中堂寺
2012 / 08 / 31 ( Fri )
中堂寺

京の下京区大宮松原を西へ入ったところに中堂寺があります。

この辺りは西照寺、中堂寺、長円寺、善徳寺と多くの寺院が見られる
ところです。

この中堂寺村には六斎念仏が伝えられているところでもあります。

六斎念仏は小山郷始め京都中堂寺六斎会、嵯峨六斎念仏保存会と
京都の六斎念仏保存会に所属する保存会は14団体もあります。
その中で、念仏六斎は4団体、芸能六斎は10団体と分かれております。

中堂寺六斎会は風流化の強い芸能六斎といわれ、毎年4月29日には
稲荷大社お旅所、8月16日には壬生寺、8月24日は右京ふれあい文化館、
10月6日には伏見稲荷大社、などで奉納されております。


中堂寺は浄土宗西山禅林寺派に属し、ご本尊は阿弥陀如来

山門2 山門

平安期に延暦寺横川中堂の別院として創建されたとも、円仁の開創
とも伝えられております。
中世の状況は不明であるらしいですが、天正年間(1573~1592年)に
堀川高辻から現在地に移されたそうです。

本堂2

本堂

五輪塔

又この辺りは鎌倉時代地形的に低く、湿地帯であったため京郊農村となった
地域で洛中に供給する蔬菜類が栽培されていました。
なかでも当地で栽培されていた大根を「中堂寺大根」とよばれ、主に漬物用の
大根とされていました。

黒川道祐の近畿歴覧記『雍州府志』に東山大根として吉田辺でつくると
記されています。、
江戸末期以降聖護院大根の出現や産地の市街化によって中堂寺に移り、
現在は松ヶ崎辺りで栽培されるようになりました。
別名「茎大根」とも「南禅寺大根」とも呼ばれております。

中堂寺大根
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京町家 秦家住宅
2012 / 08 / 29 ( Wed )
京町家 秦家住宅

京の下京区油小路仏光寺下がるに江戸時代から続く商家「秦家」住宅
があります。

油小路仏光寺は祇園祭りの「大子山」が建てられるお町内です。
大子山のご神体は聖徳太子像で四天王寺建立に関わった杣入りの逸話
から真木に松を使わず杉を使用する唯一の山が建てられます。

大子山周辺は昔から呉服に関係する(白生地、染抜き、黒染、刺繍等)
職住一体とする町並みであります。

そんな町並みの一画に江戸時代から12代にわたって続く薬屋を営んで
きた老舗です。
現在京都市の登録有形文化財に指定されています。

湊家

建物は店舗、住居、土蔵を2つの庭で繋がっている表屋造り形式となって
おります。元冶元年の大火でやはり焼失いたしましたが、明治2年(1869年)
に再建されました。
庇付の平屋建てで虫籠窓があり格子がある典型的な町家形式となっています。

湊家2

屋根付きの大きな看板は「奇應丸」と書かれております。
奇應丸は熊胆を主原料にした丸薬で小児の癇の虫によく効くといわれて
おります。

昔は富山の薬売りの方が「奇應丸」や「感應丸」など袋に入った丸薬を
定期的に廻ってこられ入替をしながら常備薬として販売にこられ会話の
中で地方の情報交換などがなされていた懐かしい時代がありました。

今は簡単に物が手に入る時代ではそのような販売方法もなくなりましたが
このようにして伝統ある町家が残されているのは貴重なことです。

湊家3
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京の夏の旅 長江家
2012 / 08 / 28 ( Tue )
京の夏の旅 長江家

京の夏の旅が9月30日まで実施されていて、普段見ることが出来ない
文化財の公開が行われております。

そのうちの一つに京の町家「うなぎの寝床 鉾町に建つ街家」と題して
公開されている長江家住宅は、新町通の綾小路下るにあり、現在も呉服商
として営業されています。

長江家は
文政5年(1822年)長江家三代目の大阪屋伊助という方が現在の地に居を
構えてから代々呉服商大丸屋 長江伊三郎商店として呉服商を営んで参り
ました。元冶元年(1864年)禁門の変の大火によし焼失いたしましたが、
その後慶応4年(1868年)に再建され、次々と新築、増築がなされ、平成
17年には6棟(北棟、南棟、離れ座敷、化粧部屋、土蔵2棟)が京都市有形
文化財
に指定されています。

