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夏越祭 (祇園祭り)
2010 / 07 / 31 ( Sat )
祇園祭 ”夏越祭 ”

夏越の祓い

7月1日から1ケ月に亘り行われてきた祇園祭りは今日の夏越祭をもって
行事が全て終わります。
そして京の都には本格的な暑い暑い夏となり、8月のお盆の行事へと
続いてまいります。

八坂神社の摂社 疫神社で午前10時から神事が行われ、祇園祭りが
無事終了したことをご報告し、蘇民将来の子孫として茅野輪をくぐり、
この後の無事を祈りました。

平成女鉾 

又、祇園祭りの伝統文化を継承しつつ、新たな歴史を切り拓くために
1996年に「平成女鉾」が結成されました。
八坂神社の 櫛稲田姫命を御神体とした新たな鉾の囃子方「平成女鉾清音会
(さやねかい)」
のお囃子が35度の暑さの中午後3時から舞殿で奉納されました。

女鉾 囃子

       囃子2

現在は63名のメンバーで最初は鐘を担当し、5年経てば次に太鼓か笛に移って
いくそうです。
祇園囃子もその曲目は30曲以上もあるそうでその中の数曲が奉納されました。

「コンチキチン」の今年の納めのお囃子、鐘の音、太鼓、笛はきりりとした中にも
華やかな新たな平成のお囃子でした。
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神輿洗い
2010 / 07 / 28 ( Wed )
祇園祭り ”神輿洗い”

7月1日から始まった祇園祭りも愈々終盤となりました。
今日28日は祇園祭神事の納めの行事でもある神輿洗いが勇壮に行われました。

しめ縄

早朝に四条大橋で注連縄の張られた所から御用水清祓い(ごようすいきよはらい)
式で神水が汲み上げられ八坂神社で神前にお供えされます。

松明2 たいまつ

まず、午後7時前に大松明が点火され八坂神社から四条大橋まで ”道清の儀 ”
行われます。

”ホイット” ”ホイット”と掛け声が聞こえてくると
神與会の方に担がれた大松明がが四条大橋の中央辺りまで運ばれて、神輿が通る
道清めの儀式がおこなわれ八坂神社へと帰っていきます。

      松明3

四条大橋の中央で”まわせ””まわせ”の合図で大松明は廻されます。
松明の方向転換されるときは火の粉が飛んできて、その勇壮さと迫力に圧倒されます。


提灯行列

道清めがなされた後、神事関係者提灯行列を先頭にお神輿がやってまいります。
神輿洗いの神輿は素戔鳴尊を奉じる中御座で約150人余りの與丁によって担がれます。

神輿

四条大橋の中央で廻され、神職によって早朝に汲みあげられた神水を神輿に榊で
大きく振りかけて清められます。
この清めの水にかかると疫病や難から逃れられるとも言われております。

この後神輿は八坂神社に帰り神社で儀式が行われた後今年も疫病退散の祈願を
終え格納されます。

そして29日は午後3時から祇園祭りに供奉された役員の方々が参列され祇園祭り
が終了したことを報告する儀式が行われ、

31日は八坂神社境内の摂社「疫神社」で夏越の祓いの行事が行われ、 茅の輪をくぐり祭神の蘇民将来の護符を授かります。

この神事をもって1ケ月に及んだ祇園祭りが無事終わることになります。
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鴨川納涼床
2010 / 07 / 23 ( Fri )
京の風物詩 鴨川納涼床

床1

梅雨明けとともに、ギラギラ照りつける太陽が西に傾き、ホット一息つく頃
東山の稜線から比叡山の山並みと鴨川の流れに憩いを求め、京の都では、
鴨川納涼床でひとときを過ごします。

江戸時代から鴨川は四条川原のあたりで祇園町の繁栄とともに賑わいをみせ
はじめました。

見世物や物売りがでたり、出雲の阿国が歌舞伎踊りを披露したりと大勢の人々が
集まると、茶店ができ、水茶屋の床几が並んだりしました。
これが鴨川納涼床の始まりとされています。

特に祇園御霊会(祇園祭)の神輿洗いが鴨川で行われる7月は大勢の見物客で
賑わいを見せました。

寛文年間には石垣や堤が整備され、近くに先斗町や宮川町の花街が形成され、
北座、南座ができた江戸中期には約400軒余りの茶屋や床几が出されるまでの
賑わいを見せたようです。

