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京都茶寮
2012 / 04 / 29 ( Sun )
京都茶寮

京都駅ビルの2階、南北自由通路 駅ビルインフォメーション横に
京都茶寮があります。

ちょっと疲れた時の休憩に、美味しいお茶を所望する時に、お友達と
おしゃべりしたい時に利用する、落ち着いた雰囲気のお店です。
格子戸がおしゃれでつい入ってみたくなるそんな京都茶寮でお茶を戴きました。

玄関

京都茶寮は宇治でお茶を製造されている老舗の丸久小山園さんのお店です。
丸久小山園さんは元禄年間に宇治小倉の里で茶の栽培と製造を手掛けたのが
始まりといわれております・
以来今日まで脈々とその暖簾を守り継承されております。

店内は落ち着いた雰囲気で黒を基調とた店内造りがなされています。

店内

未生流の生花の活け込みがなされていました。

生花

お茶にはいろいろな楽しみ方があり、奥深さがあります。
茶道、煎茶道、日常のお茶、それぞれに作法があり、楽しみがあります。

闘茶という楽しみ方もあります。
お茶の銘柄をどれくらい当てることができるか、味覚、嗅覚の戦いです。
そんなお道具の展示がなされています。

DSC01492闘茶

また煎茶のお道具の展示もされていて、彩りがとてもきれいな煎茶茶碗が
目をひきます。
煎茶のお道具も沢山の種類があり、その名称も普段あまり耳にしないものも
あります。

煎茶器

抹茶に桜の練りきりのお菓子を戴きました。
お茶のお詰めは丸久小山園さんで、特にこの京都茶寮でブレンドされた、ここだけの
お茶をたててくださいました。

お湯加減も丁度よく、泡立ちも細かく、美味しいお茶でした。

お茶1

お菓子は季節の主菓子を好みで選ぶことができます。

お茶2

軽く焙じ茶を戴くこともできます。

お茶3

”やっぱり京の都はええとこどす。ほっこりしますえ!”
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22 : 22 : 19 | 京菓子 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
うなぎの廣川
2012 / 04 / 28 ( Sat )
うなぎの「廣川」

京の嵐山、渡月橋からほどなく、天龍寺の斜め向かいにうなぎの「廣川」
あります。

嵐山は、大堰川を挟んで自然豊かな景勝地で国の名勝・史跡に指定されていて
清水寺に次ぐ、多くの観光客が訪れるところです。

四季折々に嵐山の様子が変化し、一日のうちにも数回気流が変化するところと
いわれ、朝の景色、お昼の景色、夕暮れ時の景色、夜の景色とその移り変わり
は地元に住んでいる方にとって生活の指針でもあり、和みでもあります。

そんな嵐山に鰻の専門店として昭和42年に開店された「廣川」は今年で43年目
を迎えます。

お店は数寄屋造りの代表的な建築家安井杢工務店の建築によります。
通りからはひときわ数寄屋建築のお店が目を引きます。
お庭は新進気鋭の造園竹による作庭で、1階からはお庭を眺めながら、2階
からは嵐山の景色を眺めながら鰻料理を戴くというしつらえです。
これは京都ならではの演出です。

光悦垣

光悦垣がライトに映えます。

玄関

円窓がくっきりと浮かんだ玄関は、やわらかい灯りが、網代に編んだ天井も
照らし出しています。

norenn.jpg


生花

暖簾を潜って中に入りますと季節の花が豪華に活けてあります。

店内

この席は2階の窓側で、ここから嵐山の自然を眺めながらお食事を戴く席
となっております。
まさにここからは素晴らしい嵐山の景色を眺めることができます。
今は桜が終わって新芽が芽吹き新緑のはしりです。

廣川は天保年間(江戸時代後期)武蔵の国 熊谷の宿(現在の埼玉県越谷市)
に創業された「廣川」の流れを汲むお店だそうです。

なので鰻の裁き方は関東風「背開き」蒸しの調理法のようです。

秘伝のタレは創業以来のもので、毎日減った分だけ甕に継ぎ足していか
れる貴重なタレを使用して、純国産の鰻を毎日仕入れて、嵯峨野の恵ま
れた地下水をくみ上げ飼い込むことによってより味がよくなるそうです。

今回のお料理はまず、鰻の肝の串焼きから始まります。
続いて鯉の洗いが出てまいります。わさびと特製のたれにつけて頂きます。
とても新鮮で、タレがまったりして柔らかいお味です。

鯉の洗い

鰻の柳川、熱熱の柳川は、鰻の生臭さはまったくなく、柔らかくて
とても上品なお味です。 三つ葉の香りもポイントとなっております。

柳川鍋

やはり鰻丼です。お重一杯のうなぎは柔らかくて最高に美味しいです。
肝吸いと香の物とともに美味しく戴きました。

うな丼

廣川では毎日鰻を仕入れておられますが、シーズンoffの時は数が少ないので
予め予約をして行かれることをお勧めいたします。 
定休日は月曜日です。

22 : 04 : 33 | 京料理 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
小倉山荘
2012 / 04 / 27 ( Fri )
おかきの 小倉山荘 竹生の郷

長岡京に小倉山荘 竹生の郷という小倉百人一首の世界観を表した
おかきのお店があります。

お店のしつらえは広々とした店舗の玄関に桜の銘木や、四季の花木が
生い茂り、その中に小倉百人一首の歌碑が置かれています。

玄関


エントランス

 ”しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで”
                          平兼盛


