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岡崎神社
2010 / 12 / 25 ( Sat )
卯年 岡崎神社     

左京の岡崎東天王町に岡崎神社があります。

     鳥居

ご祭神は素戔鳴命、櫛稲田媛命とその御子八神を御祀りする。
旧岡崎村の産土神

   神社1

延暦13年(794年)桓武天皇の平安遷都の際に、王城守護のため、平安京の
四方に建立された社の一つといわれ、都の東方に鎮座することから東天王
称されたとあります。
あるいは清和天皇の皇后藤原高子創建の東光寺の鎮守社としたのが始まりとも
いわれております。

治承2年(1178年)に中宮の御産の奉幣を賜ったことから安産の神として
信仰されております。
また、創始時の王城守護方除けの勅願により、方除・厄除けとしての御利益
があるとして信仰されております。

本殿の兎

古くから兎が氏神の使いとして伝えられ、祭神が子宝に恵まれ、又兎は多産で
あることから子授けの神としても信仰を集めております。
そんなことから境内にはうさぎの彫刻が多く見られます。
来年は卯年、兎にあやかって躍動的に飛び跳ねる一年でありますようにお参り
いたしました。

本殿前には招兎が置かれております。

兎 提灯

本殿前の狛犬の代わりに阿呍の兎が鎮座しています。
提灯にも兎が描かれています。

兎の台座2 狛獅子


     兎の台座

本殿前の狛獅子の台座にも兎の彫刻が施されております。

     手水

手水屋形の黒兎にお水をかけ願いをしてお腹をさすると叶えられるとか
多くの祈願絵馬が掲げられお参りをされております。


絵馬 御神籤

辛卯(かのと う)の来年、卯の絵馬に願いをかけ、どんな卯年の御神籤が
でるのでしょうか?

京の都の卯にちなんだ岡崎神社です。

岡崎神社へは京都駅から市バス⑤東天王町下車すぐです。
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22 : 25 : 41 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
師走の京の風景
2010 / 12 / 17 ( Fri )
師走の京の風景
幸せを運ぶイルミネーション 京セラ本社

京の南区に一段とそびえるビルが、京の、日本の、世界の京セラ本社です。
1959年に西ノ京で小さな町工場として設立された会社が50年余りで世界に
誇る企業として成長。

その経営手腕を発揮された稲森和夫氏は「敬天 愛人」を指針とされています。
常に公明正大で、謙虚な心でしごとにあたり、天を敬い人を愛し、仕事を愛し
国を愛する心だそうです。

そして経営理念には全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に人類・社会
の進歩に貢献することを掲げておられます。

その時その時に優秀なる経営手腕を発揮される方が会社の舵取りをされ引き継
がれていく京が誇る京セラ本社の前庭で「積雪の光の森」をテーマに輝かしい
イルミネーションが11月27日から12月31日まで灯されています。
約187,000箇のLEDランプが使われ色とりどりに光り輝いています。

この一画の輝きは、人の心を和ませ、幸せな気分にさせてくれます。
その説明も必要のない素晴らしい輝きを沢山の人にお楽しみ頂きたい
ものです。


イルミネーション3
光の並木

イルミネーション5

イルミネーション1
森の散歩道(ケヤキ並木)

イルミメーション2
森の散歩道

   モニュメント

   月
月も輝いています

銀河3
白い雪の上に咲く緑のしだれ桜
   
   夕焼け
夕焼けとともに

 壁面
漆黒の社屋壁面にもイルミネーションの輝きが

   イルミネーション6
光の並木

京セラ本社へは地下鉄竹田下車、市バスでパルスプラザ下車すぐです。
23 : 17 : 27 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
法住寺
2010 / 12 / 14 ( Tue )
義士会法要 法住寺


12月14日は忠臣蔵で誰もが知る主君浅野匠守の仇討を赤穂浪士47人が
見事果たした日、元禄15年(1702年)のことです。

歌舞伎、映画など毎年この時期になると演じられる代表作でもあります。
折しも今年も南座の顔見せでは中村吉右衛門さんが仮名手本忠臣蔵の七段目
で大星由良之助を演じておられます。
290年たった今も語り継がれる仇討はこれに勝るものはないと思われます。

