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蛸薬師堂
2011 / 02 / 24 ( Thu )
京の伝説 蛸薬師堂 (永福寺)

京の繁華街、新京極通と蛸薬師通が交差したところに、永福寺(通称蛸薬師堂)
あります。

    門

正式には浄瑠璃山 林秀院 永福寺といいます。もとは二条室町にありました。
安徳天皇の養和元年(1181年)室町に富者がおられ、髪を落として林秀と号して
比叡山根本中堂のご本尊である薬師如来を深く信仰しておりました。

老年になり、月参りも出来なくなったので薬師如来様のお姿を一体お与え下さいと
祈願したところ夢枕に薬師如来様が表われ伝教大師の彫られた石仏が埋められている
処をお示しになり、そこから薬師如来様が表われ、これをもって六間四面の小堂を造り
永福寺と名付けお祀りしたのが始まりといわれております。


由緒書 扁額1 


   なで薬師

   蛸

この永福寺が蛸薬師堂といわれる伝説は、

建長の初め(1249~1256年)頃この寺に善光という僧が住まいしておりました。
ある日母が重い病にかかり、日に日に衰えていくのを見かねて
「お母さん病を治そうと思うたら、ぎょうさんご飯をたべはらなあきまへん」
「お母さんの好きなものなんでも言うとくれやす、私が何でもこうてきますかさい」
と言ったところ、お母さんは
「ほんなら、すまんけど、蛸こうてきてくれはるか。長いことたべてへんさかい」
こないいわはった。善光はこれを聞いて
「修行する身で生き物を殺したり、食べたりすることはでけへんし」と
大層こまらはった。
「そやけど、お母さんにたべさしてあげたいわ。」「そうや檀家の人も、きっと
訳をゆうたら判ってくれはるやろ」こない思うて思い切って蛸を買うことにしはった。
蛸を買って帰り途、善光の後をつけてきたきた人が不審に思い寺の門前で持っている
箱の中を見せるように責めました。
善光は一心に薬師如来様に「この難をお助け下さい」と念じ、箱の中身を見せると
蛸の足はたちまち八軸の経巻となり霊光を四方に照らしました。
この光景を見ていた人々は皆合掌して「南無薬師如来」と称えました。
不思議なことに門を入ると又蛸になって門前の池に入って瑠璃光を放ち母を照らすと
病はたちまち回復しました。
それ以来蛸薬師堂の蛸薬師様と称するようになったということです。
又この通りを蛸薬師通と呼ばれるようになりました。

そんな蛸薬師堂は心身安楽、病気平癒、癌封じ、七難即滅の御加護があると京の町では
多くの信仰を集めております。

ご本尊様の前には「なで薬師」と書かれた御鬢頭蘆様が置かれていて、左手で
触ると全ての病が癒えると言われているそうです。

先般、2010年FIFAサッカーワールド杯の時に勝敗を見事予見した、ドイツの
オーバーハウゼン水族館で飼育されていた蛸の「パウル」君を思い出します。

蛸には何か人間には判らない念力がもしやあるのかもしれません。?

   絵馬

絵馬にも蛸の念力で叶えられるよう祈願いたします。

ご神水書 御神水

またこの蛸薬師堂には弁天様の御神水(別名薬師の泉)という神水があって
病で苦しむ人々が龍神水で体や、家の廻りを清めるとたちまち病がうせたと
伝えられ、お参りに訪れた人々が持ち帰るようになったそうです。

薬師湯

薬師湯(しょうが湯)も500円で販売されております。
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美御前社
2011 / 02 / 23 ( Wed )
梅だより 美御前社(八坂神社の摂社)

