嵯峨野の秋
2010 / 11 / 30 ( Tue )
壇林寺

祇王寺の北側にこちらも紅葉がすばらしい壇林寺があります。

標識 門

壇林寺は平安時代の初めに嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(壇林皇后)(786~850年)が
嵯峨野に営んだお寺といわれております。
京都で最初に禅を講じたた寺ともいわれております。

壇林皇后は承和年間(834~848年)禅僧の招聘を企画し、南宗禅義空を招聘、開山
としたが、壇林皇后没後衰え平安中期には廃絶となったようです。

その後東寺郷の松森家が壇林皇后の遺品および伝来の寺宝を集め浄財を献じて
再建されたと記されております。

本堂 鶴

本堂は法宝閣造りといわれ屋根は三層になり頂峰には鶴がとまり天空に経文を
唱えている姿であるといわれております。

本堂須弥壇には壇林皇后を型どった推胝仏母尊などゆかりの作品が展示されています。

       紅葉3

紅葉1 紅葉2

境内は紅葉真っ盛りで見事に色づいておりました。
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嵯峨野の秋
2010 / 11 / 30 ( Tue )
祇王寺

二尊院からさらに奥嵯峨へと歩を進めると祇王寺に参ります。
祇王寺真言宗で大覚寺の塔頭にあたります。 ご本尊は大日如来。

標式 門 

昔はこの祇王寺辺りは往生院という法然上人の弟子で良鎮によって開創された
お寺があって、小倉山上から山下に及ぶ広大な地域を占めていたようですが、
いつの頃からか廃れて尼寺となっていたようです。
この尼寺の墓地に祇王、祇女の名が刻まれた碑と木像があったと伝えられております。

その尼寺も明治初年になって廃寺となってしまいました。
廃寺となった後、碑と木像は旧地頭大覚寺に保管されておりました。

大覚寺の門跡楠玉諦師はこれを惜しみ再建を計画されていた時、明治28年
当時の知事北垣国道氏が祇王の話を聞き、嵯峨にある別荘を寄付され現在の
祇王寺が再建されたと記されております。

       庭園

祇王・祇女の物語は平家物語に出てまいります。
「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、聖者必衰の
ことわりをあらわす・・・・」と栄誉栄華を極めた平家の時代の悲哀な女性
の物語。

近江の国に生まれ父の罪により北陸に流された後、京都にでて白拍子となった
祇王、祇女の姉妹が平清盛の寵愛を受けて幸せな暮らしを得ていた。

そんなある時加賀の国の仏御前と呼ばれる白拍子が清盛公に舞を御目にかけたい
と申し出たが、清盛公は祇王・祇女がおり願いは叶わぬと門前払いをしたが、
祇王のとりなしで願いが叶い今様を歌ったところ清盛公に大層気に入られ、
仏御前に気を取られてしまい、祇王は館から追い出されてしまいました。

祇王は「萌えいづるも 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋にあわではつべき」
と障子に書き残し館から去っていきました。
館を出た祇王・祇女と母の刀自の三人は嵯峨の奥祇王寺の仏門に入りました。

祇王寺に入り念仏を唱える毎日を送っていた処へ、仏御前が訪れ、祇王の残した
歌を詠むにつれ世の無常を感じ、館をでて尼になりこの祇王寺へと参ったことを
告げ、祇王・祇女・刀自と共に祇王寺で仏前に香華を供え、念仏にはげみ、往生
した。といわれる物語の謂れの祇王寺です。

庭2 庭3

祇王寺の四季は春は鶯の鳴き声と新緑と苔の青さが一段ときれいですが、
やはり紅葉の秋が一番です。

通り道に苔の庭に草屋根に降り積もった赤や黄の落ち葉がかさなって一服の
絵のようです。

吉野窓 吉野窓2

丸くくられた窓は「吉野窓」といわれ、障子の奥から差し込む光が影をなし
四季折々の虹のような影絵を表すところから「虹の窓」ともいわれています。

       清盛公供養塔

境内には鎌倉時代の作とされる清盛公と祇王の供養塔があり、祇王・祇女・
母刀自のお墓も残されております。

鄙びた、かっての悲哀な女性が偲ばれる思いで深いお寺です。
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嵯峨野の秋
2010 / 11 / 27 ( Sat )
二尊院