本懐をとげた47人の義士を偲んだ法要が京の都では縁のお寺や神社で
行われております。

ここ東山区にある法住寺でも今日は義士会の法要が行われました。

義士会法要 門

        松と門

法住寺は天台宗のお寺で、御本尊は身代不動明王
永祚元年(989年)藤原為光によって創建されました。
当時は本堂(釈迦堂)をはじめ法華三昧堂、常行三昧堂などがあり大層栄えて
いましたが長元5年(1032年)に焼失し、現在の法住寺は応保元年(1161年)
後白河天皇が法住寺の地に御所法住寺殿と定められたことによります。
その後後白河天皇崩御後御陵寺院とされましたが、明治に御陵と寺地分離
により大興徳院の寺号をもつようになりました。
昭和30年には法住寺の名を止めるため大興徳院は法住寺に復称されるように
なりました。

身代わり不動明王  義士会

大石内蔵助は山科に閑居して仇討の好機を待ちうける日々の中でこの法住寺
の身代り不動明王に詣でて大願成就を祈願されたそうです。
また法住寺は妙法院の院家であるところから、宮方を通じて公儀の情勢を
窺い、同士との連絡、会合の場所にもこの法住寺を使われたところから
こちらでは永く義士の遺徳を伝えるため木像を安置し、毎年法要を営まれて
います。
今日も朝10時30分から本堂の身代り不動明王の前で法要があり、その後
島原の菊川太夫による道中が奉納されました。

     太夫道中2


菊川太夫2 八文字道中

大石内蔵助は島原にもしばしば遊興に赴きましたので島原とはご縁があり、
道中披露で供養されました。
太夫の着物は京刺繍の素晴らしい打ち掛け、帯、簪は中々お目にかかる
ことのできない見事なものでした。八文字も見事にこなされていました。


茶席 お菓子

お茶席では宮川町から舞妓さんによるお手前で献茶式が行われました。

 舞妓さん 菊川太夫

太夫も見守るなか可愛い舞妓さんのしなやかな手さばきでお茶がたてられました。
勿論舞妓さんの簪は顔見せの簪で御贔屓のお二人の歌舞伎俳優のサインが入って
いました。


          討ち入りそば

討ち入りそばも振舞われていました。おだしがとても美味しいお蕎麦でした。
お茶とお蕎麦は1000円で頂くことができます。

今年も義士を偲ぶ法要が行われ、又次の世代へと語り継がれて参ります。
法住寺へは東山七条から国立博物館前を徒歩3分くらいでいくことができます。
身代り不動明王は威圧を感じる厳かな仏像です。
 
16 : 44 : 23 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
事始め
2010 / 12 / 13 ( Mon )
師走の京の風景 

事始め

「おことうさんどす」 「おめでとうさんどす」

一力


12月13日は事始め。京の花街や、西陣、室町などの旧家ではこの日を
一年の区切りとして一年の感謝をこめて家元や本家、得意先などへご挨拶
廻りに出掛けます。
又この日よりお正月の準備に取り掛かる日でもあります。

近年商家でもだんだんとこのように事始めとしての行事は少なくなって
きましたが、花街では今も大切な行事として行われております。

舞妓さん2-1 一力3

       舞妓さん4

京の花街では舞のお師匠さんのところにお鏡餅をお届けし、
「今年もよろしゅうおたの申します」とご挨拶をして、御祝儀の舞扇を
受け又新たな気持ちで精進するという大切な行事が生憎の雨の中
今日行われました。

巽橋2 巽橋

       白川通

白川通りも雨に洗われて路面も光り、残り紅葉が最後の色鮮やかさを
増しております。

       福玉


今年も師走の半ばを迎え、今年一年の健康と無事に感謝し、福玉も準備
して新年に備えます。
14 : 43 : 56 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
圓通寺
2010 / 12 / 11 ( Sat )
圓通寺

京の洛北にひっそりとたたずむ幡枝離宮のあとといわれた地に圓通寺があります。

門1 門

圓通寺は臨済宗妙心寺派のお寺で山号を大悲山と号します。
ご本尊は聖観世音菩薩


玄関 玄関より

延宝6年(1678年)霊元天皇の乳母円光院文英尼によって開創されました。
寺域は後水尾天皇の山荘幡枝御殿の跡地にあたり、修学院離宮造営後の
寛文12年(1672年)霊元天皇・文英尼に御殿と庭園が下賜され延宝8年に
勅願寺となりました。
当時本堂、客殿のほかにも三猿堂、白樺庵、霊泉庵、潮音堂のどの建物が
あったようですが現存はしていないようです。

