祇園 にしむら
2011 / 01 / 29 ( Sat )
京料理 祇園 にしむら

京の祇園町南側(一力を下った東入る)に京料理の「にしむら」があります。

暖簾

お茶屋を思わせる店構えには楚々とした暖簾がかかっています。
京料理の名だたるお店のご主人は29歳でここにお店を構えて数十年が経ちます。
決して派手な宣伝に走らず、お店の規模にあった店づくりで、一度訪れれば
又次もとリピーターとして訪れて頂けることのできる料理づくりと雰囲気づくりに
と厨房も少数精鋭をモットーに励んでおられる素晴らしいお店です。
3室のお座敷とカウンター席があります。

床の間 つぼ庭

お座敷には節分に因んだ掛け軸と、柳に白玉椿が活けられていました。
坪庭には大きな手水鉢がおかれていました。

胡麻豆腐 蕪むし

本日のお料理、先ずは”にしむら”さんの名物「胡麻豆腐」です
お豆腐も自家製で、胡麻垂れが又絶妙なるお味です。
まったりとした胡麻の香りの馥郁とした、それは美味しい一品で
この胡麻豆腐はこちらの名物の一品だそうです。

蕪むしは底冷えのする京の都には蕪の旬の時期に出される、身も心も
温まる一品です。 蕪の粒子の細かい”ツルッ”としたなめらかな味わいです。

御造り 鯖寿司

お造りは鯛の昆布絞めとマグロのお造りです。

次の鯖寿司はやはり”にしむら”の名物の一品で
新鮮な吟味された鯖を千枚漬けでまいたお寿司です。
千枚漬けのシャキシャキ感が歯ごたえよく鯖寿司とよくマッチしております。


八寸盛り 雑煮

八寸盛りは春節の盛り合わせで、お節料理の数々。
お雑煮は白味噌仕立ての、まったりとしたお味にかつおの風味が溢れる
美味しいお雑煮でした。

うに ブリ大根

新鮮なウニの一品と、やはり今が旬のブリ大根です。
お大根にはおだしそのもののお味がしっかり浸み込んでいて、ブリの
照り焼きと相性のいい一品です。

筍蕗 水もの

早くも筍、蕗、蓮根の炊き合わせに山椒の香りは京料理の醍醐味を味わう
ことが出来ます。

この後粒の立った美味しいご飯に香の物
水ものは苺のあんみつ風仕立てです。

次々出てくるお料理には、そのお料理を引き立てる器が見事なものばかりで
一品の器も模様付けに春夏秋冬があったり、時期の野菜の模様があったり、
塗の素晴らしい器と、それぞれの器の楽しみも同時に味わうことができる
まさに「京のおもてなし」が感じられるしつらえで、目で楽しみ、味で
楽しみ、五感を満足させてくれる京料理の「にしむら」です。

「にしむら」へは事前に予約が必要です。 電話075-525-2727です。
23 : 18 : 06 | 京料理 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
堀野記念館
2011 / 01 / 27 ( Thu )
京の老舗 堀野記念館

京の町の中心、京都御所の南に堀野記念館があります。


  表

京の町家の文化を残した店構えは古の京の町を彷彿させてくれます。
堀野記念館の歴史は古く天明元年(1781年)造り酒屋として若狭出身の
初代松屋久兵衛氏がこの地に創業したことにより始まります。

明治13年(1880年)に酒造拠点は伏見に移されましたが、屋敷や酒造道具は
当時の様子を伝える文化遺産としてここに受け継がれております。

記念館

お酒の銘柄は「キンシ正宗」として販売されております。
記念館は昔の面影がよく残っていて当時の様子を垣間見ることができます。


ポスター 天明蔵2

ポスターも昔のものが張られていてセピア色のポスターは日本髪女性
美女であったり、歌舞伎俳優のものだったりと当時のものが残されている
貴重なポスターです。

   酒造り額

当時の酒造りの様子が描かれた額も生活のありようをうかがうことができます。

名水 蔵

京には名水といわれる水脈があり、御所の南あたりは桃の井と呼ばれる名水が
今も毎時3トンもの水が湧き出ております。
冬でも  ”フワ”とした冷たすぎず年間を通して16℃のまろやかな口当たりの
お水を味わうことができ、その水質は現在も守られております。
名水のあるところには、銘酒が、美味しい料理が、すばらしい染め物が生まれ、
発展してまいりました。

