御金神社
2011 / 05 / 28 ( Sat )
ご利益神社 御金神社

京のご利益神社と親しまれている御金神社(みかねじんじゃ)
いうのが二条城の東、西洞院御池上るにあります。

     石柱 

創建は節には、田中庄吉という方が1883年に金乃神の金にちなんだ美濃の
南宮大社の祭神金山毘古神を祀り京都府に認可を得て開創されたそうです。

以来、鉱山の神、刀、剣、鏡、鍬、鋤や金、銀、銅などの金属の護り神
として崇められ、地元では金神さん(こんじんさん)として金融や証券に
携わる方、商売に携わる方々に親しまれております。

鳥居 扁額2

鳥居は黄金に塗られ、町家が多い一画にはひときわ輝いております。

本殿

本殿には御祭神として金山毘古神と天照大神、月読神が祀られております。

屋根瓦

屋根瓦にも「金」の文字入瓦が”これでもか”と並べられております。


お守り 御神木

御神木の銀杏にちなんでお守りも ”きんなん守り”や銀杏のストラップ
などが販売されております。

絵馬

銀杏型の絵馬はびっしりと掲げられ、
「お金が入りますように」「お金もちになれますように」
「お金がまいこんできますように」「幸運がきますように」
などお金に関する願い事が一杯書かれています。

お金は天下の廻り物とか申しますが、願わくば素通りしないで
わがお財布にも暫しお留まり下さいますようにとお祈りいたしました。

この財政難の世にあっては誰もが願うこと、神様も公平にお金が
廻るようにするのはなかなか難しいことなのでしょうね!
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葵祭 斎王代禊の儀
2011 / 05 / 04 ( Wed )
葵祭 斎王代禊の儀

葵祭りの始まりは我が国最古の祭りといわれ、飛鳥時代、欽明天皇の御代に
風雨災害がおこったため卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に占わせた
ところ賀茂の大神の祭りとせよ四月吉日、馬に鈴をつけ人に猪頭被らせて
走らせ祭りをおこなったところ風雨は治まり護国豊穣したことによると書か
れております。

平安遷都の後賀茂社は山城国の守護神となり、嵯峨天皇は最愛の姫御子
「有智子内親王」を賀茂社に奉仕されました。
以来一身神に捧げた内親王を斎王として仕えられた葵祭は国を挙げての祭
となったそうです。

現在の斎王代は京の都に住まいされる未婚の女性から選ばれております。

中門

今日4日は葵祭に奉仕される斎王代の禊の儀が下鴨神社で行われました。
斎王代の禊の儀は上賀茂神社と下鴨神社で交代に行われることとなって
おります。

御手洗神社

午前10時から下鴨神社の御手洗川で斎王代と葵祭に奉仕される女人方が
手を浸して禊をされる儀式で、古くは鴨川の河原を禊の祭場として行われた
こともあったようです。

鎌倉期に斎院が廃止されたことにより斎王列も中断していたようですが
昭和31年斎王列が復活したことにより斎王代禊の儀も復活されました。


御手洗川


葵

葵祭には内裏宸殿の御簾はじめ、御所車、勅使、供奉者の衣冠、牛馬に
いたるまですべて葵の葉で飾られることから葵祭りと呼ばれるように
なりました。 ここで使われる葵は双葉葵です。

烏帽子

行列

行列はまずは本日の神事を司る神官の方から始まります。

行列2

続いては雅楽の調べとともに斎王代が行列されます。


斉王代

斎王代の御衣装は五衣裳唐衣(十二単)に少巳衣(おみころも)
髪はおすべらかし、頂きに心葉(金属製の飾り物)日蔭糸(額の両側に下げる飾)

童女の介添えを受けしっかりと白砂を踏んであるかれました。

女官の行列

命婦(みょうぶ)の方々の衣裳は小袿に内袴

舞楽舞い人行列

青海波の神事服をつけられた采女は表衣の上から小忌衣を着けられています。

斉王代3

禊の後本殿へ参拝に向かわれます。

本殿参拝

雅な斎王代の禊の儀は滞りなく新緑の晴天の下おこなわれました。
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流鏑馬神事
2011 / 05 / 03 ( Tue )
下鴨神社 流鏑馬神事

京の都では毎年五月の新緑の頃「葵祭」が下鴨神社、上賀茂神社の両社で行われます。
その祭事は5月1日の月次祭から、3日の流鏑馬神事、4日の斎王代御禊の儀、5日の更衣祭
歩射神事、7日献茶式、9日献花式、12日御蔭祭、14日琵琶湖鮒奉納、15日葵祭(社頭の儀
走馬の儀、狂言奉納)17日煎茶献茶祭 と夫々の行事が17日間に亘って行われます。

