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南禅寺 大寧軒
2011 / 08 / 29 ( Mon )
京の夏の旅 南禅寺 大寧軒

京の夏の旅で特別公開されている、南禅寺 大寧軒は金地院のお隣にあります。

もともと南禅寺の塔頭の大寧院で1359年に創建されたものですが、明治維新以後に
成立した新政府によって慶応4年3月に発令された神仏分離令によって廃仏毀釈、
寺院の統廃合、仏事の禁止、仏具の破壊などにより多くの寺院が減少しました。
ここ大寧院もその時、民間に払い下げられたようです。
その後いくつもの手に亘り、一時茶道の藪内家の所有となりました。
平成16年にはまた南禅寺に戻り現在は塔頭の一つとなっております。

門

この大寧軒のお庭はその藪内家の第11代透月斎竹窓紹智家元による作庭で
明治時代のもので露地風の池泉回遊式庭園です。

こちらのお庭流れる水は琵琶湖疏水から引かれた水が流れております。

前庭

藪内流茶道は剣仲紹智(1536年)を流祖として受け継がれた茶道で、西本願寺の
保護を受け寺領の一部を拝領し、古田織部の営んだ茶室燕庵を移築し代々紹智の
名を受け継ぐ流派といわれております。
現在は13世がその家元を継承されておられます。

亀型手水鉢

庭内には幾つもの手水鉢が配されております。
その内のこちらは亀の形をした手水鉢です。

手水鉢2

棗型手水鉢

棗型手水鉢


玄武岩2

こちらの石柱は玄武岩といわれる銘石で、兵庫県城崎温泉の近くにある玄武洞の
天然石がおかれております。現在は搬出不可能のいわれていますが、その当時
は規制されていなかったようです。

三柱鳥居

石造りの三柱鳥居は明治の廃仏毀釈以降に据えられたもので、「京の三珍鳥居」
の中の一つ、蚕ノ社(正式には木嶋坐天照御魂神社)の三柱鳥居を模したもの
とも言われております。

また一説には藪内家の蓋置きが三柱鳥居形をしていたからこの三柱鳥居が
配されたともいわれております。

この鳥居は非常に背が低く作られていて、お庭の中に配されていることから
本来の神社の鳥居である、俗界との結界、神域への入り口の意味はないように
思われます。
この三柱鳥居の下からは水が湧き出ているようです。

瀧

三柱鳥居の奥には高低差を利用して琵琶湖疏水から流れてきた水が3mの滝として
作庭されています。

庭園1

庭園は東山三十六峰の大日山(標高150m)を借景に470坪あり、優雅な曲線を持つ
池が作られています。

庭園2

茶室2

茶室「環翆庵」は二畳台目の茶室でお待合も備えられております。


蹲

茶室前の手水鉢です。

しじみ

琵琶湖疏水の水がひかれているため、シジミの殻が沢山みられます。
琵琶湖のお魚も泳いでいるとおもわれます。

9月30日まで一般公開されていて、拝観料は600円です。
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17 : 08 : 13 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
並河靖之七宝記念館
2011 / 08 / 26 ( Fri )
並河七宝記念館

今京の夏の旅企画で9月30日まで文化財特別公開がなされています。
その内の並河靖之七宝記念館をご紹介いたします。

玄関

並河靖之七宝記念館は東山三条の神宮道を一筋上ったところの西にあります。

昔の商家のどっしりとした町家づくりで、明治29年(1896年)に帝室技芸員
として活躍した並河靖之(1845~1927年)が職住一体として構えた旧邸と
七宝の工房跡で今では記念館とされています。

由緒書き

由緒書きには海外来訪者のために鴨居を高くしてガラス障子を引きまわした開放的
な母屋や旧工房、旧窯場が残され、庭園は七代目小川冶兵衛(植冶)の初期作庭で
琵琶湖疎の水が引き入れられています。
建物は国の登録有形文化財、京都市指定歴史的意匠建造物、庭園は京都市指定
名勝庭園に指定されていて、京都の近代文化遺産のひとつと説明されています。

並河靖之という方は弘化2年(1845年)川越藩家臣、高岡九郎左衛門の三男として
京都に誕生、11歳で並河家に養子縁組をされ、青蓮院宮(久邇宮朝彦親王)の
侍臣となりました。

青年期に久邇宮に仕えながら七宝制作に着手、元来の技芸に長けていた才能と
切磋琢磨して制作された作品は3度のパリ万国博覧会や国内外で多くの受賞を
重ね、明治29年には帝室技芸員に任命されました。