町家 ゆりかもめ

こうして栄えてきた京の老舗は表構えは質素にして、室内の床柱、飾り棚、庭
といったところに贅をつくした造りがなされております。

職住一体となった町家には主人も奉公人も一つ屋根の下に暮らし、商いの手法
を伝え学んだ処であります。
今ではもうそのような生活は見られなくなりましたが、町家は大切にしていこうと
の方針が取られております。

堀野記念館に見学に訪れると、その時の銘酒を味わわせて頂くことができます。
今日はこの1月、2月限定の「ゆりかもめ」というお酒をあじわいました。

女性向きのお酒で、ジューシーなお味がして、日本料理にもフランス料理にも
あう(ワイン感覚で)やさしい軽やかな味のお酒でした。

又簡単なお料理とお酒を味わうことができる「堺町ほっこり」のお店も併設
されています。
現在お酒は伏見で、こちらでは地ビールのみ製造されております。

堀野記念館へは地下鉄丸太町下車 二条通を東へ堺町上るにあります。
入館料は300円です。
  
20 : 31 : 27 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
萬福寺
2011 / 01 / 26 ( Wed )
京の七福神 萬福寺

一年の初め、1月中に七福神にお参りすると夫々のご利益が特に沢山頂けると
昔から伝えられております。


三門

黄檗山 萬福寺は宇治市五ケ庄、JR奈良線、京阪宇治線の黄檗下車にあります。

寛文元年(1661年)中国福建省から渡来してきた隠元禅師が後水尾天皇や徳川
家綱の帰依をうけ、中和門院(後水尾天皇の母)の別荘跡地に創建したことに
より始まります。

山号を黄檗山、ご本尊は釈迦如来。日本三禅宗(臨済宗、曹洞宗、黄檗宗)の
一つで黄檗宗の大本山にあたります。

元禄年間(1688~1704年)には西方丈、法堂、大雄殿等の諸堂が完成し、31の
塔頭を持つ大寺院となりました。

建造物は中国明朝の様式を取り入れた伽藍配置で創建当時そのままの姿が今日
まで残されております。異国情緒を漂わせ、日本には他に例のない代表的な
禅宗伽藍建築群として23棟、回廊、額他等が国の重要文化財に指定されております。

天王殿1 布袋尊

三門から真っすぐ進むと天皇殿へ参ります。
天皇殿は寺の玄関として設けられていて、そこにひときわ大きな布袋尊(弥勒菩薩
の化身)
が中央に祀られております。

七福神一つの布袋尊でにこやかなお顔にふくよかなお腹をみせた黄金の布袋様は
いかにも福が舞い降りてきそうで暖かく包み込まれそうです。

大雄宝殿

大雄宝殿(だいおうほうでん)は萬福寺の本堂にあたります。
日本では唯一最大のチーク材を使用して造られた歴史的建造物とされております。
ご本尊に釈迦牟尼佛、両脇に迦葉、阿葉と十六羅漢像が安置されております。
雄大な建物に屋根の造りは独特で天空にそびえております。

