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紫野辺りの史跡
2011 / 09 / 20 ( Tue )
紫野の辺りの史跡 紫式部・小野篁の墓

京の紫野、堀川通の北大路を下がったところに、紫式部と小野篁のお墓が
あります。

小野篁卿墓 紫式部の墓

丁度紫式部の墓所の入り口、石碑の傍には紫式部の花実が色づいています。

この地に墓所が置かれたのは、南北朝時代に著された源氏物語注釈本
『河海抄(かかいしょう)』に「式部の墓は白毫院の南、小野篁の西」とあつたこと
によって現在の地に定められたと思われるようです。

白毫院は雲林院の末院で雲林院村の東南に位置していたようですが、応仁の乱
によって荒廃し、天正年間には引接寺(千本閻魔堂)に移されました。
現在引接寺にある紫式部の供養塔はその際に白毫院から移設されたと伝わって
おります。

紫式部墓2

紫式部墓3

通路を奥に進むと、一番奥に紫式部のお墓があります。
石碑の後ろに古墳が土盛りされていてその頂上にお墓があります。

 小野たかむら墓

紫式部のお墓の隣に小野篁のお墓があります。
紫式部は天延3年(975年)~位の年代、小野篁は延暦21年(802年)~の年代で
時代が異なりますが、このお墓が出来た頃、狂言綺語(小説)を操る物は
地獄に落ちると信じられたようで、小野篁は閻魔様に裁きを助けたといわれるように
源氏物語の愛好者が紫式部のお墓の横に小野篁を祀ったのではないかと伝えられて
おります。

今ではこのお墓は紫式部通り会の方々によって綺麗に清掃され、献花も行われて
守られております。
(資料は京都市考古資料館によるものから)




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宗像神社
2011 / 09 / 18 ( Sun )
宗像神社 神賑わいの祭

京都御苑の間の町口から入ってすぐのところに宗像神社があります。

鳥居

由緒書き

この地はもとは一条殿(文徳天皇后明子の里(あきらけいこ))藤原忠平の邸宅
といわれ、清和天皇の生誕の地であったところです。

平安遷都の翌年延暦14年(795年)桓武天皇の命により、藤原冬嗣が筑紫
(現在の福岡県)より勧請し創建されたと伝えられています。
応仁の乱で焼失し、現在の社殿は江戸期安政年間に再建されたものであるとか

明治維新までは花山院家の邸宅となり、宗像神社もその邸内にありましたが
邸宅が廃止されて後は社殿のみのこされました。

社殿

ご祭神は宗像三女神「多紀理姫命」「市岐嶋姫女」「多岐津姫女」
当社の三女神は別名「道主貴」といって全ての道を司る神様だそうです。
道の神(交通、運送の神)海の神(出産、生産、産業、文化)として
信仰されているようです。


例祭案内

例祭1

その宗像神社で9月18日に例祭である「神賑わいの祭」が行われました。

雅楽

舞楽

神様に収穫のお供えをして賑々しくお祝いをする行事、社殿の前では
雅楽と舞楽「豊栄の舞」が奉納されました。

元左近の桜

境内には御所の紫宸殿の元左近の桜の樹があります。

京都観光神社2

末社には恵まれた京都の観光に感謝して観光関係の方々により
昭和43年11月に、猿田彦大神をお祀りして京都観光神社が建てられて
おります。
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紫野辺りの史跡
2011 / 09 / 17 ( Sat )
紫野辺りの史跡

常槃井(牛若丸伝説)

京の北区で智恵光院通りの北大路を下がって(南入る)ほどなくの所に
「常槃井」と書かれた小さな石碑があります。

常盤井2 

この石碑のある辺りはその昔、常盤御前(牛若丸の母上)が住まいしていた
一条長成の別邸があった辺りとされ、この常槃井は常盤御前が日常の飲み水や
化粧に使っていたであろうと言われ、「常盤化粧井」と名付けられております。