その当時の床は鴨川の両岸や浅瀬に床几をおいたり、張り出し式のものや高床式
のものががあり「河原の涼み」と呼ばれていたようです。

その後明治27年には鴨川運河の開削や大正4年京阪電車鴨東線の三条京阪までの
延伸により東側の床が姿を消しました。

昭和の第二次大戦のときは灯火管制により姿を消しましたが、戦後の復興とともに
昭和27年「納涼床許可基準」が策定され、今日の「鴨川納涼床」へと変遷して参りました。


夜景

夜の帳が下りると床に灯された明かりは情緒を醸し出し、どこからか
フット風が頬を通り過ぎ、会話がはずみ、美味を味わう箸が進みます。

夜景2

最近ではこの床の姿もずいぶん変化し、京料理に限らず、中華料理があったり、
すき焼きがあったり、洋食があったりと庶民的になって、あちこちで
ビールで乾杯!など若者で賑わうお店も出てまいりました。

この床の出る期間も最近では5月から9月頃までと長くなって参りましたが
江戸時代の名残を伝える京の風物詩であり、文化が今日なお継承されております。
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神幸祭(祇園祭)
2010 / 07 / 17 ( Sat )
神幸祭(祇園祭)


機を一にしたように梅雨が明け、ギラギラと太陽が照りつける今日17日、
祇園祭のクライマックス、山鉾巡行が行われ約20万人の多くの方が詰めかけ
鉾や山に掛けられた縣装品の見事さ、辻回しの豪快さ、歴史の深さなど
を堪能いただきました。

祭事としての山鉾巡行にあわせて、今日17日は八坂神社の神事としての
神幸祭
も勇壮におこなわれました。

いずれもその昔疫病を鎮めるためにはじまった”祇園御霊会”が
氏子町衆がその財力と心意気で今日の素晴らしい、豪華絢爛の
鉾や山を完成させ祭りを際立たせてまいりました。

一方神事としての祇園御霊会は、今も勇壮に受け継がれて、
今日は神幸祭を迎えました。

神幸祭は午後4時から八坂神社でご神祭の三神
素戔鳴尊、櫛稲田姫命、八柱御子神の御霊代(みたましろ)を夫々
三基の神輿に移し、午後6時から氏子町内を巡行して疫病退散を願う神事

八坂神社には大勢の参拝者が訪れ、神輿渡御を見守りました。

神輿出し
 
若衆


氏子町内からは威勢のいいいなせな與丁が三若、四若と夫々の組が
大勢あつまり中央本殿前の舞殿に納められていた三神をのせた神輿が
出されます。
神輿の重さは約2トンあるそうで大変危険な作業ですが、毎年事故もなく
行事の合図で無事行われております。

神輿中御座2

まず六角形の神輿には素戔鳴尊が遷され中御座が舞殿を”ホイット ホイット”
と軽やかに足を蹴り上げ、三周して本殿前で差し上げをおこないます。

  神輿東御座2


2番目は四角形の神輿に櫛稲田姫命が遷された東御座が本殿前から出ます。

神輿西御座

3番目は八角形の神輿に八柱御子神が遷さた西御座が本殿前から出ます。

神輿飾り

神輿の上には稲穂が飾り付けられます。

子供輿丁

子供神輿もだされ、可愛い子供與丁も神輿渡御に参加します。

宮司 神職

神輿の前を久世駒形稚児が先導し、この三基が八坂神社の西門下
四条通と東大路通の交差地点に揃い
八坂神社の宮司さんから、都が平安でありますようにとの御挨拶があり
引き続き門川京都市長の御挨拶の後、三基揃い踏みで、
三基の神輿が廻されます。

それは見事な勇壮なもので、疫病神もこの熱気と情熱に退散してしまう
ことでしょう。

そのあと、三基は夫々の氏子町内を練り歩き、最終四条の御旅所にもどり
24日まで留まり、都の人々はこの御旅所へ参詣いたします。

又17日から24日の間、7日間三基の神輿が鎮座する間,毎日お参りを
すると願いが叶うといわれ京の都ではお参りをいたします。
ただし、御旅所から帰宅するまでは誰とも話をしてはいけない。
話すと願いは叶わないという無言参りもいたします。

24日は再び三基の神輿は氏子町内を練り歩き八坂神社へと還る
「還幸祭」が行われます。
 
23 : 40 : 39 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
祇園祭
2010 / 07 / 13 ( Tue )
祇園祭

今年も祇園祭りをむかえました。
祇園祭りの起源は貞観11年(869年)6月7日疫病退散を祈願して
当時の国数66国の矛をたてて14日には神輿を担いで祈願した
”御霊会”が始まりとされています。

その後天禄元年(970年)から毎年行われるようになり、時代の変遷と
共に山鉾は町衆の財力と心意気で豪華絢爛なものになり、神輿に追随
していたものが独立した形で室町時代より山鉾巡行として行われるよ
うになりました。

八坂神社2

このように祇園祭の行事は神事として八坂神社がおこなう神輿渡御と、
祭事として氏子である山鉾町が行う(神輿の歓迎行事が独立したもの)
山鉾巡行とが7月1日から1ケ月に亘り行われる我が国最大のお祭りです。