明燈窓 渡り廊下1

伽藍を結ぶ渡り廊下から勾蘭に至るまで夫々の建造物に異国情緒を味わうことが
でき、その広大さに圧倒されます。

萬福寺は修行僧の専門研修道場とされ、朝の巡照板の合図で始まり、夜の巡照板に
よって一日が終わるという、雲水さんの修行が行われている神聖な場所であります。

又萬福寺は隠元禅師が中国から伝えられたといわれる普茶料理という精進料理を
味わうことができます。

普茶料理とは
普茶は普く衆に茶を供するという言葉から生まれ、自然の産物を調理して
佛恩に感謝し応え報いるための料理であると説かれております。
全ての人が分け隔てなく卓を囲み和合して残さず頂くのが作法だと示され
野菜の煮物、ごま豆腐、浸し物、天麩羅などを大広間で皆で戴きます。
18 : 22 : 29 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
子供かるた
2011 / 01 / 22 ( Sat )
西陣の 子供かるた


京都に ”ラウンド アイズ 京都 (REK)”という
京都でこどもたちと一緒に町づくりをするというボランティア活動の
グループがあります。

京都市ユースサービス協会が事業の一環として主催し、活動内容については
大学生や専門学校生、社会人などのメンバーを中心に自主的に活動をされて
いる団体です。

REC2 REC.jpg

REKのメンバーであるお兄さん、お姉さんと一緒に西陣中央小学校のこどもたち
がこのほど西陣のまちを題材としたかるたを製作し、今日22日は地域の方も
一緒に”かるたとり”ゲームを(旧西陣小学校を会場に)楽しみました。

 
受付

御挨拶 

当日の受付もごあいさつもすべて子供たちがおこないます。

かるた2 かるた

かるたは、こどもたちが西陣の街を歩いて、

(西陣のグルメ、お寺、公園、さまざまなお店、見学どころ、教室、その他)

訪問し、お話を聞いて、見学したりしながら、写真もこどもたちが撮影して、と
すべて(RECのお兄さん、お姉さんの指導のもと)自分たちで作り上げたものです。

写真が取り札で地域のよく知ったところの写真がまかれます。

かるた1


かるた3

子供たちに交じってお母さんやお父さん、訪問したお店のご主人
地域のおじいちゃん、おばあちゃんも参加して和やかにかるたとりが
始まりました。


 おいしい野菜 ご老人に送るよ 丸忠
 気持ちがこもった着物をつくるよ 西陣織会館
 財布や靴を牛の皮から作っている 吉靴房
 晴明神社 病気 けが直すよ あべの晴明が
 旅行の安全を祈ってくれる 首途神社
 二百年以上続いているお店 和菓子作り体験で 抹茶が飲める 鶴屋吉信
 みんなの西陣を守ろう そして地球も守ろう そうすれば地球温暖化もふせげる


みんな目を輝かせながらよく見知った写真札を取っていました。

自主的に、楽しく歴史の勉強、産業、文化を、遊びを通じて街体験をしながら
学ぶことが出来る。
そして地域の人との交流、おじいちゃん、おばあちゃんとも楽しく一緒に過ごす
時間が得られる、すばらしい取り組に感銘をうけました。

かるたとりの後は西陣の女性会メンバーの奉仕でコーヒー(お茶)とお菓子を
みんなで戴きました。

西陣はこんな素晴らしい町です。
18 : 46 : 31 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
どら焼き
2011 / 01 / 21 ( Fri )
笹屋伊織の どら焼き

昔からお寺や神社の門前には名物とされるお菓子があります。

東寺の ”弘法さん” の縁日にちなんだお菓子は「どら焼き」が京の町では
親しまれております。

看板 店舗

縁日の前後を含め3日間だけ販売されているこの「どら焼き」は
七条通大宮を西に行くと間もなくのところに「笹屋伊織」とうお店があり、
その笹屋伊織さんが名物として販売されておられます。

創業は享保年間、現在の当主は10代目を継いでおられるようです。


どら焼き

そもそも「どら焼き」はその形がお寺の銅鑼に似ていることからそう呼ばれるように
なったようですが、
こちらの笹屋伊織さんのどら焼きは銅鑼の上で秘伝の皮を焼いてつくったことから
そう名付けられたようです。

