勝林院
2009 / 09 / 26 ( Sat )
大原の里と”勝林院”



勝林寺 阿弥陀如来1

         歌碑

京都大原といえば ”三千院”、 京を愛する多くの方が訪れるその大原の里は
今なお鄙びた里山の風景をみることができるところです。

三千院の前を少し進むとそこに天台宗 ”声明の寺”ともいわれている 
”勝林院 ”があります。

山号を魚山(中国仏教の声明聖地の名)、御本尊は阿弥陀如来
長和2年(1013年)第3代天台座主慈覚大師(円仁)の9代目の弟子寂源
が慈覚大師が中国から持ち帰られ比叡山で伝承されていた中国仏教の古典
儀式音楽である声明音律業の道場をこの地に移し建立されたのが始まりと
されています。
それ以後多くの声音梵唄修行僧が集まり栄えておりましたが、享保2年(1736年)
火災にあい、現在の本堂は安永7年(1778年)後桜町天皇の御常御殿拝領や
徳川家の衆縁により欅づくりで建立されたようです。
屋根は杉板で葺かれた杮葺き(こけらぶき)で風情のあるものです。

御本尊の阿弥陀如来は長保年間の康尚の作とされています。
そのお顔を拝見しているとなんとも穏やかで魅力ある、心静かに癒される
思いがいたします。
この阿弥陀様は顕真法印が法然上人を招いて浄土教について談義をした
大原問答のとき大光明を放ち念仏衆生摂取不捨の証拠として現れたところから
証拠阿弥陀如来と称し、この堂を証拠堂とよぶようになったようです。


        芒

彼岸花2 コスモス2

丁度今頃は夏と秋が行きつ戻りつしながら秋へと近づいております。
大原の里には呂川律川の清水が流れ、声明の音律短調の呂曲、長調の律曲からなる
名がつけられたようで、「呂律がまわらない」の表現もここからうまれたようです。

刈り取りの終わった畦道には彼岸花が一面に色鮮やかに彩り、コスモスも花をつけ
芒のたなびく里山の風景は郷愁を誘い、人恋しくなる大原の里の風景です。

勝林院へは京都国際会議場から京都バスで大原終点下車、徒歩15分です。
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晴明神社
2009 / 09 / 22 ( Tue )
晴明祭  ” 宵宮 ”


宵宮 提灯

安倍晴明をお祀りする晴明神社が堀川今出川を下がったところにあります。
寛弘4年(1007年)に一条天皇の勅使により晴明の邸跡に創建されました。

平安中期天文博士で、星座の急変するのをみて花山天皇の退位を予知された
といわれ陰陽師として老弱男女を問わず遠くからも信仰を集めています。

近年は映画やテレビの影響もあり若い女性の参拝を多く集めています。

その晴明神社の年中行事で一番重要な祭儀とされている晴明祭が9月23日行われます。
それに先立ち22日は宵宮、午後7時からは神楽が舞われお祓いの後
湯立神楽が行われ、参拝者の無病息災、家内安全を願いました。


神楽 湯立神楽

この湯立神楽、ぐらぐら煮えたぎるお湯に塩、お神酒をささげ清めてから
参拝者にふりかけ厄祓いをいたします。
比較的小じんまりとした輪の中でおこなわれるのでお湯が参拝者の頭から
降り注ぎ、”熱い” ”熱い” 御利益が充分あるお祓いでした。

             
           神輿

23日午後1時からの神幸祭にはお神輿が担がれ、少年鼓笛隊、菊鉾、扇鉾、獅子、
御神宝、飾馬などが堀川を中心に智恵光院~寺の内~下長者町へと巡行いたします。

楠

境内には樹齢300年の御神木である楠がそびえたっています。
この楠はかって虫除けの樟脳の原料として使われていたようです。

晴明神社へは市バス9、51、201、203、59番堀川今出川下車徒歩8分にあります。

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泉涌寺
2009 / 09 / 21 ( Mon )
泉涌寺のライトアップ

  仏殿


皇室とのかかわりが深く御寺とも呼ばれる泉涌寺は、真言宗泉涌寺派の総本山
山号は東山(とうせん)、ご本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒菩薩の三尊。