京の夏の旅

長江家住宅は「厨子2階型」と呼ばれる京町家で江戸時代から明治時代にかけて
継承されてきた江戸期継承型であるといわれております。

表の格子は「糸屋格子」と呼ばれ細い格子を木間返しにしたもので明かりとりと、
中から外はよく見えるが、外から中はよく見えないという工夫が凝らされた格子が
取り付けられております。

2階部分は虫子窓が塗りこめられ往時の京町家がそのまま残されております。

糸格子

部屋の配置は走り庭が南側に通り、店、玄関、台所と一列四部屋型の表屋造り
がなされていて、夫々に暖簾が架けられ、嫁隠しなど公私区別が暗黙のうちに
仕切られ京の都ではお互いの約束事として認識しあい決して敷居を越えない
柔らかなしつらえが約束事として守られて参りました。

このように間口は狭いが奥に、奥にと長い部屋造りがなされているのを
「うなぎの寝床」と呼ばれる京独特の町家形式です。

台所には勿論愛宕神社の火廼用心の護符が貼られおくどさんの上には布袋さん
七体が祀られ、家内安全、商売繁盛を願い、職住ともに先祖代々その生活振り
が受け継がれております。

これら過剰な意匠を排し合理性を重んじた機能性のある建物と質素倹約を重ん
じた生活が京の都独特の合理性や美意識が感じられるものであると言われてお
ります。

チケット

部屋のしつらえも夏用にはすだれ、よしず、冬用には襖がはめられるなど
蔵も部屋のしつらえようと商売用と2棟も造られるという豪華さです。

このような町家はまだまだ京の都には残されて現在も生活の場として使われて
いるのは素晴らしことです。
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広河原の松上げ
2012 / 08 / 27 ( Mon )
広河原の松上げ

京の広河原は左京区の最北端に位置します。
尾花町、菅原町、下之町、能見町、杓子屋町の5つの集落からなります。
昔は主に林業や炭焼きが中心となっていた町で、今でも茅葺の民家や田畑
などはその面影を残す風情があります。

この広河原では毎年8月24日に300年以上続くといわれる伝統行事の
「松上げ」が行われています。

松上げという行事は全国に分布する柱松の行事の一つの形態とされ、京の都でも
洛北の花背、九多、雲ケ畑などにも伝わり、愛宕山への献火行事として、火除け、
五穀豊穣、無病息災を祈願して行われる壮観な火の行事といわれております。
またこの行事を通して村人の和合や地域の発展に繋がる行事ともされています。

愛宕信仰とは、愛宕山に祀られている火伏せの神様愛宕権現を中心とした信仰
であります。

この松上げは愛宕信仰に端を発し、愛宕と深い関わりのある地蔵信仰とも結び
ついた神仏習合の民族行事として江戸時代より今日まで伝えられているものだ
そうです。


松上げは広河原の「松場(まつば)」と呼ばれる広場に神聖な場である結界を
つくり、そこに「燈籠木(とろぎ)」が組まれます。

この松上げに参加できるのは男性のみで、身内に不幸や出産のあったお家の男性
は参加できないのだそうです。

燈籠木

松上げは「燈籠木」と「地松」「放り上げ松」の三種類の松明と土台の「枠」
構成されています。

「燈籠木」は高さ20mもあり、その先端にモジ(大笠)が取り付けられていて、
そこに放り上げ松を投げ入れ点火するという仕組みです。
保存会の方々は一番乗りを目指して一斉に放り上げ松を投げ込みます。