小倉山の東麓に二尊院があります。

この辺りは常寂光寺から二尊院、滝口寺、祇王寺と続いて紅葉の名所が点在して
いて、春の桜、新緑、秋の紅葉と多くの観光客が訪れるところです。

二尊院は天台宗で山号は小倉山、正しくは「小倉山二尊教院華台寺」といいますが
ご本尊に釈迦如来と阿弥陀如来の二尊をお祀りするところから寺名を二尊院と呼
ばれています。

嵯峨天皇の勅願により慈覚大師が承和年間(834年~847年)に開山したと
いわれております。

お釈迦様は人が誕生して人生の旅路に出発するときに送り出して下さる
「発遣の釈迦」、阿弥陀様はその人が寿命をまっとうしたときに極楽浄土
よりお迎えくださる「来迎の弥陀」と説かれているそうです。

この二尊は重要文化財に指定されております。

門  門2

まず総門から参道へ続く紅葉の鮮やかな色が目に飛び込んでまいります。
この総門は豪商角倉了以が伏見城の「薬医門」を慶長18年(1613年)に移築した
ものと言われております。

紅葉1 紅葉2

門をくぐると参道の両側に枝が伸びてまさに紅葉のトンネルのようです。
この辺りを「紅葉の馬場」といわれております。

紅葉3 紅葉4

応仁の乱によりここも諸堂が焼失してしまい、本堂唐門(勅使門)は約30年後
に再建されたようです。
この勅使門に掲げられている「小倉山」は後柏原天皇の勅額だそうです。

本堂 勅額

本堂は京都御所の紫宸殿を模して造られ、内陣も内裏のお内仏と同様に造られ
外陣の床はうぐいす張りとなっています。
本堂正面の「二尊院」は後奈良天皇の勅額だそうです。
明治維新までは天皇名代として勅使が参詣され御所の仏事も行われ、公家方との
交流も盛んであったようです。
現在も旧摂関家や角倉家の菩提寺となっているようです。

角倉了以銅像 紅葉5

境内には角倉了以の銅像が紅葉真っ盛りのなかに建てられております。

梵鐘 小倉あん発祥の地

こちらの梵鐘は「しあわせの鐘」として世界平和を願い参拝者が自由に撞く
ことができます。初代の鐘は慶長9年(1604年)のものだそうですが現在のは
平成4年につくられたものだそうです。

また小倉山は小倉餡の発祥地ともいわれ、京のお菓子の老舗が顕彰碑を建てら
れております。

八社の宮

八社の宮は室町時代に造られたもので京都市の有形指定文化財となつております。
かなり老朽化し、お社の上から被いがかけられております。

丁度今日の紅葉模様がニュースステーションで放映されました。
ライトアップされた紅葉が映像で流れ、またお昼とは風景が変わって荘厳さが
映し出されておりました。
18 : 55 : 09 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
嵯峨野の秋
2010 / 11 / 27 ( Sat )
常寂光寺

嵯峨の大河内山荘から北へほどなくいくと常寂光寺が見えてまいります。
日蓮宗で山号は小倉山、御本尊は十界大曼荼羅。
文禄4年(1595年)本圀寺の十六世日上人がこの地に隠棲し、
常寂光寺を開創されたのが始まりといわれております。

常寂光寺の寺名は小倉山の清閑な地に常寂光土の趣きを持つことに由来すると
いわれております。

藤原定家の歌に「忍ばれむ物ともなしに小倉山軒端の松ぞなれてひさしき」と
うたわれたことから「軒端寺」とも呼ばれているそうです。

門 門2

墨色をした門は江戸後期の作ともいわれ閉門後も格子の間から中が見える開放的
な門となっています。

紅葉1 本堂

仁王門はもとは本圀寺の南門として貞和年間(1345年~49年)に建立されたもの
とされ、境内の建物の中では一番古いものだそうです。
茅葺の屋根が特徴で、中の仁王門像は足腰に御利益があるといわれ地元の人々は
わらじを奉納して祈願に訪れます。

