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みな月
2009 / 06 / 29 ( Mon )
みな月

京の都では6月30日は一年の半分を終わる晦日の日として各神社で
厄除けの神事「茅の輪くぐり」が行われます。

みな月

それとともにこの晦日の日には"みな月" を戴く日ともいわれて
京の都のお菓子屋さんでは6月限定のお菓子として ”みな月”
店頭に並びます。

もともとこの”みな月”の由来は

その昔王朝時代、宮中では冬の間に出来た氷を山中の穴(氷室)に蓄えて
おいて、それを夏に宮中に献上いたしました。
(氷室は衣笠山の西麓にあり他にも十か所今尚現存しているそうです)

この氷の解け具合によってその年の豊凶を占ったとも云われております。

その氷を食する習わしもあったとか、後に氷の変わりに「にほりかちん(氷餅)」
という氷の形ににせたお餅を祝ったとも伝えられております。

この慣わしが今日のお菓子の ”みな月” のはじまりで、町衆にも広がり
小麦粉・米の粉・砂糖を溶いて枠に流し蒸し、小豆の赤は厄除け(魔よけ)とも
いわれていた小豆をのせて二度蒸しをし、氷の形似せた三角形(氷室形)
に切り分けたものをこの晦日に戴くようになったと伝えられております。



鳴海餅本店

今回は創業明治8年の老舗「鳴海餅本店」の”みな月”をご紹介いたします。
白と、抹茶、黒(黒砂糖)の3種類があります。 1個147円です。

厳しい今年の夏も無事過ごせるように祈りながら美味しくいただきました。


鳴海餅本店は大正天皇御即位の膳部に「白むし型押」を賜り、
大正4年京都で初めて餅つき機第1号を完成させ、又大正13年には京都で初めて
栗赤飯を販売した由緒あるお店であります。

鳴海餅本店へは堀川通りの丸太町をあがる(北へ)上立売通の西南角にあります。
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北野天満宮
2009 / 06 / 25 ( Thu )
菅原道真の御誕辰祭(おたんしんさい)

     北野天満宮


6月25日は菅原道真のお誕生日にあたります。

菅原道真公は菅原是善公(文章博士)の第三子として承和12年(845年)
6月25日に京の都で生を受け、延喜3年(903年)2月25日に大宰府にて
薨去されました。これにちなみ毎月25日は天神様の縁日として今も京の都
では親しまれております。

北野天満宮ではこの日は午前9時からお誕辰祭が本殿で営まれます。

前夜から精進潔斎のため参籠していた宮司様や神官の方々が本殿に
おいていろいろなお供え物をし、厳粛に御誕辰祭がおこなわれます。

神官 茅の輪


又この6月の天神さんは「夏越天神」ともいわれ本殿前に直径5mの
「大茅の輪」が茅で作られ、酷暑の真夏を控え庶民の健康・厄除け・
無病息災を願う「茅の輪くぐり」がおこなわれます。

この「茅の輪くぐり」というのは
『備後風土記』には、素戔鳴命に旅の宿を供してその難儀を救った
蘇民将来が、命(みこと)の教えに従い腰に茅の輪を下げたところ
その子孫に至るまで厄疫なく栄えたという逸文の故事にならって
罪穢れを祓い厄難を祓い落とす神事が受け継がれてきたと言われております。

朝早くから老若男女を問わず「茅の輪くぐり」のお参りの列が続きます。

茅の輪をくぐる時は
 1、みな月のなごしの祓いする人は千歳の命のぶるというなり
 2、思ふ事みなつきねとて麻の葉をきりにきりても祓ひつるかな
 3、蘇民将来。蘇民将来。(繰り返して唱ふ)
とあります。

この夏越の祓いは6月30日の晦日に京の都では上賀茂神社、貴船神社、
城南宮などでも行われます。

長五郎餅1 長五郎餅2

北野の名物「長五郎餅」は天神さんの日に境内で販売されています。

長五郎餅の由来は天正年間、北野の景勝地に河内屋長五郎が葭州張りに
床几を並べて参詣客に長年研鑽を積んできた茶果を供しました。

当時の菓子はまだ味も素朴なものでしたが長五郎の編み出した餡をくるんだ
羽二重餅は、上品で洗練された味わいと大層好評で後世の餡入り餅の祖
となったそうです。
又大公秀吉の茶会にも用いられ、「長五郎餅」と名付けられたと言われて
おります。