東山三十六峰のうちの月輪山のふもとに天長年間に弘法大師がこの地に庵を
結んだ事に由来するといわれております。

斉衡3年(856年)藤原緒嗣(ふじわら おつぐ)が帰依した神修上人が法輪寺
(後に仙遊寺)として創建、
承久元年(1219年)当寺の開山である月輪大師俊芿(しゅんじょう)が
時の宋の法式を取り入れて大伽藍を営むことを志、嘉禄2年(1225年)主要な
伽藍が完成しました。
この時境内に新しい泉が湧き出た祥瑞により寺号を「泉涌寺」と改められました。

この泉は今も湧き続けているそうです。

泉涌寺の大伽藍は荘厳で見事なもので仏殿、舎利殿とも四季折々の顔をみることが
できます。

その泉涌寺で9月20日~23日まで
今生天皇陛下即位20年の記念 夜間特別拝観と庭園のライトアップが行われて
おります。

舎利殿


マリンバ2

又、舎利殿では菅原淳氏のマリンバと森浩司氏のピアノの演奏会が20日から22日迄
行われています。

マリンバのやさしい音色で 懐かしいメロディー
 ”トロイメライ”  ”庭の千草” ”アメリカンパトロール” ”ハンガリー舞曲第5番の
4曲が演奏されました。
帳のおりた東山に佇む荘厳な舎利殿でうっとりと聞き入ってしましました。

泉涌寺では11月12日~16日にもライトアップが行われる予定です。

泉涌寺へはJR、京阪の東福寺下車徒歩10分
京都駅から市バス208番泉涌寺道下車徒歩7分のところにあります。

23 : 08 : 56 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
洛中写真組
2009 / 09 / 18 ( Fri )
プロの写真家による洛中の情景


京の都をプロがとらえた写真展が9月16日~21日まで開催されています。

南禅寺


プロのとらえた写真集、アマチュアがとらえた写真集と・・・・・特に京の都を紹介する
写真集や雑誌は書店やネット上、ポスターであまた紹介されています。

そんな中で特に京に住まいし、京をこよなく愛するプロの写真家8人が京を紹介する
写真展「洛中写真組」を拝見してきました。

京の裏通りに残る「昭和」の暮らし、鞍馬の里人の伝承されてきた儀式、
北山の芦生杉(あしゅうすぎ)、撮り尽くすことのできない京の情景を光を通して
と、それぞれの写真家が一味違った視点でとらえ,京を紹介されています。

その作品の中で東山を借景にした南禅寺に朝日が差し込む一瞬のシャッターチャンス
を撮影された作品を、幸運にもご本人(柴田明蘭氏)よりご提供頂きましたので紹介
させて頂きます。他に清水寺の夕日を美しいシルエットを交え何ともロマンチックな
作品もあり、改めてこんなにも素晴らしい京の情景が存在することに感銘を受けました。

写真展は京都文化博物館5階で開催されています。(無料)
京都文化博物館は三条通高倉(地下鉄御池駅下車5番出口)東へ徒歩3分にあります。
   (写真の無断転載、使用はお断りいたします。)
22 : 28 : 13 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
清水寺
2009 / 09 / 16 ( Wed )
”観音加持青龍会”(清水寺)

門 P9161681本殿

世界文化遺産に指定されている清水寺は北法相宗の総本山。山号は音羽山。
御本尊は十一面千手観音、宝亀11年(780年)坂上田村麻呂がこの地に鹿狩りに
来ていたところを修行中の僧延鎮に殺生を戒められ、夫人とともに千手観音を造り
お堂を建てたのが始まりとされています。
弘仁元年(810年)嵯峨天皇から宸筆を賜って鎮護国家の道場となり「清水寺」と
世号されました。

又西国三十三所観音霊場の第十六番札所としても親しまれております。
本殿は寛永十年(1633年)に再建され「清水の舞台」として国宝に指定されています。
三重の塔は寛永九年の再建で重要文化財とされています。


