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西明寺
2011 / 11 / 29 ( Tue )
高雄三尾 槇尾山西明寺

高雄三尾の一つ 槇尾山に西明寺があります。

石柱


古義真言宗に属する西明寺の山号は槇尾山といいます。
ご本尊は鎌倉時代の運慶作による釈迦如来で、清涼寺式釈迦如来と
伝えられていて重要文化財に指定されています。

指月橋
西明寺に続く指月橋です。

天長年間(824年~34年)弘法大志の高弟智泉大徳が神護寺の別院として
創建したことによりはじまります。
その後戦火で荒廃し、神護寺と合併いたしましたが、慶長7年に再興されました。
本堂は五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の寄進により再建されました。

本堂

高雄三尾は紅葉の名勝としても名高く、この時期は多くの観光客で賑わいを
みせます。
紅葉とともに京の都に継承されている旧跡もまた見事なものが多く点在し、
少しでも多くの方々に訪れて肌で感じて頂けることは素晴らしいことだと
感じます。

紅葉

この辺りの素晴らしい紅葉は天麩羅として食することができます。

紅葉の天麩羅

お味は淡白で衣の味付けとともに味わいます。カリカリとして口当たりが
いい感じです。
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神護寺
2011 / 11 / 28 ( Mon )
高雄三尾  高雄山神護寺

高雄三尾の一つ 高雄山に神護寺があります。
真言宗の別格本山で 正しくは 「神護国祚真言寺」といいます。
御本尊は薬師如来。
天長元年(824年)和気清麿が河内国に建立した神願寺を高雄山に移し、当地に
あった高雄山寺と合併して勅願所としたのが始まりです。

和気一族は叡山の最澄や空海をこの寺に招いて法華会を開き活躍の場とされた
ため、平安仏教の発祥地となったところといわれております。

平安時代には災害により荒廃していましたが、後白河法皇の勅許を得て
源頼朝の援助をもって復興いたしました。

応仁の乱で再び焼失し、現在の金堂、楼門、五大堂、鐘楼は元和9年
(1623年)に板倉勝重の奉行によって再建、
又昭和に入ってから山口玄洞の寄進で金堂、多宝塔が新築され昭和の名作と
いわれております。

寺宝には「伝源頼朝像」「伝平重盛像」「伝藤原光能像」の肖像画や
現存最古の「高雄曼荼羅」「空海筆灌頂暦名」神護寺様式の「薬師如来立像」
や重要文化財等が多く所蔵されています。

又これらの文化財は「宝物虫払い」の時に見ることができます。

参道 

これより石段を沢山登ります。

硯石2

石段の途中に硯石という巨岩がりました。
説明には弘法大師が神護寺に在山の時勅額の依頼を受けたが五月雨で
橋が流されたため、石を硯とし対岸に向かって立てかけた額に向けて
筆をなげられたところ見事に「金剛定寺」の四文字を書かれた。
といわれる縁の石だそうです。

参道2

参道を登ってまいります。色とりどりに紅葉のコントラストを楽しみます。
下は清滝川の清流を観ることができます。

本堂

金堂にたどりついたころには汗ばむ位の石段を何段も登りヤレヤレという
感じで、最後まで上り詰めた達成感を味わいながらお参りいたします。

蛙股

金堂の蛙股は色彩も鮮やかに装飾が施されています。

紅葉3

金堂から下の伽藍を眺めたところも紅葉真っ盛りです。

多宝塔

紅葉

神護寺の紅葉は後1週間位と思われます。

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高雄のもみじ家
2011 / 11 / 27 ( Sun )
高雄の「もみじ家」

高雄にある料理旅館で有名なのは「もみじ家」さんです。

創業は明治40年といわれております。
それ以前は江戸時代から代々続く山林業を営んでおられました。
京都は北山杉で有名なところで、その北山杉を造林されていました。

又代々本家では高山寺や神護寺の総代役も勤められ、参拝者の
宿泊やお料理を出しもてなしておられたことにより、料理旅館
「もみじ家」として始められた由緒あるところです。