構図

放り上げ松は松の木を小さく切って束ねたもので、この先端にひをつけ
放り投げます。
20mもあるモジ(大笠)まで放り上げるのは相当の年期が入ります。

松 放り投げ松 


月も山蔭に隠れる頃、辺りは真っ暗となります。
鉦と太鼓の合図で親火がともされます。

種火

火の回りには神事の始まりで、地元の保存会の方々約40名位の方が集まり
愛宕大明神に五穀豊穣、無病息災を祈願いたします。

燈籠木場

親火から、燈籠木場に建てられた1200本余りの地松に点火されますと
辺り一面火の海のようで幻想的な場面が展開されます。

地松

地松の点火が済み、辺りが火で悪鬼が追い払われていくような勇壮な中で
燈籠木への点火が始まります。
まるで聖火台への点火のようです。

男衆が一斉に放り上げ松を2個持ちモジめがけて鉦、太鼓の音とともに放り上げ
が始まります。

見事一番のりで火がつけられると全員が拍手喝采をいたします。

点火

モジに届いた火は勢いよく燃え上がり大松明となります。

点火2

大笠が燃え盛るころ枠にくくりつけてある燈籠木の藤蔓が切られます。

燈籠木倒し

藤蔓が切られると燈籠木は大きな弧を描きながら一気に倒れていきます。

燈籠木倒し2

ドーンという大きな音とともに倒れた燈籠木はさらに燃え上がります。

突っ込み

その後、大笠の火を2本の棒で空高くかきあげる広河原松上げ独自の
「つっこみ」が行われ松上げ神事が最高潮に達します。

突っ込み2

「つっこみ」が終わると男衆は神事の無事終了を祝いお神酒で乾杯をされます。
この時古老の発声で「シャンノ シャンノ オシャシャンノシャン」「祝オテ
オシャシャンノ シャン」と言って終了するそうです。

火は暮らしにはなくてはならないものではありますが、一方火はあらゆるものを
焼き尽くす恐ろしい力ももっています。

昔の人は火の恵みや驚異をより深く認識し、年に一度愛宕の神に火を献ずると
いう気持ちが行事となり、それが延々と300年の今日まで継承されてきています。

この行事を通して今一度火のありがたさ、怖さを認識して又一年気を引き締めて
暮らしていくのです。

この広河原の松上げは京都市の登録無形民俗文化財に指定されています。
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小山郷 六斎念仏
2012 / 08 / 26 ( Sun )
小山郷 六斎念仏


一月の内で8、14、15、23、29、30の六日は、悪鬼が出て人命を奪う
不吉な日として仏教伝承に基づいて民衆が講を組織して民家などに集
まり念仏を唱える風習が始まったのが南北朝時代から室町時代の始まり
といわれております。

それが講員が死亡した時の供養念仏となり、やがて盂蘭盆会に村々の家
を棚経を唱えて廻るようになったのは江戸時代の始めであったようです。

京の都に六斎念仏が行われたのは慶長2年(1597年)の相国寺の
『鹿苑日禄』によると、江戸時代に入ってから、近郊農家の人々がお盆の
時期に村中を念仏を唱えて回るようになり、それがやがて洛中に出かけて
商家など大店を檀那場として、店先などで棚経を唱えてお布施を頂戴した。
と記されていてこの頃は純粋に念仏のみであったようです。

江戸中期になりますと当時流行していた歌舞音曲を六斎太鼓で巧みに打ち
分けたり神楽として演じていた獅子舞や壬生狂言などで演じていた「土蜘蛛」
祇園囃子などを採り入れて工夫をこらし独自の芸能をあみ出し、宗教的の色彩
の濃い念仏中心の六斎にたいして、これらの六斎念仏を芸能念仏と呼ぶように
なりました。

小山郷の六斎念仏は都の近郊の三十軒程の農家が代々その精神と技術を受け継
いで毎年八月の盂蘭盆会の供養として六地蔵一番札所の上善寺で念仏踊りを奉納
されてきて今日まで伝承されて、現在では国の重要無形文化財に指定されています。

今年も地蔵盆の8月22日午後8時から上善寺で六斎念仏が奉納されました。

提灯 小山郷

現在小山郷の六斎念仏を構成するメンバーは二十数人で11曲にわたる
演目が奉納されました。

メンバー

先ず打ち出しの大太鼓と二丁吊鉦を合図に演目が始まります。

打ち出し

「発願」の演目は太鼓を抱えた数人が半円となり笛方も入り、全員で
念仏の始まりです。

打ち出しの曲や鳥追いの曲が笛と太鼓で掛け合いながら、夫々太鼓の打ち方
を変えた曲目が演じられました。

鳥追いの曲

「四ツ太鼓」では
四つの太鼓をすべて順に笛にあわせてうちならしていきます。
それぞれ人によってその打ち方がちがって面白さがあります。
六斎念仏のメンバーになると先ずはこの四つ太鼓の練習から始まる
そうです。