歌碑

小倉山荘ではいにしえの都”長岡京”で、かって和歌が人と人とのえにしを
結ぶ大切な橋渡しをしていた、その王朝の時代に思いを馳せ、百人一首をより
どころとして、和歌の心をおかきによせ「えにしをつなぐ」をモットーに
穏やかな人間関係の和を広げ、日本の美しい伝統文化を後世に伝えていく
発信拠点としてお菓子造りに取り組んでいると言われています。

店舗

米菓処の「明月菓寮」ではいろいろなおかきが百人一首が描かれた
包装紙にくるまれて沢山並べられております。

よくお土産に頂戴するおかきで、さくさくと歯ごたえのいい香ばしい
おかきです。
おかきも昔と違っておしゃれなパッケージに納められ、一度だけで
破いてしまうにはとてももったいないきれいな包装がなされています。


商品

小倉山荘 竹生の郷では小倉山荘カフェが併設されていて、点心が戴けます。
長岡といえば ”たけのこ” が名産、

丁度今が旬です。 柔らかくて、ふっと香りがするたけのこはとても美味しいです。

たけのこおこわに山芋豆腐、たけのことイイダコの煮物、菜の花の和えもの
梅の甘煮、おすまし です。
どれも自然の味を生かした、お出汁のきいた点心でした。

昼食

デザートは3種、 抹茶アイスに葛もち、苺、オレンジ

季節のお花が添えられていておしゃれな演出はほっといたします。
思わずニンマリですね!

デザート

今回の点心はデザートセットで1522円でした。

小倉山荘 竹生の郷へは阪急長岡天神より車で10分です。

16 : 32 : 08 | 京菓子 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
正法寺
2012 / 04 / 26 ( Thu )
大原野の古刹巡り 正法寺

このたびの 洛西の古刹巡りの締めくくりは正法寺です

大原野は平安時代には遊猟地として、桓武天皇はじめ皇族や藤原道長
など公卿がしばしば狩猟に訪れたところといわれ、京の西山と竹林が
連なる向日丘陵に囲まれた清閑な眺めのいいところです。

その向日丘陵の高台に位置する正法寺は山号を法寿山と号し、真言宗に属し、
ご本尊は三面千手観世音菩薩
天平勝宝年間に奈良唐招提寺を創建した、鑑真和尚の高弟で智威大徳
が隠棲したのが始まりといわれております。

弘仁年間弘法大師が巡鈴され、42歳の厄除けのため正観音様を彫刻し
お祀りされました。

長岡京の氏神「大原野神社」の向かいに当寺がありますが、応仁の乱
により焼失してしまいました。

元和元年(大阪城落城の年)恵雲、微円両律師により再興され、西山の
お大師さまとして信仰を集めております。

その佇まいから平安朝の面影を残す古刹として安らぎを感じるすばらしい
眺めの正法寺です。

霊宝館

春日不動尊は大日如来のお使い役として、悪魔幸福の任務を担ってこの世に
現れたのが不動明王といわれております。
五大不動明王の中でもより親しまれ、除災招福、家内安全、病気平癒などの
御利益があり、毎年節分のころは多くの参拝客が訪れます。

春日不動2

勅使門は西山連邦を借景にして堂々としております。

勅使門

山門から中に入りますと、すばらしい眺めの庭園が続きます。

山門

江戸中期のものといわれる大手水鉢は、旧大阪商人鴻池家伝来のものだ
そうです。、

大手水鉢


大手水鉢の奥には少し小振りな手水鉢がおかれ季節のお花が添えられ
おもてなしの心が感じられます。

手水鉢

宝生殿より東方を眺めると、近景と山並みが稜線まで望め、借景庭園
はとても雄大な眺めとなっております。

そのお庭にはつつじが色づき始め、名残の桜が楽しめます。

お庭1

庭園の大きな石はそれぞれ動物を表しております。


お庭2


お庭3


お庭4


お庭5

正法寺のご詠歌で

 西山に散るもみじ葉も咲く花も さながら法のすがたなりけり”


御詠歌

山川すべてに仏性あり流れる雲、鳥のさえずり 木々のそよぎ。。。
それらがまた人々の生きる力になり、安らぎになりますと正法寺の
ご縁起に書かれております。

22 : 07 : 23 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
勝持寺
2012 / 04 / 25 ( Wed )
大原野の古刹巡り 勝持寺

花の寺とよばれる勝持寺は西山連峰の麓大原野の南春日町にあります。

山号を小塩山、正式には大原院 勝持寺といいます。
天台宗に属し、ご本尊は薬師如来

白鳳8年(679年)天武天皇の勅により神変大菩薩の行者が創建した
のが始まりとされています。
延暦10年(791年)伝教大師が桓武天皇の勅を得て堂塔伽藍を再建、
一刀三礼をもって薬師瑠璃光如来を刻んでご本尊とされ大原坊と称
されました。

承和5年(838年)仁明天皇の勅により堂塔49院を建立され、
文徳天皇の時代に勝持寺と改められたと伝えられております。
応仁の乱により、仁王門を除く全てが焼失してしまいました。
江戸時代に将軍綱吉の母桂昌院の援助により堂宇の修復が行われました。

唯一焼失を免れた仁王門は寺内最古の建物で、木造金剛力士立像2体
が安置されていて、いずれも鎌倉時代のもので国宝に指定されています。

仁王門

石垣の積まれた土塀の参道をぬけて山門へと進みます。

参道

庭内には数種類の桜が100本ほど植えられていて、古来より花の寺として有名で、
満開時には寺が花で埋め尽くされるようですが今は新緑へと変わりつつあります。

山門

書院は新築されていてとても綺麗です。

本坊

阿弥陀堂(本堂)