江戸時代末期に五代目当主の笹屋伊兵衛という方が、東寺のお坊さんから副食となる
ようなお菓子を作ってほしいと依頼を受けました。

当主はお寺ででも作れるようにと鉄板の代わりに銅鑼を熱くしてそのうえで秘伝の
薄皮を焼いて漉し餡を巻いて竹の皮で包んだ御菓子を提案いたしました。

そのお菓子はもっちりとして、程良い甘さで大層美味なると好評になり、お坊さん
だけでなく町の人々にも喜ばれ、お店はてんてこ舞いの忙しさとなりました。

しかし手間暇かけたどら焼きは簡単につくれるものではなく、当主は困り果て
月に一度の弘法大師の命日21日の弘法さんの日に東寺参拝のお土産として限定販売する
こととされ、それが今日まで秘伝の味を守り続けながら弘法さんの日をはさんで
3日間の限定販売とされているという一子相伝のこだわりのお菓子です。


どら焼き2  どら焼き2

クレープの皮を厚くしたような、でも味は自然なもっちりとした柔らかさで
中の漉し餡とよくマッチしていて、甘すぎず、とても美味しいお菓子です。

食べ方も、竹の皮のままレンジで温めると、焼きたての熱々が味わえ、
又衣をつけて揚げても、薄く切って(1.5cm)トースターで焼いても香ばしい
と書かれております。
トースターで焼いてみましたところ表面は香りよくてもっちり感はそのまま
残るいい味わいでした。

どら焼きは1本¥1365でした。
19 : 25 : 49 | 京菓子 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
東寺
2011 / 01 / 21 ( Fri )
京の七福神 東寺

1月21日は京の都では今年初の「初弘法さん」の日です。
幸い天候にも恵まれ大寒のなかの穏やかな比較的暖かな日となりました。

門 弘法市

弘法大師の命日には多くの参拝者等で賑わう”弘法さん”の縁日は全国に、海外
にも知られうようになり、特に年初めと、年末の ”しまい弘法さん”の日は
露天商の数も1000件を超える賑わいをみせてくれます。

五重塔 大師堂1

今日も朝からお大師さんのお参りと熱心な信者の方々は護摩木に願いをかいて
大師堂に納め、読経の流れる中一年の無病息災を祈願していかれます。


東寺は正しくは八幡山 教王護国寺といい、世界文化遺産に登録されております。
平安遷都の際、羅城門の東側に創建され、弘仁14年(823年)嵯峨天皇が弘法大師
空海に下賜され真言密教の道場とされたことにより始まります。

五重塔は徳川家光による造営で高さ55m現存する木像塔としては最高とされ
大師堂とともに国宝に指定されております。

毘沙門堂1 毘沙門天1

東寺の毘沙門堂は京の七福神の一つ毘沙門さまをお祀りするお堂です。
羅城門の楼上に安置されていたと伝えられる「兜跋毘沙門天像」が安置
されております。
毘沙門堂にも多くの方がお参りされております。


七福神 七福神根つけ

       ハンカチ


七福神にちなむ品々、おしゃもじや根付、ハンカチ等も販売されております。
毘沙門さまは財宝と福徳の御利益がある神様として信仰されております。

東寺へは京都駅八条口から南西へ徒歩約20分位です。
18 : 12 : 06 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
総見院
2011 / 01 / 18 ( Tue )
大徳寺塔頭 総見院

大徳寺の本坊の西に塔頭の一つに総見院があります。

門

天正10年(1582年)豊臣秀吉が織田信長の菩提所として創建いたしました。
開山は大徳寺第117世古渓宗陳上人。
正門は創建当時から残されているものだそうです。

本堂

本堂には古渓上人と織田信長の木像が安置されております。

もともと織田信長が本能寺で明智光秀に討たれた時、いち早く信長の恩恵を受けて
いた阿弥陀寺の清玉上人が駆け付け遺骨(遺灰)を阿弥陀字に持ち帰り埋葬し、
供養しました。
豊臣秀吉は一周期に当たり清玉上人にその遺灰をもって盛大に葬儀を執り行いたい
と申し出ましたが、清玉上人はこれを断って受け入れようとしなかったため秀吉は
仕方なく信長の木造を七条仏師の康清に香木で2体造らせ、その一体を信長の変わり
として火葬し、もう一体を総見院に安置したとされています。
その際香木は辺りに非常にいい香りを漂わせたようです。

