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時代祭
2010 / 10 / 23 ( Sat )
時代祭(行在所祭)

今を遡ること千二百年前延暦13年に桓武天皇が京に都を遷されてより
明治に至るまで政治・経済・文化の中心として栄えて参りました。
その京の都に桓武天皇のご遺徳とその神霊をおまつりしようと先人は
明治28年に平安神宮を創建いたしました。

その平安神宮に明治期の幕末動乱を経て、明治維新の礎を築かれた
孝明天皇を昭和15年に合祀されました。

平安遷都1100年と平安神宮の創建を記念して明治28年から毎年10月22日に
時代祭が京の都で行われております。

その時代祭りは時代絵巻を表した時代行列だけではないのです。

行在所祭り3

    行在所祭り2

御供え物 献花
                       大原女による献花

当日午前8時から神幸祭として2基の鳳輦に桓武天皇・孝明天皇の御神霊を
移して平安神宮から400人の行列をなして、京都御苑迄お運びし、
建礼門の前で午前10時30分から行在所祭という神事が行われます。
あまり知られていないこの神事も重要な時代祭りの行事であります。

2基の鳳輦が安置され、宮司様はじめ神官の方々、時代祭りの関係の方々が
参列され、2柱のご神霊に対して拝礼・祝詞・お供え・献花などの儀式が行われた
後、時代行列が時代考証をなされた豪華絢爛な時代装束を纏って
京都御苑から平安神宮までなされます。

今年もお天気に恵まれ多くの方々に見守られながら豪華絢爛な時代絵巻が
繰り広げられました。
今回は時代祭りの神事である行在所祭りをご紹介いたします。
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00 : 11 : 28 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
今熊野観音寺
2010 / 10 / 21 ( Thu )
西国第十五番霊場 今熊野観音寺

橋 門

京の泉涌寺の境内に入って山手を上っていく途中に赤い橋(鳥居橋)が架かって
いて、その橋を渡ったところに泉涌寺の塔頭今熊野観音寺があります。

平安時代(825年頃)嵯峨天皇の勅願により弘法大師によって創建されました。
ご本尊は弘法大師作が熊野権現より授かった観音像を胎内仏として自ら彫刻された
と言われております十一面観音菩薩さまです。

後白河法皇はこの観音寺を深く信仰され新那智山 今熊野観音寺と称され、
西国十五番霊場厄除け開運の寺として親しまれております。

          子まもり大師

門を入ったら先ず子まもり大師像がお出迎えしてくれます。
子供の健康・学業成就・諸芸上達を祈願して石段をあがると本堂が見えます。

         本堂 

本堂の地は弘法大師が熊野権現とお出合いになった神聖なる地に当たるそうです。
正徳2年(1712年)宗恕祖元律師によって創建されたものと伝えられております。
歴史の重みを感じさせてくれる佇まいで心が落ち着く感じがいたします。


大師堂 ぼけ封じ観音

本堂の左手には弘法大師をお祀りされている大師堂があります。
ここでは護摩法要や修行僧の修行などが行われております。
大師堂の前にぼけ封じ観音様が立たれていて、ぼけ封じの身代わり石仏として
信仰を集めています。

医聖堂 熊野権現社 

山手には医聖堂という平安様式の多宝塔が見えます。
医学界で貢献された方々がお祀りされているようです。
又末社として熊野権現社がお祀りされていて、新熊野神社との関係も深いようです。

五智水 紅葉

本堂の前には「五智水」と名付けられた霊泉が湧き出ております。
弘法大師が熊野権現の指示に従って観音様をお祀りするにふさわしい場所選びを
しているときに錫杖で岩根とうたれると霊泉が湧き出たといわれ今日まで枯れる
ことなく湧き出ていると言われております。

又境内には藤原三代(藤原忠通、九条兼実、慈円僧正)の供養塔や、地蔵堂
書院、大講堂など広い優美な伽藍が構えられております。

11月下旬には境内の紅葉祭りが行われます。そろそろ色づき始めたところも
見られます。

今熊野観音寺へは京阪・JR東福寺駅下車徒歩15分、市バス207泉涌寺道下車
徒歩10分です。
 
12 : 17 : 41 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
建勲神社
2010 / 10 / 19 ( Tue )
建勲神社の船岡大祭