三重塔 西門 

その清水寺で9月の15,16,17日と”観音加持青龍会”が行われています。
青龍会1 青龍会2

         青龍会3

      3龍

 
         龍4

       龍2

その昔平安京のころ、京の地形は四神相応として
 北の丘は玄武、南の窪地は朱雀、西は白虎、東は青龍と考えられておりました。

東山山系は清水が湧き溢れ、清水寺は丁度青龍の位置に辺り、夜な夜な観音様の
化身である龍が飛来して音羽の滝の水を飲でいたという伝説があるそうです。

その音羽の滝は大昔から現在まで音羽山から流出していて一度も枯れたことが
なく日本の十代名水の筆頭で「清水寺」の名の起こった由縁でもあるといわれて
おります。

そして奥の院に夜叉神が祀られていて、この夜叉神がこの青龍の地を護り、
清水寺の本尊の加護と共に京の都を休みなく警戒する守護神として都の人々の
信仰を集めております。
この夜叉神への畏怖と清水寺創建1200有余年、御本尊の御開帳(平成12年3月)
の折に人々の安寧を祈願して青龍会が結成され、観音の化身である青龍の誕生と
その開眼法要が執り行われました。

その青龍会が毎年3月、9月に行われています。
奥の院を出発し本堂~音羽の滝~経堂~三重塔~西門~門前町へと練り歩きます。

この龍のデザインは ”ワダ エミ”さんによるものだそうです。
行列には会奉行、転供侍者、転法衆、夜叉神、四天王、十六善神、龍衆と続きます。

清水寺は休日はもとより平日もいつも一杯の参拝者で賑わっている京都の一番の
観光名所でもあります。
19 : 16 : 46 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
三宅八幡宮
2009 / 09 / 14 ( Mon )
 ” 放生会 ” (三宅八幡宮 秋季大祭)

京は左京の北部に位置するところに ”三宅八幡宮”があります。

鳥居 狛鳩

社殿は、小野妹子が渡隋の大命を受け、その途筑紫にて病に悩み、宇佐八幡宮
に祈願したところ平癒し、渡隋の後も専ら祈念の功により種々の厄難を免れたり
帰朝の御報恩のため此の地に大神を勧進せり、その後多年を経て忠臣備後
に移住し邸内の鎮守として厚く導崇せり、爾来三宅八幡と称したと記されております。

しかし、応仁の乱により全て焼失し、現在の建物は明治2年に拝殿、同20年に
本殿が建造されました。

この三宅八幡宮は主に子供の守護神で、癇の虫封じ、として信仰を集めて
おます。

明治天皇が幼少の頃大病を召され、その病気平癒に孝明皇后がこの
三宅八幡宮にお参りをされ、病気平癒が叶ったとも言われております。

    絵馬1

絵馬2 絵馬3

絵馬4

又この三宅八幡宮には多くの絵馬が奉納されていて、現在確認されているもの
は155点あり、これらの絵馬群が近年国の重要有形民俗文化財に登録されました。

昔から子供の守護神として知られ、京都以外の地方からも行列をなして
厄除けの赤い着物を身につけ参拝に訪れた様子が絵馬として奉納されています。
それには、明治15年9月 下京区第拾二組高倉松原上入町と記されています。

茶店 鳩餅2
 
又八幡様のお使いである鳩が昔は鳩小屋が作られ大切の飼われていたそうです。
その境内入り口には狛鳩が出迎えてくれます。
境内の茶店では鳩餅(三宅八幡宮のみで販売)が販売されています。
10ケ入り900円、茶店では鳩餅とお茶が300円で味わうことができます。
ニッキ味、抹茶味、と白があります。

手洗水 噴水

この三宅八幡宮では裏にある西明寺山を通って比叡山の鵜ケ谷より水を導いて
御手洗水や噴水として使われているのだそうです。

水車

噴水の近くに村の水車が保存されています。
約300年前延喜の頃上高野は当時の代官五味藤九郎の努力により水利が計られ
多数の水車が設けられておりました。
水車は唐臼(からうす)と呼ばれ主に精米用としてや薬草や海苔の製粉などに
共同で使われていたようです。 この水車は当地の稲荷町にあったものを修復して
昭和62年に昔の生活を知る参考にとこちらに移され保存されています。

例祭 本殿

       子供神輿

この三宅八幡宮では9月の14日~16日まで秋季大祭 ”放生会”が行われます。
放生会は生き物を川や野に放ち供養をし、五穀豊穣や国家の安泰を祈願するという
儀式のことで、同時に三宅八幡宮では小児の夜泣き癇の虫封じの祈願が行われます。