四つ太鼓


演目の中には復活を果たしたと言われるコミカルな猿廻しの親方に操られる
猿のしぐさが演じられました。

猿回し

「三社」では四人がむきあってそれぞれ太鼓の打ち方で曲目がつくられ
四人がまた交互に打ち合うなど隊型の変化と曲打ちを披露されました。

三社

「祇園囃子」
まさに京の祇園祭のお囃子を、出発から辻回し、巡行とその速度や打ち方の
違いを太鼓と鉦、笛で祇園祭と同じ曲が演じられました。

即興でコミカルなお坊さんと娘さんのおどけた太鼓が次第に2人の
連打に変わり会場を大いに盛り上げでおられました。

祇園囃子2


祇園囃子

本日のメインエベントの獅子と土蜘蛛です。
アクロバットの要素がおおいに入りみていてハラハラさせられる力の入った
演目です。

血気盛んな獅子が舞い、悪霊を退散させる演目です。

獅子と土蜘蛛


獅子

昔から子供は獅子に頭を噛んでもらうと賢くなるといわれ、よく噛んで
もらっていました。
今日も会場に参拝の多くの子供も大人も獅子に噛んでもらいます。
特に子供は、おお泣きする子もいればおとなしく噛んでもらう子もいて
会場はおお賑わいです。

獅子2

さて、これからがハラハラドキドキいたします。
三段の碁盤の上でアクロバットが始まります。
狭い碁盤の上で二人が演じる獅子は逆立ちをし、のけぞって
最後は碁盤の上から逆立ち降りいたします。


碁盤1

会場からはヒヤーとか声とともに手に汗をいたします。

碁盤2

碁盤がゆらぐと思わず目を伏せたり、「もういいから」など声が
もれてきます。

碁盤3

疲れて眠りこけている獅子を土蜘蛛が起しにかかります。

土蜘蛛

蜘蛛は糸でからめて獅子を退治しようとしますが、獅子は負けては
いません。戦いが始まります。

土蜘蛛2

最後が獅子が勝ち、又意気盛んに舞い悪霊を退治いたします。

獅子復活

とても見ごたえのある小山郷の六斎念仏でした。
所属される方々は普段は他にお仕事をされていて、この六斎念仏も保存会として
継承されていますが、とても熟練されていて、新たな工夫も凝らされ、継承
されていることに感動いたしました。
これが次の代そして又次の代へと継承されることを願うものです。
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六地蔵 上善寺
2012 / 08 / 23 ( Thu )
六地蔵巡り 上善寺

上善寺は浄土宗知恩院の末寺で、貞観5年(863年)比叡山の慈覚大師円仁に
よって天台密教の道場として建立されました。
当初千本今出川にありましたが、豊臣秀吉の時に現在地の寺町鞍馬口に
移されました。
当山第13世肝誉上人のときに浄土宗に転じたと伝えられております。

後柏原天皇が行幸され、勅願所不断念仏道場の宣旨と山号の千松山の勅額を
賜ったと伝えられ、皇室とも由縁あるお寺です。

山門

境内にある地蔵堂には六地蔵の一つで鞍馬口地蔵がお祀りされています。
当所は深泥池あたりにあったそうで深泥池地蔵とも呼ばれています。
毎年8月22日、23日には六地巡りの多くの参拝者で賑わいます。

鞍馬口地蔵

色とりどりのお札に戒名を書いて御先祖の供養と家内安全、厄病退散を祈願
いたします。

お札

お札は施餓鬼棚からお地蔵様へと繋がっている紐にくくりつけ御利益
を頂きます。

施餓鬼棚

施餓鬼棚にはお水を振りかけ清めをいたします。

しきび

御本尊は阿弥陀如来で行基菩薩の作と伝えられ、後水尾天皇が嵯峨今林蓮花
清淨院の御本尊を移されたとも伝えられております。
両脇壇には善導大師、法然上人像などもお祀りされています。
立派な本堂でこの日は公開されています。

本堂

毎年8月22日には上善寺で小山郷の六歳念仏が催されます。

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京の六地蔵巡り
2012 / 08 / 22 ( Wed )
京の六地蔵巡り 源光寺

京の夏の風物詩「六地蔵巡り」が8月22日と23日と行われます。


六地蔵とは地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六道に迷い苦しむ衆生を
救ってくださる仏様とされています。

その昔、仁寿二年(852年)朝廷に仕える参議左大辦小野篁が48歳の時大病に
罹り仮死状態の中で地獄の中で苦しめられている罪人を救う生身のお地蔵さまに
であいました。
そして篁に「娑婆にかえったなら一切の人々におのが犯す罪業の報いによって受け
ねばならない地獄の恐ろしさを説いて我に帰依せしめよ」とのお告げをうけ、
篁は大悲に感動して、末法の衆生に菩薩の御利益があるようにと、木幡山の一本の
桜の大木に六体の地蔵尊像を刻み木幡の里(現在の六地蔵の地)に安置いたしました。

