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道路元標
2011 / 06 / 28 ( Tue )
京都市道路元標

京都は三条烏丸の東南角(京都銀行三条支店の角)に
道路元標という石柱があります。

通りを歩いていてもなかなか気付かない石柱で、ただ道路元標と
だけ書かれていて、年代も詳細が書かれているものではありません。

京都市道路元標

明治政府は明治6年に各府県ごとに「里程元標」を設け道程の調査を命じ
ていました。

大正8年(1919年)には日本橋が仮設された時に東京市道路元標が設置され
旧道路法によって各市町村に一個づつ道路元標が設置されることとされました。
設置場所はほとんど市町村役場の前か、市町村を通る主要道路同士の交差点
に設置されました。

京都の三条烏丸に設置されたのは、
昔は三条通を境に京は上京区と下京区に分かれておりました。
又烏丸通は大正時代市電軌道設置で拡張され丸太町から京都駅迄市電が
通されました。この辺りは京のほぼ中心とみなされておりました。
故に京都の道路元標はここ三条烏丸に設置されたものと思われます。
大正9年の京都府告示第150号に府下の道路元標の位置が記されております。

この道路元標をもとに道路の起点表示となり、距離の目安とされました。

しかしこの道路元標は設置義務がなかったため、所によっては取り壊さ
れたりして現在はなくなっているところも多いそうです。

京都の元標は今もしっかりと残されております。
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本願寺伝道院
2011 / 06 / 17 ( Fri )
本願寺 伝道院

本願寺は50年に一度の法要「親鸞上人750回忌」で多くの信者さんが参拝され
賑わいをみせております。

その西本願寺の御影堂門の前から正面通を東に入ると油小路の角に「本願寺伝道院」というレンガ造りの明治時代を彷彿させる建物があります。

正面


由緒書き

説明には明治28年に真宗信徒生命保険株式会社の建物として設立され、
明治45年に伊東忠太の設計により施工されたとあります。

現在ある建物は本館で、当時はこの建物のほかに付属屋、倉庫、物置などが
あったそうです。


玄関


壁面

設計者の伊東忠太という方は慶応3年(1867年)米沢生まれで東京帝国大学の工学博士
で、後に東大の名誉教授となられた方です。

明治41年「建築進化論」を唱え、日本の建築はこれからは、石材や鉄によらねば
ならず、しかも建築様式は欧化でも和洋折衷でもなく、木造を進化させることにより
うみださねばならないと提唱し、日本建築に大きな影響を与えたと書かれています。

京都では平安神宮(共同設計)や豊国廟なども設計された方です。
ほかにも橿原神宮も設計されています。

建築進化論を唱える半面、神社などでは神霊が宿る宮居であるとして古典的
スタンスを崩さなかったともいわれております。

この伝道院はインドのドーム型寺院のような、「インド・サラセン様式」と言われる
とてもデザインの凝った造りをしていて、石柵のにはライオンや羽を持つ象など
珍獣の彫刻がされています。

伊東忠太という方は妖怪好きでもあったとか、玄関の阿吽の置物も蛙のようでも
あり、不思議な動物が置かれています。

内部はケヤキ造りの重厚な造りとなっています。

この建物は京都市の有形文化財に登録されて、現在は1階はアートスペースとして
公開されていて、2階は研修道場になっているようです。

今は中野裕之映画監督の総合プデュースによる工芸展や親鸞聖人のパネル展
映像によるリラクゼーション等が催されています。

狛蛙

本願寺さんの門前町に珍しい建物をみつけました。
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来迎院
2011 / 06 / 08 ( Wed )
京の古刹 来迎院と音無の滝

京の北方、八瀬大原から三千院への道すがら、三千院の手前の茶店の前から
山手に入ると、来迎院という天台宗のお寺があります。

来迎院門

この辺りでは三千院への参拝者の方々は多く訪れますが、こちら来迎院へは
あまり訪れる方も少なく、ひっそりとした趣のあるいいお寺です。

来迎院2

ここは魚山と号し、仁寿年間(851~854年)に円仁上人(慈覚大師)が唐で
学んだ声明の練習道場として創建されたものだそうです。
本堂には藤原期の薬師如来、阿弥陀如来、釈迦三尊がお祀りされています。

由緒書

声明とはインドで始まった学問の一つで、唐では梵唄(梵語の仏教歌謡)と
いわれ、日本では仏教を讃える歌謡やお経を読む音律として広がりました。
平安時代末期には融通念仏の開祖といわれる良忍上人が、円仁にはじまる
声明を再興して大成させたと言われております。