常盤井

今はしっかりした井戸はなく、石碑だけが残されております。
石碑には 清水宗善之誌として お経の一説が刻まれています。

 願以此功徳 平等成一切 同発菩提心 往生安楽國
 寛永十二択歳十月十五日

 裏側には昭和十四年四月

と記されております。

牛若丸は鞍馬寺に預けられし幼少の頃、16歳で奥州に発つまでの間、
母恋しさに足しげくこの辺りまで通ったことが想像されます。
と地元の方は話されていました。

この常槃井の横を奥に進むと、今は荒れ果てたところに塚があります。
これを「衣縣け塚」と呼ばれる古墳があります。

衣懸け塚

絹懸塚、鐘塚ともいわれているそうです。以前は松が植えられていましたが
昭和の初めに枯れ、その後はイブキが植えられています。

この古墳は紫野一体に散在する古墳の一つで、後朱雀天皇、堀河天皇、二条天皇の
どなたかのものとされましたが、明治のころにその節から除外されたようです。
衣懸けとは、遺骸を風葬するとき、その周囲を布で仕切ったと言われています。
今は古墳の跡かたもないほど荒れています。

石碑の上で近所の猫が爆睡していました。
傍でシャッターを切っても気づかないほど安心してよく眠っていたので
起さないようにそっと足音をしのばせて失礼してきました。

弁慶腰掛石

この常槃井から細い通りを一筋上がった所を東に入ったお米屋さんのお家の中に
「弁慶の腰掛石」という大きな石があります。

お家を改築されるときにこの石を移動させようと試みられたそうですが、その石は
余りにも深く大きかったので、もとのままにして残されたそうです。

弁慶は義経の郎党熊野の弁しょうが二位大納言の姫君に産ませた子
弁心の子湛漕とする節もある鬼若と名付けられた・・・・・と
看板が掲げられております。

弁慶の腰かけ石

この界隈にはその昔、賀茂社に奉仕する斎王が住まいしていた賀茂斎院のほとりには
旧大宮通を南下する有栖川が流れそこに護浄の橋が懸けられていました。
弁慶はこの護浄の橋で力試しの千本目の太刀を奪うために待っていたところ
牛若丸と出合ったと謂われる石であると伝えられているそうです。

通常は五条の橋で牛若丸と弁慶の出会いがあったと伝えれていますが、
こちら出会ったという節もあるようです。

それにしても民家の中にこの弁慶の腰掛石があるというのは何とも奇妙な
思いがいたします。


色紙

お米屋さんには、大徳寺の前管長さん橘大亀老子による「弁慶の腰掛石」
色紙が掲げられております。
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雲林院
2011 / 09 / 16 ( Fri )
紫野 雲林院

京の北大路通を西へ大宮通の西、大徳寺の近くに雲林院があります。

この辺りは昔は広大な荒野で狩猟なども行われていたといわれております。
淳和天皇(在位823~833年)はここに広大な離宮”紫野院”を建立され、度々
行幸されました。
桜や紅葉の名所ともなり、文人を交えて歌舞などの宴が催されていたようです。

その紫野院は仁明天皇の皇子常康親王に伝えられ、貞観2年(869年)に
僧正遍昭を招き、官寺「雲林院」と改められました。

雲林院 門

もとは天台宗に属していましたが 鎌倉時代には大徳寺の建立により敷地は
施入・子院となりました。
応仁の乱・天明の大火により焼失してしまい、現在の伽藍は江戸期の
宝永4年(1707年)に寺名を踏襲して大徳寺の塔頭として建てられたものです。

2000年に行われた雲林院跡東域の発掘調査で初めて平安時代の園池や建物跡・井戸跡
が発見されたようです。

ご本尊

観音堂には十一面観世音菩薩像と大徳寺開山の大鐙国師像が安置されています。

源氏物語ゆかり

またこの雲林院は『源氏物語』にも縁のあるお寺です。

『源氏物語』「賢木」の巻きに光源氏が逢ってくれない藤壺の態度が辛くて出家
しようと伯父にあたる桐壺更衣の兄、律師のいる雲林院に籠るというお話で登場
してまいります。