並河靖之の七宝は有線七宝という技法で、幕末頃愛知県で開発され瞬く間に
京都や東京で広められた技法だそうです。

有線七宝は金属の本体に金や銀の細い線を貼り付け、線と線の間に釉薬を
流しこみ焼成、研磨をくりかえして出来上がる作品で、それは繊細で緻密な
作品は見事なものです。
色も鮮やかで特に黒を基調とした作品の制作はむつかしく困難を極めるそうです。

並河の七宝は特に欧米で人気が高く世界中の人々に愛されています。

記念館ではそんな作品の一部を拝見することができます。

犬橋

庭園は並河靖之が思い入れを込めたもので七代目小川冶兵衛の作庭といわれて
おります。

随所に青蓮院や修学院離宮の名刹の写しがとり入れられております。
六勝寺の瓦が使われている犬橋

鬼がわら

鬼瓦には並河家の「並」の文字が刻まれた瓦があげられております。
これもこだわりですね

春日灯籠

燈籠も朝鮮燈籠や桃山時代の燈籠など数種類すえられております。
これは春日燈籠で実際に火袋に火がともされていたそうです。

織部燈籠

こちらの燈籠は織部燈籠(足元がみえない燈籠を織部燈籠と呼ぶそうです)

亀石

亀をかたどった石は貴船石で前方の蓬莱山の極楽の境地へむかっていこうと
しているところです。

庭園

前方に極楽の境地をすえる庭園には琵琶湖疎水から水が引かれています。
鯉が泳いでいる傍には琵琶湖の魚も泳いでいます。

一文字手水鉢

大きな一文時手水鉢は鞍馬の石でつくられているそうです。
知面に直接据えるのではなく下に大きな空間をとって据えられております。

棗方手水鉢

棗型手水鉢
この棗型手水鉢の後ろの欄干に3つの山がかたどったものは修学院の中の茶屋の
網干欄干を模したものだそうです。

他にの白川石をつかった踏み分石や、紀州の青石、守山石、
靴脱ぎ石は膳所城で使っていた櫓石といわれるものがあります。

並河靖之七宝記念館へは地下鉄東西線東山駅下車1番出口より徒歩3分です。
期間中に入館料は600円です。

18 : 34 : 56 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
精進料理
2011 / 08 / 24 ( Wed )
退蔵院で戴く精進料理

北を一条通、南を丸太町通、西に双ケ丘、東は北区に面するこの辺りの
中心に臨済宗の妙心寺があります。

この地に行宮を造営した花園天皇にちなんでこの辺りの地を花園と称し
ます。

妙心寺の塔頭に退蔵院があります。
退蔵院は狩野元信の作庭と伝えられる枯山水の庭園や、如拙筆による
国宝の紙本墨画淡彩瓢鮎図などでよく知られています。

退蔵院

その退蔵院で特別に精進料理を戴いて参りました。
精進料理を担当されるのは門前にお店を構える阿じろさんです。

日常は質素な賄いのお食事も晴れの日には豪華に戴くのが京の生活
阿じろさんの晴れの日のために精魂こめて作られる精進料理は
芸術品であります。
吹けば飛んでしまいそうな繊細な包丁さばきと絶妙な自然を生かした
お味をゆっくりと楽しみます。


前菜2

前菜はビスタチオのお豆腐にアボカドの(ずいき、ゆば、きゅうり、椎茸、)詰め物
食前酒は梅酒(まったりとした、柔らかいお味の梅酒でした)

三種

三種盛りは
 ほおずきにはとうもろこしのかき揚げ(なんとも香ばしいお味でした)、
 ガラスの器には豆腐と焼ナス
柚子の器には 
 プチトマトのシロップ漬け(とても美味です)、
 松茸、コンニャクとシメジと松の実の三種(もう松茸です。何とも贅沢な)

椀もの

煮物には・・とうがんの湯葉巻き、ずいき、椎茸、なま麩添え
      とうがんが程良いお味付けで湯葉ととてもいい相性でした)
月が表してあります。


三色そうめん

三色そうめん・・白、抹茶、赤紫蘇の三種そうめん(香りが絶妙!)
薬味・・・・・・ゴボウ、みょうが、椎茸、大根、青のり、あさつき,胡麻
薬味はほんとに吹けば飛んでしまいそうに細かく刻まれています。
そうめんの器は蓮の葉に青竹です。

もどき

こちらはモドキ・・・ハモもどきのにぎり(れんこんでできています。)
          かしわのから揚げ(大豆あげでできています。)
          八幡巻き(ゴボウ、湯葉でできています。)
 もどきといえども夫々納得のお味です。まさにそのものの味がします。