なめらかな羽二重餅に大納言の漉し餡が包まれほどよい甘さで、とても
口当たりのよいお饅頭です。 1個¥120です。

11 : 21 : 22 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
両足院(建仁寺塔頭)
2009 / 06 / 22 ( Mon )
両足院(建仁寺塔頭)

         門

臨済宗大本山建仁寺の塔頭に両足院があります。
今から遡ること約650年前に建仁寺第35世龍山徳見を開祖として創建され、御本尊は
阿弥陀如来立像を安置、
創建当初は知足院と称されたが室町時代の再建にあたり仏の別号「両足尊」にちなんで
両足院と名づけられました。


かとう窓 砂紋

唐門から中に入ると白砂の砂紋も乱れることなく見事につけられ、松の青々とした
前庭を通り正面には花頭窓からお庭の風景がまぶしく目に入ります。

龍山徳見禅師は中国元に渡り長く修行を積んでいたが足利尊氏の招きにより
帰国しました。 その帰国に際して禅師を慕い共に日本に来た林浄因という
僧が日本で初めて饅頭を作ったことから「饅頭始祖の寺」とも言われたそうです。
その当時の饅頭は蒸しパンのようなもので、京都には饅頭屋町という地名も
残されております。


茶室 鶴の池

唐門の前庭は桃山時代の枯山水庭園、方丈の前庭は京都府指定名勝の池泉回遊式
庭園(亀庭)、書院の前庭からは、国宝如庵の写し「水月亭」と大村梅軒好みの
「臨月亭」
の茶室を望むことができ、ここでお茶を戴くことができます。

半夏生 半夏生2

又前庭は鶴を表した、第5代茶道藪内流 竹心紹智作庭には「半夏至」が咲き
初夏の緑豊かな中に水際でひときわ涼やかな化粧を施す様子から「半夏至の寺」
とも呼ばれているようです。

半夏至はどくだみ科の植物で別名片白草(かたしろくさ)とも三白草(さんぱくそう)
ともいわれ、水辺に生える多年草で、24節気の夏至から11日目あたりの半夏至ころに
白い葉をつけることから半夏至(はんげしょう)と呼ばれています。

両足院へは京の夜の繁華街でもある花見小路四条を下がって(南へ)突きあたり
に建仁寺があり、その建仁寺の塔頭です。

7月5日まで特別公開をされていますが、拝見するには600円が必要です。

両足院では坐禅道場も開催されておられ全国から参加されているようです。
11 : 42 : 32 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
鞍馬寺
2009 / 06 / 20 ( Sat )
竹伐り会式(鞍馬寺)

京の都の北の守り神である鞍馬寺は本殿は標高410mの鞍馬山にあります。
叡山電鉄を降りるとまず天狗が出迎えてくれます。

その昔、源義経が遮那王の幼名(牛若丸)のころ修行に励んだ場所でもあります。

鞍馬弘教総本山で御本尊は尊天(護法魔王尊 毘沙門天 千手観音)
国宝の毘沙門天三尊像の内毘沙門天と善賦師童子像は藤原時代前期に
制作されたものといわれております。


天狗 鞍馬寺

 
          門 

       竹伐り会式

その鞍馬寺で今日6月20日 午後2時から ”竹伐り会式” が行われました。

竹伐り会式はの起源は宇多天皇の寛平年間(889年~897年)で千年の古儀
といわれております。

鞍馬山の中興の祖・峯延上人が護摩の秘法を修していると、北の峰から
大蛇が現れ上人を呑み込もうしました。峯延上人は千手観音菩薩、毘沙門天王、
護摩魔王尊の三身一体尊天の秘密の真言を唱えて一心に祈ったところ、神呪
の霊験が顕れ大蛇は死んで切られ龍ケ獄に捨てられた。
その後もう一匹の大蛇が現れたがあばれることなく、鞍馬寺の香水を護ると
誓ったので本殿の東側に祀られた。 
先に切られた大蛇は雄蛇で、後の大蛇は雌蛇、この故事にちなみ青竹を
雄雌に見立てて伐るのが竹伐り会式であります。