清水寺から三年坂(産寧坂)、二年坂を越してそぞろ歩きをしていると、
紅梅が咲き始めてほのかな香りを漂わせております。

紅梅

二年坂から石塀小路を通って八坂神社に入ったところに八坂神社の摂社で
美御前社(うつくしごぜんしゃ)という小さなお社があります。

美御前由緒書き 美御前社

この美御前社の祭神は「市杵島比売神(いちきしまひめがみ)、多岐理比売神、
多岐津比売神」の三神がまつられております。

本社の素戔鳴尊が天照大神と誓約(うけい)をされたとき、素戔鳴尊の持って
おられた十挙剣を振りすすいで生まれた三柱の女神で宗像三女神というそうです。
清浄・潔白の証となった神々で俗に弁天さんといわれるのもこの市杵島姫の神様
であると記されております。

古くから祇園の芸舞妓さんをはじめ美しくなりたい願望の女性の崇敬をうけ
女性のお参りが多いようです。
又美容・理容や化粧品の業者の方々からも信仰を集めております。


美御前社1


美容水看板 美容水

祠の前には美容水と名付けられた水が常に流れていて、2,3滴顔におつけ
下さいと案内されていています。身も心も美しくなるそうです。

今日も若い女性や若いカップルもお参りに訪れて、お水を顔につけ美人になれる
ようにとお参りされていました。

忠盛灯籠解説 忠盛灯籠

美御前社のお隣に忠盛燈籠があります。
永久年間(12世紀頃)白河法皇が祇園女御の許に赴かれようと、この辺りを
通られた時、折しも五月雨が降る夜で、前方に鬼のようなものが見えたので
法皇は平忠盛に討取るよう命じられました。

忠盛はその正体を見定めた上でと思いこれを生け捕りにされました。
するとそれは燈籠に火を献じようと油壺と松明をもった社僧でありました。
雨を防ぐため着ていた蓑が銀の針のように見えたようです。

人々はこの話を聞き忠盛の思慮深い判断に感嘆したと言われております。
その社僧が灯りをともそうとした燈籠がその時のままここに残されて
いるものだそうです。
どっしりとした大きな燈籠は頭の部分もまるくなって年代を感じます。
昔は燈籠の灯りが唯一の道しるべとなっていたのですね。

京の都では紅梅・白梅がそろそろ咲きだし行きつ、戻りつしながら
春の訪れを告げております。
16 : 38 : 38 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
湯豆腐 おかべ家
2011 / 02 / 21 ( Mon )
京の湯豆腐 清水順正 おかべ家


東大路を清水寺へ上がる道の清水道と五条坂が交差したすぐ先の右側を入った
ところに清水順正「おかべ家」という湯豆腐のお店があります。

清水門前会に所属されていて、日々清水寺を訪れる参拝者の方々のもてなしに
力を入れておられます。

このおかべ家さんに「五龍閣」という素晴らしい貴重な建物があります。

 五龍閣正面
正面

五龍閣
側面2階より上階

五龍閣2
1階と噴水

五龍閣説明 五龍閣玄関

この建物「五龍閣」は今から約100年前大正10年竣工されたものです。
清水焼窯元であった企業が洋食器・ガイン・陶歯の製造へと国際的事業に
発展させた、その明治の起業家松風嘉定氏の邸宅で主に迎賓館として使用
されていたものだそうです。

設計は京都帝国大学建築学科の創設者で、京大の時計台の設計など数々の
設計で有名な武田五一氏によるものです。

3階迄続く吹き抜けと、4階の望楼では天守閣のように京の町並や山々が
見渡せる素晴らしい眺望。
又清水寺の門前でもあり、洋風を基調とするが瓦屋根や望楼の上には鵄尾
をのせた、近代建築に和風を融合させる武田氏の傑作といわれております。