階段 神石

京の北、千本北大路の東南の辺りに標高45m の小さな山、”船岡山”があります。
この山は千二百年前京に都が定められる時、四神相応の地の玄武に当たり
龍気がみなぎり、大地の気がほとばしり溢れる山であるといわれ、玄武大明神
が祀られてまいりました。

   本殿2

その船岡山に建勲神社があります。京の都では「けんくんじんじゃ」として
親しまれておりますが、正式には「たけいさおじんじゃ」と呼びます。
 
ご祭神は織田信長公と織田信忠卿をお祀りされています。

天正10年(1582年)本能寺の変の後、豊臣秀吉が正親町天皇(おおぎまちてんのう)
の勅許を得て、船岡山を信長公の霊地と定めたことに始まると言われております。

明治2年、明治天皇の命により織田信長公を祭神とした神社を創建し、
建勲神社の神名を賜り、明治8年には別格官幣社に列し、船岡山に社殿を創建
したものと伝えられております。

その織田信長公が桶狭間の戦いで少数の兵を持って大軍の今川義元を破って
から今年が450年目に当たります。
信長公の戦法は後々の幾多の兵法に活用されたり、信長公の人物像が脚色され
映画や小説にしばしば登場して参りました。

    本殿

御祓い2

     お供え物 

その信長公の功績を後世に伝えようと永禄11年10月19日に信長公上洛の日を祭日
として船岡大祭が毎年行われております。

今日も秋晴れの下、午前11時から織田信長公直径の織田のぶたか氏も参列され
厳かに神事が行われました。

仕舞 敦盛 仕舞 田村-2
 

お祓いの儀、お供え物の儀、宮司さんの祝詞の儀等の後、金剛流による
仕舞「敦盛」(人間50年下天の内にくらぶれば」と信長公が舞われたもの)
「田村」が舞われました。

舞楽 胡蝶 舞楽-1


舞楽2 舞楽3-1
 

仕舞の後は可愛い童の舞楽「胡蝶」の舞が奉納されました。

建勲神社では毎年7月1日にも本能寺の変に因むお祭りとして例祭が行われて
います。

船岡山は平成7年京都の自然100選にも選ばれ建勲神社から東山、比叡山
と京都市内が眺められ景観の素晴らしいところです。

建勲神社へは地下鉄北大路から市バス206番西回りで建勲神社前下車すぐです。

17 : 24 : 11 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
新熊野神社
2010 / 10 / 16 ( Sat )
ご鎮座 850年祭 新熊野神社

鳥居 本殿

京の都、東山七条を南へ進むと新熊野神社(いまくまのじんじゃ)があります。
平安時代末期、永暦元年(1160年)後白河上皇によって創建されたものです。
ご祭神は熊野牟須美大神(別名イザナミ命)

後白河上皇が1158年退位された後お住まいとされた「法住院」の鎮守社として
紀州熊野権現本宮の祭神を勧請し創建されたのが新熊野神社で、鎮守寺として
創建されたのが三十三間堂であるといわれております。

新熊野神社をいまくまのと読むのは、紀州の古い熊野に対する京の新しい熊野
として当時の都人の人々が信仰していたことに由来するようです。

850年祭 神楽

その新熊野神社で今日は創建850年祭がおこなわれました。
本殿では神事や平家琵琶、巫女舞などが奉納されました。

大樟 ご神木

曼荼羅図 曼荼羅図2

曼荼羅3 曼荼羅4

曼荼羅5 後白河法皇坐像

当神社では今回の850年祭を記念して今一度信仰の原点に戻るという意味から、
神社創建当時からの御神木である「影向の大樟(ようごうのおおくすのき)
の一部を使って熊野本宮八葉曼荼羅に描かれている神々を彫って神仏集合の
木像がつくられ、神社裏手を熊野古道とみたて夫々安置されました。