揚げ物

揚げ物は、松茸、ズッキーニー、スヌベリヒラ、満願寺、鴨ナス、くるみ
岩塩と天だしで戴きます。

京野菜のゼリーよせ

冷やし煮物には、とうがんの器に・・おくら、人参、南京、ナス、大根
 とうがん、が柚子風味にゼリー寄せされています。
(柚子風味がとてもさっぱりしていて口当たりがいいお味でした)


味噌汁

お味噌汁には揚げ豆腐にじゅんさい、青紫蘇です。
 (最近はじゅんさいを戴く機会が少なくなりました)


おこわおこわ2

はすの葉に包まれたおこわには梅と青紫蘇が添えられています。
香の物には瓜、沢庵、水ナス

フルーツ

フルールは葡萄、メロン、マンゴーなどです。

一度に戴くにはとても贅沢なボリュームもたっぷりで目で味わい、耳で歯触りの
味わいを楽しみ、舌で味わい、まさに五感で味わう精進料理は満足感で一杯に
なります。至福のひとときでした。
18 : 08 : 59 | 京料理 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
京の七夕
2011 / 08 / 06 ( Sat )
京の七夕

第2回目を迎えた「京の七夕」が8月6日~15日までの期間ではじまりました。
会場を鴨川と堀川を中心とした2会場でいろいろな催しが行われています。

特に今年は東日本大震災の復興と犠牲となられた方々への鎮魂の意味も
こめて「ひとつの思い」をテーマに繰り広げられております。

京の七夕

鴨川会場では毎年開かれてきた鴨川納涼に合わせて「京の七夕」が昨年から
開かれております。


鴨川

灼熱の太陽が西に傾きはじめるころ、鴨川にはそよ風が吹き始めます。
夏のモクモクとした雲も西日を受けながら次第にその影を柔らげていきます。

七夕飾り

辺りが薄暗くなり始めると、鴨川にせり出す床(ゆか)には灯りが点けられ、
七夕飾りの明かりも灯り始めます。

七夕飾り2

近年の七夕飾りには昔と違ってLEDによる電飾がキラキラと輝いて、蛍の輝きの
ようでもあり、人々の目を楽しませてくれます。

竹行燈

鴨川に平行した三条、四条間の禊川には竹による光のオブジェも幻想的な光を
放っております。

知事

東日本大震災復興実行委員会のブースには山田京都府知事も浴衣姿で応援に
駆けつけて励ましておられました。

郡上踊り

鴨川の西岸の特設会場では京都出身の ”ア カペラ” による音楽や
京小町踊り、岐阜県の郡上おどりなどが次々と催されております。

友禅流し

”京の着倒れ” 京の着物は あでやかで優美なものです。その着物の出来る
友禅の最後の工程「水洗い」は、昔は鴨川や堀川を中心にして川で友禅流しとして
行われておりました。

しかし、化学染料の使用に伴い公害問題が発生してきたため、川での水洗は中止され
現在では工場内で水の浄化とともに行われるようになりました。
故にその工程は人々の目に触れる機会が少なくなり、友禅染めに対する関心も
薄れつつあります。

これを少しでも多くの人々に知ってもらうためにも、その工程を再現して「友禅流し」の実演が行われています。

友禅流し2

今回使用されている反物はすでに水洗処理を済ませた出来上がりの反物がショーの
ために使用されております。

昔はこのようにして川で行われていた作業は京の人々には華やかで活気がみなぎった
風景ではあったのでしょうが、職人の方々には重労働であったことが偲ばれます。


将棋教室

手毬教室

大道芸

鴨川会場にはテントによる沢山のブースが設けられていて、
幼児と祖父の年齢差がある将棋教室では微笑ましい光景や、

手毬教室、囲碁教室、琴演奏教室、等々多くの夏休みの子供たちで
賑わっています。

また火による大道芸も多くの見物人を集めておりました。

行燈

行燈2

三条から北の岸には”竹と灯りの散策路”と題して、竹で編んだ風鈴灯
が置かれ、竹籠に中には風鈴が取りつけられていて、そよ風とともに
風鈴の音が心地よくLEDによる明かりが幻想的に広がっています。

鴨川会場では8月14日まで、堀川会場では8月15日までの
午後7時~9時まで行われています。
21 : 55 : 12 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
誓願寺
2011 / 08 / 06 ( Sat )
落語発祥の地 誓願寺