3s.jpg

秋は紅葉、冬は雪景色を楽しみ、夏は川床の納涼床でお食事を
頂きながら、清滝の清流を楽しむことのできるところで
高雄にいったら是非立ち寄りたい「みみじ家」さんでお昼の
御膳を戴いてきました。

もみじ家食事

手桶の上段には青のりの刺身こんにゃくとなま麩のお造り、
下段には秋の取り合わせいろいろ
 いがぐりの揚げ物、エビの素揚げ、茄子、里芋、だし巻き、
 野菜の吹き寄せ、なま麩饅頭、干し柿 等々
湯豆腐は嵯峨の森嘉さんのお豆腐に三つ葉そえ
ご飯に香の物、 フルーツ

という御膳内容でした。
今の時期は紅葉見物のお客様で大層賑わいます。

送迎バスも、地下鉄東西線、JR花園駅もあります。
もみじ家さんの電話は075-871-1005です。
21 : 13 : 34 | 京料理 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
高雄三尾の紅葉模様(1)
2011 / 11 / 26 ( Sat )
高雄三尾  栂尾山高山寺

京都は右京区内の北に高雄三尾といわれる栂ノ尾槇ノ尾、高雄があります。
春は桜、秋は紅葉の名所でも知られている風光明媚なところで
その栂尾の楞伽山に平成6年に世界遺産として登録されている
「高山寺」があります。

高山寺は宝亀5年(774年)光仁天皇の勅願によって神願寺都賀尾坊
として開創されました。
その後「栂尾十無尽院」と改称されましたが、鎌倉時代に明恵上人が
後鳥羽上皇の院宜により南都東大寺の華厳を根本とし、戒密禅を
兼ねた寺としました。1206年に勅額「日出先照高山之寺」を賜り、
寺号を「高山寺」と改称されました。


石水院

その高山寺には国宝の「石水院」があります。
明恵上人が後鳥羽院より学問所として賜った建物で明恵上人時代の
唯一の遺構とされ機能的な構造は住宅建築の傑作ともいわれています。
扁額は鉄斎によるものが掲げられております。

また、高山寺には国宝とされる
「鳥獣人物戯画四巻(鎌倉時代)」や「明恵上人樹上坐禅像」仏願仏母像」など国宝、重要文化財は1万点にも及ぶとされています。
特に鳥獣人物戯画は動物(蛙、兎、狐、等々)が人間の姿で描かれて
いるのはとても興味深く、滑稽さもありたのしく見ることができます。
現物は国立博物館に所蔵されていてそのレプリカをみることが
できます。

庭園

石水院の前庭は散紅葉の絨毯が敷き詰められています。

わらべ地蔵

茶園

栂尾山は茶の発祥の地ともいわれ、明恵上人は茶祖といわれています。
鎌倉時代初期、栄西禅師が宋に渡り養生、仙薬、延命の妙術として
これを広めようと茶種を持ち帰り明恵上人におくられました。
明恵上人はこの茶種を栂尾に植えられ、広められました。
栂尾は茶の本園、その茶は本茶と呼ばれ、天皇への献茶も毎年
行われて参りました。

開山堂2

開山堂の紅葉です。

灯籠

参道にある燈籠は大きな春日燈籠です。
これより金堂道を通り高山寺で一番高所にある金堂へと続きます。
金堂の隣には、旧石水院跡、また仏足石なども拝観することができます。

高山寺の紅葉はそろそろ終盤となります。
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龍源院
2011 / 11 / 15 ( Tue )
大徳寺塔頭 龍源院

大徳寺の塔頭の一つで、金毛閣の南に位置するところに龍源院があります。
畠山義元公(能登の領主)と大友義長(九州の総督、大友宗麟の祖父)によって
開祖に東渓宗牧禅師を迎え建立されました。
大徳寺中で最も古いお寺であると説明されております。