その総見院は明治の廃仏毀釈により衰退し、禅僧の修禅道場となり禅堂もあった
ようです。又大徳寺の管長の住まいともなったので隠寮とも呼ばれておりました。
大正末期に復興され現在に至ります。

秀吉は信長追悼の「大徳寺茶会」はこの総見院で催したとされており、
こちらには3つの茶室があります。

寿庵
茶室の一つ「寿庵」大正の初めころ山口玄洞によって建立されました。

#40848;庵

茶室龐庵(ほうあん)
ほうあん2

香雲軒3

茶室「香雲軒」
井戸2 侘び助椿

総見院には今も使われている井戸があります。非常に深い井戸で清水が出ています。
この井戸は加藤清正が朝鮮から持ち帰ったとされる大きな朝鮮石を掘り抜いて作られた
「掘り抜き井戸」と呼ばれております。

境内にある椿は「侘助椿」で樹齢400年ともいわれ、秀吉の寄進によるものだそうです。
木は3本に分かれていて、花は赤白の花を2月から3月にかけて咲かせます。

信長公墓  織田家の墓

墓所には織田家の墓、信長公の墓(左側写真の中央のお墓)があり供養されて
おります。

濃姫の墓 おなべの方の墓

又濃姫のお墓(左側)や側室おなべの方のお墓(右側)もみられます。
11 : 55 : 49 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
大徳寺
2011 / 01 / 17 ( Mon )
雪の朝 大徳寺

昨夜来からの雪で今朝は京都市内でも5Cmの積雪となりました。
道路は凍結し、朝から救急車のサイレンがいつもより多く聞こえてきます。

南門 雪

大徳寺の南門から境内に入ると松が雪の重みでたわんでいます。
大徳寺は臨済宗大徳寺派の大本山、山号を龍宝山。ご本尊は釈迦如来。
正和4年(1315年)大鐙国師(宗峰妙超)が赤松則村の帰依を得て紫野に庵を
結び大徳となづけたことによりはじまります。

建武元年(1334年)後醍醐天皇の時「本朝無双の禅苑」として京都五山の上に
おかれましたが、足利尊氏政権下急速に衰退し、五山から離脱し、独自の宗風
を築きました。

その後堺の豪商尾和宗臨の援助で復興、さらに連歌師宗長の支援も受け復興を
果たします。天正11年(1582年)豊臣秀吉が織田信長の葬儀を盛大に行いその
菩提寺として総見院を建立、以後武将により塔頭が相次いで建立され現在では
22の塔頭が在立します。

また千利休の帰依を受けてから茶道との結びつきが深くどの塔頭にも茶室が
設えられて禅寺の俗称で「大徳寺の茶面」ともいわれております。

       勅使門

南門から入って勅使門、山門(金毛閣)、仏殿、法堂と伽藍が一直線に並びます。
この勅使門は内裏の門が下賜されたもので重要文化財に指定されております。

     金毛閣

山門の上には「金毛閣」の扁額が掲げられております。
この金毛閣はもともと単層で宗長が寄進(1529年)したものでしたが、その後上層を
利休が建て現在の姿になりましたが、その時に利休の木造を掲げたことにより大徳寺へ
はこの山門を秀吉も潜ることから怒りをかい、切腹に追い込まれたと伝えられる金毛閣
であります。
中は公開されておりませんが、釈迦如来像や十六羅漢像などが安置されているようです。

仏殿2 釈迦如来

金毛閣の北には仏殿があります。応仁の乱により焼失した後、一休禅師により再興
され、寛文5年(1655年)さらに那波常有という方により建造されたようです。
中央にはお釈迦様が祀られており常にお参りすることができます。