阿弥陀堂(本堂)

本堂の前にはインドの十六羅漢の一人で鬢頭盧尊者がおられ、病気の
あるところを撫でると治してくださるといわれ篤い信仰を集めて
います。

鬢頭蘆孫尊者

瑠璃光殿は宝物殿で、鎌倉時代の作とされるご本尊の薬師如来と胎内仏
(平安前期)金剛力士(鎌倉時代)(いずれも重要文化財)や
日光・月光菩薩(鎌倉時代)、西行法師像、醍醐天皇勅額などが
納められております。

瑠璃光殿

西行法師は鳥羽天皇に仕えていた北面武士佐藤兵衛義清で保延6年(1140年)
勝持寺で出家をし、西行と改名して庵を結び桜をとても愛しました。
その桜を西行桜と呼び現在の西行桜は三代目となるそうです。

”花見んとむれつつ人の くるのみぞ あたらさくらの とがにはありける”
                   西行法師

西行桜

庭内に「鏡石」というのがあり、西行法師がこの石を鏡のかわりにして
剃髪したと伝えられています。

鏡石

西遊記にでてきます魚藍観音が祀られていて、魚関係の方々の
信仰を集めております。

魚藍観音

名残のしだれ桜がまだ雨上がりの青空に鮮やかな花を咲かせています。

桜2

名残の桜と山吹、新緑と季節は少しづつバトンタッチをしていきます。

新緑

桜のシーズンが終わるころは人出もひと段落で、大原野の静かな佇まいが
戻り、落ち着いた古刹巡りが楽しめます。
23 : 37 : 29 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
願徳寺
2012 / 04 / 24 ( Tue )
大原野の古刹巡り 願徳寺

京都で一番小さい拝観寺院といわれる願徳寺は大原野の南春日町に
あります。
勝持寺からすぐのところに位置し、西山が見渡せるところです。

願徳寺は洛西観音霊場第三十三番札所で、縁起は

約千三百年前の白鳳八年(697年)に持統天皇(天武天皇の皇后)
の願いによって向日市寺戸に創建されました。
徳のある願いによって建てられた寺院ゆえに「願徳寺」といわれて
おります。

山号は「仏華林山 正式には 宝菩提院 願徳寺といいます。
もともとは南北八百m東西千三百mに伽藍があったお寺で大寺院といわれ
当時のご本尊は薬師如来(現在は太秦の広隆寺に安置)でした。
平成15年2月寺院跡地より湯屋の跡が発見されたそうです。
現存する東大寺の湯屋よりも古く、九世紀以前のものだそうです。

平安時代から鎌倉時代にかけては天台密教の秘法を行い、
穴太流や西山派を生み出した大寺院であったようです。
応仁の乱や信長の兵火によって、焼失したが江戸時代に家康
の加護を受けたものの平安時代の面影は今はありません。

山吹

立て札から山吹が丁度満開の参道を上っていきます。

 ”七重八重に 咲けど山吹の 蓑ひとつだに なきぞ悲しき”

と詠まれた山吹はバラ科で4月~5月に開花いたします。
八重山吹が丁度満開の光景です。

山吹2

昭和に入り諸堂が荒廃し、昭和37年に向日市より勝持寺に移動安置
され、ご本尊の如意輪観音及び諸仏は平成8年に勝持寺より願徳寺に
帰座されたそうです。

門

境内に石棺がおかれていてこちらのものは播磨の凝灰石で、くり抜いて
作られたものだそうです。

石棺

本堂には国宝の如意輪観世音菩薩半伽像で平安時代の作といわれて
おります。
ご本尊の座り方は半伽踏み下げの像と呼び、又は遊戯座とも
呼ばれます。

本堂
23 : 25 : 08 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
大原野神社
2012 / 04 / 23 ( Mon )
大原野の古刹巡り 大原野神社

官幣中社 大原野神社は西京区大原野南春日町にあります。
この辺り南春日町は山城地方で最も古くから開かれた所で
大原野の古刹が点在していて、まだ長閑ないい町です。

大原野神社は延暦3年(784年)長岡京遷都の際藤原氏の氏神として
奈良の春日大社(神社)の分霊を勧請したのが始まりとされています。
ご祭神は建御賀豆智命、第2殿には伊波比主命、第3殿には天子八根命
第4殿には比大神がお祀りされています。

その後60年を経た嘉祥3年(850年)に左大臣藤原冬嗣のむすめ順子を
母とした文徳天皇は、祖父冬嗣の願望を思い出してこの地に壮麗な
社殿を造霊されました。
明治4年(1871年)官幣中社に列せられ賑やかであったが、第二次大戦
後国家からは援助が打ち切られ現在に至ります。

文徳天皇の時代寿年元年(851年)始めて勅祭が行われ、春秋2回礼典が
行われました。
藤原氏の一族で女が生まれると中宮や皇后になれるようにこの大原野神社
に参拝し、幸いに祈願通りの地位につくと行列を整えて参拝をされた
ようです。