子供たちは今年新調された素晴らしい子供神輿を担いでお祭りを楽しみます。

三宅八幡宮へは国際会議場前から京都バス、市バスで岩倉実相院行きに乗車
八幡前下車すぐです。
又叡山鉄道鞍馬線で八幡前下車すぐのところにあります。
18 : 41 : 56 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
200年の老舗
2009 / 09 / 12 ( Sat )
200年の歴史を誇る老舗
「 山中油店 」


京都の上京区の東西は下立売通りから南北浄福寺通を挟んでこの辺り一帯は
平安時代は内裏の一角で、室町時代に足利義満が室町御殿を造営してからは
大変賑やかな所であったといわれていります。

     道路標示
右は”ほりかわ” 左は”妙心寺”と表示

この下立売通りの名前の由来は、当時はこの通りに沢山の商人が傍らに立ち
物を売っていたことから名付けられと言われております。

北は上立売通、中立売通と共に主要な東西を結ぶ往還路として栄えたそうです。

店1 看板

その下立売通に200年の歴史を誇る山中油店があります。

江戸中期文政年間(1818~1829年)に初代平兵衛が油を商いとする店を構え、
安政2年(1855年)に建てられた店は今もその面影を残しているそうです。

油の歴史は平安時代の初め、油の神様といわれる「離宮八幡宮」の神主が
「長木」という道具で油をしぼり灯油として用いたのが我が国精油の始まりだとか

当初油は神祀りの灯火や宮中に献上される大変貴重なものでありました。
大衆に普及していったのは幕末から明治にかけてと言われております。

その貴重な油を商いとして約200年近く伝統を受け継いで今日尚立派に
油の専門店として隆盛を誇るのが㈱山中油店です。
食用油から建築工芸用油、スキンケア、油粕、椿油などいろいろな油が
取り扱われております。

平安京御書所跡 

 水車2


又この辺りは出水といい、水が豊かに湧き出るところでもあり、この水を
利用して生活や商いが栄えてまいりました。
この山中油店にその豊かな井戸水を利用して水車が回され豊かな風情を
味わうことができます。

        綾き殿

おくどさん タンス

        カプチーノ


又山中油店のすぐ近くに綾綺殿という100年余りの町屋があります。
平安宮内裏殿舎の一つで内裏や妓女の舞などの舞台となったのが「綾綺殿」
あったそうです。 今は町屋ショップ&カフェとなっていて山中油の商品が販売
されています。 こちらの”おくどさん”は今でも使われているものです。
このおくどさんで沸かされたお湯を使ってお茶を、もうすぐお月見のシーズンで
カプチーノに兎をリクエストして店長さんが可愛く描いてくださいました。

歴史探訪館


又山中油店の前には上京歴史探訪館があり上京の歴史を伝えております。

株式会社山中油店は上京区下立売通知恵光院西入る (下立売通の堀川を西入る)に
あります。
12 : 48 : 35 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
重陽の節句
2009 / 09 / 09 ( Wed )
小さい秋み~つけた!

今日は9月9日、そして重陽の節句である。

昨日までの厳しい残暑も、今日は爽やかな涼風が頬をかすめる京の都。

すすき


ちょっとした草むらには早くも芒が穂を出し、萩がちらほらと色づきはじめ
秋の七草を摘むことができる小~さい秋をみつけました。

これからいよいよ京の都では、観月祭や秋祭りとお宮さんやお寺では
いろいろな催しが行われます。
(重陽の節句の今日は上賀茂神社では神事の後烏相撲が行われ、又下鴨神社や
法輪寺、市比女神社でも重陽の節句の催しが行われました。)


生活の中でも、四季を感じながら楽しむそんな一つに京のお菓子があります。

お菓子1
御園菊

お菓子2-2 お菓子5
嵯峨野                       あきくさ

冷たい飲み物や食べ物で少々身体が冷えていたのを、
秋のお菓子とお茶を楽しんで、 ”ほっこり” といたします。

京菓子は特に、四季を重んじ、色どりに注力してその技を磨きそれぞれの
お店の特徴をだしてつくられ、店頭に並びます。

茶道の家元が身近におられ、京菓子はより洗練され、美しい芸術品ともいえます。

今回は重陽の節句にちなんで、鶴屋吉信さんのお菓子3題ご紹介いたしました。

17 : 27 : 14 | 京菓子 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
おばんざい
2009 / 09 / 05 ( Sat )