本堂は小早川秀秋の助力を得て桃山城の客殿を移築して本堂とされたもので
建立は慶長年間だそうです。


紅葉2 紅葉4

多宝塔は元和6年の建立で京都町衆が大旦那として献じられたものだそうで、
当時の京都町衆の財力が忍ばれております。今では重要文化財となっております。

紅葉3 紅葉5

燃え立つような紅葉が、色鮮やかで格子の間からも、境内の秋模様が感じられ
見事な景色を堪能することが出来ます。

妙見菩薩縁起

妙見菩薩がまつられています。
妙見菩薩とは北極星または北斗を象徴した菩薩様だそうで、よく国土を擁護し、
人の死を除き生を定め福を増すと説かれております。

鄙びた佇まいを今は紅葉が一段と鮮やかで華やかさを醸しております。
嵯峨野の素晴らしいお寺です。
17 : 17 : 41 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
嵯峨野の秋
2010 / 11 / 26 ( Fri )
大河内山荘

嵯峨野の小倉山の南面に往年の時代劇で大スターだった大河内傳次郎の
別荘大河内山荘が今も残されています。

大河内山荘は大河内傳次郎が(1989年~1962年)昭和6年(34歳)から64歳で逝去される
までの間その財力でもって約30年間にわたって作り上げられた素晴らしい庭園です。

門 庭1

門を入ると目の前に広大なお庭が飛び込んできます。
今は紅葉の色鮮やかさで感嘆の声を上げてしまうくらい素晴らしいです。


庭2 門2

中門から山伝いにあがっていくと光が当たる先端から紅葉が次第に真っ赤に
色づき、その色も次第に鮮明さを増します。
お庭は回遊式借景庭園となっていて秋はことのほか楓、桜、紅葉が松や苔の青さに
映えそれは見事なコントラストです。

紅葉1 香月亭

香月の茶室からも色づきを増した紅葉を眺めることができます。

紅葉2 宝物館

中腹に持仏堂があり、この山荘の始まりはこの持仏堂からであったそうです。
27歳の時関東大震災に遭遇してから持仏堂を持つことを念願としていたとか、

撮影の合間をみては持仏堂にこもり、瞑想し、静寂を求めて映画作りに励んだ
と記されております。
まさに禅の心をもって仕事にも生活にも励まれたようです。
故にいつまでも名声を残す俳優であられたのですね。

紅葉3 大乗閣からの眺め

一番高いところには大乗閣があり、ここからは眼下に東山から比叡山を眺める
ことができます。

     嵐山

その反対からは嵐山から保津川の眺めとまさにパノラマの光景です。

     抹茶

大河内山荘は国の指定文化財にも指定されております。
毎年この時期は多くの観光客で賑わいます。
抹茶席を含めて1,000円ではいることができます。

圧巻の秋の嵯峨野です。 
 
17 : 54 : 12 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
嵯峨野の秋
2010 / 11 / 25 ( Thu )
野宮神社(ののみやじんじゃ)


鳥居 本殿 

嵐山の大通りから竹林を通っていくとまず野宮神社が見えて参ります。

かっては伊勢の神宮に奉仕する内親王が潔斎のために居住された跡といわれ
天照大神をお祀りされている神社です。

斎宮に立たれる内親王はまず皇居内の社斎院で一年余り潔斎されてから、
この野宮神社に移られ、三年間の潔斎後伊勢に向かわれたようで、その時の
行列を「斎王群行」と呼ばれ、この野宮神社では毎年10月の例祭で「斎宮行列」を行い当時の様子を再現されています。