この祇園祭りの、山鉾は国の重要有形文化財に、山鉾行事は重要無形文化財
に指定され昨年にはユネスコの無形世界遺産に指定されました。

神輿 神輿2

現在3基の神輿は八坂神社に納められていて17日の午後4時から
(神幸祭り)3基にご神祭である素戔鳴尊、櫛稲田姫命、八柱御子神をお移し
して四条の御旅所にとどまり、24日にお帰りになる(還幸祭)が行われます。

7月1日の吉符入り式に始まり、2日の籤取り式、10日の神輿洗い、鉾組み立て
鉾の引き初めが行われております。

        八坂神社

久世稚児 稚児2

そして今日13日は長刀鉾の稚児と久世稚児の社参の儀がおこなわれました。
相変わらずの雨でしたが可愛い2人の神のお使いとなる稚児が八坂神社に
お参りをいたします。

久世駒形稚児は祇園祭の神事である神幸祭り、還幸祭りの神輿の中御座の先導を
する神のお使いの役割を担います。

生憎の雨でしたが、金の烏帽子に狩衣姿でしっかり歩いて神事に臨みました。
八坂神社で「杉守り」を拝受して神の使者となり大役に臨みます。

14日からは駒形提灯に火がともされ宵山の16日まで多くの方で賑わい
巡行でクライマックスをむかえますが、その後も神事は31日まで続きます。
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陶器供養・陶器市
2010 / 07 / 10 ( Sat )
陶器供養・陶器市(千本釈迦堂)

千本釈迦堂

蒸し暑い京の夏の風物詩、陶器市が毎年8月には五条坂で開催されますが
千本釈迦堂(大報恩寺)でも7月9日から12日まで開催されています。
もう今年で49回目を迎えるそうです。


        陶器供養


陶器供養は梅雨の中休みの今日10日の午後2時からおこなわれました。
この陶器供養は単に陶器の供養をするのではなく日常食事をするには、
器が必要となり我々の生活になくてはならない全ての物にも感謝をする
という気持ちから陶器供養を行うとご住職は説いておられました。

又最近は急須でお茶を入れることがだんだん少なくなってきた。
急須でお茶をいれるより、より簡単なぺットボトルのお茶を飲むように
なり、日常生活が変わってきている。
”茶柱が立った”今日はいいことがあるかな?等と生活の中に潤いを
感じ取ることがなくなってきている。
こうした日常の生活をもっと大切にしたいものだ、とも説いておられました。

確かに忙しい日々の中ではより簡易で便利なものを求めてしまいますが、
急須で入れたお茶には馥郁とした香りと、甘いお茶の味わいを楽しむ
事ができます。そこには気持ちの落ち着きと癒しを感じます。
日本の良き文化を受け継ぎ、伝えて行きたいものです。


陶器市 陶器市2

千本釈迦堂では全国陶友連合会の方々が14店出店されていて、五条坂より
規模は小さいながらも ”3枚買ってくれたらまけとくで” などと値段交渉されて、
お目当ての品を選んでおられ賑わっていました。
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御手洗祭・七夕祭
2010 / 07 / 07 ( Wed )
御手洗祭・七夕祭(北野天満宮)

北野天満宮

菅原道真公の七夕にちなんだ御歌

 ひこ星の行(ゆき)あひをまつ かささぎの 渡せる橋を われにかさなむ

とよまれたことにちなみ、北野天満宮では御手洗祭・棚機祭(七夕祭)
毎年7月7日の午前10時から執り行われています。

神前に道真公が愛用されたという「松風の硯」や角盥、水差し、梶の葉を7枚
季節の野菜(茄子、胡瓜、まくわ等)、素麺、御手洗団子などをお供えして
季節の節目(五節句)に当たり無病息災を祈願いたします。

本来北野天満宮では我が国の機織りの祖神である天棚機姫神(あめのたなばた
ひめのかみ)をお祭りする行事として「棚機祭」が行われてまいりました。

この天満宮のある辺りは西陣の町中で七夕信仰は根強く「天神様の七夕」
として庶民に親しまれ行われてきたもだと言われております。

七夕飾り2   七夕飾り

境内に笹の葉に七夕飾りがつるされ風になびいています。

御遊戯2

境内の中ノ森広場では午後1時30分から五色の短冊に子供たちが思い思いに
願い事を書いた35本の笹飾りが臨時の祭壇周辺にたてられ、学区内の幼稚
園児が可愛いゆかたを着せてもらって神職の見守る中、七夕の歌を歌ったり、
お遊戯を奉納してくれます。
いつまでも健やかでこの純真な心がまっすぐ育つことをいのりました。

このような御手洗祭は下鴨神社でも、貴船神社(水祭り)でも行われております。
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千本えんま堂(引接寺)
2010 / 07 / 06 ( Tue )
風まつり(千本えんま堂)