この古儀を受け継ぐためには、数日前から出仕する衆僧・大惣・僧達・仲間衆
は精進潔斎し、山内諸堂は清められ「竹つりの儀」等の準備を重ね当日を
迎えます。

     舞楽

ほら貝の合図で始まった由緒ある儀式では舞楽も奉納されました。
本日の舞楽は「南天招福の舞」、躍動感あふれた古式ゆかしいきれいな舞楽です。

丹波座2 近江座

      竹伐り会式2 
      竹伐り会式3

竹伐り会式では近江座と丹波座にわかれ青竹を五段に伐りその速さを競います。
その勝敗によってその年の両地方の豊作を占うといわれ、今年は丹波座が勝利しました。

このようにして今年も勇壮な僧兵によって水への感謝、災禍を断ち切り吉事を招来する
儀式が行われました。

鞍馬寺へは出町柳から叡山電鉄で終点鞍馬下車、すぐです。
新緑がまばゆい青紅葉のトンネルは秋には見事に色づく風光明媚なところです。

本殿へはケーブルであがることができます。

21 : 49 : 45 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
京都新聞
2009 / 06 / 18 ( Thu )
京都新聞

京都新聞は創刊130年を迎える由緒ある新聞、
地方紙では1,2を競うと言われております。


社屋

現在発行部数は朝刊51万部、夕刊32万部 合計83万部
新聞社の記者の数200人、編集100人、印刷200人、営業150人 事務100人
と約750人+派遣やアルバイトの方々で日々83万部の新聞が作られています。


はっぴ 歴史

もともと京都商事迅報から始まったといわれる京都新聞の歴史は

明治12年(1879年)6月に京都商事迅報(はやぶれ)として創刊
       同年  8月  商事迅報に改題
  明治14年10月京都新報創刊
  明治25年 日出新聞にバトンタッチ
  明治30年 日出新聞を京都日出新聞に改題
  明治45年 京都夕刊新聞創刊
  昭和17年 京都日日新聞と京都日出新聞が合併 京都新聞創刊
  昭和49年 京都新聞本社新館完成

 のようになっています。

      鉛の活字

明治23年から昭和58年まで続いた鉛の活字を小組して制作されていた
紙型・鉛版による印刷法は、昭和58年に感光性樹脂版(APR版)による
印刷法に新たに変更されました。


      凸版 

このあらたな刷版(樹脂版)を輪転機に取り付けての印刷法は軽量化を進め
1分間に約1000部の超高速印刷を可能にし、現在の83万部の印刷がなされています。

今ではインターネットを利用した記事の高速化がはかられリアルタイムに情報が流され
瞬時に日本の、世界の情報を得ることができます。

インターネットの進展により活字離れも一方では進んでまいりましたが、
新聞には活字に込められた記者の方々の思いや、自然の移り変わり、コラムに
込められた奥深い思いなどを読むことができ時には癒されることがある大切な
メディアであると思われ、よりよい紙面作りが今後も続けられることを願っています。

鈴 キャラター
新聞配達を知らせる鈴           京都新聞トマトクラブの ”トマブー”


京都新聞本社では事前に申し込みをすれば新聞ができるまでの工程や
資料展示などを見学することができます。

京都新聞本社は中京区烏丸通夷川上るにあります。

11 : 38 : 54 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
智積院Ⅱ
2009 / 06 / 16 ( Tue )
智積院Ⅱ

青葉まつりで賑わった智積院は正式には五百佛山 智積院といいます。
真言宗智山派の総本山でご本尊は大日如来様をお祀りしています。

もともとこの地は豊国社の坊舎と、豊臣秀吉が長男棄丸(鶴松)の供養のために
建てた祥雲禅寺のあったところで、豊臣滅亡後、慶長5年(1600年)に
徳川家康が紀州根来寺の智積院玄宥僧正に土地を与え、根来寺の正式名に
ちなんで五百佛山智積院という坊舎講堂を建立したことにはじまります。

その後数度の火災にあい、幕末には土佐藩の屯所にもなったりして衰退をみせ
たが、明治33年に智積院を中心に全国約3000のお寺院が結集して、
今日の総本山智積院となりました。


P6150634.jpg 講堂
  
   雅楽2

この智積院には五つのお堂があり夫々の仏様がお祀りされています。

 金堂 大日如来、 明王殿 不動明王、 講堂 阿弥陀如来、
 大師堂 弘法大師、 密厳堂 興教大師

青葉まつりではそれぞれのお堂は無料で拝観することができました。
青葉まつりに講堂の不二の間では雅楽の演奏もされていました。

        利休好みの庭園

庭園は国の名勝庭園に指定されていて "利休好みの庭”といわれています。
中国の盧山を模したものと云われ、正面右側より奥は祥雲禅寺時代のもので、
桃山時代の特色がある刈り込みを主体とし、中央は阿弥陀ケ峰の山魔、池は
宸殿か釣殿を思わせる、座して眺める庭といわれております。