この「五龍閣」は京都を代表する貴重な住宅遺構として国の登録有形文化財
に指定されております。

おかべ家

看板

この建物の向かいのお店で今日は桂三枝師匠を迎えて
第37回目の「湯豆腐食べくらべ大会」のイベントが開催されました。

桂三枝師匠は初回から37年間このイベントに奉仕されていて、新聞や
テレビで毎年紹介されております。

ルールは102名(男女51名づつ)の参加(102名はトーフのごろ合わせ)
で10分間の間に4丁の湯豆腐を食べ尽くすというものです。

イベント 湯豆腐イベント

参加者

参加者は老弱男女年齢の制限なく102名の方が挑戦いたします。
京の綺麗どころ「舞妓」さんも花を添え挑戦されています。

1回戦で大半がリタイヤされ、2回戦へと進みます。
ここで殆ど決勝戦が繰り広げられます。
中々大きなお豆腐4丁以上はむつかしいようです。
賞品も数多く準備され、37回も毎年開催されている楽しいイベントです。
きっと参加された方は暫くお豆腐はお預けとなるのではないでしょうか?

おかべ家さんではお食事に湯豆腐セットやすき焼き等いろいろ味わう
ことができます。営業は10時30分から午後5時まで 不定休です。
湯豆腐はお店で造られた自慢のお豆腐を味わうことができます。
18 : 20 : 10 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
光雲寺
2011 / 02 / 16 ( Wed )
光雲寺 (大河ドラマ 江 ゆかりのお寺)

京の東天王町をさらに東へ、哲学の道の西側に後水尾天皇の勅願所で
東福門院の菩提寺である光雲寺があります。

石標 門

山号を霊芝山(れいしざん)と号し、臨済宗南禅寺派に属します。
南禅寺の境外塔頭で南禅寺北の坊とも呼ばれております。
もとは摂津の国にありました。開山は弘安3年(1280年)南禅寺大明国師
によるもので、その後戦乱によって荒廃していたのを、寛文4年(1664年)
徳川秀忠と江の娘で後水尾天皇の中宮となった東福門院和子の尽力により
南禅寺の中玄賢禅師によってこの地に移され再興されました。

当初は5300坪の広大な寺域に七堂伽藍が完備されていたようですが、明治の
変革により縮小いたしました。

ご本尊は東福門院より賜った釈迦如来と観音菩薩が安置されております。
又本尊の左右には、阿難尊者、迦葉尊者、東福門院の坐像や東福門院の
念持仏である聖観音像などがが安置されております。

    本堂

鐘楼

現存する仏殿と明正天皇寄進の鐘楼は当時のものだそうです。
(明正天皇は東福門院の内親王で女性天皇であらせられます)

幕 花燈窓

徳川家と皇室との深い関係から仏殿や厨子には菊の御紋と葵の御紋が
多く見られます。

庭1

       庭2

お庭は東山の霊芝山を借景にした小川冶兵衛作の池泉回遊式のお庭で
池には琵琶湖疏水の水が引かれております。
『都名所図会』や「都林泉名勝図会』などにも掲載されている名庭ですが
昭和2年には7代目小川冶兵衛によって大幅に改修されました。

手水鉢1 手水鉢2

こちらの手水鉢は加藤清正が朝鮮より持ち帰ったと言われる瑪瑙の手水鉢で
徳川家から東福門院へ渡り、当寺に寄進されたものだそうです。

長く非公開のお寺でしたが、京の冬の旅で3月21日まで公開されております。
とても落ち着いた雰囲気の中で、荘厳な造りと雅なお庭は是非拝観したい
お寺です。

拝観料は600円です。

光雲寺へは市バス5、204、203番東天王町下車徒歩5分です。
18 : 28 : 01 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
梅宮大社
2011 / 02 / 11 ( Fri )
梅だより 梅宮大社(うめのみやたいしゃ)

この冬は雪が多く寒さもひときわ厳しい日々が続きますが、梅の開花がちらほら
と聞こえてまいりました。

鳥居 鳥居2

京の四条通を西へ梅津の辺りに梅宮大社があります。
奈良時代の政治家であった橘諸(たちばなのもろえ)の母、懸犬養橘三千代が
橘氏の氏神として現在の綴喜郡井出町付近に創建したのが始まりとされています。

平安時代の初め嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(壇林皇后)によって現在の地に遷され
ました。