風まつり

京は千本通寺の内上るにある千本えんま堂(引接寺)で今 "風まつり"が
行われています。

    梶の葉

風祭りは 梶の葉祈願 として、七夕の頃梶の葉に願い事を書いて
えんま大王に祈願をするというもの

その昔小野篁がこの辺りを平安三大葬送の地の一つとした蓮台野に当り
篁はこの世とあの世を行き来していたことにより、その篁に七夕の頃に
願いを書いて祈願するとして梶の葉の祈願を5,6年前から始められた
そうです。

先日萬亀楼でもお料理に添えられて供された ”かじの葉”

かじの葉はクワ科・コウゾ属で古代から神にささげる神木として尊ばれ、
神事に用いるお供え物の敷物としても用いられてまいりました。

特に平安時代から七夕にこのかじの葉裏に文字を書き願いを
してきたようです。
宮中では七夕飾りや冷泉家に伝わる「乞巧奠」(陰暦7月7日の七夕の儀式)
には牽牛と織姫に種々のお供え物をし、蹴鞠、雅楽、和歌などを手向けて
その技が向上すよように願いました。

今は子供中心の行事として、七夕の行事は笹に短冊をつけていろいろな願いを
いたしますがその思い出は清い思い出としていつまでも心に残るのはいつの時代
も変わらないものです。
折しも明日は五節句の一つ七夕の日にあたります。

風鈴

千本えんま堂ではこのかじの葉に願懸けをし、えんま様に祈願のお参りをし、
その後 ”聞香”を楽しむという行事が7月16日まで午後6時30分から行われて
います。(祈願料と聞香の費用として1000円)
同時に風鈴供養も行われています。
夏の風物詩、風鈴の音は蒸し暑い京の夏を涼やかな音で和らげてくれます。

千本えんま堂(引接寺)については2010年2月2日の節分会で御紹介していますので
そちらをご参照ください。
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萬亀楼
2010 / 07 / 02 ( Fri )
有職料理 萬亀楼

暖簾

京は堀川下長者町の西側、猪熊通出水上るに ”有職料理 萬亀楼”
あります。

享保7年(1722年)初代は「萬屋」として造り酒屋から始まり
1780年天明の飢饉でお米が不足し、酒屋から茶店を営むようになり
屋号を「萬亀楼」とされたという老舗の料亭であります。

有職料理を継承される料亭としてもその名を知ることが出来ますが
同時に生間流の式包丁も継承されておられます。

巻物

萬亀楼に残されている巻物や古文書などを拝見し、
寛永3年徳川家光が二条城で御水尾天皇の御成行事の際に出された
料理の献立表が残されていて、その料理人の中に生間流が選ばれた
と当代御主人から御説明をお聞きしました。
その献立の数は非常に多く、お菓子の中には羊羹やかすてら等も含まれて
いたようです。

有職料理1

有職料理とは南北朝から室町時代より政治の実権が公家から武家に移り、
武家の饗応料理として本膳料理が確立していった
朝廷や節会などで供された本膳料理である雅な料理が有職料理であります。

式包丁 式包丁 重陽

式包丁は平安時代より宮中で行われてきた、節会やおめでたい日の食の儀式
で、そのいでたちは烏帽子に狩衣、袴姿で俎板の上の魚や鳥には一切手を触
れず包丁とお俎箸だけで瑞祥のめでたい形に切り分けるというものです。
京の都に残されている唯一の生間流をこの萬亀楼さんが継承されておられます。
今日は重陽の節会の姿を御披露いただきました。

その萬亀楼さんで今回は竹籠弁当を戴きました。

胡麻豆腐 御造り
胡麻豆腐                 お造り(鯛、鰹、貝割れの葛固め)
 
竹かご 吸い物
竹籠(上の葉はかじの葉・・この葉に     竹籠には19種類お料理が盛り
 昔は文を書いて送ったと言われている    こまれています。
 そうです。特に昔は七夕祭にはこのかじ   お吸い物はやはりハモ、とうがん
 の葉に歌を書いてお供えしたそうです。   卵豆腐
 又、古代から神事に捧げる神木と
 しても尊ばれたと伝えられております。
 そんな心憎い演出はさすがに老舗の心遣いです。


ほたてご飯 フルーツ
ホタテの蒸しご飯         水ものはマンゴのゼリーよせ、さくらんぼ

お料理は素材のもつ味をいかした、見て楽しみ、味わって楽しみ
その後味でしっかり味わうとても美味しいお料理でした。

萬亀楼さんへは事前予約をお昼の竹籠弁当6,325円(税・サ込)から
有職料理36,225円まであります。 電話075-441-5020です。
式包丁は年数回奉納されています。近くでは7月7日貴船神社の水祭りでも
奉納される予定です。
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