一文字手水鉢 桔梗

手水鉢は一文字手水鉢でとても大きなものです。
今は桔梗が色鮮やかに咲いていました。

又、国宝の長谷川等伯筆と長男の久蔵筆の「桜楓図」が展示されていて
荘厳で見ごたえがあります。

智積院へは京都駅から東山廻りで東山七条下車すぐ、京阪七条から徒歩10分です。
通常は拝観料大人500円です。

16 : 19 : 05 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
総本山 智積院
2009 / 06 / 15 ( Mon )
青葉まつり(総本山智積院)

門 本堂

東山七条に真言宗智山派の総本山智積院(ちしゃくいん)があります。
その智積院で本日6月15日”青葉まつり”が行われました。

青葉まつりは真言宗の宗祖弘法大師空海(宝亀5年(774年)6月15日)
中興の祖である興教大使覚ばん;(嘉保2年(1095年)6月17日)のご誕生を祝う行事
で、丁度この頃は新緑の美しい季節で「青葉まつり」と名付けられました。
今日は快晴に恵まれ真夏の太陽がギラギラと照りつける中厳かな行事が執り行われ
ました。

     行列2

当日は午前9時40分から智積院の管長猊下のお練り行列の後慶祝法要と
紫燈護摩供養が行われました。

護摩祭壇 護摩供養1

不動明王が祀られた祭壇には多くのお供え物と護摩木が飾られて、信者や参拝者
の災いを祓い、家内安全・所願成就を祈祷する護摩供養の儀式が行われました。

護摩供養2 護摩供養3 

ほら貝を吹いてあたりの邪気を呼び起こし護摩壇に集め、斧で切り邪気を祓います。

護摩供養4 護摩供養5

四方に弓矢を放ち四隅の決壊をきり天地中央には赤い矢を放ち堂場は金剛道場となる。
その道場で心と体を一体とした秘伝の火付が行われた後、御神火を松明に移し
火入れ式が行われます。

護摩供養6 護摩供養7

         お祓い


いよいよ護摩壇に火入れが行われた後行者さんが念仏を唱えながら邪気を払い、
参拝者にはお祓いが施されます。
大きな護摩木に所願を集め火にかざして邪気を祓い、所願成就を祈願して護摩供養
が行われました。

炎が高く舞い上がるとまさに荘厳な面持ちがして、厳粛な儀式にお参りすることが
できました。

本日のお練り行列の写真を提供戴きましたデジカメ教室の土田さんに感謝!

智積院については№2にてご紹介いたします。

16 : 37 : 10 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
京料理
2009 / 06 / 12 ( Fri )
手軽に京料理

京の繁華街、鴨川と高瀬川に挟まれた木屋町通四条を下がったところに
“あと村本店”があります。

このシーズンは京の都独特の鴨川にせり出した”床(ゆか)”で
東山の借景を眺めながら涼風に吹かれお食事を戴くことができます。

祇園や先斗町のきれいどころ舞妓さんや芸妓さんも登場しての
宴会も開催される料亭です。

あと村3 あと村2

そのあと村の京料理を手軽に楽しむお弁当を花会の昼食に戴きました。

          お弁当

お弁当の蓋をあけるや、その種類の豊富さと色どりに感嘆! 
15種類程に手毬寿司、紫蘇ご飯とお腹一杯になります。
お味も程良く美味しく戴くことができました。

ちょっとした集まりのお弁当に、観劇や行楽のお弁当に、又よく新幹線に
乗る前にこのお弁当を注文しておいて列車内で楽しんでおられるお客様も
多いとか

手軽に京料理を味わうお弁当もなかなか楽しいものです。

お店ではお昼はミニ会席(7,350円~)、夜は会席(9,450円~)のメニュー
でお弁当は3,500円、5000円とあるそうです。
  あと村は電話075-343-3770です。 (掲載はお店の了解済です)
21 : 00 : 55 | 京料理 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
田植祭
2009 / 06 / 10 ( Wed )
伏見稲荷大社の田植祭