新京極通りの三条を下がっていくと東側に「誓願寺」が見えてきます。

誓願寺

誓願寺は、浄土宗の西山深草派の総本山で、山号を深草山と号し、
ご本尊は阿弥陀如来をお祀りしています。

歴史は古く、飛鳥時代(667年)天智天皇の勅願により奈良に創建されました。
鎌倉初期には一条小川(現在の上京区誓願寺通小川西)に移転し、天正19年
豊臣秀吉の都市計画により三条寺町に移転し、今日にいたります。

当時は6500坪もある広大な寺領で、表門は寺町六角に北門は三条通りに面し
塔頭寺院が18カ寺もあったそうです。

また三条~四条間の寺町通りには大小11カ寺もあり、大層賑わっていたようです。

この辺りは京都の中心地でもあり、戦乱の影響も受けやすくこれまで10回も
火災にあいました。
明治になって新京極通りが作られ4800坪余りの土地は没収されたりして寺領は
狭くなりましたが、熱心な信者の方々の結縁により今日なお守られております。

石柱

本堂

現在の本堂は昭和39年(1964年)に鉄筋コンクリート造りに建て替えられました。

扇塚

扇塚は世阿弥の作による謡曲の「誓願寺」のなかで、和泉式部が歌舞の菩薩として
現れたことが書かれていて、能楽はじめめ舞踊家の方々から多く信仰を集め、
参詣者が扇塚に芸上達を祈願して扇子を奉納するといわれるものです。

扇塚2

また、誓願寺の第55世策伝日快上人(1554~1642)は優れた説教師でもあり、
文人でもあられ、小堀遠州や松永貞徳とも親交があったといわれております。

策伝上人はお経を判り易く、親しみやすく説くために笑い話を交えお話された
そうで、それらのお話を集め『醒睡笑(せいすいしょう)』8巻にまとめられ
ました。これが後に落語のネタ本となつたことにより「落語の祖」とも呼ばれ
誓願寺も落語発祥の地として知られるようになりました。

迷いご石柱

誓願寺の門前には「迷子みちしるべ」という石柱が建てられております。
右側に「教しゆる方」左側に「さがす方」と彫られていて、その当時は
警察制度がなかったので、人々は迷子や落としものをした人は
探す方へ、又拾ったり、迷い子を見つけた人は教える方へ紙に書いて
この石に貼り付けたもので、多く人の集まる処へこの紙を頼りに
迷い子を探し訪ねてきたものです。昔の名残がここに残されております。

新京極通りにはこのように由緒深いお寺があります。
13 : 42 : 11 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
新京極通
2011 / 08 / 05 ( Fri )
新京極通

京の中心街に三条から四条までの約550mを通した「新京極通」という
歓楽街があります。

地元の方よりも京都を訪れた観光客や修学旅行で訪れた学生さんたちが
多く訪れる通りです。

新京極通


rekishi_3.jpg  rekishi_2.jpg

もともとこの辺りは豊臣秀吉の都市計画によってお寺を寺町通の
東側に集め、西側には芝居小屋や茶店などで賑わっていた通りでした。

元冶元年禁門の変に伴い長州藩邸(今の京都ホテルオークラ辺り)付近と
堺町御門付近から出火した”ドンドン焼けとも呼ばれる大火は
北は丸太町から南は七条、西は東堀川あたりまで広がり寺町辺り
は荒廃しておりました。

明治に入り京都は東京遷都で天皇が東京に行かれ、それにつれ公家衆や
商工業者もこぞって東京に行ってしまわれ、町は衰退していきました。

これを克服しようと明治5年に第二代京都府知事の槇村正直氏がこの
各寺地の土地を削り取って新しい道を三条から四条間約550m、
幅6mに通してこれを市民の憩いの場にしようと作られた繁華街が
新京極通です。

当初はお寺や墓地の跡地というのが嫌われ土地の払い下げ値段は
非常に格安で当時坪50銭であったようです。

できたお店は浄瑠璃、落語、身振り狂言、見世物、大弓、小弓
料理屋、牛肉、蕎麦屋、茶店などであったようです。

明治6年頃から活気をもたらしはじめ、明治30年代には東京の浅草、
大阪の千日前などと並ぶ繁華街として知られるようになりました。

新京極通の名前のがつけられたのは、寺町通が平安京の京極大路に
あたり、その東に新たに作られた通りから「新京極通」と名付けられ
ました。

映画館

この新京極通も昭和の時代には通りは非常に賑わいをみせ映画館だけでも
7館くらいはありましたが、時代の趨勢で、いまではお店の形態も変わり
映画館はこのMOVIXとあと1館位になりました。
MOVIXは11シアターあり、タイムリーな映画の上演がなされております。