また賀茂祭りの還立を見物するため朝早くから雲林院辺りに牛車が立ち並ぶ
描写も『枕草子』にでてまいります。

謡曲に「雲林院」というのもそうした昔をしのんで作られたと言われております。

井戸

境内には手水鉢の隣に井戸が残されております。

貧頭蘆尊者

僧正遍昭和歌

境内に小倉百人一首の第12番 僧正遍昭の歌碑が建立されています。

 天つ風 雲かよ比千 ふき登ぢ餘 をとめの姿 しばしとどめむ
 (あまつ風 雲の通い路 吹きとじよ をとめの姿  しばしとどめむ)

境内は静かで、綺麗に整備されていて、時々地元の信者の方がお参りされています。
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町家でフレンチ
2011 / 09 / 14 ( Wed )
町家でフレンチ

京の下京区に的場通という東西の通りがあります。
東は東洞院通から西は新町の通りで、六条通りの一筋北にあたります。
この通りは17世紀頃鎰屋町通と楊梅通と並んで二条柳町から移された
遊郭。六条三筋町に関係して開かれたとみられるといわれております。

近くに東本願寺があり、昭和時代には呉服を商いするお店が多くあった
ところでもあります。


玄関

その的場通りの室町と新町の間に築100年を経過した町家をそのまま
使ったフレンチのお店があります。

もともと炭屋さんであったものらしいです。

看板

お店の名前は ”ア・プ・プレ ” 意味は だいたい、とか おおよそ
という意味だとか

玄関には葡萄の木がたわわにたれさがり、実をつけていて、お店の
玄関のアクセントになっております。

ゲストルーム


       玄関2

土間に厨房があり、引き戸もそのまま使われ、坪庭もそのまま楽しませて
くれます。

前菜

前菜はチーズうをくるんだシュークリームにサーモンの燻製

スープ

スープはかぼちゃのスープ

メインデイッシュ

メインは白身の魚の香草焼、紫芋、ゴーヤ、カリフラワー、人参
とサラダ

フルーツ

デザートは サワークリームと果物 木苺

お茶の供

ハーブティー

ハーブティーとクッキーです。

全体に香草の香りがよく、お野菜が程良いソースとマッチした爽やかな
お味でした。

最近町家を利用した、町家の雰囲気を上手に利用したフレンチ、イタリアンの
お店が多く出されるようになり、夫々の個性が生かされたお店をみることが
できます。

京の町家は奥行きが深く、うなぎの寝床といわれる謂れでもありますが
一歩中に入りますと、お店の奥には、通り庭があり、坪庭があり、床の間が
あり、気持ちが安らぐ空間があります。

いい形でこの町家が保存されることを願いたいものです。
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京の観月祭
2011 / 09 / 12 ( Mon )
上賀茂神社の観月祭

9月12日は十五夜、京の都では観月祭が各神社・仏閣で開催されています。

その昔、生活の灯りは蝋燭、行燈が唯一の光であった頃は、暗い夜の楽しみは
月でした。毎月の満月を楽しみに、殊に秋の月は空が清み渡り月は一段と輝いて
夜長に空を見上げ、又池に写した月を愛で、酒盃をあげて風流を楽しみました。