明治の初めの神仏分離により、現在の大阪の住吉神社内にあった慈恩寺と
金森長近(岐阜高山城主)が大徳寺に創建した金竜寺を合併して
龍源寺として今日に至るそうです。

門

表門は室町時代の四脚門で桧皮葺の一重切妻造りで重要文化財に指定されています。

通路

通路を通り表玄関へと進みます。この通路の奥が唐門になります。

阿吽の庭 阿

庫裏の前庭は阿吽の庭とされています。
阿の丸い礎石は聚楽第のものだと伝えられているようです。

阿吽の庭 吽

掃目の整ったこの阿吽のお庭は「滹沱庭(こだてい)」と称される庭で
中国河北の鎮州城の南にながれる滹沱河より名付けされたそうです。
ここは宗祖が昔住まわれたことがあるところだそうです。

碁盤

龍源院に所蔵されている碁盤はその昔、徳川家康公と豊臣秀吉公が対局
された碁盤だそうです。

碁石徳川  碁石 豊臣

碁石も徳川の葵の紋と豊臣の桐の紋が描かれております。

扁額

方丈

方丈は室町時代禅宗方丈建築としてその遺構を残す唯一のものだと書かれて
おります。一重入り母屋造、桧皮葺は重要文化財に指定されております。

唐門

唐門も同時代のもので一重切り妻造り、桧皮葺は重要文化財となっております。

一枝坦 庭園

方丈前の庭園は「一枝庭(いっしてい)」と名付けられたお庭です。
中央の大きな石組は蓬莱山を表し、不老長寿の吉祥の島で、その右の石組は
鶴島、左の苔の中の石組が亀島を表し、白砂は大海原を表しているそうです。
すばらしく整えられたお庭に暫し留まって眺めてしまいました。

雲龍図

礼の間の龍と波の襖絵は作者、年代は不詳だそうです。

襖絵

開祖堂

方丈の西側には開祖堂があります。

龍吟庭

方丈の裏側のお庭は「龍吟庭」と名付けられ相阿弥の作庭で苔の部分が大海原、
石組が陸地を表し、中央の石組は須弥山、その前の丸石組を遙拝石を表して
いるそうです。 禅の奥義が表されているようです。

狐窟

狐窟と書かれたこのお部屋には「白蔵主」の屏風が置かれております。
この白蔵主には逸話が残されております。

白蔵主 屏風

昔、堺の南宗寺塔頭の松林寺に一人の雲水がおりました。
墨染の衣に身を包み、坐禅をしたり、托鉢をしたり毎日修行に励んでおりました。
ある時はこっそりと町に出て困っている人を助け、又悩んでいる人を救い導いて
助けておりました。実はこの雲水は松林寺の山内耕雲庵に住む一匹の古狐でした。

この狐の亡き後、付近の人々は裏山に祠を建て丁重にお祀りしておりました。
この屏風は鈴木松年氏がこの逸話を題材に書かれた傑作です。
がこの屏風にまつわる実話がありました。

昭和35年5月に大阪西成区に住まいされる杉浦という方が当院へ訪ねてこられ
事情を打ち明けられるに、近年家業が不振でその上家庭内の不運も重なり、
方々で見てもらったところ、あなたの家に狐さんの書いた屏風か軸がありません
か?、その狐はまだ修行をしたいと願っているので、一日も早くどこかの
お寺にあずけなさい。と言われどこに納めたらいいものかと訪ねあぐねて、
当院の前まで来たところ、どうしたことか、ここから一歩も前に進むことが
出来なくなりました。

というお話で、龍源院の御住職はその申し出を快く引き受け、「狐窟」と
名付けたお部屋にお祀りされているというお話です。

大阪の杉浦さんはそれ以後、家業も繁盛し、災いもなく平穏に過ごされているとか

屏風の狐の雲水はとてもその趣を表したどこか、幽霊を醸し出す絵だと
感じさせられました。
面白いお話です。

つぼ庭

方丈の東側にある壺庭は「東滴壺」と呼ばれ我が国では最も小さな石組の
石庭であるとされています。

禅宗のお庭はどこも夫々に工夫されたお庭で手入れが隅々にまで行き届いた
お庭で素晴らしいです。
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高桐院
2011 / 11 / 14 ( Mon )
大徳寺塔頭 高桐院

