FC2ブログ
子安観世音
2011 / 07 / 29 ( Fri )
北白川の子安観世音

京の北東、今出川通を北白川に向かって、滋賀越道が交差する所
この辺りは北白川と称し、北は一乗寺、西は田中、南は浄土寺・
吉田と接する白河の北に位置することから北白川と称されるように
なった地域に当たります。

比叡山より流れ出す白川口に通じる山中越えに集落が形成され、
白川女で有名な草花の栽培や白川石を加工する石屋が多く栄えた所で
大正7年に京都市に編入されました。

又京都大学農学部と接するところでもあります。

道路標示

その今出川と滋賀越道の交差するところに、2m位の大きな石仏が祠に
お祀りされています。


子安地蔵

由緒書き

由緒書きによれば「子安観世音」で鎌倉時代のもので弥陀像であるようです。
地域の人々には子安観音として信仰を集めています。

石柱

この観音には逸話があり、豊臣秀吉が通りすがりこの観音を気に入り聚楽第に
移したところ、毎夜唸り声あげ「白川に帰りたいと泣いた」のでまたもとに
戻したと伝えられております。

お顔立ちは口を忍の字に結びしっかりと見据えておられるお顔です。
地域の人々の厚い信仰に守られ、いつも御花やお水が供えられております。

白川女は商いに出かけるときはまずこのお地蔵様にお花を供え商いの繁盛
をお祈りして出掛けると言われております。

地蔵尊

そのお隣には小さな夫々表情が違うお地蔵さまが祀られております。

京の町は祈りの町でもあります。
22 : 43 : 39 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
嵯峨鳥居本
2011 / 07 / 25 ( Mon )
嵯峨鳥居本

京の奥嵯峨、嵯峨鳥居本は小倉山の北東麓から北は清滝まで
西は水尾に接する地域で、「鎮火の神」として信仰を集めている
愛宕神社への参詣路が通り、その一の鳥居付近に集落がある
ことから鳥居本と呼ばれております。

鳥居

愛宕街道沿いには約600mに亘って約50戸の民家が立ち並び
門前町の性格と、農家としての性格を併せ持って発展してきた
町並みが今も残されております。
一の鳥居近くの上地区では藁葺屋根の農家風の建物が、下地区では
町屋風の建物が立ち並び、昭和54年には周囲の美しい自然景観を
背景にした情緒ある街並みを保存するため国の
「重要伝統的建物群保存地域」に指定されています。

また集落の北東にある曼荼羅山で毎年8月16日に行われる
「五山の送り火」の内の一つ「鳥居」は17世紀頃からこの地に伝わり
当地区の人々によって点火されるところでもあります。

平野屋

一の鳥居のそばにあるここ「平野屋」さんは愛宕信仰とともに参道の
茶店として始まったお店で、創業はわからないそうですが、江戸時代の
創建といわれております。鮎料理を専門にした茶屋で、夏のこの頃には
涼を求めて鮎料理に舌鼓をうつ優雅な京の奥座敷となっております。

平野屋2

藁葺の民家風建物には千本格子や米屋格子が用いられております。

平野屋4

玄関の造りも昔のまま残されて、何ともいえない風情を感じることが
出来ます。


つたや

平野屋さんと軒を並べて「つたや」さんがやはり昔の面影を残した建物で
鮎料理茶屋として人気を呼んでおります。


町並み保存館

おくどさん

平成5年に開設された「町並み保存館」は明治の初期に建てられた建物を
借り受け、京都市が修理・整備して町並み保存館としたものです。

土間には井戸やおくどさんがすえられ、玄関にはばったり床几がおかれ
当時の生活の様相を知ることができます。

22 : 38 : 38 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
愛宕念仏寺
2011 / 07 / 23 ( Sat )
愛宕念仏寺(おたぎ ねんぶつじ)

京都の奥嵯峨鳥居本深谷町に愛宕念仏寺(おたぎ ねんぶつじ)があります。

石柱 石柱2

天台宗に属し、ご本尊は厄除け千手観音、洛陽三十三所観音霊場の第十六番
札所とされています。

この愛宕念仏寺は称徳天皇(764~770年)の開基で山城の国愛宕郡に建立されました。
今の東山区松原通大和大路西入辺りで当時はこの辺りは愛宕郡(おたぎのごおり)と
呼ばれておりました。

平安朝の初め、鴨川の洪水により堂宇が流失したため、天台宗の阿闍梨伝燈大法師
千観内供(せんかんないぐ)によって再興されました。
これにより天台宗の末寺となり、等覚山愛宕院と号しました。
千観内供は生涯仏名を唱えて絶えることがなかったので世に念仏上人ともいわれ
当寺を愛宕念仏寺と称するようになりました。
大正11年(1922年)に当地に移築され、その後荒廃していましたが、