その木造の入魂の儀式の後、ホラ貝の音とともに渡り初めが聖護院山伏を
先頭におこなわれました。

能楽発祥碑

また当神社は能楽発祥の地であるともいわれております。
文中3年(1374年)能楽の大成者世阿弥がまだ藤若丸と称していたころ、
父の観世清次と共に大和猿楽結崎座を率いて勧進協業を行っていたところ
室町幕府第三代将軍義満がその至芸に感激し、二人を同朋衆に加え
親子を夫々観阿弥、世阿弥と名乗らせたのが機縁であるといわれております。

時の将軍から援助を受けた世阿弥はその後猿楽の芸術性を高め今日の能楽
に大成させたと
伝えられ、その碑が境内に建てられております。

弁財天 大樟さんのさすり木

御神木影向の大樟は神仏が現れるといわれ樟龍弁財天として信仰されて
います。そのご神木は樹齢900年の老木でありながら現在もまだ成長を続けて
いるところから「健康長寿、病魔退散」「お腹の神様」として参拝者は
さすり木をさすり御利益を得ています。

新熊野神社へは京都駅から市バス208番 今熊野下車すぐです。
19 : 06 : 17 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
上七軒 寿会
2010 / 10 / 13 ( Wed )
上七軒 寿会

お茶屋 玄関 

京の都の五花街(祇園甲部・祇園東・先斗町・宮川町・上七軒)の一つ、
上七軒は室町時代、北野天満宮の修造の際廃材を使って東門前の松原に
七軒の茶屋を建て参拝者の休憩所とし、「七軒茶屋」と呼ばれたのが始
まりで、五花街では最も歴史のある茶屋街として知られております。

その上七軒の芸・舞妓さんが日頃研鑽を重ねている芸・舞の披露をされる
上七軒歌舞練場が北野天満宮の東門を出たところにあります。


庭園 橋2

明治30年代に建設された上七軒歌舞練場は玄関から庭園の池を橋で渡す
京でも数少ない神殿造りで落ち着いた雰囲気のある歌舞練場です。
近年耐震問題もあり修復工事が行われておりましたが、漸く修復が完成
し、秋の寿会が14日から18日まで開催されます。

玄関2 寿会

その開催に先立ち今日13日は一足早く前夜祭が開催されました。

   どんちょ

初々しい舞妓さんによる長唄「新鹿の子」で幕開けされ、
若手芸妓さんの長唄「百千鳥」「紅葉笠」「江戸風流」や上七軒の
重鎮芸妓さんによる奏風楽「海と空」・・海と空が覇権をかけて争い
続けるという勇壮な舞やちょっとコミカルな常盤津「釣り女」等が披露
されました。

艶やかな衣装に舞台装置とライトの煌めきは芸・舞妓さんの手先の指にまで
神経を張り詰めた美しさがにじみ出て、心行くまで味わうことができました。

ビアガーデン

こちらの上七軒では夏は(7月~9月)ビアガーデンが開催され毎日芸・舞妓さん
が各席を廻ってこられ真近で芸・舞妓さんといろいろなお話ができます。
来年はぜひ訪れてみては如何でしょうか。
23 : 40 : 02 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
粟田神社大祭
2010 / 10 / 11 ( Mon )
粟田神社大祭

標 鳥居

京は東山、華頂山中腹に粟田神社があります。
この粟田神社の石段下は東山の三条通りで、豊臣秀吉が京を守る土塀「お土居」
をつくりそのお土居に七つの入り口を造ったその京の七口の一つ「粟田口」に
あたります。
往来の主要な旧東海道、東山道にある粟田神社は京を行き来する人々の旅の安全
を祈願する守護神として崇められてまいりました。
もとは感神院新宮とも粟田天王社とも呼ばれていたそうですが、明治初年に粟田神社
と呼ばれるようになったようです。

