訪れ、お持ち帰りやお店で戴くこともできます。

秘伝の蜜は甘すぎず薄すぎずまろやかで熱々のお団子にたっぷりかけられ
幾つでもたべられそうです。

5本入りから販売されています。(5本入り¥525でした)
加茂みたらし茶屋の電話番号は075-791-1652)です。
  (写真撮影・掲載はお店の許可を得て掲載しております。)
22 : 48 : 32 | 京菓子 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
葵祭
2009 / 05 / 15 ( Fri )
葵祭

    牛車2


5月15日 京都の三大祭り ”葵祭” が晴天に恵まれ新緑のまばゆい
京の都で午前10時30分京都御所を起点に行われました。

雅な王朝の「路頭の儀」
今から約1400年前天候不順や凶作、疫病が蔓延した時に欽明天皇が勅使を
遣わし「鴨の神」の祭礼をおこなったのが起源とされているようです。

その葵祭は平安時代の儀式をそのまま受け継ぎ「宮中の儀」「路頭の儀」
「社頭の儀」の三つに分けて行われ、神殿の御簾、御所車、勅使、供奉者、
衣冠、牛車に至るまですべてに葵の葉で飾ったことから「葵祭」と呼ばれる
ようになったようです。

平安時代に祭りといえば「賀茂祭り」を指したようで、当時は社頭での神事は
見物されることはなく、勅使、斎王の行列を路頭で見物するのが一般的で
あったようです。

源氏物語の葵の上と六条宮御息所の見物場所を巡っての車争いの場面は
特に有名となっております。

そんな歴史を経て今日、都大路をゆっくり、しずしずと行列が続きました。

葵祭り1 葵祭り2
肝煎(きもいり)                  乗尻

検非違使1 近衛勅使
検非違使                      近衛使代


花傘2 花傘
  風流傘

采女1 采女2
 命婦(みょうぶ)

采女3 采女4
 騎女(むなのりおんな)

童 太鼓
女童も頑張って最後まで歩きました       太鼓

鐘 牛車3

        斉王代
        斎王代

衣冠・束帯・狩衣・十二単・小うちぎ・打袴とその衣装の色合い・模様は高貴で
まさに当時を思わせる雅で優美なものです。
その色合いと色の組み合わを競って教養をあらわした様子を垣間見ることが
できます。

       牛車4


また御所車もそれは見事な蒔絵できらびやかなものです。

動く美術展を同時に見ているようで、暫しのひととき古を偲び優雅な思いを
いたしました。これが京の都であります。

22 : 03 : 07 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
御蔭祭
2009 / 05 / 12 ( Tue )
御蔭祭

      御蔭祭1

御蔭祭8 御蔭祭4 
御蔭祭2 御蔭祭3
  
5月15日の賀茂祭(葵祭)に先駆けて ”御陰祭” が5月12日に下鴨神社の摂社である
左京区上高野御陰山(東山三十六峰の第2番目の山)の御陰神社より荒御魂を本社へ
お迎えする神事として行われました。

当日の神事は
 歓杯の儀・・・・・・・神酒を拝して祭儀の成功を祈る。
 樹下神事・・・・・・・樹木の下、清流に臨んで自然の気を受けて行う祓いの神事。
 本宮進発の儀・・・神職がそれぞれ御神宝を授け順次行列をつくり行粧御陰山へ出発。
 御陰山の儀・・・・・本殿の御簾に葵と桂を飾り立て神の降臨を仰ぐ。
 御生神事・・・・・・・太陽の南中する「牛の刻」を期して荒御魂のご降臨を請い御生木に
            お移り頂く。
 路地祭・・・・・・・・・行粧巡行途中、賀茂波爾神社にて「還城楽」が奉納される。
 神馬遷御の儀・・・ 行列の御車から神馬に御神霊がお移りになり錦蓋や御翳で覆われ
             糺の森へと向かわれる。
 切芝神事・・・・・・・巻纓冠、青摺袍、青摺袴姿の六人の舞人により東游(あずまあそび)
             が神馬に向かって奉納されます。
 還立の儀・・・・・・・神馬に向かって楽を奏した後、新たに行粧を整え本宮へ向かいま
             す。
 本宮の儀・・・・・・・荒御魂を本宮へお移しし、賀茂祭(葵祭)の無事を祈願します。
                     下鴨神社「御陰祭次第」より

以上の神事が午前9時から午後5時頃まで一日をかけて行われます。

この御陰祭は古代から鴨氏が伝えてきた思想信仰を基に祭礼と氏祖神の祭りを
御陰祭と呼ばれるようになり、その後氏子の祭りへと変貌していったそうです。

この御陰祭はわが国最古の神幸列として毎年神馬に神霊を遷し、本社に迎える
古代信仰形態を今に伝える祭りとして有名であるといわれております。

通常葵祭りといえば5月15日の路頭の儀のことと思われていますが、それまでにも
いろいろな神事が行われてクライマックスの路頭の儀へと進めれれていることを改めて
知ることができました。

東遊び1 東遊4
 
東遊び3 東遊び2

又東游(あずまあそび)は
 東舞ともいわれ東国の風俗歌と舞を題材に作られたと言う説と、安閑天皇の御代
 駿河の宇土浜に天女が降ったという伝説をもとに作られたという二説があるそうで
 す。

 新緑がまばゆい糺の森の切芝に・巻纓冠、青摺袍、青摺袴の優美な衣装に身を包み
 厳かな優雅な舞が神馬に向かって披露されました。

この行粧の人々の冠には葵が飾られていました。

19 : 13 : 28 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
おせき餅
2009 / 05 / 04 ( Mon )
おせき餅


P42906041.jpg P42906061.jpg
 

曲水の宴などで名高い城南宮の、国道1号線を挟んだ向側に
”おせき餅”が売られています。

昔は街道沿いには茶店があり、茶店名物のおだんごですとか、そばなどが商われ
旅人の休息場所として賑わい、旅の疲れをいやし、心の触れ合いが営まれていました。

ここ城南宮辺りは鳥羽街道、平安京の表玄関として京の都では重要な要所で
ありました。

その街道に”せき女”と申す大変心の美しい娘がいて、大道を登ってきた旅人に
茶屋を設け、編み笠の形をした餅を笠の裏に並べて食べさせていました。

せき女は心をこめて餅を造り、旅人をいたわり、慰めていたので大層評判になりました。
それで「おせき餅」と名づけて名物餅として永く商われていました。

が鳥羽伏見の戦でこの辺り一面は戦場となり民家は次々と焼失してしまいました。
昭和7年に京阪国道の施設とともにこの「おせき餅」のお店もこの地に移り、
昔にかわらぬ名物餅として商われています。

大納言の小豆が使われていて、自然のまま造られているため日持ちはしない
ようです。

ふわふわした舌触りと、丁度いい甘さでもっちりとした美味しいお餅です。

4個入りから6個入りと夫々の大きさで販売されています。
ちなみに6個入りは630円でした。

    お店の電話番号は 075-611-3078です。(月・火曜日は定休日です)
14 : 49 : 57 | 京菓子 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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