仏師で三十三間堂の千体千手観音や広隆寺の弥勒菩薩、平等院の阿弥陀如来等
の修復で名高い僧の西村公朝上人によって再建されました。

仁王門

仁王門は江戸中期の建立で仁王像は鎌倉時代初期のものとされていて、京都市の
指定文化財に登録されています。

本堂

本堂は鎌倉時代に建立されたもので、度々移築されて補修はされているが
方五間、単層入母屋造で和様建築の代表的遺構として「国の重要文化財」
指定されています。

千二百羅漢3

仏師の西村公朝上人は「何とかして現代を生きる人々にも仏の教えを身近に
感じてもらいたい」ということから一般参拝者に「羅漢を彫る」ことを呼び
かけたところ全国から人々が集まり、10年後には1200体の羅漢が境内を
埋め尽くすまでにひろまりました。
これにより西村公朝上人は天台大仏師法院号を授けられました。
彫られたお顔は皆それぞれ違って、その祈りの様相が表されております。

本堂より

本堂よりお庭の眺め。鄙びた佇まいは喧噪を忘れさせ、ほっと心休まる
ひとときです。

ふれあい観音堂

境内にはふれあい観音がおられます。
触れることによって人々の心身の痛みを癒してくださる観音さまです。

三宝の鐘

こちらの鐘は「三宝の鐘」といわれ仏法僧の三鐘がつるされ、その音律に
よって仏の心を自然界に伝えると言われております。

地蔵堂

地蔵堂は平安初期に造られた火除け地蔵菩薩坐像祀られております。
構造は清水寺のように懸造りの様式がとられております。


愛宕念仏寺へはJR嵯峨嵐山駅より京都バス清滝行きで愛宕寺前下車です。
  
23 : 36 : 24 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
天寧寺
2011 / 07 / 22 ( Fri )
祇園祭りの懸想品にゆかりの 天寧寺

京は北区の寺町通を鞍馬口から少し下がったところに天寧寺があります。
曹洞宗に属し、山号を萬松山と号します。ご本尊は仏師春日作と言われる
釈迦如来をお祀りされています。

門

天寧寺の門前へ来ますと、比叡山がくっくりと額縁の中の一幅の絵のように
見えることからこの門を額縁門と呼ばれております。

石柱

ここ天寧寺は楠木正成の末男傑堂能勝が南北朝期に会津に創建したことに
より始まります。
文禄元年(1592年)第10世祥山曇吉によって京都に移され、
直江兼続や京都所司代の板倉勝重の援助により堂宇が建立されました。
現在の諸堂は天明の大火以降に再建されたものです。

観音堂には後水尾天皇の念持仏「十一面観音菩薩」や、東福門院の念持仏
「薬師如来」
が安置されています。

又当山住職の善吉和尚は剣道示現流開祖とも言われております。

境内には江戸時代に徳川氏に仕えた茶人森宗和のお墓が建立
されています。

屋根

堂宇の屋根は御所から一部移築されたものだそうで、瓦に菊の御紋
がつけられています。

襖

襖絵は明治期の日本画家岸竹堂によるものだそうです。

鯉山見送り


鯉山前掛け

折しも7月の京都は祇園祭でその賑わいを集めておりますが、
その中の「鯉山」の懸想品であるタぺストリーは伊達正宗が持ち帰ったともいわれ、
江戸時代末期に会津の天寧寺より京都の天寧寺に持ちこまれ売りに出されていた
ものを室町の旦那衆が持てる財力で購入したものであると伝えられております。

16世紀にベルギーのブリュッセルで織られたタぺストリーで図柄は紀元前1200年頃
のトロイ戦争を題材としたホメロスの叙事詩「イーリアス」の1場面だそうです。

今ではこの懸想品は昭和25年に国の重要文化財に指定され祇園祭りの宵山を挟む
3日間だけ町席に飾られ、後は京都国立博物館に保存されております。

祇園祭りの巡行には復元新調された懸想品が掛けられます。


わらべ地蔵

境内には「わらべぢぞう」が祀られています。
等身大で右手に錫丈を左手に蓮の花に子供が乗り足元には
石を積む子供が座りこの世とあの世を結ぶ賽の河原が表されて
います。

カヤの木

本堂前にあるカヤの木は京都市の天然記念物に指定されています。

天寧寺へは地下鉄鞍馬ぐち下車東へ徒歩6分位です。
16 : 59 : 42 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
| ホーム |