大徳寺の塔頭の内の一つ高桐院は本坊から西へ今宮参道の手前を
南に入ったところにあります。

門2

高桐院は慶長6年(1601年)に細川三斎公が父幽斎公の菩提所として玉甫紹和尚を
開祖に迎え創建されたものです。
開祖の玉甫紹和尚は細川幽斎公の弟君に当たられます。

細川三斎公は織田・豊臣・徳川と三代に渡り仕えてきた智将として名高く、また
茶人としても利休七哲のひとりとしてもその名声を残した人であります。

中門

表門から竹林の参道を通り、この中門より中に入ります。

茶室前2

細川三斎公は正保2年83歳で逝去され、その遺言により高桐院に埋葬されました。
法名松向寺殿三斎宗立は「松向軒」として茶席に名命され残されております。
書院は千利休の邸宅を移築したものであるとか、この書院に続いて茶席「松向軒」
があります。簡素なつくりの中に侘茶の空気が感じられます。

茶室前庭

書院前のお庭は紅葉が始まり、自然の営みを感じながらその色合いを
愛で楽しまれた茶の味は格別のものでありましょう。

茶室

茶室は簡素な二畳台目の「松向軒」です。
寛永5年三斎公が建立されたもので、黒壁の珍しい造りで、瞑想の場でも
あったようです。

蹲説明

高桐院内の西部の露路庭には「袈裟形」のおり蹲があります。
説明では加藤清正が朝鮮王城の羅正門の礎石を持ち帰り三斎公に贈られた
ものだとか、

袈裟型手水鉢

この蹲は地面深くに納められているので「おり蹲」というそうです。

灯籠

蹲の隣の燈籠で、いずれも三斎公愛用の物で、参勤交代の時もこの蹲と
燈籠を持ち歩かれたと書かれております。
それにしても、こんなに重い物をどうして運ばれたのでしょうか?

細川三斉の井戸

三斎公の井戸が残されております。

細川ガラシヤの墓石

三斎公とガラシャ夫人の墓石は生前愛用された石燈籠をもってそれに当てられた
ようです。

ガラシヤ墓石2

この燈籠はもとは千利休が秘蔵にしていた名燈籠で、豊臣秀吉と三斎と双方から
所望されていたが、利休はこの燈籠の裏面をわざと三分の一欠けさせ疵物として
その所望を断りました。利休が秀吉から切腹の命を下され、割腹の際改めて
三斎に遺贈されたもので「無双」という名が、また別名「欠燈籠」ともよばれる
燈籠です。

またこの高桐院の墓所には歌舞伎の始祖といわれた出雲のお国、名古屋山三郎や
森鴎外の著作で有名な興津弥五右衛門などのお墓もあります。

掛け軸

客殿には当山住職の「一鳥鳴山更幽」の軸が掲げられています。
鳥が鳴いて山の深さがより深められ、しずかさの幽境そのものという意味
だそうです。

紅葉2

本堂の前庭2

客殿前のお庭は江戸時代初期の造園だ楓樹を主体にした庭園で少しずつ紅葉が
始まり、間もなく真っ赤に色づいたお庭がみられると思われます。
その頃には楓の後ろの竹林の緑、苔の緑とと真っ赤な楓との素晴らしい光景を
みることが出来ます。
又散紅葉のころは、真っ赤な絨毯を敷き詰めたお庭の景色をみることができます。

11月下旬ころが見ごろを迎えることでしょう。
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第27回 京都賞
2011 / 11 / 11 ( Fri )
第27回 京都賞

京都賞とは、京セラ株式会社の会長稲盛和夫氏が私財をだされて1985年に
創立された映えある賞で、そこには
「人のため、世のために役立つことをなすことが、人間として最高の行為
である」
という稲盛氏の人生観から、一生をかけて真摯に努力を重ね、
その素晴らしい業績を挙げられた方々を讃えるための賞であります。