法堂

法堂は応仁の乱後寛永13年(1613年)開山国師300年ご遠忌にあたり、小田原城主
稲葉丹波守正勝、正則親子によって再建されたとあります。

山門、仏殿、法堂はいずれも重要文化財で方丈にある唐門は国宝に指定されております。

京の雪景色とともにご紹介いたしました。
大徳寺へは地下鉄北大路から西へ市バス204,205で大徳寺前下車です。
次は塔頭の総見院をご紹介いたします。
16 : 12 : 57 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
都道府県対抗女子駅伝
2011 / 01 / 16 ( Sun )
第29回全国都道府県対抗女子駅伝

1月の第3日曜日は京の都で毎年都道府県対抗女子駅伝が開催されます。
今年も47都道府県の選手がエントリーをして午後0時30分西京極陸上競技場を
スタートしました。

生憎16日は前日来の雪空から太陽が見えだしましたが、それでも肌を刺す寒風
が吹き、気温も3℃~4℃と非常に寒い日となりました。

選手の年齢層は中学生区間から一般社会人と広い差がありますが、どの選手も
溌剌と寒風の中都大路を駆け抜けていきました。

2区

最初のハーフは先導の白バイも女性警官が先導いたします。
2区福岡の選手が1位でやってまいりました。2位との差も大きくついています。

選手

沿道での応援はどの選手が来てもゼッケンを見ながらご当地になって声援を
送ります。
42.195Kmを9人がたすきをつなぐ感動の駅伝、特に女子駅伝は華やかで、
可愛くて、”みんな頑張れ”と応援したくなります。

選手3

29年前の第1位千葉県が出したタイムは29年後には最下位の記録に変わってしまう位
そのレベルも向上し、日本の短距離界、長距離界の選手の育成に大いに役立ち、その
意識の高揚につながっているようです。

そして都道府県との交流も生まれ、切磋琢磨して、ご当地のいいところがPRできれば
最高に素晴らしい大会開催であるとその意義を感じました。

今年は京都が2時間17分16秒(速報タイム)で優勝しました。この大会の半分は京都が
優勝しているという(開催地ではありますが)京の都の女子力のすばらしい快挙です。
16 : 56 : 00 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
行願寺
2011 / 01 / 12 ( Wed )
京の七福神 革堂(行願寺)

京の寺町の丸太町を下がった(南入る)ところに革堂というお寺があります。
正式には山号を霊麀山(れいゆうざん)寺名を行願寺(ぎょうがんじ)
いいます。

門 本堂

行願寺は天台宗に属し、ご本尊は千手観音菩薩。
開山の行円上人は備後国速見郡の方で、かって山中で鹿を射止め、そのお腹
より小鹿が出てきたのを憐れんで仏心を起し、その革を衣にして念仏した
といわれ、寛弘元年(1004年)京に上り、賀茂明神から授かった神木で
千手観音像を刻み当寺を建立したことに始まるとされております。
境内には鎌倉時代の作とされる高さ3mの五輪の石塔「加茂大明神」
が祀られております。