野宮は源氏物語の「賢木」の巻にも現れ、謡曲、和歌などにも謡われております。

野宮神社の鳥居は「黒木の鳥居」と呼ばれ、樹皮のついたまま建てられ、
極めて原始的な日本最古のものであると言われております。
材質は「くぬき」が使われております。

鳥居の両袖に「くろもじ」が使われた「小柴垣」が特徴となっております。

灯籠 手水鉢

手水鉢は非常に大きな石が使われて年代を感じさせるものです。
又庭園の苔は「野宮じゅうたん苔」といわれ非常に細かな苔です。

     子だから

また野宮神社は縁結びの神様ともいわれ、本殿横の大黒天にお参りし、
隣のお亀石をさすると願いが叶うなどともいわれております。

紅葉 紅葉2

紅葉も丁度見ごろを迎え、weekdayにもかかわらず大勢の観光客が訪れ
お参りをされていました。

野宮神社へは京福電鉄、嵐山駅から徒歩10分くらいです。
19 : 35 : 08 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
洛中・洛外紅葉模様
2010 / 11 / 19 ( Fri )
洛北 栖賢寺

上高野、国道367号線の大原へ至る、蓮華寺の近くに栖賢寺があります。

門 宝塔

栖賢寺は臨済宗大徳寺派に末寺で、一般観光は受け付けておられなく
修行の道場となっております。

ご本尊は薬師如来。
もともと兵庫県にあった廃寺を移して昭和7年(1932年)に建立されたようです。
高台にあってお隣には崇道神社があり、清閑なところにあります。
地元の方々と繋がりも深いようで、お寺までの道も細く暮らしの生きづいた道を
通って入ります。

しかし一般公開はされてないため、静かにお参りをするお寺です。
詳細は判りかねますが、木造の「竺堂円瞿坐像(じどうえんくざぞう、南北朝時代)
が平成7年に京都府の指定文化財になったようです。


 
本堂 紅葉2
本堂

     観音堂
     観音堂

紅葉

境内はひっそりとしていて、紅葉が色鮮やかに輝き素晴らしいです光景です。
又観音堂から眺める月はことのほか静寂なこころ洗われる眺めのようです。

静かにお参りし、安らぎを味わうことのできるお寺です。
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洛中・洛外紅葉模様
2010 / 11 / 16 ( Tue )
洛北 蓮華寺

左京区の国際会館にほど近い高野川に沿ったところに蓮華寺があります。

門 通路

天台宗のお寺で帰命山と号し、ご本尊は釈迦如来
もとは西八条塩小路付近にあった浄土宗の古寺で、応仁の乱で荒廃してしまって
いたのを、寛文2年(1662年)加賀前田藩お家老今枝民部近義が祖父今枝重直の
菩提を弔うためにこの地に再興したとあります。

その再興の際に、石川丈山、狩野探幽、木下順庵、黄檗宗の隠元禅師,木庵禅師の方々が再興に協力をされ、関連の文化財が残されています。

門を入ると紅葉が枝をなし、石川丈山の作庭がうかがわれます。


     石仏

門を入った左手には石仏が並んでいます。

蔵

この土壁の蔵は350年前のものだそうです。元々寺小屋として使われていたそうです。
厚い土壁は先人の知恵が詰まっていて蔵の中に大亀をおきその中にお水を
張っておくとどんな大火の時でも中の品物は類焼から護られるといわれています。

庭2 庭1
亀石の右に鶴石               尺飛び石の前に船石

お庭は創建当時のもので池泉回遊式のお庭で鶴石、亀石や尺飛び石、船石
が配してあります。
紅葉には少し早いでしたが、真っ赤に燃えるような紅葉は池に映り、素晴らしい
光景を楽しむことができます。


          蹲

蹲の前にはつわ蕗が咲き誇り紅葉とのコントラストが見事です。

蓮華寺燈籠 仏殿

本堂には金堂釈迦如来坐像が安置され、その脇には15世紀中期の作とされる
螺鈿の厨子の中に不動明王が安置されています。

又、片方の脇には鎌倉時代の木彫りの阿弥陀如来が安置されています。
いずれも螺鈿の細工は緻密で原画は狩野探幽の晩年の作といわれ時代を窺わ
せる素晴らしいものです。

本堂の前には可愛い蓮華寺燈籠が一対おかれています。

紅葉には後1,2週間、最低気温が7度以下になればさらに素晴らしい様相を
みることができます。是非訪れてみたい古刹です。


蓮華寺へは地下鉄京都国際会館より京都バス19番大原行きで土橋下車すぐです。

19 : 01 : 16 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
洛中・洛外紅葉模様
2010 / 11 / 16 ( Tue )
西賀茂の里 大船院西方寺