ご祭神は建速素盞鳴命、大己貴命他十一柱
貞観18年(867年)清和天皇へ疫病の流行が奏上され、天皇の勅をえて勅使藤原興世
が祇園社(八坂神社)に七日間祈願された。
その満願の夜夢枕に老翁が「帝都の東祇園の東北に牛頭天皇素盞鳴命に縁の地あり、
その地に我を祭れば必ず国家と民は安全なり。我は大己貴命なり」と告げられて
消えられた。興世はこれを神意と奏上し、勅命をえてこの地に社を建て御霊をお祭
りしたのが始まりとも、粟田氏の氏神として創建されたとも伝えられております。

粟田神社の例祭「粟田大祭」が10月9日、10日(体育の日)・15日と行われています。


本殿

本殿は文政6年(1823年)に再建された三間社流造で平成8年京都市有形文化財に指定
されています。

神事1 

10日世渡り神事が行われ
今日11日は本殿から粟田大祭のお神輿に御霊遷しの神事が行われ神幸祭りが
始まります。

この粟田大祭は千年の歴史を有すると言われております。
平安末期、白河天皇の頃東山山腹にある瓜生石の内部より現れたという
「感神新宮」という額を同宮に奉納し祭りを行ったのが起源とも言われて
おります。
又、室町時代には祇園祭りが斉行できないときはこの祭りを祇園御霊会の
変わりとしたと伝えられております。
神輿渡御の露払いを努める剣鉾は祇園祭の鉾の原型とも言われております。


剣鉾6 剣鉾5

神輿渡御の行く道を祓い清める剣鉾は長さ約8メートル、重さ約30kg
から60Kgもあり、それを一人で建てる、力も技術も必要な大仕事です。
この剣鉾を建てることを「差す」というのだそうです。

鉾差しを努める方々は剣鉾奉賛会の方々で、毎月6回くらい稽古をして、
歩くだけで半年、鉾の上の鈴をチロリン チロリンと鳴らすには3年を
要すると話して下さいました。
今日は晴天の下軽やかな、えも言われぬ心地よい音色を奏でていました。

    剣鉾7

剣鉾には夫々に工夫をこらした懸装品がつけられていて、伝統的な祭具で
美術工芸の要素を持つ素晴らしい装飾が施されております。


剣鉾奉賛会 剣鉾1

剣鉾奉賛会の方々は現在26人位おられ、その技術を継承されております。
お腹の帯で剣鉾の下を入れ身体全体でバランスを取って差すのだそうです。

出し物

大燈呂は平成20年に約百八十年振りに京都造形短期大学の生徒さんによって
復活されたものだそうです。


神輿

露祓いの後を御神霊が遷された神輿が ”ホイツト ホイット” と掛け声も
勇ましく氏子の町内を練り歩きます。
ここのお神輿も立派な見ごたえのある神輿です。

15日は例大祭がおこなわれることになっています。
 
16 : 52 : 00 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
第七回 京都映画祭
2010 / 10 / 09 ( Sat )
第七回 京都映画祭

祇園会館

京都映画祭が今年は第七回を迎え10月6日~11日まで開催されています。
今年のテーマは「戦国と幕末のヒーローたち 時代劇が描いた歴史」

6日のオープニングセレモニーは京都会館で佐藤純彌監督と北大路欣也氏
の対談と映画『桜田門外ノ変』や新撰組リアンのコンサート等が行われました。

7日からは祇園会館をメイン会場として、京都シネマや京都文化博物館
京都芸術センターなどでいろいろな催しが行われています。

映写機 舞台

ここ祇園会館は昭和33年に地域の財界、や営業力をもった方々により
建てられた会館で、当初は演劇や発表会の会場として親しまれておりました。
一時はボーリング場もあり、またマハラジャ(ダンス会場)などとしても
若者の人気を集めておりました。

そんな祇園会館は昭和のスタイルを残した映画館でもあります。
3本だてで入替なしの今では懐かしい映画館です。
置かれている映写機は昭和22年の栗山4号というものだそうです。

8日(金)は午前11時から徳川家康、新撰組始末記、利休、御法度
の映画が上映されました。
その間で午後6時から利休に出演された三田佳子さんと映画監督の
中島貞夫さんのトークショー
が繰り広げられました。