加茂大明神

行円上人は常に革衣を着用していたことから革聖と呼ばれ、お寺も「革堂さん」
呼ばれるようになり町堂として京の都では親しまれております。

その後応仁の乱や大火に遭い、転々と移転したものの、現在地に移り、現在の
建物は文化年間(1804年~1818年)に再建され現在に至ります。

革堂は西国三十三か所観音霊場の第19番札所で唯一の尼寺札所でもあります。

七福神1

革堂(行願寺)の境内には寿老人神堂が建てられていて寿老人が祀られております
そのとなりに小さな七福神の石造が建てられております。

寿老人は南極星の化身であったとか、福徳、財運、長寿にご利益があるとされて
おります。

又革堂(行願寺)には幽霊の絵馬があることでも知られております。
この絵馬には悲しい伝説があります。

江戸時代の終わりころ行願寺の近くに質屋があり、そこに奉公していたお文という
子守女が毎日聞きなれたご詠歌を歌って子守歌代わりにしていたら、その子供も
ご詠歌を諳んじるようになりました。質屋の主人は熱心な法華信者であったため
このことを咎め、お文を折檻して死なせてしまいました。主人は慌てて遺体を
土蔵に隠して知らんふりをしておりましたが、お文の通夜を行願寺で両親が営んで
いた時に幽霊が表われ事の次第を明らかにしたため、質屋の主人は捕らえられた
そうです。そのお文の霊を慰めるための絵馬にお文の遺愛の手鏡がはめ込まれ
今も残されているというものです。

革堂(行願寺)へは寺町通を丸太町から下がってすぐの東側にあります。
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赤山禅院
2011 / 01 / 11 ( Tue )
京の七福神 赤山禅院

比叡山の山裾に京の表鬼門を守る赤山禅院があります。


鳥居 門

仁和4年円仁の弟子安慧が円仁の命により創建したことにより始まります。
延暦寺の別院でご本尊は赤山明神(泰山府君)で天台の守護とされました。


       七福神幟

京の表鬼門を守護する赤山禅院は京の七福神の福禄寿様をお祀りされている
ことでも知られ、又、京の都では方除けの神様として当寺の御札を家に貼って
おくと鬼門除けになるとして親しまれております。 

本堂

本堂は皇城表鬼門として屋根には猿がしっかり見張りをし、御所の猿に向かって
危険があるといち早く知らせるといわれております。
赤山禅院の猿も御所の猿もいずれも夜な夜な悪さをしないため檻に込められて
おります。

福緑寿殿

ご本尊の赤山明神さまは天にあっては輔星・福禄寿の神様ですが、地上に降りては
泰山府君(陰陽道卜占の神様)、つまり占いの大本の神様であって、森羅万象
万物の命運を司っておられます。と書かれております。

福緑寿

福禄寿は 福=子孫繁栄、禄=財産、寿=長寿にご利益がある神様とされております。


御神籤

お御籤は何ともやさしいお顔をされた好々爺のようなお姿で500円でした。

赤山禅院へは京都駅から市バス⑤修学院道下車15分です。
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六波羅密寺
2011 / 01 / 10 ( Mon )
京の七福神 六波羅密寺

京の大和大路松原を東に入ったところに六波羅密寺があります。
真言宗智山派に属し、山号は補陀洛山、ご本尊は十一面観音。
六波羅密寺の名の由来は
波羅密とは彼岸悟りへの道で、この世に生かされたまま仏様の境涯へ至る
六つの修行ということから生まれたようです。

     門

応和3年(963年)空也上人が鴨川東岸に一堂を建立西光寺としたことに
より始まり、貞元2年(977年)中信上人が入寺して現称となり天台宗の
別院となりました。

応仁に乱により本堂以外の諸堂を焼失、その後永正年間(1504~1521年)
再建文禄4年(1595年)真言宗となりました。

     本堂 

現本堂は貞治2年(1363年)の修造で重要文化財となり、ご本尊の十一面観音像は
空也上人の自刻と伝えられております。
宝物館に安置されている空也上人像は鎌倉時代の仏師運慶の四男康勝と伝え
られ、平清盛公の像とともに重要文化財に指定されております。

2弁財天 弁財天1 七福神1

六波羅密寺は京の七福神の弁財天をお祀りすることでも知られております。
七福神の中で只一人の女の神様です。

六波羅密寺の弁財天は黄金に輝いておられ眩いばかりです。
福徳自在、金運成就、技芸円満と書かれていて、財福や特に音楽の神様
として多くの方がお参りされていますが、特に若い女性も多く見かけます。