徳川時代末期頃は戦乱が相次いで起こり、社殿も次第に失われていきました。

石柱

一の鳥居

石柱2

春日大社の分霊が祀られていることもあり春日燈籠が参道に置かれて
います。

春日灯籠

一の鳥居から社殿までは広く参道は桜が過ぎて雨上がりの新緑がとても
綺麗です。

参道

左大臣藤原冬嗣を祖父とした文徳天皇は壮麗な社殿とともに
鯉沢の池も作ったと伝えられ、名泉清和井と水系を一つにし
つつじ・杜若・睡蓮が四季折々の花を咲かせ親しまれています。

鯉沢の池2

清和天皇産湯の清水と伝えられ、古歌の歌枕にも詠まれた
「瀬和井」の名水とされる井戸があります。

 ”大原や小塩のやまの ほととぎす われに神代の ことかたらなん”
                          左大臣

瀬和井

瀬和井2

やはり鹿が巻物を咥えお出迎えをしてくれます。

手水鉢

社殿への朱の鳥居は色も鮮やかにしてここからさらに神聖なる地への
一歩となります。

三の鳥居

大原野神社は阿吽の狛鹿のお出迎えです。

狛鹿

狛鹿2

本殿は春日大社と同規模、同形式の四棟一間社春日造り
並立する形式です。
本殿前の中門・東西廊とともに春日社系形態をよく伝えるものとして
価値が高いとされています。

本殿

春日造り

春日造り2

桜の後は夾竹桃が咲き始めています。

夾竹桃

樹齢約450年といわれる樅の木がそびえています。
樅に木は日本特産で主に本州、四国。九州の山地に生え、6月ころには
ピンクの小さな華麗な墓を咲かせるが人目にふれることな稀であると
いわれております。

樅の木 樅の木2

23 : 51 : 06 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
真盛豆
2012 / 04 / 17 ( Tue )
真盛豆

京菓子のなかに真盛豆があります。

真盛豆は明応年間(1492~1501年)に天台宗真盛派の開祖慈摂大師(真盛上人)
が北野で辻説法をする時に,炒った黒豆に乾燥させた大根の葉をまぶして
聴衆に振舞ったのが始まりといわれております。

京都北野、西方尼寺の開祖 盛久・盛春両尼は、室町時代の聖僧 真盛上人の
仏弟子にて真盛豆の製法を伝授され、代々同尼寺に伝えました。

又北野の大茶湯で豊臣秀吉が茶事に合う豆菓子として褒めたこともあると
いわれております。

明治初年、初代金谷正廣にその製法が伝授され今日まで伝えられております。


北野大茶湯と真盛豆を歌った豆歌に

 ”木の芽煎し 庭のむかしの面影を かたりぐさなる 真盛豆かな”

又千利休と真盛豆の豆歌は

 ”うれしさに 世々につたへて木の芽には いまもわすれぬ 真盛豆かな”

というのがあります。


真盛豆

洲浜粉で幾重にも丸めた生地に青のりがまぶされて、口の中で青のりの香りが
香ばしくとても美味しいです。

豆2

金谷正廣は創業は江戸時代末期安政三年(1856年)の創業で石川県加賀の菓子職人で
あった金屋庄七(後に金谷正廣と改名)が京都に出て菓子業を始めたと伝えられて
いるそうです。

以来真盛豆を現代にあう京菓子として改良を重ね、今でも茶道の家元にも
納めておられるようです。

金谷正廣は堀川下長者町西入にあります。

又鶴屋益光でも作られていて延暦寺。西教寺御用達で真盛豆を納めておられます。
 
22 : 13 : 28 | 京菓子 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
京こま
2012 / 04 / 15 ( Sun )
伝統的工芸品 京こま

京都には長い歴史と伝統を誇る数多くの伝統産業があります。
その中でも、産地規模要件を満たさないために「伝統的工芸品」の指定を
受けることが出来ない小規模の素晴らしい工芸品が沢山あります。
これらの工芸品は極めて高度な技術を家族やごく少数の職人の手によって
守られ、受け継がれております。
京都市ではこうした組合組織のない技術者を集めて「京都市伝統工芸連絡
懇話会を組織し、岡崎の「みやこめっせ」で展示会の開催や製作、実演などの
展開を行っています。

その中に「京こま」があります。

看板 説明

京こまは桃山時代に女性たちが、竹の芯に色艶やかな布をまいて作ったのが
始まりといわれております。
当時の上流階級の女性は外で遊ぶことが出来なかったので室内で遊んでおり
ました。その遊びの一つに独楽があります。
このようなことから独楽はお座敷独楽として次第に色彩も色艶やかに作られる
ようになり発展してまいりました。

平安のころから宮中などでは京の雅といわれ、煌びやかな衣装をまとい優雅な
生活の中に数々の「あそびの文化」が生まれてきました。

こまは頭の回転が良くなる。お金のまわりが良くなる。
よく回るこまは縁起がいいと言われて親しまれてきました。

西陣織の独楽

西陣織を巻いて作られた豪華なこまも作られております。
現在では海外でも独楽が好まれ海外で展示会も行われているようです。

独楽1

いろとりどりの独楽は玩具だけにとどまらず形も用途も様々なものが
作られております。簪、ストラップ、等々

独楽2

独楽3

独楽4

このように色鮮やかな独楽の数々は二条城の近く神泉苑町の「雀休」さん
で作られております。

01 : 09 : 50 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
霊鑑寺
2012 / 04 / 12 ( Thu )
霊鑑寺