西賀茂の静かな里、神光院の近くに「大船院西方寺」があります。

       門

浄土宗で来迎山と号し、御本尊は阿弥陀如来。
承和年間(836~848年)に円仁(慈覚大師)によって創建されたとあります。
もとは天台宗に属していましたが、正和年間(1312~1316年)に道空上人が中興
して浄土宗に改められたようです。
この時干菜寺(ほしなでら)の末寺となり、以来干菜寺系の六斎念仏弘道の寺
して知られています。
毎年8月16日の五山の送り火の一つである船形万燈会が点火され、終了後境内で
六斎念仏が行われます。
こちらの六斎念仏は鉦や太鼓を使って念仏を唱える古風なもので、六斎念仏の
古態を今に伝えるものとして、昭和58年には重要無形文化財に指定されています。


     お墓

境内には皇室制度や神道史の研究家として知られるイギリス人のリチャード・
ポンピドー
のお墓や、幕末の歌人太田垣蓮月のお墓、上賀茂神社の祠官
賀茂季鷹、北大路魯山人のお墓などもあります。

        蓮月記念碑 

        紅葉

紅葉も色づき始め静かな西賀茂の里の散策に立ち寄る、隠れた趣深い
お寺です。
17 : 34 : 33 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
洛中・洛外紅葉模様
2010 / 11 / 14 ( Sun )
神光院

西賀茂の神光院町に神光院というお寺があります。

門 弘法大師像

神光院は真言宗の単立寺院でご本尊は弘法大師像。
この大師像は弘法大師が生前自ら刻んだものと伝えられ「厄除け大師」
として知られています。

寺伝から、建保5年(1217年)に上賀茂神社の神主賀茂龍久という方が
「霊光の照らした地に一宇を建立せよ」との神託を受け当寺を創建した
と伝えられているようです。
寺名はその由緒に因み「神光院」と名付けられました。

以後密教の道場として栄えましたが天保年間の火災で焼失しました。
明治11年(1878年)和田月心により再興され今日に至るようです。


中興堂 不動明王
中興堂                    不動明王

庭 紅葉PB130431

紅葉も色鮮やかさを増してきて、喧騒からはなれたひっそりとした
とてもいいお寺です。

境内の茶室は幕末の歌人太田垣蓮月が晩年隠棲していた処で、蓮月はここで
85歳の生涯を閉じたと伝えられております。

この辺りはあまり人が押し寄せることもなく隠れた、静けさの中で紅葉を楽し
めるいいところです。
21 : 49 : 03 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
洛中・洛外紅葉模様
2010 / 11 / 13 ( Sat )
正伝寺

京の北・西賀茂に正伝寺というお寺があります。

門 階段2

正伝寺は臨済宗南禅寺派に属し、山号を吉祥山といいます。
ご本尊は釈迦如来

文永5年(11268年)宋のごつ菴普寧禅師の法をつがれた東巌慧安禅師に
よって創立されました。
寺名はごつ菴が「正伝」の額を掲げたことに由来します。
蒙古襲来の際、慧安が岩清水八幡宮に参詣祈祷した功により亀山天皇から
正伝護国禅寺の寺号を賜ったと伝えられております。
その後、比叡山宗徒に破壊されたが加茂の祠官森経久の援助で現在の地に再興
され諸堂伽藍を造営して後醍醐天皇の祈願所ともなり、壮観を極めてと伝えら
れております。

後、応仁・文明の戦火で焼失してしまいましたが、豊臣秀吉や徳川家康の援助
で再興され一時は塔頭七院があり、隆盛を極めていたようです。
本堂は伏見城の殿舎が移築され重要文化財に指定されているようです。