絵馬 お守り

1月1日~3日に振舞われる皇服茶を戴くと無病息災に暮らせると言われております。
弁財天の絵馬も多く掲げられておりました。

陽龍観音 平清盛公の塚

六波羅密寺は平安時代平清盛公が寺内の塔頭に軍勢を止めたことにより
境内は権勢を誇り栄えたことから平清盛公とは縁の深い繋がりがあり、
清盛公の像や塚が安置されております。

他にお盆の萬鐙会、12月の空也踊躍念仏(重要無形民俗文化財)などでも
知られ京の都では多くの方がお参りされます。

六波羅密寺へは京都駅から市バス206で清水道下車西へ6分くらいです。
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恵美須神社
2011 / 01 / 08 ( Sat )
京の七福神 恵美須神社

     鳥居

1月8日から12日まで初ゑびす祭の始まりで、京の東山区にある恵美須神社では
「京のゑべっさん」として早くも多くの参拝者で賑わっています。

京の恵美須神社のご祭神は八重言代主神、少彦名神、大国主神
平安末期に栄西禅師が宋からの帰路の船で暴風雨に遭遇した時、波間に恵美須神
を得てそれを船中に祀るとたちまち風雨が止んだことにより、建仁寺創建にあたり
山内に恵美須神を祀ったのが始まりとされています。

財布塚 名刺塚

鳥居をくぐるとすぐ北側に財布塚と名刺塚が並んでいます。
いずれもお賽銭が沢山上げられお参りされていました。
この不況下お財布や名刺が程良くたまるといいのですが!

恵比寿様 餅つき 

今日は初ゑびす初日にあたり、境内では威勢よく神職による餅つきが
行われていました。

     福ざる 

京の七福神 「ゑべっさん」は「商売繁盛で笹もってこい」と夜になると
身動きできないほどの賑わいをみせます。
立派な福蓑は二万円です。やはりお金を弾まないと廻ってこないですね。
今年も京で商いをするお商売の方々はお参りを欠かせません。
「商売繁盛」「家運隆盛」「交通安全」をお祈りいたします。

恵比寿様2

七福神の神様の中では唯一日本生まれの神様、どうぞ日本の景気が良くなります
ように。

恵美須神社へは京阪四条から大和大路を南へ下がって8分くらいです。

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妙圓寺
2011 / 01 / 06 ( Thu )
京の七福神 松ヶ崎 大黒天

京の地下鉄、松ヶ崎駅を出ると眼前に京都五山の送り火として点火される「妙」の文字が刻んだ松ヶ崎西山が見えます。

妙法 標柱

その西山を眺めながら東へ進むと約10分くらいで今度は「法」の文字が刻まれた
山が見えて参ります。この「法」の文字が刻まれた松ヶ崎東山の麓に京の七福神
のひとつ大黒天をお祀りする妙圓寺があります。

門 内門


正式には山号を松崎山(しょうきさん)、妙圓寺と号しますが、京の都では
松ヶ崎の大黒天として親しまれております。

大黒様


日蓮宗でご本尊は久遠実成本師釈迦牟尼仏。大黒堂にお祀りする大黒様は
伝教大師の作で日蓮上人が開眼したものといわれております。

元和2年(1616年)北野にある本山立本寺の第12世本覚院日英上人によって
建立された。またこの地は京都の表鬼門に位置するところから古来
福運を授ける神として信仰を集めております。

昭和44年(1969年)に火災に遭いながらも大黒様だけは無事であったので
「火中の大黒さま」と呼ばれ、正月初子の日をはじめとして甲子の日には
多くの参拝者が訪れます。
また新年明けて京の七福神巡りが催されますその第一番目の大黒天を
お祭りする松ヶ崎大黒天であり、八月の五山の送り火が行われる「法」の
東山へは境内から登山道へと続きます。

弁天様 打ち出の小槌
  
     寿老人
境内には七福神の石像が祀られております。


水子供養塔 風車
水子供養塔                水子供養塔の前の祈願の風車

如意が岳2

松ヶ崎大黒天から東山の如意ケ岳大文字山を望むことができます。

今年も福の多い一年となりますように!

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