通り2

七夕飾り

おりしも昨年からはじまった京の七夕まつりが8月6日からはじまるのに
あわせ七夕飾りが通りの彩りを増しております。
18 : 28 : 37 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
駒井家住宅
2011 / 08 / 01 ( Mon )
昭和初期の洋館 駒井家住宅


京の左京区、白川通と御蔭通が交差するあたりは疏水が流れ桜のころには
見事に咲き、新緑、紅葉と風光明媚なところです。

この疏水を少し上がっていくと疏水べりに「駒井家」住宅があります。

外観

清閑なこの辺りは昭和初期の頃にはまだそれほど家も建ち並んでいなくて
田圃や畑の中に別荘地として家が建てられておりました。

外観2

駒井家住宅とは、我が国の遺伝学において権威のある駒井博士のお宅です。
日本遺伝学会長として新しい遺伝学の発展に寄与され、東京大学や京都大学
でも教鞭をとられておりました。

また昭和天皇に生物学を教授された学者としても有名な方です。

中でも動物分類額・動物遺伝学に大きな功績をのこされました。
その駒井博士のご自宅は近年特に建築学会で注目を集めている、
ウイリアム・メレル・ヴォーリズの建築によるものです。

ウイリアム・メレル・ヴォーリズはアメリカカンザス州レブンワークス生まれ
で1905年に日本に英語教師として来日され、建築はもとより、近江八幡に
近江兄弟社を設立、メンソレータム事業や学校、病院など数々の業績を残され
た偉大な方です。

戦後連合軍総司令官ダグラス・マッカーサと近衛文麿との仲介工作にも
尽力された方としてその名を知られております。

1941年日本に帰化され華族の一柳末徳子爵の令嬢満喜子さんと結婚され
京都では、大丸ヴィラや、同志社大学啓明館・アーモスト館をはじめ
日本各地で多くの作品を残されております。

メレル・ヴォーリズの設計には実用性を重視した中に細やかな工夫が
凝らされていて、住まう人の気持ちに寄り添ったやさしい建築で
定評があります。

玄関

外観は当時アメリカで流行していたといわれるアメリカン・スパニッシュ
様式を基調に屋根は切り妻屋根、赤色桟瓦屋根、外壁はモルタル塗
西向き玄関がとられております。

リビング

居間の窓はアーチ型で白を基調にしたやさしい造りです。
日当たりがよくお庭の木々も四季折々に楽しめます。

ドアノブ ドアノブ2

ドアのノブは来客用のお部屋には色つき、プライベート用には透明なノブと
わけられております。 細やかな配慮ですね
    
ステンドグラス

階段

玄関のすぐわきに2階へあがる階段が取りつけられております。
駒井夫人はよくお着物をお召しになっていたので階段も緩やかに、
手摺りも曲線を描いたやさしいデザインになっています。

階段の壁面にはステンドグラスがはめられていて、上から下に
少しずつ色が変わるようになっていて、秋には西日が当たると赤くそれは
綺麗にうつるそうです。

2階プライベートルーム

2階のプライベートルームも日当たりがよく窓からは大文字の如意が岳が見えます。

大文字

書斎

書斎の本も当時のままの配列で並べられているようです。
カーテンの赤色は本や家具を傷めない色だそうです。

和室

和洋折衷のつくりで和室も造られていて、内張りの障子が安らぎを与えます。


階段の歯車

このギアは屋根裏に架かるハシゴを下ろす時に使うものだそうです。

屋根裏階段

このハシゴがギアうを廻すと下におりてきて、使わない時は天井の役目を
いたします。実に機能的です。

お庭から

お庭から建物をみた様子。ヴォーリズ建築のデザインがよく表われています。

庭

お庭には芝生のまわりに四季折々の花が植えられて楽しませてくれます。

駒井博士とメレル・ヴォーリズの繋がりは、駒井夫人が、満喜子夫人と
神戸女学院時代の学友であったことから、ヴォーリズ建築によるお住まいが
建てられたようです。

この建物は平成10年(1998年)京都市指定有形文化財に登録されています。

現在はこの建物は駒井博士のご家族が「この建物と景観、並びに
駒井卓・静江夫妻の実績を未来に伝え残したいと念願され2002年(平成14年)
に日本ナショナルトラストに寄贈されました。
期間を区切って一般に公開されておられます。

京の夏の旅として7月9日~9月30日まで一般公開されておられます。
入館料は600円です。

駒井家住宅へは市バス3、204で伊織町下車徒歩2分
市バス5京都造形大学前下車徒歩4分です。
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