京の左京区鹿ケ谷(ししがだに)に臨済宗南禅寺派に属する霊鑑寺
あります。

山号を円成山と号する歴代尼門跡寺院でご本尊は如意輪観音

承応3年(1654年)後水尾上皇の皇女・多利宮(宗澄宮そうちょうのみや)を
開山として創建し、荒廃していた如意寺の如意輪観音像と霊鏡(れいきょう)
を併せ祀ったことから霊鑑寺と名付けられました。

もともとは現在地より南の渓流沿いにありましたが、貞享年間(1684~88年)
に御西院御所の建物を賜って現在地に移築されました。
鹿ケ谷の渓流に位置したため別名「谷御所」とも「鹿ケ谷比丘尼御所」とも
呼ばれております。

その後代々皇女・皇孫女が住職となり明治23年(1890年)まで伏見宮の
尼僧が門跡として在院いたしました。

霊鑑寺駒札

表門は本瓦葺きの薬医門で宝暦2年(1752年)の頃に建立されたものと
いわれております。

表門

本堂は宝形造りで徳川第11代将軍の家斉の寄進により建立されたもので、
御本尊の如意輪観音像の傍らに祀られている不動明王は智証大師(円珍)
の作と伝えられております。
本堂は京都市指定文化財に登録されています。

本堂

本堂の南面に広がる池泉回遊式庭園(現在は枯山水になっています)には
般若寺型燈籠があり、書院と本堂へは石の階段が組まれた通路となっています。

霊鑑寺といえば椿で有名です。
庭園には約30種類以上の銘種の椿が植えられております。

色はとても鮮やかで、可憐な侘助や後水尾上皇遺愛の散椿などがあります。

 椿

椿3

書院南にある日光椿(じっこうつばき)は京都市指定の天然記念物で
樹齢300年といわれ、この品種日光椿の原木に準ずるものだといわれております。

雄しべが小さな花弁状になって円形にまとまる「カラコ咲き」というそうです。
色は深紅で思わず目を見張る美しさです。

日光椿 日光椿2

おそらく椿と名付けられている珍しい名前の椿です。

おそらく椿 おそらく椿2

胡蝶侘助はとても愛らしく、やさしい色合いの可憐な椿です。

胡蝶侘び助 胡蝶侘び助2

後水尾上皇は散椿をとても好まれたようです。
こちらの五色散椿は花はとても大きく白とピンクの色が混ざり合って
見ごたえのある品種です。

五色散椿 五色散椿3

この他霊鑑寺には後奈良・正親町・後水尾・後西天皇の震翰はじめ
二百点に及ぶ御所人形や東福門院の十二単や歴代門跡の遺品等皇室
縁の寺宝が残されております。

普段は非公開で特別な時のみ文化財公開がなされております。
20 : 53 : 51 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
琵琶湖疏水の桜
2012 / 04 / 11 ( Wed )
岡崎回廊 琵琶湖疏水の桜

琵琶湖疏水べり、岡崎回廊の桜が満開となりました。
疏水の水面にその勇姿を写し、素晴らしい眺めとなっております。

琵琶湖疏水ができたのは明治23年、今から約120年前のことです。
東京遷都によって衰退していた京都に活力を取り戻そうと、第3代知事の
北垣国道氏が積極的に推進して出来上がりました。

この琵琶湖疏水のお陰で今日京都市民の生活が潤っています。


大津三保ケ崎から揚水された琵琶湖のお水は高低差を利用して約11キロ余りの
行程を経て京都に届きます。

第3トンネルの出口あたりが第1疏水と第2疏水が合流するところで、
ネオ・ルネッサンス風の赤レンガの建物は御所水道のポンプ室です。
このポンプ室から大日山貯水池にお水が上げられて、その落差で御所の
防火用水として地下を通って御所まで送水されています。

この御所水道ポンプ室は明治45年に建築家の片山東熊の設計によって
宮内庁が建設した建物です。

ここにも明治の素晴らしい遺跡が残されています。

ポンプ室

平成16年から琵琶湖疏水の南禅寺舟溜まりから鴨川と合流する鴨東運河
までの往復約3キロの間を十石舟でめぐる「岡崎さくら廻廊十石舟めぐり」
が3月の終わりから5月の初旬まで行われております。

蹴上の舟溜まりから乗船して動物園の桜を愛で舟は進められます。
京都の動物園は日本で2番目につくられた動物園で、野生動物の保護の
観点から京大の研究員が常駐するという日本でも珍しい動物園です

動物園

京都府立図書館は明治42年に現在地に武田五一の設計によって建設
されたルネッサンス風のレンガ造りの建物です。

美術館

まさに満開の桜回廊です。雨模様の桜もまたしっとりとして落ち着いた
色あいがすばらしいです。

桜2

平安神宮へと続く朱塗の慶流橋は薄墨桜の中で一層色鮮やかに写ります。
この慶流橋の下を舟は潜ります。

桜3

慶流橋を潜ったあたりに京都国立近代美術館が見えてまいります。
国立近代美術館は昭和38年にできた美術館です。

桜1

京都の岡崎あたりは京都を代表する文化ゾーンで地元の人は勿論
京都を訪れてくださる方々にも印象深いところです。
十石舟めぐりは乗船賃は1000円で所要時間25分です。
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昔なつかしい菓子
2012 / 04 / 11 ( Wed )
手造り 昔なつ菓子 格子家