そんな行事が今は少し様子を変えながら、それでも陰りながら、また煌々と
光る月を愛でる心持は変わらず私たちの心に根づいております。

上賀茂神社

京都の北に平安遷都の際桓武天皇が行幸され、以来王城鎮護の神とされてきた
上賀茂神社で観月祭が行われました。

上賀茂神社の祭神は賀茂別雷大神(かもわけいかずちのおおかみ)
世界文化遺産に登録されている神社で、境内に建つ多くの社殿は重要文化財に
指定されています。

ねぶた

参道の芝生では京都造形大学の学生さんによる「ねぶた」の制作が今行われて
います。今年の6月から計画が始まって、今月14日から19日まで夜は点灯され
夫々投票によるコンテストも同時に行われるようです。
白が基調色で、中のライトで夫々色づけされるようです。
どんなのが出来るかたのしみです。


お供え

観月祭の祭壇には今年収穫された品々がお供えされています。
お米、お酒、塩、水、果物、里芋、月見団子、秋の七草等々

神事

午後5時30分から神事がおこなわれました。
主祓いの儀に始まって、大田神社の天鈿女命をお迎えしての観月祭
祝詞奏上、玉ぐし奉納など、収穫の感謝がのべられました。

関島秀樹氏

神事の後は、関島秀樹氏のライブ
関島氏は熊本生まれで現在は滋賀県大津市在住の歌手、東日本大震災後、被災された
方々に少しでも元気づけたいと現地に赴き、コンサートを通して活動を続けられて
いて、「がんばる君のために ずっと」の歌も作られ励まし支援を続けられている方です。
歌の中には、あの和歌山の大津波から住民を救った「稲村の火」も歌にして歌っておられます。
声量のある声でギターとハーモニカを演奏しながら心に訴えかける素晴らしいライブ
でした。

月

ライブも盛り上がってきたころに、馬場殿の上から雲間より満月が顔をみせ
はじめました。
時々雲間に隠れたり顔を出したりしながら参拝者の人々を楽しませてくれました。

月見団子

ライブの後は亀屋長生さんの「お月見団子」と増田商店さんの「にごり酒」が
参拝者に振舞われました。

お月見団子は道明寺が餡子にくるまれた上品なお味のお団子でした。
にごり酒はちょっと舌にピリピリとくる辛口のにごり酒でした。

お月見を楽しんでお団子を戴き、酒盃に、風流を楽しむことが出来た
お月見でした。


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京都府庁旧本館で朗読公演
2011 / 09 / 10 ( Sat )
京都府庁 旧本館で朗読公演

京都府庁は明治18年(1885年)神泉苑の西(二条城西)にあったものが現在の
場所に移転されましたが、当時の建物は京都府中学校の校舎をそのまま利用
しておりました。

それが明治37年(1904年)に東京帝国大学で西洋建築を学んだ松室重光の設計
によって新たに竣工されました。

建物全体はルネッサンス様式で内部意匠には和風の建築様式が用いられて
おります。

建物内の正庁では大正・昭和天皇の御大典の打ち合わせ会議が行われたり
主要な会議などが行われて参りました。

この正庁は格式が重んじられていて、和風建築の中でも格式の高い天井手法で
折上小組格天井という形がとられております。

この京都府旧本館は平成16年に国の重要文化財に指定されています。

庁舎

正庁2

この旧本館は現在は知事室・正庁などが見学でき、特に正庁は市民の方に
結婚式や、発表会、会議等に貸し出しをされております。

案内2

その正庁で、京都で活躍する朗読ユニット「グラス・マーケッツ」の朗読公演
が9月10日・11日と2日間にわたって行われています。

グラス・マーケッツは1999年12月に結成されそのコンセプトは「言葉と音の融合」
でオリジナルな朗読と音楽を基本に劇場・美術館・カフェまど様々な空間で
作品を発表されています。

朗読

今回は龍船事件
波に乗って届けられた二つの物語。「時間」という「謎」を解き明かすミステリー
夢と伝説を結びつけ、犯人は?その背後にある「龍」と「船」は

音響効果もともなって1時間余りの時間物語に吸い込まれていきます。
情景が目の当たり見え波の音で海原を渡る、朗読の奥深さ、表現の
素晴らしさが伝わってきました。

11日も午後7時から京都府庁旧本館の正庁で開催されます。
入場料は2,000円です。


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能の囃子と舞踊
2011 / 09 / 09 ( Fri )
能の囃子と舞踊のコラボレーション