利休の映画は勅使河原監督の作品で随所に御花(華道)が採り入れられ
たり、三千家の協力もあり、本物の楽茶碗(数千万円)がつかわれて
いたり、利休が自刃に向かう最後の竹を使ったシーンは時代劇の中でも
素晴らしい演出で改めてストーリー以外にも感動をおぼえました。

当時の撮影のエピソードをトークショーではワダエミさんが衣装担当で、
紙小袖や紙を使った衣装で扱いに大変だったことや、間合いの取り方、
立ち居振る舞いは宗家に行って御稽古をされたこと、メークなどに工夫が
こらされたことなど興味深い裏話を聞くことができました。

芸術センター

シンポジウム

9日は午後2時から京都芸術センター「時代劇の虚構と真実 創作の
秘密を語る」と題して

映画監督 篠田正浩氏、中島貞夫氏、美術監督 西岡善信氏、
脚本家 高田宏冶氏、
司会 映画評論家の山根貞男氏による
シンポジウムが開催されました。

いずれも映画界の巨匠ばかりのお話で2時間があっという間に過ぎました。

お話で、京都はかって都があった地で、日本の伝統芸能(能・狂言・歌舞伎)
が継承されているのみならず、お寺があり、神社があり、時代劇の
製作にはチャンバラ以外の美、歴史の重みがある地である。

西岡氏は利休の映画で茶道の十徳という教えや、美術の本当のねらいを
教わった。野づらという場面は日本人しかできない繊細な場面である。

又諸氏のお話では、時代劇は虚構=真実=事実をどのように具象化するか、
真実をどのように表現するかと努力するところにいい作品が作れる。 

だが真実を知る資料は極わずかで演じる人によって、人物像が変わる。
真実と虚の隙間をねらう(虚実皮膜論)

時代劇はどれが本当かわわからない。殆どが嘘、作られたものであり、
それを自信を持って作らないと映画はつくれない。

等そのほかにもいろいろな裏話を交えながら興味深いシンポジウム
がおこなわれました。

11日にはクロージングパーティーが俳優スタッフの方々も参加され
京都祇園ホテルで(3,500円)開催される予定です。
映画ファンにとっては京都ならではのとても楽しい催しです。
21 : 23 : 24 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
瑞饋祭 北野天満宮
2010 / 10 / 01 ( Fri )
瑞饋祭 北野天満宮

芋茎神輿3

芋茎 芋茎神輿2

芋茎神輿


京の秋祭りの先陣をきって今日は北野天満宮の瑞饋祭が行われました。
このお祭りは10月1日~5日まで5日間にわたって行われます。

かって平安時代、西之京神人(じにん)が五穀豊穣を感謝し、そのお礼と
して収穫した新穀、野菜、果実などに草花を飾り付け菅原道真公の神前に
お供えしたのが始まりと伝えられております。

この瑞饋神輿は里芋の茎である「芋苗英(いもずいき)」で屋根が葺かれ
ていることからその名がつけられました。

その他の柱や櫻絡など全て野菜や湯葉、麩などを用いていて、毎年新しく
趣向をこらして造られます。

応仁の乱により一時途絶えたものの、西之京の神人の努力により
1607年には里芋の茎で屋根をふく神輿ができ、1625年には巡行を行う
ようになり、1802年の道真公900年祭には現在の唐破風四方千木型という
神輿が造られ最盛期には八基にも及んだほど賑わいをみせておりました。

明治時代になって神幸祭(神様が氏子区域を巡行する祭)が取り入れられ
現在の瑞饋祭の形となりました。

この瑞饋神輿は1日~4日まで天満宮の御旅所に安置され、4日の還幸祭に
「おいでまつり」として(大宰府で御隠れになった菅原道真公の御霊が神様
として初めて北野においでになるというご鎮座の由来を再現する)巡行し
北野天満宮に奉納されます。

行列1 行列2

行列3 行列4-1

行列5 行列6

行列7

1日の今日は神幸祭で午後1時から北野天満宮の一の鳥居から
獅子を先頭に導山、梅鉾、松鉾、錦蓋、稚児、鳳輩などのお練りが
秋空の下行われました。午後4時からは御旅所で着御祭が行われました。
18 : 34 : 45 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
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