その賞が今年は27回目を迎えました。
今年もその大きな功績を残された方々の授賞式が昨日(11月10日)ここ
国立京都国際会議場で行われました。

受賞された方々は

先端技術部門からはジョン・ワーナー・カーン博士
基礎科学部門からはラシッド・アリエヴィッチ・スニヤエフ博士
思想・芸術部門からは五代目 坂東玉三郎丈

のお三方です。

今日はこの映えある受賞者の方々の講演会が同じく国立京都国際会議場で
行われました。


国際会議場

京都宝ケ池にあります国立京都国際会議場は昭和41年(1966年)5月に開館され
た国立の会議場であります。
2000名を収容できる大会議場はじめ約100室の部屋数があり、同時通訳装置等
があり、国際的な記念式典、展示会、シンポジウムが行われております。
設計者は大谷幸夫氏によるもので、伝統的な合掌造りの様式を現代的に生かした
設計がなされております。

開館されるあたり、京都の白川通が拡幅され、中央分離帯には樹木が植えられ
道路と町の整備がなされてまいりました。

公園

公園2

会館の中庭は噴水があり、池泉回遊式の庭園が続いております。
そろそろ紅葉も始まりだしました。

P1011467.jpg

玄関

講演は

先端技術部門の ジョン・ワーナー・カーン博士はドイツ生まれで1930年代
ナチスの迫害で多くの国々を廻られた幼少期を過ごされたが、研究すること
への情熱は人一倍強く、その研究過程について
「新しいパラダイムを求めて」
と題して「灰吹銀・・・灰を使って銀を取りだす」
スピノーダル分解理論などについて

基礎科学部門の ラシッド・アリエヴィッチ・スニヤエフ博士はロシアの
ウズベキスタン タシケントのお生まれで、幼少のころより機械を分解して
その構成を知ることがとてもお好きな子供であったと、
「宇宙物理学・宇宙論の革命50年~一科学者の目を通して」と題して
モスクワ物理工科大学教授で宇宙科学について研究されておられる
銀河団が散在する宇宙は熱い電子ガスとの衝突によってスペクトルが変形する
と、また高エネルギー天文学の観測的研究にも活躍されていることについて

思想・芸術部門の 五代目坂東玉三郎丈は
「私の考える舞台芸術」と題してご自身は幼少期から本能的に踊りが好きで
あったことと、いい師匠がいたこと。
「役者は芝居はしてはいけない。ただその人になってそこにいなさい。」
舞台の上での演技を通して、お客様に自分の演技ではなく、自分の演技の
遥か向こう側の世界を観ていただくものである。
そのためにはあらゆることを学ばなければならない

等夫々の分野で世界を代表する知性を持って日々精進されている方々の
言葉には奥深いものがあり、その奥を考えながら接していかなければ
ならないことを、難解な謎解きを投げかけられたような気持で拝聴して
まいりました。

京都が世界に誇る国際賞としての京都賞にこれからも関心を持ちたいと
思います。
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大徳寺塔頭 黄梅院
2011 / 11 / 11 ( Fri )
大徳寺塔頭 黄梅院

京は紫野、 大徳寺には22の塔頭があります。
その中の一つ黄梅院です。

黄梅院は、永禄5年(1562年)織田信長公が28歳の時羽柴秀吉を京都所司代に任じ
信長の父信秀公の追善菩提のために、大徳寺98世住持春林和尚を開祖に迎え小庵
を建立これを「黄梅庵」と名付けたのが始まりとされています。

信長公が本能寺の変によって急逝すると黄梅庵では小なりと、秀吉公は山内に
総見院を建立し、葬儀を執り行いました。

黄梅庵はその後天正14年秀吉公により本堂、唐門が改装され、天正17年には
小早川隆景普請奉行のもと鐘楼、庫裏が改築されました。

この時の庫裏は現存され、現在では日本に現存する禅宗寺院庫裏としては最古
のものとされ、重要文化財に指定されております。
昭和60年12月に解体修理が施されております。