光の壁 光の壁2

玄関を入ったところの土塀に不思議な光輝くものが見えます。
宮永甲太郎という彫刻家に方(1969年京都出身の彫刻家)が造られた
「光の壁」で、作者は何もないところからモノを生み出すのではなく
何かを活かしてモノを造り出していくという趣旨で、
希望を見出すために存在がなくても心に残る「光の壁」を造ったと
書かれていました。
不思議な輝きをもつ土塀となっておりました。


    比叡山

圓通寺の庭園は比叡山を借景にした枯山水の平庭で国の名勝に指定されて
います。
四季折々に、又時々刻々と変化する比叡山の霊峰を眺める庭は後水尾院の
幡枝離宮の庭をそのまま今に伝えていると言われております。
又杉苔に覆われた苔庭の中央に小振りな平面的に庭石が置かれているのは
庭と外界を区切る苅込とともに比叡山の山容を庭の構成に取り込むため
の配置であるとか、全て計算し尽くされた庭の構成となっているようです。

玄関から客殿にはいったとたんに目に飛び込んできたこの全容は圧巻で、
思わず感嘆の声をあげてしまいそうな素晴らしいお庭です。

散紅葉 蹲

散紅葉が庭に敷き詰められておりました。
光がおりなす影絵も刻々と変化し何時間でも座っていたいようです。
手水鉢は大ぶりで中に紅葉が何枚か沈んでいたり、浮いていたりしていました。

つつじの頃も見ごたえのある眺めとなります。

圓通寺へは地下鉄国際会館より車で5分徒歩20分
京都バス北大路駅から圓通寺道下車徒歩10分です。拝観料は500円です。
22 : 30 : 49 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
師走の京の風景
2010 / 12 / 09 ( Thu )
師走の京の風景 
【幸せを届けるイルミネーション】(平安女学院)


京の都の中心、京都御所の西(烏丸通下立売西入ル)に平安女学院があります。

明治8年(1875年)に米国聖公会から派遣されたミス・エレン・G・エディによって
創設されたキリスト教精神に基づいた教育を行われている学校です。

平安女学院 アーチ

この平安女学院では勉学はもとより「躾」「心得(マナー)」愛(思いやり)」の
3つの資質を供えた女性づくりに力を注がれている学校でもあります。

又国際文化観光都市京都の本当の「おもてなしの心」を育み、歴史、伝統、文化
を学ぶ国際観光学部も2007年4月から開講され、奥深い京都の勉学にもいち早く
取り組み活動を行っておられる地元ならではの有力な学校でもあります。

その平安女学院では毎年11月27日から12月25日まで平和のメッセージを届ける
イルミネーション ”ピース☆ツリー” の点灯が行われています。

このピース・ツリーが行われるきっかけとなったのは
2001年世界で暴力の嵐が表面化してきた年の暮れにオランダ(クリスマス)から
一通のメールが届き、平和の願いをクリスマスツリーに掲げてピース・ツリーの
運動を広げませんかとというのがきっかけとなって、平安女学院でも繋がり
2005年から”ピース☆ツリー”がクリスマスイルミネーションの中で輝くように
なったそうです。
故にこのツリーは国際観光学部の生徒さんが中心となり生徒さん一人一人に
よって平和のメッセージが書かれた約300個のペットボトルで造られたツリー
が飾られています。

  今年のテーマは「未来宅配便 あなたに届ける光のプレゼント」だそうです。

この平安女学院の玄関はお伽の国に来たようでそれはそれは綺麗なデコレーション
です。 多くの方に見て頂きたいものです。そして平和へのメッセージを届け
たいものです。



     ツリー
     校舎の側面に輝くツリー


     水車
     中央の水車は回転しております

     水車2 
     未来宅配便の数々(あなたに届ける光のプレゼント)

     水車3
     左端のツリーは300箇のメッセージが書かれています。

     水車4
     この光と共に世界に平和のプレゼントが届きますように!