京の真ん中、二条城の南、大宮通押小路にちょっと変わったお店「どろぼう」と書かれた看板が近くに見えます。

店先にはたらいにラムネやジュースの瓶がお水につけて販売されていて
暖簾には「昔 なつ菓子 格子家」と書かれているお店です。

正しくは菓匠田中屋さんといいます。

暖簾

大正元年に田中製菓として初代田中喜一氏が創業されたそうです。
平成元年に住まいの町家を生かして格子屋とされました。

もっとうは手造りにこだわったお菓子造りで、家族だけで毎日お店の奥で
お菓子造りをされています。

しもた屋のお店は本当に昔なつかしい雰囲気が漂って、愛宕さんの
火廼要慎のお札がかけられていたり、魔よけの天狗がかけられていて、
今ではほとんど見かけなくなった光景です。

店内


店内2


店内3

一歩中に入りますと、駄菓子が沢山並べられて彩りもきれいです。

江戸時代は駄菓子は一個の値段がおよそ一文であったことから一文菓子と
呼ばれていたようです。
庶民のお菓子として人気が高く、その種類も豊富で、大麦粉に黒糖を混ぜ
練り固めて型にいれうち抜いた麦こがしやねじりおこし、などがあったそうです。

お砂糖が広く一般庶民にいきわたるようになると、カラメルや金平糖
生姜板などが造られるようになりました。

駄菓子

駄菓子2


また黒砂糖でからめたおこしを山幸(しゃんこ)といったそうです。
昔は京都にも山幸とよばれるお菓子屋さんが何軒かあったそうですが、
今ではこの田中屋さんだけになったそうです。

田中屋さんの名物は「どろぼう」です
いなり生地(油揚げしたおこしの生地)を黒砂糖に漬け込んだお菓子
は黒砂糖の味がなんともいえない風味でおいしく「泥棒をしても
食べたいほどの美味しさ」というところから名づけられたという
ユニークな名前のお菓子です。

子泥棒から大泥棒まであってさらに箱入りがあってお店にならべられて
おります。

今またかりんとう菓子が人気を呼んでいますが、まさにかりんとうを
少し柔らかくした、食べ出したらやめられないお菓子です。

どろぼう

どろぼう2

どろぼう3

みじん棒

酒米飴なんていうのもありました。

酒米飴

こんなお店が今でも継承されていることは素晴らしいことです。
大切に愛用のお菓子を楽しみたいものです。
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ワグネル記念碑
2012 / 04 / 09 ( Mon )
ワグネル記念碑

京都岡崎の京都府立図書館の北側にドイツ人の理科学者ワグネルの記念碑
建てられております。

ワグネルという人は生前は天保2年~明治25年(1831~1892年)で、明治元年に
来日し、特に有田焼の改良に力をつくし、後大学南校(東京大学の前身)
の教師に転じました。

記念碑1

明治11年京都府の招きにより、舎密局(せいみきょく)に着任され、同局内に
新設された化学校で理科学の教授として活躍するとともに、陶磁器や七宝、
釉薬、ガラス、石鹸の製造の指導にあたりました。

ワグネル教授の指導によって透明な様式七宝釉薬や陶磁器の石炭窯が作られる
など、京都産業の近代化に大きな功績がありました。

明治14年舎密局の廃止にともない再び東京に戻り、東京帝国大学などで
製造化学を教える傍ら、各種工業学校の指導にあたりました。

京都での活躍は3年間ではありましたが、陶芸家の永楽善五郎氏や島津源蔵氏らも
ワグネル教授の教えを受けるなどその人脈は広いものでした。

明治25年東京で亡くなり、青山に葬られたそうです。

記念碑2

明治の初年は京都は天皇が東京に行かれ(東京遷都)非常に衰退してきたのを
何とか挽回するべく、当時の第2代知事の槇村正直氏や第3代知事の北垣国道氏
が国家百年の事業といわれる琵琶湖疏水などに大きな力を発揮され、海外からも
どんどん新しい技術を採り入れ今日の礎を築かれました。

その礎のもと京都は伝統工芸と新しい技術の開発が共存する素晴らしいところです。
21 : 53 : 05 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
京都府庁の桜
2012 / 04 / 08 ( Sun )
桜の開花(京都府庁旧本館)


4月に入って思わぬ春雷、春の嵐、寒波に見舞われて桜も肩をすぼめて
中々開花することができませんでしたが、漸く咲きだしてくれました。

京都府庁旧本館中庭の桜は、毎年色が鮮やかで明治のロマンを感じる
建物とよく調和して長く伸びた枝ぶりに見事に艶やかな花をつけて
くれます。

京都府庁旧本館は明治37年に竣工された建物で、松室重光氏によって
設計されました。
以来今日までその全容を保ち、平成16年に国の重要文化財に指定されて
います。
中庭は小川冶平衛氏による作庭で中央に凛として花を咲かせている桜は
京都円山公園の初代のしだれ桜の孫にあたる桜が、桜守の佐野藤右衛門さん
によって植えられました。

佐野藤右衛門さんは桜は花が咲いている時だけ愛でるのではなく、一年を
通して常々さくらの木と語り合い、見守ってこそ桜も生気を保つものです
と話されていました。

今円山公園のしだれ桜が元気がなく枝ぶりも小さくなりましたが、孫が今
府庁で頑張っております。

円山のしだれ


円山のしだれ2

正面奥のアーチ型の廻廊では「坂の上の雲」の撮影が行われたところです。
最終回の回想録で元木さんが、歩んでいかれる所が写し出されていました。

しだれ2



しだれ


しだれ3

府庁旧本館の建物が建っている辺りは、かって守護職の松平容保さんのお屋敷が
あったところで、中庭の桜が「かたもり桜」と名付けられております。

かたもり桜はまだ3分咲きくらいでこれから咲きだします。

かたもり桜

旧本館は見学もできます。是非訪れてみられては如何でしょうか
22 : 38 : 40 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
安楽寺
2012 / 04 / 08 ( Sun )
鹿ケ谷 安楽寺