天正17年小早川隆景によって改築された時(当院二世玉仲和尚)に黄梅庵から
「黄梅院」に改められました。

門
表門は天正17年小早川隆景によって寄進されたもので、なだらかな兜型の門です。

公墓所
門を入ると歴代の縁のある方々の墓中が建てられております。
(織田信秀公、毛利元就家一門、小早川隆景公、蒲生氏郷公の四柱)

本堂
門から本堂の眺め、
本堂は本瓦葺入り母屋造りで内部は室中、仏間、旦那の間、衣鉢の間、礼の間、
大書院とがあり秀吉公の援助により天正14年に落慶したものです。
昭和52年に全面解体工事がなされました。

庭1

庭2

表門を入ったところのお庭は杉苔に紅葉が枝を伸ばしております。
紅葉にはまだ少しはやいようです。
しかしこれが色づく頃は素晴らしい景色が味わえることでしょう。

鐘楼
鐘楼は加藤清正によって寄進されたもので朝鮮伝来の物だそうです。
獅子頭の彫刻が施されているようです。

灯籠

中門
これより中に入ります。

書院は大鐙国師(大徳寺開山)の遺墨「自休」を扁額に掲げた「自休軒」があり、院内には「咋夢軒」という武野紹鴎作の四畳半の茶室があります。

又黄梅院には11の茶室が作られております。

本堂の襖絵は雲谷等顔の水墨画が納められております。

本堂北側には「作仏庭」と称する枯山水の庭園、
本堂前には破頭庭があります。

又千利休が66歳の時に作られた「直中庭」があります。
直中庭は池泉式枯山水庭園で、大徳寺二世徹応和尚が比叡山より持ち帰ったと
伝えられる不動三石を正面に据え秀吉公の軍旗を型どった瓢箪型の池を手前に
加藤清正伝承の朝鮮燈籠などが配されております。

この直中庭を作庭して僅かの後、千利休は秀吉公によって自害に追い込まれ
たと言われております。
人生の無常というものでしょうか。

この黄梅院は苔の素晴らしさが漆黒の渡り廊下に映え、渡り廊下を巡りながら
直中庭、本堂、唐門、庫裏、昨夢軒と純に巡りますが、木々の息吹を感じながら
素晴らしい心安らぐ塔頭の一つです。

今秋の特別公開がなされています。拝観料は600円です。
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立本寺
2011 / 11 / 09 ( Wed )
日蓮宗 立本寺

京都JR二条駅の北千本通の仁和寺街道に立本寺があります。

立本寺は日蓮宗に属し、山号を具足山と称します。
京都妙顕寺、妙覚寺、立本寺を三具足山といい、日蓮の孫弟子日像聖人
よって建立されました。

門

日像聖人は幾度も都を追放されますが、民衆救済の使命に情熱を持ち
暦応4年(1341年)に四条櫛笥町に妙顕寺を建立、以後比叡山に宗徒によって
焼失、明徳4年(1393年)日実上人がその地に再建いたしました。
そして本寺を建てるという意味を込め「立本寺」と改名したと伝えられています。
その後豊臣秀吉の都市改革により寺町に移転しましたが、またもや大火により
焼失、宝永5年(1708年)に現在地に移転し現在に至るようです。

本堂2

建物は本堂、祖師堂、刹堂とコに字型に配置された日蓮宗の典型的な
伽藍配置となっております。

又、本堂、祖師堂、刹堂(鬼子母神堂)鐘楼、方丈、客殿、庫裏などは
江戸時代を代表する建築として京都市の文化財に指定されているようです。

扁額

殺堂
本堂からみた刹堂(鬼子母神堂)