ご祭神は酒解神(さかどけのかみ)、酒解子神(さかどけのこかみ)
大若子神(おおわくこのかみ)、小若子神(こわくこのかみ)

酒解神の御子、酒解子神は大若子神との一夜の契りで小若子神が生まれた
ことから歓喜して、狭名田の稲をとって天甜酒(あまのうまざけ)を造り
これを飲んだという神話から古くから安産、造酒の神様として信仰されて
います。

また、皇子に恵まれなかった壇林皇后が本殿横に鎮座する「またげ石」
またいで子供を授かったことから、このまたげ石をまたぐと子宝に
恵まれると伝えられ、その下の白砂は安産のお守りにされているそうです。
夫婦そろって祈願に訪れた方のみこのまたげ石に案内されるそうです。

     舞殿 

現在の本殿、拝殿、幣殿、廻廊、中門は元禄13年(1700年)に再建されたもの
だそうです。

甘酒祭り

お酒造りの神様ともいわれていて、今日2月11日は酒造業の安全繁栄と氏子
崇敬者が無事冬をこえられるようにと祈願して甘酒祭りが行われていました。
酒粕で甘酒が造られ、寒さの中を参拝された方に振舞われておりました。
熱々の甘酒は冷えた身体を芯から温めてくれます。


松尾山

神苑からは松尾山、から嵐山へと続く西山連峰を借景に中門が浮かび
とてもいい景色です。山は今日はうっすらと雪化粧をしております。

石柱 紅梅

東神苑から西神苑にかけて紅梅、白梅、蠟梅、ラッパ水仙が五分咲きに
花をつけております。

     白梅

水仙 蝋梅

   百人一首

東神苑には百人一首の第71番 大納言経信
 「夕されば門田の稲葉おとずれて葦のまろ屋に秋風ぞ吹く」
の歌碑が建てられております。

   池中亭

茶室「池中亭」は鄙びた趣きがあります。

梅宮大社はこれから梅、桜、杜若、つつじ、紫陽花と次々に花を咲かせ
多くの参拝者に和やかさと、癒しを与えてくれる祈りであり、憩いの神社です。

梅宮大社へは、京都駅からは市バス71、四条大宮からは市バス3、28、29
で梅ノ宮神宮前下車すぐです。 庭園入園料は500円です。
19 : 27 : 14 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
みすや針 三條本家
2011 / 02 / 07 ( Mon )
京の老舗 みすや針本舗

京の三条通りは東に向かう東海道の発着地点として昔から大切な要路で交通、物流の
要地として栄えてまいりました。

人の集まるところには、旅籠や土産物屋が立ち並び賑わいをみせておりました。
そんな三条通の河原町を西に入ったところに「みすや針」と書かれた看板が見えます。

エントランス

細い通路を奥に入るとお庭伝いにこじんまりとしたお店が見えてまいります
ここが「みすや針三条本舗」です。

店舗

江戸時代(1651年)宮中の御用針司の用命を受け、1655年には後西院天皇より
『みすや』の屋号を賜り、御所内で針を作っておられたという四百年余りの歴史をもつ針屋さんです。

宮中では針への清めと秘術を漏らさないようにと御簾の中で仕事をされていたこと
から「みすや」の屋号が下されたそうです。

当時は、荷物にならず喜んでもらえる京のおみやげとして人気が高く、全国に知られる
ようになったようです。

京の着倒れといわれ、とりわけ京は着物とは縁が深く、昔から母や祖母が糸を針穴
に通す姿をよく目にしたものです。
時には祖母から糸通しを頼まれたりしながら日常的に針が身近にありました。
近年着物離れが進み、自宅で着物の仕立て直しなどはしなくなりましたのであまり
針を手にすることもなくなりましたが、それでもどこか裁縫箱には必ずあります。


商標 縫い針

長い歴史を物語る商標登録の看板が掲げられ、店内には数十種類の針が並べられて
おります。「大くけ」「大ちゃぼ」「中ちゃぼ」「もめんえりしめ」
「つむぎえりしめ」「つむぎぐけ」「きぬえりしめ」
等々中年以降の女性には
なつかしい名前ではないでしょうか?