京の左京区鹿ケ谷(ししがだに)に安楽寺があります。
山号を住蓮山と号し、浄土宗の単立寺院で、ご本尊は阿弥陀如来

鎌倉時代の始め、法然上人の弟子であった住蓮上人と安楽上人(遵西)が
「鹿ケ谷草庵」を結んで念仏道場としたことにより始まります。

もともとは現在地より東に1km位のところに建立されていました。

駒札

住連上人と安楽上人は『往生礼賛』に譜曲をつけて六時礼賛声明を完成
させました。

この声明がすこぶる美しく、参詣者の中にはこの声明を聞いて出家して仏門に
入る人があったといわれ、その中に後鳥羽上皇に官女として仕えていた松虫姫鈴虫姫の姉妹がおられました。

両姫は容姿端麗で教養もあったので上皇からことさら寵愛をうけておられたようで
他の女官からの嫉妬も相当受け、苦悩し、いつしかこの声明に心の平安を
求めるようになられました。

建永元年(1206年)12月、後鳥羽上皇が紀州熊野に参詣されている間に両姫は
清水寺で法然上人の説法を聞き、念仏(南無阿弥陀仏)によって救われるほか
安穏の道はないとこころに決め夜中に秘かに御所を抜け出し「鹿ケ谷草庵」
を訪れ、両上人に懇願し髪をおろして出家してしまいました。
この時松虫姫は19歳、鈴虫姫は17歳であったそうです。

この事実をしった上皇は激怒し、建永2年(1207年)9月松虫姫を出家させた
住蓮上人を近江国馬淵(滋賀県近江八幡市)で斬首の刑に、また鈴虫を出家
させた安楽上人は六条河原(現在の東本願寺近く)で斬首の刑に処せられま
した。

さらに法然上人は75歳にして讃岐国(香川県高松市)に流罪、親鸞上人は
越後国(新潟県上越市)に流罪になりました。

歌舞伎門

住連上人、安楽上人亡き後「鹿ケ谷草庵」は荒廃いたしましたが、流罪地から
帰京した法然上人によって両上人の菩提を弔うため草庵を復興して
「住蓮山 安楽寺」として両上人の追善の寺とされました。

山門を潜ってすぐのところに住蓮上人と安楽上人のお墓が建てられております。
山門は明治25年に建てられたもので国の登録文化財に指定されたおります。

安楽・住蓮上人墓

両姫はその後瀬戸内海の生口島(いくちしま)にある光明坊に移り、念仏三昧の
余生をおくり松虫姫は35歳で、鈴虫姫は45歳でなくなったそうです。

両上人のお墓から少し高台に上ったところに松虫姫と鈴虫姫のお墓があり、
毎年4月と11月に両姫の祥月命日に和讃法要が勤められています。

松虫 鈴虫 墓2

天文年間(1532~1555)の末に現在地に本堂が再建され今日に至るそうです。
境内には佛足石がおかれています。

仏足石

本堂は江戸時代後期のもので、仏殿を移築されたものだそうで建て方が
少し変わっております。

本堂


本堂2

書院には松虫姫・鈴虫姫の剃髪や住連上人・安楽上人の斬首の情景を
描いた掛け軸がかけられたおります。

掛け軸

お庭には五輪の塔が建てられております。

庭園1

安楽寺では毎年7月25日に京野菜の一つで瓢箪型をした「鹿ケ谷南瓜」
中風まじないの「かぼちゃ供養」が行われます。

江戸末期の住職で真空益隋上人が夏の土用に鹿ケ谷かぼちゃを食べると
中風にならないという夢のお告げをうけ仏前で供養をして食したこと
により始められたと言われております。

鹿ケ谷かぼちゃ
00 : 24 : 27 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
春の夕暮れ
2012 / 04 / 06 ( Fri )
春の夕暮れ

春の一日、熊野古道ウオークを終え、バスで帰路の途中、車窓から春の
雲が太陽を取り巻いて大きく広がっておりました。
大きな鳥が羽を広げたようでもあり、波が広がっているようでもあり
思わずシャッターを押しました。

雲1

雲が発生するのは空気中の水蒸気が凝結されて液体になるか、凍結または
昇華されて固体になる時に雲が発生すると理科の時間に教わりました。
そうして発生した雲は、季節によって、気温によって様々な形を表し
変化いたします。眺めていても飽きることがない位にいろいろな形を
作ってくれます。

雲3

太陽が西に傾き、夕暮れ時に見る雲はそろそろ人恋しくなり、家路を
急ぐ気持ちを起させたり、飛行機雲が一筋線を引きだすと、かって
楽しんだ海外旅行の情景が浮かんできたりいたします。

かって人々は西方浄土を求めて礼拝をし、一日の安穏に感謝致しました。
今は時間に追われる日々の中ではそのような習慣も薄れてきました。

時折ゆったりと山々の稜線の彼方に夕陽が沈んでいく光景を楽しむ
時間があることは、とても心がゆったりといたします。

多くの巡礼者が巡ってきた世界遺産の熊野古道へは白河上皇が1090年に
行幸されたのをきっかけに、白河上皇は9回、後白河上皇は33回も行幸
されたといわれ霊験あらたかな雄大な古道を楽しんで、帰路に見る
自然が織なす現象に改めて自然の素晴らしさを感じさせられました。