師堂
本堂からみた祖師堂

本堂前には桜の木が沢山植えられていて春は見事に花をつけ桜の名所とも
なっています。
今は少しづつ葉が色づきはじめました。今年は紅葉が遅いようです。

方丈玄関
方丈玄関


庭1

方丈のお庭は江戸時代の作庭で、枯山水のお庭です。今回修復され一般公開
でお披露目が行われております。

池を掘らずに築山を築き、石で滝組を組み、白砂で水の流れを表現しています。
中央の石組は富士山の姿を表しているそうです。


庭2


庭3

庭4

手水鉢
手水鉢も当時のものらしいです。 形は判りません。

本堂の御本尊の裏には江戸時代中期の絵師 渡辺始興筆の「十六羅漢図」が掲げられて
おります。

日像上人の十界曼荼羅の軸装三幅も展示されております。

庭園修復記念の秋の特別公開は11月5日~12月4日まで行われております。
拝観料は600円です。
京都駅から市バス10番で千本中立売下車西へ徒歩7分です。
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京都御所
2011 / 11 / 07 ( Mon )
京都御所

京都御所は桓武天皇が京都に都を遷された延暦13年(794年)に造営された
内裏(宮城)のことです。
当時の内裏は度々の火災や災害により焼失し、その都度公家の御屋敷を借りて
いました。これを里内裏といいます。

現在の御所は里内裏の土御門東洞院殿が大内裏に代わり事実上内裏として機能
するようになり、光厳天皇天皇が元弘元年(1331年)に即位されて以後、
明治天皇が明治2年(1869年)東京に行かれるまで皇居とされていました。

しかしその後も火災等に遭い安政2年(1855年)に再建されたものが
現在の京都御所となっております。

築地塀で囲まれた京都御所の面積は11万㎡もあります。

建礼門

承明門

紫宸殿2

建礼門の奥に承明門があり、その奥に紫宸殿と続きます。
毎年葵祭、時代祭りはこの建礼門から出発いたします。

春と秋には御所の一般公開がなされます。

宜秋門

今年も一般公開が11月6日まで行われました。
まず宜秋門から入ります。

車寄せ屋根

車寄せの屋根から軒下の飾り金具は金細工で菊の御紋の廻りに煌びやかな
細工が施されています。

諸大夫の間

身分によって通される控えの間が異なります。

諸大夫の間襖絵


桜の絵
桜の間の襖絵

鶴の絵
鶴の間の襖絵

虎の図
寅の間の襖絵

車寄せ
お車寄せは大正天皇の即位の時に建てられたもので、
それ以降天皇、皇后両家陛下の玄関となりました

五節舞姫1
飾られているのは五節舞姫といわれ天武天皇が創設された舞である
と説明されています。

大文字
承明門からは大文字の如意ケ岳がみえます。

紫宸殿

紫宸殿は大正天皇・昭和天皇の即位の礼がおこなわれました。
高床式宮殿建築、中央に天皇の御座「高御座」、東に皇后の「御帳台」が
置かれています。前面のお庭には左近の桜が東側、右近の橘が西側に植えられて
います。

漢竹
清涼殿前の漢竹(かわたけ)が植えられています。

襖絵

襖絵2

襖絵1

襖絵3

御池庭
御池庭は少しづつ紅葉が色づいてきました。

御内庭
御内庭には清流が流れています。

襖絵4

襖絵5

襖絵6

御三間

御三間(おみま)では茅輪、御玄猪の後杯を賜ったり、七夕、盂蘭盆の
儀式が行われる所です。

他にも 小御所、御学問所、御常御殿などがあります。

秋空

秋空の下多くの方々が秋の一般公開で見学におとずれました。
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京都通 都草
2011 / 11 / 04 ( Fri )
京都通 NPO法人 京都観光文化を考える会・都草

京都商工会議所が京都通を正しく理解し、その奥深さを学ぶ
京都検定を実施されたのが平成15年、それからご当地検定が一躍
ブームを巻き起こしました。

京都検定も当初は受験者が10,000人を超す盛況ぶりでした。
3級、2級、1級と3段階にその難易度が変わります。
3級と2級はマークシートになりますが、1級は記述式で難解な漢字も
書けないと合格いたしません。