地蔵尊 葉らじ 

門から竹林を入っていくと小さなお地蔵様がまつられています。
境内は大文字五山のうちの船山のある中で広大な敷地で本堂まで木々が茂り
静寂の中に佇み、漸く紅葉も色づき始めてまいりました。玄関には葉の草履が
揃えられていて何とも趣きがあります。

庭 庭2

お庭は江戸時代初期に小堀遠州によって作庭されたもので「獅子の児渡しの庭」
と呼ばれております。
比叡山を借景とした白砂平庭でさつきの苅込によって七五三を表現した枯山水の
お庭。喧噪から離れた静けさに、心も落ち着き安らぎを覚えるお庭です。
塀越しに紅葉が映えますが、生憎今日は黄砂の影響で比叡山は霞んでしまいました。
後1週間もすれば紅葉も見ごろを迎えることでしょう。
            
         血天井

方丈の前の天井は関ヶ原の戦の直前伏見城に立て籠もった徳川方の重鎮
鳥居彦エ門元忠以下千二百余名がその落城の際割腹をして果てた廊下の
板を天井としたもので「血天井」と呼ばれております。
これらの血痕は専門家の研究によって三百六十八年以前の人間の血液痕
であると証明されたようです。
この痛ましい霊魂に同寺では菩提追善をされているようです。 

梵鐘 梵鐘2

こちらの梵鐘は1700年代に奥田大和藤原正次という方が造られたものであると
刻まれております。
現在では1日、15日、の6時と除夜の鐘のみ下の鐘楼囲いの中に入って撞かれて
いるそうです。

京は西賀茂の隠れた紅葉模様をご紹介いたします。
正伝寺へは京都駅から市バス⑨で神光院下車徒歩10分の所にあります。
18 : 46 : 20 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
美山の里
2010 / 11 / 09 ( Tue )
美山 かやぶきの里

国道162号線を高雄からさらに北に進むと京都府南丹市美山に参ります。
美山は昔の丹波の国で京都と丹波の国の玄関口ともいわる若狭小浜の中間点になります。

由良川(美山川)の清流と谷間のゆるい傾斜の間に小さな集落がみえてきます。
田園風景と山間の風光明媚ところにある集落が「美山のかやぶきの里」です。


     1集落

交流館 かやぶき

2かやぶき 資料館

このかやぶきの家屋は最も古い物は寛政8年(1796年)の建築で、その後
江戸時代に建てられたものが多く、北山型民家に分類さる特徴を持つようです。
入り母屋造りで土間は上げ庭、中央の棟木によって部屋を分ける、板壁
板戸に特徴があるそうです。

荘園時代の昔から暮らし向きは山稼ぎで家屋の資材は殆ど廻りの山や自然の恵み
で建てられたもので、その暮らしぶりは囲炉裏を囲み、豊かな四季折々の自然と
ともに営まれてまいりました。

今は50軒の集落で、そのうちかやぶきの家は38軒あります。

かやぶきで知られる岐阜県の白川郷や福島県の下郷とならんでその建築数は全国
3位に相当し、国の重要伝統的建造物保存地区に指定されています。

ここ美山のかやぶきの里では村人が出資をして有限会社かやぶきの里を設立し、
交流館やお土産処、きび工房などを運営して訪れる人々のくつろぎの場として
おもてなしをしておられます。
新鮮な地元で収穫された品々を販売し、人気を得ております。

地蔵尊 
集落の入り口には村のお地蔵様が見守っています。

普明寺 普明寺2

普明寺と呼ばれる曹洞宗のお寺があります。南北朝時代(14世紀中頃)の
春屋妙葩(しゅんおくみょうは)の創建とされておりますが、第二次大戦の
折に焼失、戦後再建されたものでそうです。

知井八幡宮

彫刻

知井八幡宮という知井地区の総社で延久3年(1071年)に創建されたものだそうです。

この八幡宮には甲賀三郎の大鹿退治の伝承があるそうです。
和銅6年(713年)この辺りに妖怪が出没し人々を恐怖に陥れました。
そこで天皇が占い師に占わせると、丹波の奥に棲む八つ頭の大鹿の仕業であると
判じたので、さっそく天皇は甲賀三郎兼家にその退治にあたらせました。
兼家は首尾よく大鹿を退治することができた、これも神恩の賜と感謝し、この地に
社を建てたのが、知井八幡宮の起源とされているようです。
その後大鹿退治に従った家来たちの中にはこの地に留まり氏子としてこの
知井八幡宮を守ってきて今日にいたるようです。