京から世界へ羽ばたいたソース王

ソース


最近テレビや雑誌で ”ヨシダソース” がよく紹介されるようになりました。

その ”ヨシダソース”の創始者吉田潤喜(よしだじゅんき)は京都生まれの京育ち
1969年19歳で大学受験失敗を機に母の工面してくれた500ドルを手に渡米、
少年時代に鍛えた空手やアルバイトをしながら幾多の苦難を乗り越え、米国で
結婚もした。

しかし容易に生活の安定は続かなかった、そんなあるクリスマスのプレゼントの
お返しに、実家で受け継がれてきた焼き肉のたれを作ってお返しにしたのが大変
好評で、リクエストが増え、反響をよんでつくりだしたのが”ヨシダソース”の
始まりだそうです。

今や世界14ケ国以上で販売されていて、事業も拡大全グループで年商200億円
企業に成長し、アメリカンドリームの体現者となられた。

2005年にはNewsWeek10月号の日本版で「世界で最も尊敬される日本人」にも
選ばれるという偉業を成し遂げられました。

ヨシダソースの基になるお醤油やみりんはやはり日本の名だたるメーカーのものを
使用されているというこだわりのソース(ヨシダグルメのたれ)だそうです。

よし田2


今回この偉業を成し遂げた吉田氏のお姉様が開店されているおばんざいのお店
「KITCHEN よし田」へ伺ってきました。

       料理2

料理3 料理4


ヨシダソースを使ったおばんざい(無国籍料理)の数々。
毎日こちらの女将さん(マダム)が新鮮な材料を吟味し、一品づつ手作りで幾品も
準備されていて品数も豊富でソースを絡めたとても美味しいおばんざいを
味わうことができました。

「KITCHEN よし田」は下京区高辻通烏丸西入る堀之内町
 電話は361-4600 (紹介者を介してご予約を)

15 : 58 : 30 | 京料理 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
京の伝説
2009 / 09 / 02 ( Wed )
京の伝説 ” 宗旦狐 ”

夏の季節は何故か ”妖怪” ”幽霊”ブーム、京の都でも妖怪通りや
お化け屋敷ができ、子供たちの肝試しが行われます。

京は千年の都、その間には戦も度々おこり、怨念も残ったことでしょう?
そんな都にはお寺も神社も多く、夜な夜な奇怪なことが起こり、今なお語り伝えられて
いることも『京の伝説』として編纂されております。

そんな中から、今回は微笑ましい面白さのある ”宗旦狐” の伝説をご紹介します。

宗旦稲荷2

京の烏丸通を北へ、今出川から同志社大学の中央の通りを上ると臨済宗の相国寺派
大本山の相国寺があります。

その境内は約20,000坪もあるといわれている広大な敷地の中に、宗旦稲荷という
小さな祠があります。 これが今回伝説の ”宗旦狐”を祀る祠です。

     宗旦稲荷3

宗旦狐

その昔、平安時代初期のころ、相国寺に一匹の白狐が住んでいました。
その白狐はしばしば雲水に姿を変え坐禅をしたり托鉢の列に加わったり、
時には寺の和尚と碁の相手をしたり、茶人千宗旦(千利休の孫 1578~1658年)に
なりすましては近所の茶人の家に赴いては茶を飲み、菓子を食い荒らしていました。

はじめは騙されていた近所の人々も次第に正体を知り ”宗旦狐”と名づけて皆で
化かされて遊んでいました。

じしょういん

ある時宗旦は相国寺の塔頭”慈照院の茶室びらきでお手前を披露していた。
驚いたことにそのお手前は実に見事なもので、その席に遅れてきた当人の宗旦は
その事に感じ入ったという。

そこで慌てた宗旦狐は茶室の窓を突き破ってにげたが井戸に落ちて死んでしまったとか

人々はこの宗旦狐は化けていたずらをするだけでなく善を施し、人々をも喜ばせたと
して祠を建て供養したといわれております。その祠が今でも”宗旦稲荷”として残されて
おります。

又相国寺の北門の近く烏丸寺の内を上ったところの慈照院にはその伝承のある
茶室”頣神室(いしんしつ)”は「宗旦好みの茶室」として現在も残されて、床には
「宗旦狐」の掛け軸がかけられている言われております。慈照院は非公開と
されていますので残念ながら拝観することはできません。

なんとも微笑ましい伝説でした。

相国寺へは地下鉄烏丸線の今出川下車すぐです。

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