その京都検定1級を合格した方々が平成16年に、さらに京都通を目指して
京都の歴史、観光、文化を学ぶ「都草」というNPO法人を立ち上げました。

現在は会員数は300人にもなり、その活動内容も、研究発表会であったり
歴史探訪、美化活動(ボランティア)、観光ガイドなど多岐に渡って活躍されて
おります。

その都草が今年の京都検定を目指している方々への事前のポイントをつかむ
講習会や模擬試験を実施されました。

模擬試験

1級を目指しておられる方々ばかりでみなさん真剣に取り組んでおられました。
遠くは東京からも参加されていて、京都の人気度がいかに高いかがよく
判ります。

今年も京都検定受験者が6000人くらい予想されています。
京都通を目指されている皆さんが楽しんで学んで頂き、一人でも多くの方の
合格を期待しております。

ちなみに 「都草」の事務所は京都府庁旧本館2階に置かれています。
  電話は075-451-8146です。
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古典の日
2011 / 11 / 02 ( Wed )
古典の日(11月1日)


案内


源氏物語は日本が世界的に誇れる文学であること、その源氏物語の
1千年記念に当たる平成20年に、記録上確認できる最も古い日付が
1008年11月1日であることからこの日を古典の日と定める宣言が
なされました。

古典の日推進委員会がたち上げられ、後世に伝えていく、古典を誇りとして
古典から多くのことを学んでいく、古典を通じて人間らしさを回復しよう
と、11月1日を古典の日と制定されるよう今署名活動もされておられます。

その古典の日を記念しての古典の日推進フォーラムが宝が池の国際会議場で
開催されました。
折しも今第26回国民文化祭2011 in KYOTO か開催されている最中でもあり
合同で開催されることになりました。

会場では文化庁長官の近藤誠一氏のご挨拶もあり、会旗もあたらしく西陣織
でつくられ、新たなポスターとともにお披露目されました。

今年は東日本大震災があり、第一部の講演では
「鎮魂 あこがれの東北~方丈記、源氏物語、そして古今和歌集」と題して
京都産業大学の小林一彦教授が講演をされました。

方丈記の中に”山は崩れて川は埋み、海は傾きて陸地をひたせり......
古今和歌集には”みさぶらひみかさと申せ宮城野の木の下の露は...
源氏物語にも東北のことが書かれていて、先人の記述に現代の我々は
学ぶことが多くある。またそれが見逃されていることも事実である

と本文の一部を示して古文のなかから読み取ることことの大切さを
講演されました。

第二部は今年は音をテーマにした
 「源氏物語」の音世界~いにしえから伝わる音に託した想い~」

 のパネルセッションが
 雅楽師の東儀秀樹氏、京都学園大学教授の山本淳子氏、映画監督の
 鶴橋康夫氏 司会に園田学園女子大学教授の福嶋昭冶氏とで開催
 されました。

鶴橋監督は源氏物語の映画製作をされた監督で近日封切られることに
なっています。
その映画をとるに当たって監督は昔の幼き頃、東北の生活のなかから
「ばぁちゃん」の思い出がふと浮かんでくる。

東儀氏もその映画に一条天皇として出演されているとか
笛の音は、同じ音でも吹く人によって音色がちがう。あの笛の音は帝の音色
である。  本来音というものはそのように心で音を観るものである。
音にも春夏秋冬があり、音の重なりサウンドスケープを感じる

山本先生は源氏物語の文章には衣ずれの音、そこはかとなく交わす
心の綾にも音が感じられる。

日常の所作の表現にも音を読み取ることが出来る。それが古典である
と福嶋先生は結んでおられました。

なんと古典とはかようにも奥ゆかしい、奥深いものであるのかと!
その奥を読み取ることが出来たならばまた味わいも、豊かさも違って
くるものなのに....

と感じさせられました。
夫々の分野の権威である方々のお話をうっとりと聞きながら日本の
古典のすばらしさ、を改めて感じさせられました。
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