京の西山に陽が傾きだした春の夕日です。

雲2
22 : 23 : 39 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
わらび餅
2012 / 04 / 04 ( Wed )
老舗老松のわらび餅 

京の老舗のお菓子司「老松」の嵐山店は、渡月橋から北へ、天龍寺を
過ぎた辺りにあります。

この地は煎餅発祥の地といわれているようです。
弘仁年間に空海が唐より帰朝して、嵯峨の里の住人に煎餅の製法を伝え
嵯峨御所へ献上していたと伝えられている嵯峨の地だそうです。 

arashiyamamap.jpg

老松の嵐山店の「わらび餅」がとても美味しいと口伝えされていますので
賞味してまいりました。

こちらのわらび餅はお客様が注文をされてから本わらび粉を練り上げ
差し出されるというできたてのわらび餅です。

わらび粉は宮崎産のものを100%使用されているそうです。
わらび粉は秋にわらびの根を掘り起こし、晒して製粉したもので7年ほど
置いてから使うと非常にこくのある良質のわらび粉ができるそうです。


注文してから、出てくるまではやはり、友とおしゃべりしながら待つこと
暫し、漸く黒塗りの段重ねの器に入れられて運ばれて参ります。
この待つ時間はやはり演出に入っているようです。
期待しながら蓋をあけますと、お重は2段重ねとなっています。


老松 わらび餅

下の段にはできたてのわらび餅が5個氷水の中に入っています。
まずは、何もつけないでそのもののお味を楽しみます。
そして、きな粉で味わい、黒蜜で味わって三種類の味の違いを
楽しみます。

お箸で救うと、とろ~んとして伸び、口当たりが非常になめらかです。
このあたりは本格的なわらび粉の特徴でしょうか?
最後は又何もつけずに通の味わいです。
黒蜜も、きな粉も、それぞれに美味しく頂きました。


老松わらび餅2

京都ではわらび餅ですが、関東ではくず餅となるようです。
老松のわらび餅は1260円です。
22 : 11 : 08 | 京菓子 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
無鄰菴
2012 / 04 / 03 ( Tue )
無鄰菴

京の琵琶湖疏水の動物園前舟溜り(南禅寺草川町)に明治・大正時代の
元老「山県有朋」が京都に別荘として造営した無鄰菴があります。

この無鄰菴は山県有朋が明治27年(1894年)から29年(1896年)と2年かけて
京都に別荘として造営いたしました。建物は母家と洋館、茶室からなり
その土地も大半は庭園が占めております。

駒札

無鄰菴の名称は山県有朋が出身地長州(現在の山口県)に建てた草菴が隣家の
ない閑静な場所にあったことから名付けられたと言われております。

玄関

建物は簡素な二階建ての母屋があり、その前面に広々とした庭園が広がります。

山県有朋は青年時代は吉田松陰の松下村塾に学び、高杉晋作や伊藤博文らとともに
尊王攘夷運動に参加し、文久3年(1863年)に奇兵隊の軍監となります。
明治政府の成立とともに陸軍の中心的人物として活躍し、政治家としては、参事院
議長、内務大臣、等を歴任の後明治22年には第1次明治31年には第2次内閣を組閣
いたしました。大正11年(1922年)死去するまで実力者として活躍した方です。
一方趣味の世界においては和歌、歌舞音曲、築庭にも優れた才能をもったと
言われております。

母屋


母屋内部

無鄰菴野庭園は山県有朋自ら設計し、名造園家といわれた7代目小川冶兵衛が作庭
した池泉回遊式の庭園となっております。
山県有朋はこれまでの伝統的な作庭に批判的な考えをもっており、小川冶兵衛に
対し新しい感覚で次々と注文を出しましたが、小川冶兵衛はその期待にこたえ
この無鄰菴の庭園を見事に作り上げたと言われております。
無鄰菴の庭園は小川冶兵衛の初期の作品ではありますが、後の近代日本庭園の
原点とも賞されて守られております。

お庭

庭園の一番奥には滝組がされ、池、芝を配した池泉回遊式の庭園には
琵琶湖疏水の水が取り入れられております。

庭園 滝組

丁度今は馬酔木が花をつけております。

馬酔木

茶室は藪内流家元の茶室「燕庵」を模して造られたといわれております。
茶室、庭園は小道をつたって回遊し楽しむことができます。

茶室


灯籠

洋館は明治36年(1903年)に山県有朋、政友会総裁の伊藤博文、総理大臣
桂太郎、外務大臣小村寿太郎の四者によって日露開戦直前の外交方針を
決める会議が行われた場所として知られております。

洋館

洋館はレンガ造りで1階の金庫室のような大きな扉が取り付けられていて
中には遺品の展示や小川冶平衛が京都で作庭した代表的なお庭のパネル
が掲げられております。

洋館2


山県有朋


小川冶兵衛


遺品


洋館内2

2階には江戸時代初期の狩野派による金碧花鳥図の障壁画や天井画で飾られ
豪華なお部屋が造られております。

洋館2階


2階2


2階天井

山県有朋が愛用した見台つきの椅子が置かれています。

2階3

この無鄰菴は昭和16年(1941年)に京都市に寄贈され、昭和26年(1951年)
には庭園が明治時代の名園として、国の「名勝」に指定されています。
00 : 36 : 43 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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