マチ針

まち針の頭も最近は可愛いキャラクターがつけれれて見ているだけで楽しくなります。

クロステッチ針

最近は縫い針よりもクロスステッチや刺繍、キルト等の針がよく売れているそうです。

博覧会

明治11年の内国博覧会で褒章を受賞された記念のメダルも掲げられております。

京の都にはこのように長い歴史に培われ今日なお立派に商いを続けておられるお店が
数多く現存するすばらしい地です。
15 : 21 : 38 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
京都市動物園
2011 / 02 / 05 ( Sat )
京都市動物園

京都市内の岡崎に京都市動物園があります。

ゲート

日本では上野動物園に次ぐ2番目の歴史を持つ京都市動物園は明治36年(1903年)
市民の寄付と市費で開園されました。
平成20年(2008年)には京都大学と連携して日本では初めて大学教員が常駐する動物園となりました。
動物の持つ様々な魅力を引き出す施設の整備や動物の知性の研究を進めていくという
「野生動物の保全に関する教育・研究」を行う連携協定が結ばれて、新しい動物園の
運営がなされております。

その教育・研究のため平成21年から京都市動物園構想さ策定され平成22年から施設の
整備工事が既存の動物園を開園しながら行われております。

平成23年春には「おとぎの国」が今までの2.5倍の広さで、「命の尊さ、命のつながり」
をテーマにした新しい施設として、その他の施設も順次新しい動物園へと生まれ変わり
ます。

現在みられる動物の数々の内の一部をご紹介いたします。

アムールトラ 縞馬の親子

縞馬の赤ちゃんは去年7月に生まれた女の子だそうです。

猿 日本猿

ワオキツネザルは顔が狐ににていてしっぽに輪の模様があることから名付け
られたそうです。

像 ミニ豚

ペンギン フラミンゴ


白手長猿の学習 学習2

学習3

シロテナガザルのシロマティーが学習をしているところです。

どうして学習をするのでしょうか?
①ヒマだから、②食べ物がもらえるから、 ③出来るようになると楽しいから
書かれていました。
タッチパネルで正解すると「ホロホロ・・」と、間違うと「ブー」と音がでて
正解すると食べ物がもらえるので正解か間違いかは判断できているようです。
しかし、間違えてシロマティーが鳴いたら「がんばれ」という気持ちで食べ物
を与えておられるとか。 
でもシロマティーは決してズルはしなくて一生懸命に考えているようです。
えらいですね! 気の乗らない時はすぐやめてしまうそうです。

アクセサリーつくり エミュー3

エミユーの卵 羽2

羽 event_20110205_2-83x300.jpg

今日は走鳥類の仲間でエミューという鳥の羽根でアクセサリーを作る
イベントが行われました。

エミューという鳥は鳥類であるけれども飛べない鳥で翼は20cm位しかなく殆ど
見えなく、恐竜に一番近い鳥類といわれているそうです。

攻撃する時はくちばしではなく足で攻撃をし、水あびがとても好きだそうです。
羽根は1本の根元から2本の羽根が出ていてエミューだけが持つ独特の羽根で
大変縁起がいいといわれているようです。

飼育員の方から説明がありその後エミューの落とした羽根でアクセサリーを
つくるイベントが午後1時30分から行われたのですが、大変人気で朝10時から
整理券がだされ、すぐに満席になってしまったようです。
羽根にも特徴があって、ふわふあとして、密集していないきれいな羽根です。
又卵は青色で非常に大きな卵を産むようです。

子供たちは目を輝かせてアクセサリー作りに励んでいました。
このようなイベントを通じて動物と人との交わり、命の大切さ、動物の徳性
などを学び、思いやりのある大人に成長してほしいと願うものです。