木漏れ日

来迎院の前から200mほど山道を登っていくと、新緑が一段と色鮮やかで
木漏れ日が注ぐ山道から滝の音が聞こえてきます。

解説

解説には融通念仏の開祖で、声明を再興された良忍上人が、この滝に向かって
声明の練習をされていると、声明の声と滝の音が融和して、ついには滝の音が
聞こえなくなったことから「音無の滝」と名付けられたとあります。

瀧

先日来からの雨のせいか、流れる水はなかなか迫力があり、ちかずくと
霧状に滝の水が注ぎ、エアーシャワーを浴びているようで、とても
気持ちよく、聖地で心まで洗われるようです。

瀧2

山間の道でちょっと頑張って登った人にだけ味わえるすばらしいところで
一度は訪れてみたいところです。

だが一人ではなく数人で行かれることをお勧めいたします。

梅雨の晴れ間の至福のひとときです。

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阿弥陀寺
2011 / 06 / 04 ( Sat )
古知谷の阿弥陀寺

京の国際会館より八瀬大原行きのバスで終点大原で下車、そこから徒歩で
約30分位山手に入ると古知谷という所があります。

門2 石柱


今は新緑に覆われ清流の流れる鄙びた静かな山間の道を行くと、一見中国風の門が
見えてきます

ここは浄土宗のお寺で、弾誓佛一流本山と刻まれたこのお寺は
光明山法国院阿弥陀寺と称し、慶長14年(1609年)木食弾誓上人によって
如法念仏の道場として開基されました。

ご本尊は阿弥陀如来、 本堂(開山堂)、山門、鐘楼、書院等の伽藍は
亨和元年(1801年)に建立されたようです。

清流

新緑

梅雨の晴れ間は新緑が一段と色鮮やかさを増しています。

九輪草

書院の庭には九輪草が可憐な花を咲かせています。

石廟

本堂奥の開山堂の石廟には弾誓上人の即身仏(ミイラ)が安置されていると
いわれ、厳窟は当時修行されていた僧によって彫られたものだそうです。

本堂

本堂に安置されているご本尊の阿弥陀世来は開山の弾誓上人が自ら彫られた
もので、右の耳の下にはご自身の剃髪が埋め込まれています。

鐘楼

石仏

本堂前のお庭には五体の可愛い石仏が安置されています。

籠

この阿弥陀寺は皇室ともご縁が深く閑院宮並びに有栖川宮家の祈願所ともなり、
有栖川妃宜子女王が使用されていた籠や、香楼、打ち掛け、やいろいろな物が
下賜されていたり、高松宮や秋篠宮なども参拝されています。

銘木

参道には天然記念物の樹齢800年といわれる老木や300年と言われる楓が
春は新緑、秋は紅葉と隠れた素晴らしい景色を醸し出しています。

雪の阿弥陀寺もそれは素晴らしい眺めのようです。



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雷除大祭
2011 / 06 / 01 ( Wed )
北野天満宮 雷除大祭

京の北野天満宮では6月1日に雷除大祭が毎年行われてれています。

看板

NEC_0090中門2

中門をくぐる手前に火之御子社があり、ここのご祭神は「火雷神(からいしん)」

火之御子社

由緒書

天暦元年(947年)以前にこの地に「北野雷公」と称え祀られて、雷電、火難
五穀豊穣の守護神として信仰を集めています。

古い記録によれば元慶年中(880年頃)太政大臣藤原基経が、五穀豊穣を祈願
するため、北野雷公をお祀りしたとあるようで、以来毎年祭典が行われてきました。

6月1日の午前4時から神職の方々による、古式にのっとった「火鑽式(ひきりしき)」
行われその斎火を点じて「雷除守札」に祈願をこめて参拝者に授与されます。

平安期 朝廷では雷神に雨を祈り豊作を祈願しました。
雷の多い年は豊作と言われていました。反面雷による被害も発生し、
五穀豊穣を祈願するとともに雷害も祈願したようです。

今日では農業、林業、電気関係、ゴルフ愛好者、釣り人などから親しまれている
ようです。

昔から怖い物は、地震、雷、火事、親父と言われて参りましたが、親父は少し
置いてといて、いつの世も地震、雷、火事は怖い物です。

特に今年の東日本大震災でその恐ろしさを認識したばかりです。
しっかり今後災害がおこらないようお祈りしてきました。

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