聖アグネス教会 ステンドグラス

聖アグネス教会は明治31年(1898年)に竣工され当初は聖三一大聖堂と呼ばれて
おりました。聖三一大聖堂が昭和5年に移転した後その聖堂を受け継いで
聖アグネス教会となりました。
建物はアメリカの建築士ジェームズ・マクドナルド・ガーディナーによる
ものでレンガ造りでゴシック様式は明治期の教会堂の様式を表していると言われ
ております。 
昭和12年(1923年)平安女学院の生徒、教職員による教会と認定されました。
又昭和60年(1985年)京都市有形指定文化財に指定されています。


教会2 教会3

外装 外装2

師走の京の風景です。
平安女学院へは地下鉄烏丸丸太町下車、北へ7分です。
16 : 51 : 23 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
蓮月茶や
2010 / 12 / 08 ( Wed )
蓮月茶や

京の東山、青蓮院の前に「蓮月茶や」があります。

暖簾 玄関


明治時代から続くお豆腐を主としたお店で「京の風流を味わう」お店として特に、
丸山公園から、知恩院、青蓮院の神宮道あたりへ観光にみえたお客様に人気を得て
おります。

「蓮月茶や」の名前の由来は明治初期の歌人太田垣蓮月にちなんでつけられたとお店
の方に伺いました。
太田垣蓮月のお墓は先(11月14日)にご紹介した西賀茂の神光院にありますが、
太田垣蓮月は名は誠(のぶ)出家して蓮月と称し京都に生まれました。
(1791~1875年)太田垣伴左衛門の養子となり17歳で結婚するも後死別、再婚後も
33歳で又死別したため出家し、蓮月となのりました。
その頃知恩院山内の真葛庵に養父とともに住んでいたことがあります。その後42歳
の時に養父とも死別、四人の子供とも死別し、孤独の身となりました。 とても
美貌で才ある女性でしたが、その後住まいを転々とし陶器を焼いて自作の歌を刻み
こんだりし、淋しい生活を送っていたと伝えられております。

その蓮月がこの辺りの近くに住んでいたことがあるところから「蓮月茶や」と名付け
らてたそうです。

その蓮月茶やで今日はお豆富(当店では豆富と記載)料理の数々を賞味してきました。

京の都は良水に恵まれ、お豆腐は特にきめ細かく滑らかで美味しい所です。

料理1 料理2
梅酒、滝川豆富、生麩の時雨煮,カニ味噌豆腐    生麩田楽

料理3 料理4
生湯葉                      豆富グラタン

料理5 料理6
湯葉饅頭と高野豆腐          雪鍋(地鶏と豆腐、季節野菜、大根おろし)

料理7 料理8
かやくご飯                  抹茶アイス

本日のコースは5,250円で他に3,150円からメニューがあります。
観光シーズンは連日満席で中々入ることができませんが、紅葉も終わりに近づく
と落ち着いて戴くことができます。
蓮月茶やへは市バス知恩院前下車徒歩7分、地下鉄東山下車徒歩10分です。
12 : 08 : 44 | 京料理 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
申餅(宝泉堂)
2010 / 12 / 06 ( Mon )
申餅(葵祭) 

先にご紹介した洛中で一番遅い紅葉で知られる下鴨神社の糺の森では
境内の泉川のほとりで茶席(茶店)が開かれております。

   申餅3

江戸時代には境内で「さるや」と呼ばれるお店が「申餅」を売る茶店をだし
参拝者から人気を得ていたようです。
江戸時代の文献『出来斎京土産』に描かれているようです。
申餅は葵祭の申の日に食無病息災を祈って戴いたことに由来すると伝え
られております。

昔から人が沢山集まる神社やお寺では夫々名物なるお菓子が販売され賑わい
を見せておりましたが明治になって神社・仏閣に関する法令で制度化され
庶民の間に伝わった慣習が廃止されました。

この時下鴨神社で商いをされていた申餅も販売が中断されたようです。

下鴨神社の宮司様はこの「申餅」を復活させたいと念願されていたのが
今年の葵祭で140年振りに京の和菓子店”宝泉堂”さんによって復活の
運びとなり、5月15日から販売されておられます。

 抹茶席

申餅5

丁度紅葉の真っ盛りにこの蘇った申餅とお茶で参拝者の方々をもてなして
おられます。
抹茶席とお番茶席がしつらえてあって、おりしも参拝された方々がゆっくりと
味わっておられました。

申餅は代々下鴨神社の宮司様の口伝えで伝わってきたものだそうです。
小振りながらなめらかなお餅に丹波産小豆の粒餡が程良い甘さと柔らかさで
とても美味しいでした。
ほんのり色づけされた色は「はねず色」で小豆のゆで汁でお餅をついたものだ
そうで、命の誕生の瞬間をあらわしているとお聞きしました。