後2,3ケ月すれば順次新しい施設がオープンし、楽しみも増えて参ります。

京都市動物園へは京都駅から市バス⑤動物園前下車、地下鉄東西線「蹴上」下車
徒歩5分です。
17 : 47 : 26 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
吉田神社
2011 / 02 / 02 ( Wed )
京の節分会 追儺式 吉田神社

2月3日は節分。 京の神社や寺院では節分の行事がいろいろな趣向で
厄を祓い、一年の無事を祈願して行われます。

厳しい寒中の中休みとなった今日は比較的暖かく穏やかな一日、
京の左京区吉田山の麓にある吉田神社では2月2,3,4日と三日間にわたって
節分会が行われ毎年多くの参拝者で賑わいます。

参道2 参道

吉田神社は貞観元年(859年)藤原山蔭が大和の春日の神を吉田山山麓に勧請し、
氏神として祀ったことにより始まります。
以来藤原氏の京都の氏神として朝廷からも崇敬をうけたとされています。
ご祭神は建御賀豆知命(たけみかづちのみこと)、伊波比主命(いわいぬしのみこと)
天之子八根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめかみ)


     手水鉢


絵馬 お守り

福豆 福びき

節分会では絵馬や護符、疫神斎や福引付きの福豆の販売がされております。
福引の景品が協賛で多くの豪華景品が提供されています。

       追難式場

追難式の行われる本殿には参拝者に人波が途切れることがありません。

菓祖社 2菓祖社

末社には神龍社や稲荷社、天満宮、稲荷小社、菓祖社、三社社、山蔭神社など
多くの末社が祀られております。
その中でも菓祖社ではお菓子やお茶の接待がされていて賑わっていました。

大元宮 大元宮 社

節分祭の本宮である大元宮は応仁の乱・文明の乱によって吉田神社が荒廃していた
のを神官の吉田兼倶が唯一神道を唱え、天神地祇八百萬神を祀る大元宮を創設した
と伝えられ、現在の社は慶長6年(1601年)の修復で母屋が平面八角形をした珍しい
形で重要文化財に指定されております。

大元宮2 末社

大元宮には厄塚が設けられていて節分信仰の中心とされております。
厄神や心に潜む鬼を塚に封じ込め社殿に繋がった注連縄により八百萬の神との
感応を願い一年の健康を祈ります。

2日の朝からは大元宮に於いて、門外に疫神を祭り「荒振る事なく山川の清き
地に鎮ります」事を祈り神酒洗米がまかれる「疫神祭」が行われます。

竹中社 追難式

午後6時から本殿で追儺式がおこなわれますが、その出発点とされる竹中稲荷社から
行列がはじまります。


      追難式2

追儺式は平安朝の初期より毎年宮中にて執り行われてきたもので、大舎人が黄金の
四つ目の仮面を被り玄衣朱裳を着装し楯矛を持って方相氏(ほうそうし)
なって小童多数を従え陰陽師祭文を奏し、大声で三度楯を打ち疫鬼を追い払うと
いう儀式で一般に「鬼やらい」ともいわれるております。

その方相氏が竹中稲荷社から本殿へと出発いたします。


赤鬼 黄鬼

青鬼 鬼2

赤鬼、青鬼、黄鬼も勇ましく、行列の最後に続きます。
参道を降りて行く途中では金棒をふりまわしたり、子供に被いかかったり、
「ウオー」と大声を発して威勢よく練り歩きます。
特に小さな子供たちはお父さん、お母さんにしがみついて、泣きだして
います。
本殿前で行われる追儺式は人、人、人、で2時間前にはも並んでおられとても見る
ことはできません。

火炉


3日は午後11時から参拝者から納められた古い神札を積み上げ36枚の小土器
に濁酒をお供えし祝詞の後焼き上げる「火炉祭」が行われます。

京のみやこではこのようにして節分で厄を祓い神の加護を請い一年の無事を祈願して
春を迎える準備にかかります。
梅の開花の便りとともに朗らかな春の訪れを目前に今しばらく京の底冷えを
凌いで参ります。
22 : 42 : 56 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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