平成23年伏見稲荷大社は”おいなりさん鎮座1300年”を迎えるという
歴史ある大社。 和銅4年(711年)に稲荷山に大神が鎮まれて以来、
全国約3万社といわれる稲荷神社の総本宮にあたります。

もともとは農業の神様から商売繁盛の神様、屋敷の神様、芸能の神様と多くの
人々の守護神として崇められております。

新年の初もうでには”わんさ”と参拝者が訪れ1年の繁栄を祈願いたします。

その神前にお供えする料米の稲苗を神田に植え付ける”田植祭”が梅雨入り
した今日、慈雨の中で行われました。

社殿 本殿



            田植祭

神前に数々のお供え物がされ、宮司様の祝詞の後、神楽女が ”かざみ装束”
を纏い王朝を偲ばせる典雅なお田舞が奉納され本殿で神事がおこなわれました。

       お田舞

本殿での神事の後、神田に移動して、4月に籾種を播いて育てられた稲苗がこの
神田にお田舞が舞われる中で植え付ける田植えがおこなわれました。

田植え 田植え2

今では一般的な田植えは殆ど耕運機が活躍し、あっという間に田植えの作業が
行われていますが、この神田ではあかねタスキに菅笠、脚絆といういでたちで多くの
参拝者が五穀豊穣を祈る中、一束ずつ手で植えられていきました。

今日植え付けられた稲苗は10月に刈入れされて神殿にお供えされることに
なります。

            菖蒲

神田の横には菖蒲が咲き誇っていました。

伏見稲荷大社へは京阪電車で伏見稲荷下車徒歩7分、JR伏見稲荷下車徒歩5分の
ところにあります。

19 : 08 : 00 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
華道 去風流
2009 / 06 / 06 ( Sat )
去風流

京は文化の薫る都、華道においても数々の家元が活躍されているところでもあります。
そんな数ある華道のひとつに「去風流」という流儀があります。

大正年間に目覚ましく活躍された”一草亭”は去風流の第七世家元で大正15年に
洛北浄土寺馬場町に去風洞を再興し、風情を本(もと)とし無心にして自然の主体性
を表現する花を標榜し、文人花の華道を確立されました。

自らは華道にとどまらず書画、茶道、茶室や茶庭の建築設計指導など多才な技量
を身につけ、夏目漱石はじめ富岡鉄斎、土田友湖、幸田露伴や実弟の津田清風など
多くの文人との交流を深め一草亭のサロンを形成し、のちに「瓶史」をうみだしました。

この一草亭の活躍振りとその風流に共感し、九条武子麗夫人も入門され華道を通して
親交が交わされました。

一草亭は「風流一生涯」を貫き、日々風流の本質を求めて研鑽されました。その心が
現在もその門弟に受け継がれております。

今回去風流に学ぶ門人の研究会が6月6日京都国際交流会館別館で行れました
のでご紹介いたします。


国際交流会館2 国際交流会館
京都国際交流会館別館

 紫陽花2 紫陽花1
花屏風 (紫陽花のいろいろ)

        紅葉 
        ふ入紅葉 菖蒲

手つき籠1 むしかり
夏草七種                  むしかり 黒ユリ

静物 菖蒲
盛り物七種                     菖蒲 先代萩
 
手つき籠2 竹
夏草七種               竹 薔薇
 
利休梅 杜若
利休梅 源平しもつけ              杜若

       ストロベリー 
        びよう柳 ストロベリー スイートメモリー 突抜忍冬

      きらら
       縞葦 乙女百合 さんきらい  


珍枝梅 ずいな 
珍枝梅 桔梗                 ずいな 百合

      ライラック
        ライラック 薔薇

ざくろ 夏椿 
ざくろ 薔薇                  沙羅双樹 薊

ユーカリ 芭蕉
ゆうかり 胡蝶蘭 バンバラ ミデドラム     芭蕉 岩菲

P6060464.jpg ふとい
スモークツリー アンスリューム           ふとい カラー バラン

      P6060437.jpg
  つくも、竹島百合、ふう菌、はんしょう蔓、しだ、小紫陽花、黒ユリ

ご紹介したのは一部で、写真では花の表情、奥行き、花器とのバランスなどが素人写真
でご紹介しきれないのが残念です。
22 : 30 : 42 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
詩仙堂
2009 / 06 / 04 ( Thu )
詩仙堂