現在の社殿は明和4年(1767年)に再建されたもので、本殿の建築、装飾彫刻は
江戸時代中期以降の丹波地方の社寺建築の代表的なもので京都府の文化財に登録
されているようです。
その細工は非常に細かく重厚なもので、菊の御紋が掲げられた立派なお社です。


美山の里も丁度紅葉が色づきはじめこれから観光に訪れる人も多くなります。
今月の23日には防火のための一斉放水が行われる予定となっております。

長閑な自然を満喫できるすばらしいところです。お出かけはお車が便利です。
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高山寺
2010 / 11 / 07 ( Sun )
栂尾山 高山寺

       高雄山

国道162号線を一路北へ進むと高雄へと続く、この辺りもまだ京都市右京区に
属します。

次第に山裾の道も狭くなり清閑な山間風景が見られるあたりに栂尾山高山寺
あります。
真言宗で山号を栂尾山、御本尊は釈迦如来
宝亀5年(774年)光仁天皇の勅願によって開創されました。
当初神護寺都賀尾(とがお)坊と称したが建永元年(1206年)後鳥羽上皇の院宜に
よって、明恵上人が筆巌宗復興道場として再興し寺名を高山寺と改められたと伝え
られているようです。


石標 門

      由緒書き

境内は楞伽山の中にあり広い静かな佇まいで国の指定史跡とされ、石水院、客殿、
遺香庵、開山堂、御廟、金堂、などがあります。

その石水院は国宝に指定されております。
明恵上人が後鳥羽院より学問所として賜った建物で上人時代唯一の遺構で鎌倉時代の
ものととされております。

ここのお庭から眺める紅葉は格別で真っ赤に染まったお庭は紅葉の名所といわれる
すばらしい眺めで毎年この時期には多くの方が訪れます。
石水院には国宝の鳥獣人物戯画四巻(鎌倉時代)、明恵上人樹上坐禅像、
仏眼仏母像、華厳宗祖師絵伝六巻等や重要文化財が多く見られます。

開山堂 仏足石
開山堂                     仏足石


聖観音像 金堂
聖観音像                    金堂

紅葉が始まりあたりの紅葉も黄葉から照葉へと色づきところどころ真っ赤な
葉が陽の光に輝いております。
そんな境内には開山堂、聖観音立像、金堂、仏足石などが見られます。

歴史を感じさせる建築物はかっての栄華をみせたであろう華美さはなく、
深い味わいのある先人の営みを想像させてくれます。

ふるくから明恵上人は茶祖といわれ栂尾山は茶の発祥の地ともいわれております。
栄西禅師が宋から渡り持ち帰られた茶種を明恵上人に送られたといわれる
お茶の木ををこの栂尾三本木に植えられこれを宇治等にも広められました。
鎌倉時代、室町時代を通して栂尾は茶の本園、そこで出来るお茶を本茶として
天皇へ献上されたようです。
毎年11月8日には宇治から上人の廟前に献茶をされることになっております。
この境内にその茶園があります。

高山寺へは京都駅からJRバスで約50分くらいのところにあります。
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岬神社 土佐稲荷
2010 / 11 / 03 ( Wed )
龍馬ゆかりの神社 岬神社(土佐稲荷)

NHKの大河ドラマ「龍馬伝」も佳境に入ってきてハラハラ、ドキドキする場面が
多くなり視聴率をUPさせております。

京の街はまさしく龍馬ゆかりの地が多く残っているところです。
そんな中で京の中心街、河原町蛸薬師を東に入ったところに岬神社という小さな神社が
あります。

看板 岬神社

ご祭神は「倉稲魂命(うかのみたまのかみ)」と「石栄神(いしさかえのかみ)」

昔、室町時代初期、鴨川は川幅も広く、川中に中の嶋があったそうで、その中州の突端
に祠を建てたのが始まりとされています。
その後祠は鴨川西岸等に数回変遷されました。江戸時代初期にこの付近は土佐藩の
京屋敷が建てられ、その屋敷内に遷されることになりました。