それらの一つ一つの行事はどれも優雅で典雅な趣があり、京に都があったかっての王朝
風俗の伝統を垣間見ることができます。

その葵祭の前儀として行われる流鏑馬神事は葵祭が御所より当神社までの道中平穏無事
行われるよう祓い清める神事として今日(3日)下鴨神社の馬場で行われました。

この流鏑馬は雄略天皇の即位の年(457年)「騁射」を行ったとして『続日本書紀』に
記されるほど古い歴史を有するそうです。

途中文亀2年(1502年)葵祭の路頭の儀が中絶したことにより流鏑馬神事も中断いたし
ましたが、昭和48年下鴨神社式年遷宮の記念行事として復活し、以後今日まで
伝承されております。


午後1時から中門、舞殿にて流鏑馬神事斎行の儀式が行われた後、関係が行列を
なして馬場へと向かわれます。

行列4

行列2

的

行列3

葵祭の流鏑馬神事は長官代をはじめ射手、的持、弓持の方々も公家風に衣裳で
典雅な様相です。

行列5

馬場は今は新緑で若葉も青々と生気がみなぎり、的を射る射手も清閑で凛々しく
衣裳は束帯姿でこれから騎射初めの許可を頂きに行くところです。

小笠原流4 小笠原流5

この流鏑馬神事を努める射手は弓馬術礼法小笠原流が勤めておられます。
小笠原家は清和天皇を始祖とする清和源氏の流れをくみ、徳川時代には糾法師範を
勤めるという名門の礼法を持たれるそうです。

行司

流鏑馬は下鴨神社の馬場全長500mの間に3本の的が100m毎にがおかれその的を目
がけて矢を射る勇壮な神事で、馬場元役の軍扇の合図で馬が駆けてまいります。

流鏑馬5

人馬一体となって「イン、ヨー」の掛け声も勇ましく500mは あっと言う間に
駆け抜けていきます。 今まさに弓を放とうとしているところ、シャッターチャンス
は非常にむつかしいです。

一の的、二の的、三の的とわずか100mの間隔で態勢を立て直しながら
的を射ることは至難の技、この時は三つとも的中いたしました。

騎手

”お見事”、ビシッと杉板の的を射ることができました。
疾走している馬上のその姿もまた素晴らしく美しいものです。

流鏑馬4

的を射た後は砂を蹴って、意気揚々と駆け抜けていきました。

的を見事射ることができると射手が神様の帛を賜ります。
その時射手は騎馬のまま鞭を差し出して拝受しその帛を肩にかけると
いう作法も披露されるようです。

今年も無事流鏑馬神事は勇壮におこなわれました。
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神泉苑
2011 / 05 / 02 ( Mon )
神泉苑

京都の二条城の南に神泉苑があります。
延暦13年(794年)桓武天皇が平安京の造営にあたり、大内裏の沼沢を開いて
設けられた苑地で、常に清泉が湧きだすところから神泉苑と名付けられました。

門 由緒書き

現在は東寺真言宗のお寺となり、本堂のご本尊は聖観世音菩薩が祀られております。

ご本尊

当時その境域は南北4町、東西2町という広大なものであったと伝えられております。

お社

苑内には大池と中嶋のほか法成就池の中央には天長元年(824年)空海が勧請して祈雨
の修法をおこなった善女龍王を祀られております。
この祈雨の法が修されてから以後神泉苑では名僧が競って祈雨の修法を行うように
なったといわれております。
又苑内には中国の禁苑にならって造営された乾臨閣や左右の楼閣、釣殿なども建立されました。

龍頭船

池

桓武天皇以後歴代天皇が行幸遊宴などがおこなわれていたところでもありました。

方丈供養塔

又貞観年間(859~77年)には現在の祇園祭りの発祥となる御霊会が二度行われ、
全国の国数に当たる66本の鉾を立てて神泉苑の水で清められました。

が二条城の内堀が造営されるの伴い苑域も縮小されました。

お神輿

毎年5月1日から4日まで神泉苑祭りが行われお神輿や剣鉾も出されます。

剣鉾
 
その神泉苑祭りには神泉苑狂言が行われております。

この神泉苑狂言は約700年前円覚上人が一般の人々に念仏の妙理、因果応報、
勧善懲悪を判り易く親しまれながら得られるように工夫して身振り手まねで
説法を始められた壬生狂言の流れをくみ神泉苑狂言講社が結成され行われ
いるものです。

壬生狂言と同じく無言劇で鐘と太鼓、笛のみで演目を演じられます。


狂言堂

花折   餓鬼角力

今日の演目は「船弁慶」「花折」「桶取」「餓鬼角力」の4題が披露されました。

神泉苑祭りは明日5月4日まで行われています。
22 : 42 : 22 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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