能楽は室町時代に成立した歌舞劇です。

平安時代以降「猿楽」と称され、当初は社寺の神事や法会の
儀式に用いられていました。
鎌倉時代に神事猿楽が演劇的要素を取り入れ猿楽能に発展し、
室町幕府の三代将軍足利義満の庇護を受け京都に進出。

大和猿楽「観世座」の観阿弥、世阿弥親子に代表される能楽師らの手に
よって大成されました。
世阿弥は猿楽能に田楽能の歌舞や曲舞のリズムを取り入れ幽玄な能を
完成させました。

以後武家社会を中心に大和猿楽四座が活躍し発展してまいりました。
また能楽は第1回ユネスコ世界無形遺産に認定されています。

その能の囃子幸流鼓方「曽和尚靖氏」は能楽の囃子を入り口として
一人でも多くの方に能に触れ楽しんでもらおうと
いろいろな催しを企画され精力的に活躍されています。

今回は能の囃子と舞踊のコレボレーションが大江能楽堂で
9月9日、10日と2日間にわたって午後7時から催されています。

玄関

大江能楽堂は今では日本で唯一となった明治の建物です。
明治41年に大江竹雪によって設立されました。
本格的な橋掛かりがあり客席は今も畳敷きの升席(桟敷席)で最後列は御簾席
となっています。

能舞台

能舞台も黒く磨き抜かれた趣き深い舞台です。


桟敷席

今回は舞踊家でもあり振付師でもある「ボヴェ太郎氏」とのコラボレーションによる
「静寂(しじま)の焔」と題して能の演目「葵上」が演じられました。

能の囃子にのって妖しく「見えているのに見えない、聞こえているのに
聞こえない」現代表現ではあるが、能楽、すり足に体重をのせ葵上の身に
迫る六条御息所の怨霊との戦いを表現されていました。

体・四肢の美しさ、指使いの美しさが能とまた違った表現でした。
10日も午後7時から開催されています。

大江能楽堂は押小路通柳馬場東入るです。
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白露
2011 / 09 / 08 ( Thu )
白露

白露

厳しい暑さと節電の今夏も、ようやく朝夕は涼風が心地よく感じられるように
なりました。

9月は長月・・・夜長月、稲刈月から呼ばれるようになったともいわれこれから
秋の収穫が始まります。

8日は白露、熱が上空ににげて水蒸気が草など水滴となってついて露になる現象
草露白(そうろしろ)・・草におりた露が白く光る様

「萩の露 玉にぬかむと とればけぬ よし見む人は 枝ながらみよ」
   (古今和歌集)

9日は重陽の節句・・邪気を払い、寒さにむかい無病息災を願い行われた宮中行事
  から始まった季節の行事

そして12日はお月見、十五夜、暑さ寒さも彼岸までと昔の人から言い伝えられてきた
生活の営みが季節の変化とともに移り変わります。

京の都では、お月見の行事が今年は9月12日を中心に催されます。

一年で一番美しく輝くお月さまに秋の収穫の感謝をしお供え物をして愛でる行事は
風流な日本の文化を伝えるものです。

その昔は龍頭船にのり、和歌をしたため、池に移る月に酒盃をあげ楽しんだ様を
今も再現され伝えられる雅な文化を楽しんでみたいものです。

芙蓉

夏から秋へのバトンタッチ、
名残の芙蓉の花はまだ綺麗に咲き誇っております。
芙蓉の種類も数種あり

酔芙蓉は朝は白、昼は桃色、夕刻は紅に変化するもので酒に酔った顔にたとえ
 名付けられたものとか

いずれも一日花、今妙蓮寺で数種が咲いて訪れる人を楽しませております。
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