岬神社 由緒書き 岬神社2

ご祭神に倉稲魂命をお祀りすることからお稲荷さんとしてして親しまれていたのが、
土佐藩屋敷内にあることから「土佐稲荷」とも呼ばれるようになったようです。
以後土佐藩のみならず、先斗町、木屋町の町衆からも「産土神(地域土着の神)」
として信仰を集めるようになりました。
勿論藩士の信仰もあつく、坂本龍馬や、中岡慎太郎も詣でていたようです。

          竜馬像

小さな境内には坂本龍馬の像も安置されています。

明治維新により土佐藩邸が売却されると共に神社も又、変遷されましたが大正2年
(1913年)近隣(先斗町、木屋町)の氏子衆の募金によって現在の社殿が建立され
ました。又、神輿も修復され「火除け、厄除け、大願成就、縁結び」に利益がある
と地元衆に信仰されております。
あまり知られていないようですが、大願成就の龍馬ゆかりの神社です。
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護王神社
2010 / 11 / 01 ( Mon )
護王神社の亥子祭

提灯 神社

京の烏丸丸太町を上った下長者町に護王神社があります。
ご祭神は和気清麻呂公命、と和気広虫姫命
護王神社はもとは高雄山の神護寺境内に和気清麻呂公の霊社として祀られて
いました。
嘉永4年(1851年)孝明天皇は和気清麻呂公の歴史的功績を讃え
「正一位護王大明神」の神階と神号を授けられました。
明治7年(1874年)に護王神社を別格官幣社に列し明治天皇の勅命により
神護寺境内から現在の地に社殿を造営し遷座されました。
大正4年(1915年)には広虫姫を清麻呂公と並ぶ主祭として祀られました。

亥子祭 女官


この護王神社で毎年11月1日、亥の月、亥の日、亥の刻に亥子餅をついて無病息災、
子孫繁栄を祈願する「亥子祭」が古式ゆかしく平安時代の宮中行事として行われ
ております。
午後5時から神殿にて、三種(胡麻、小豆、栗)をお供えし祈願祭が行われた後
舞殿で「御玄猪(おげんちょ)」の儀が行われます。
この儀式は平安時代、宮中で行われた玄猪の儀式を古式に則り昭和35年に再現され
たものだそうです。

臼 粉

       水

小袿姿の女官によって臼、杵、粉、水などが宮司様の前に並べられていきます。

おつきの儀 おつきの儀2 

並べられた道具で宮司様が「御舂の儀(おつきのぎ)」といわれる王朝風の
餅つきの儀が行われます。

おつきの儀3 おつきの儀4

式司が神話を謡い 式員が「いのちつくつかさ」と謡うと、女官が「いのちつく
さいわい」と応えながら餅つきの儀が行われます。 

           おつきの儀5 

このようにしてつかれた餅は一つは神前にお供えされ、もう一つは御所へ献上されます。

行列1 行列

行列2 行列3

行列4 行列5

その献上の儀式を「禁裏玄猪調貢の儀」として護王神社から提灯行列をして
蛤御門より御所へと献上に参上いたします。

この献上の儀式の後、神社で神前に供えられた三種を混ぜた餅がつかれ、参拝者
にも振舞われることになつております。

亥子餅 亥子餅2

神社ではこの日に限って亥子餅も販売されています。
猪の形をして目玉も可愛い漉し餡入りの美味しいお餅です。

護王神社は清麻呂公が都より宇佐へ向かわれるとき三百頭もの猪が現れ清麻呂公
をお護りした故事にちなんで狛犬ではなく狛猪が拝殿前に建てられております。
この事から干支の猪年の守り神としても信仰を集めております。

護王神社へは地下鉄丸太町下車、北へ徒歩7分(烏丸通に面しております)
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