左京区の一乗寺に位置する詩仙堂は
現在は曹洞宗の末寺で正しくは 六六山 詩仙堂丈山寺といいます。

その昔徳川家康の側近であった石川丈山が徳川家を離れてから54歳の時に
この詩仙堂を造営し、没するまでの30余年を清貧の中に聖賢の教えを自分の
勤めとして浸食を忘れて楽しんだ庵であります。

また丈山は我が国における煎茶(文人茶)の開祖ともいわれております。

門 竹林
小有洞の門                参道

鄙びた小有洞の門をはいると、綺麗に箒目がつけられた参道を通り、老梅関の門へと
続きます。

栞戸 花頭窓
老梅関の門  

もともと詩仙堂は凹凸窠(でこぼこした土地に建てられた住まいの意味)と呼ばれていました。
その凹凸窠の詩仙の間を中心の中国の漢晋唐宋の詩人36人の肖像を狩野探幽に描かせ
てその図上に自ら詩人の詩を書いて掲げたことから詩仙堂と呼ばれるようになりました。 

          
            残月軒
               羅淵軒    

堂内は残月軒、十方明峰閣(坐禅堂)、至楽巣、詩仙の間、嘯月楼、羅淵軒、百花塢
洗蒙漠や丈山が考案した園水を利用した鹿おどしなどが見られます。

滝 ししおどし
 洗蒙漠                        鹿おどし


紫陽花 京鹿の子

このあたりは京の都では北東の高台になっていて、当時は静かな丘陵地で
丈山が庵で自然を愛し花を愛で、詩にいそしんで余生を静かに過ごした当時を思わせる
佇まいが建物から庭園に溢れております。
丁度今は紫陽花、杜若、皐月、京鹿の子がきれいに咲いていました。

詩仙堂へは京都駅より市バス⑤で一乗寺下り松下車徒歩10分、または
叡山電鉄一乗寺下車徒歩10分
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薪能
2009 / 06 / 01 ( Mon )
薪能

京の風物詩 ”薪能”が昭和25年に始まり今年は第60回目を迎えての記念の会が、
平安神宮で本日初日を迎え行われました。 そして明日の2日と両日でおこなわれ
ます。
流行のインフルエンザもどこえやら、早々と大勢の能楽ファンが詰めかけました。

快晴の中、薫風漂う京の都に、平安神宮の本殿を前にして一角は暫し時空を超えた
静寂が漂います。


門 舞台


静かに、静かにシテが登場、ただあたりは笛と小鼓、大鼓の音だけが澄んだ青空に
こだまします。
その昔、まだ今のように電気がなかった時代はただ月明かりと蝋燭の遠火と
かがり火だけの中で行われた幽玄の世界。

かがり火

       提灯


初日の演目は
 翁・・・・・・・能楽の最も古態で天下泰平、五穀豊穣、国土安泰を祈願する
      儀式で「能にして能にあらず」といわれる神事として扱われる
      能です。
      演者も翁の面を神として身を潔斎し演じられるそうです。
 絵馬・・・・・伊勢に現れた天照大神と天佃女命(あまのうずめのみこ)と
      手力雄命(たぢからおのみこと)は天の岩戸隠れを再現し、
      天下泰平をことほぐ神話の能

   火入れ式

 杜若・・・・・丁度季節にもぴったりな伊勢物語から在原業平が東下りの折、
      八橋の杜若を見て都の妻を思うて詠んだ歌から花の精をを描
      いた能
 福の神・・・人間国宝の茂山千作丈と茂山千之丞丈が福の神は幸せを万民に
      与えるその秘訣は楽しくなることだとお告げなさるという狂言

    さすがに人間国宝となられる方の芸はすなわちその方がそこに
    おられるだけだその存在感があふれていることですネ

 正尊・・・・・義経と弁慶が正尊の詰問をかわし緊迫の問答と立ち回りの一説

 と五つの演目が演じられました。

能楽はこのほど世界無形文化遺産にも認められ、その幽玄な世界を醸し出す中には
衣装のすばらしさ、面の表情、澄んだ音色のすばらしさと幾つもの楽しむ要素があり、

夜の帳がおりた中でただ笛の音と鼓の澄んだ音色と静かな舞の中にも感情の
起伏があり吸い込まれていきそうです。

2日目も「翁」に始まり、「花月」、「羽衣」、「釣針」、「紅葉狩」が演じられます。
 
        
22 : 10 : 08 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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