相席させて戴いたおばあちゃんは名古屋からお越しになり、今年80歳になられる
とか、お孫さんの大学卒業を前に訪れました。孫(男子)が腕を組んでお出掛けに
付き合ってくれます。と目を細めておられました。
当節、何ともいいお話を伺い心が和みました。

本店2

申餅4 黒豆茶

申餅を復活された宝泉堂さんは下鴨神社から北へ10分くらいのところにあります。
本店では常時申餅を販売されています。
お店ではお客様に黒豆の茹汁とお菓子を振舞われてのおもてなしを
されております。
黒豆のお汁は風邪の予防にいいとか。まさに京のおもてなしですね。

季節の生菓子や京菓子がいろいろ販売されていて、茶寮も近くにあり、お菓子や
抹茶をいただくことができます。

下鴨神社の茶席は紅葉が終了するまで続くそうで抹茶席500円、お番茶席300円で
戴くことができます。
16 : 48 : 28 | 京菓子 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
妙満寺
2010 / 12 / 04 ( Sat )
妙満寺の釈尊成道会

京都の国際会議場からさらに北西、岩倉幡枝町に妙満寺があります。
山号は妙塔山で顕本法華宗の総本山にあたります。

門

本堂

妙満寺はもと天台宗の僧で玄妙という方が故郷会津で日蓮上人の教えに触れ
67歳で日蓮宗の門下に入られ、康応元年(1389年)六条坊門室町(現在の烏丸五条)
に妙塔山妙満寺を建立されたのが始まりとされています。

その後応仁の乱や幾多の戦火にあい、天正11年(1583年)豊臣秀吉の時代に
寺町二条に移築、「寺町二条の妙満寺」として京の都では親しまれておりました。

が近年都市化が進み昭和43年に現在の岩倉に移り今日に至るようです。

立派な門構えから本堂を望むことができます。

法要

その妙満寺で今日は「釈尊成道会」という、お釈迦様がインド・ブッタダガヤの
菩提樹の下で悟りを開かれたことを御祝いする法会が行われました。

本堂で法要の後、岩倉幼稚園児が本堂で日頃練習を積んできた音楽を奉納
するという催しもあり、可愛い園児が見事な演奏を聞かせて法会にお参り
されている方々を和ませていました。


仏舎利 仏舎利2

    本堂から

本堂の法要の後、仏舎利大塔の前でも法要がおこなわれました。
この仏舎利はインドのブッダガヤ大塔を型どったものだそうです。
最上階に古来より妙満寺に伝わる仏舎利が安置されているようです。

本堂からは比叡山の勇姿を眺めることができ、この比叡山の借景が
当山の雪の庭からも眺めることができます。

大根炊き 大根炊き2

釈尊成道会の後参拝者に京の風物詩「大根炊き」が希望者に振舞われました。
800円で拝観料も含め熱熱の大根炊きを戴くことができます。
こちらの大根炊きは貴船の料亭「鳥居茶屋」さんの御奉仕だそうで
お味もとても美味です。
この冬も健康で暮らせるようにと祈りをこめて戴きます。

雪の庭2雪の庭1

雪の庭3雪の庭4

妙満寺の本坊にあるお庭は「雪の庭」と名付けられ俳諧の松永貞徳
(1571~1653年)の造営といわれております。

清水寺の成就院の「月の庭」、北野にあったといわれていた成就院の
「花の庭」とともに成就院「雪月花の三名庭」と呼ばれています。
昭和43年寺町二条から岩倉へ遷る際成就院より移築されたようです。
広い枯山水のお庭は比叡山も借景に取り込んだいいお庭です。

道成寺鐘

又こちらの妙満寺には能や歌舞伎の演目でも有名な安珍・清姫伝説
「道成寺鐘」が安置されていることでも知られています。

どうして妙満寺に道成寺鐘が置かれているかといいますと、
正平14年(1359年)道成寺では安珍・清姫の伝説以来長く失われていた鐘を
再鋳し、供養を盛大に行っていた際に一人の白拍子が現れ呪力でその鐘を
落下させてしまいました。そしてその白拍子は蛇に変わり日高川へ姿を消し
ました。
その後近隣で災厄が重なりこれは清姫の祟りとその鐘を埋めてしましました。
後にその話を聞いた仙石権兵衛秀久が掘り起こし、妙満寺に納めました。
当時の妙満寺の貫首日殷大僧正が法華経による供養をし怨念をとかれると
素晴らしい音色の鐘となった。というものだそうです。
道成寺を演じる方々はこの鐘に精進しお参りに来られるようです。
その鐘はそれほど大きくなく、厨子に納められております。
どのような音色か聞いてみたいものです。

師走の京の都では、無病息災を祈願して大根炊きが振舞われるお寺が多数
あります。
今年も早師走。なにはともあれ健康で無事過ごすことが出来たことに感謝です。

妙満寺へは叡山電鉄鞍馬行きで木野下車徒歩5分です。
22 : 19 : 09 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
洛中・洛外紅葉模様
2010 / 12 / 03 ( Fri )
糺の森((下鴨神社)

紅葉11

世界文化遺産に登録されている下鴨神社。その境内は三万六千坪もあり
参道から続く森は「糺の森」と呼ばれています。
又その全体が国の史跡にも指定されております。

賀茂川と高野川の合流地点にもあたり、「糺」は「只洲(ただす)」より
生まれた名称といわれ、偽りを糺す神が住む森だとして「糺」の文字が
つけられたと言われております。

古代から禊を行う場所として毎年葵祭では斎王代が禊を行う神聖なる
場所となっております。

この糺の森にはクスノキ、ケヤキ、エノキ、カシの木、紅葉等数多くの
樹木が茂って、若葉の新緑の頃、夏には蛍、秋には紅葉と四季折々の様相を
市中にあって見ることが出来ます。

又京の都では一番遅く紅葉が色鮮やかさを増すところでもあります。
昨夜来の雨もあがり、落ち葉が参道一面に敷き詰められ、落ち葉の絨毯の
上を歩いているようで、柔らかな感触が伝わってきます。
空気も澄んで、雨に洗われた木々は一段と鮮やかです。

今年の紅葉の棹尾を飾って、見事に装った紅葉をお楽しみ頂きたいものです。


瀬見の小川
瀬見の小川

紅葉12
馬場の紅葉


紅葉10
参道の紅葉

紅葉9
参道の紅葉

紅葉8
泉川近くの紅葉

紅葉13
正面鳥居を望む


奈良の小川
奈良の小川

鳥居
大炊殿前の鳥居

糺の森へは京都駅から市バス4番、205番下鴨神社前下車すぐです。
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嵯峨野の秋
2010 / 12 / 02 ( Thu )
落柿舎

常寂光寺からほどなくのところに萱葺の庵が見えてまいります。
この庵が江戸前期の俳人向井去来の遺跡で「落柿舎」と呼ばれております。

門 玄関 

向井去来(1651~1704年)は長崎の医師向井元升の次男として生まれ、
後一家で京都の洛東聖護院に住み、嵯峨に別荘落柿舎を営んだと記されて
おります。 松尾芭蕉に入門、芭蕉門弟十哲の一人ともいわれる俳人として
名声を残しております。

落柿舎の名は、庭に柿の木が40本あり、商人がこの柿の木を立木のまま買い
取る約束をしたが、一夜のうちに柿の実がおちてしまったことから名付けられた
といわれております。

萱葺の田舎家風の庵の玄関には蓑と菅笠がかけられていて風情が感じられます。

本庵 天井

本庵の屋根は萱葺で、三角になった屋根裏も中からみることができます。
真竹が組まれていて、釘では固定できないもので縄を「男結び(いぼ結び)」
呼ばれる結び方で縛られています。
この男結びは緩まず、年を重ねるごとに針金以上に固く締まるようです。
屋根の萱は静岡から運ばれてきたものだそうです。

座敷 庭2

この庵で庭を眺めながら去来は訪れた芭蕉と句会を開いて数々の名句をのこした
ようです。

「柿主や 梢はちかし あらし山」  去来
「五月雨や 色紙へぎたる 壁の跡」 芭蕉

垣根 次庵

次庵では「句会席」としても申し込みをすれば利用できるそうです。
(午後1時~4時まで 室料一人当たり700円 5名~20名迄)
きっとこの庵で瞑想にふけりながら捻り出される句は素晴らしいものができる
のでしょうね!


           去来先生墳

当初の去来の「落柿舎」は去来没後荒廃していたが明和7年(1770年)
俳人井上重厚が当地に復興、明治に入って有志によって再興され現在は
落柿舎保存会が管理されているようです。

奥嵯峨の風情にマッチした鄙びた趣きのある庵です。
14 : 11 : 55 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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