後白河天皇はこの六地蔵を信仰され、王城鎮護、厄病退散を祈願し、又都を往来
する旅人達の路上安全を祈願して保元2年平清盛に命じ、平清盛は西光法師に命じて
都街道の入り口六ヶ所に六角堂を建てて、一体ずつ安置されました。
これが六地蔵の始まりとして広く庶民に親しまれ「六地蔵巡り」の風習が起こった
と伝えられております。

その六地蔵は
奈良街道   大善寺の 伏見六地蔵
西国街道   淨善寺の 鳥羽地蔵
丹波山城街道 地蔵寺の 桂地蔵
周山街道   源光寺の 常盤地蔵
鞍馬街道   上善寺の 鞍馬口地蔵
東海道    徳林寺の 山科地蔵  であります。

その内の一つ 嵐電の常盤からすぐのところにあります源光寺の常盤谷地蔵を訪ねて
みました。

山門

源光寺は臨済宗天竜寺派の尼寺で、源光庵とも呼ばれております。
もとは常盤御前が営んだ庵で常盤院をお寺にしたものだそうです。

本堂

六角堂の中には常盤谷地蔵尊がお祀りされています。

常盤谷地蔵菩薩

六角堂の軒先には閻魔王が見守る中で地獄の苦しみを描いた図が掲げられて
います。

地獄図

地獄絵図の反対側には天国の絵図が掲げられお釈迦様が見守って
おられる様子が描かれております。

その両極端を小野篁が衆生に示して地蔵尊に帰依するよう諭しておられます。

極楽図

源光寺のお札は家中の室内におき他の五ケ寺の各色のお札は家の
入り口におくと書かれていました。

お札

境内の東側には常盤御前のお墓が建てられております。

常盤御膳のお墓
(中央の赤い石碑が常盤御前のお墓で「源氏義経御母常盤御前御墓」と書かれて
いるようです。)
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京の通り 膏薬辻子
2012 / 08 / 21 ( Tue )
京の通り 膏薬辻子

京の下京区、新町通と西洞院通の間の通りで、四条通りから
綾小路通にぬける屈曲している通が「膏薬辻子」と呼ばれています。

謂れは
この辺りに空也上人が一宇を建て、非運の武将「平将門」の霊を
弔ったことから「空也供養の道場」と呼ばれました。それがいつしか
訛って「膏薬」とになってしまったと伝えられています。


表示  通り

最近通りは石畳に整備され通りの様子も綺麗になりました。
両側の家並みは町屋の造りで出格子の家並みが見られます。

通りへ入って暫く進んだところに将門塚保存会と書かれた旗が見え
神田明神が祀られています。

将門塚保存会

この神田明神が祀られているところには
御祭神は平将門命
平将門公は桓武天皇から五代の末裔で東国において武士の先駆者
「つわもの」として名を馳せた人で、この地は天慶の乱に敗れた
将門公の首級が晒された場所あります。
祟りが頻発したため、将門公を祀り当社が建立されました。
その後更に空也上人が手厚く供養されたと伝えられております。
と説明書きされています。

将門保存会2

綺麗にされた明神の中にはいりますと、塚と称される石がお祀りされて
いています。

将門保存会3

神田明神から通りは呉服関係のお店が並びます。
呉服の小売のお店や悉皆業を営むお店を通り、更に通りは屈曲し
綾小路へと抜けてまいります。

通り3

通2

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京の通り
2012 / 08 / 20 ( Mon )
京の通り 了頓辻子 


京に都(平安京)がおかれ均整のとれた「左京」と「右京」にわかれ
その中心南北に朱雀大路が左右を画しました。

この左右両京は「東京(ひがしのきょう)」「西京(にしのきょう)」とも称され、
さらに東京を「洛陽城」、西京を「長安城」とも称されました。
この両京は同時に大行政区となり、条坊制というシステムによって
ブロックごとに区切られそのブロックごとに大路、小路が張り巡らされました。

この条坊制の町の区画は正方形が基本でありましたが、次第に商業が
発達し、商人が表通りに面して店舗を構えだしますと、正方形の中心部
が空間地となってまいります。
その空間地に新たに道を通せば細い通りでも、通りに面して店舗を構える
ことが出来ます。

このようにして今までの区画内に新たな通りができたりたのが路地であり、
辻子であります。

この路地や辻子の違いは通りが隣の通りまで突き抜けているものを「辻子」
と呼んだり、コの字型になった通りに面して家が並んでいるものを「路地」
と区別したりいたしました。がこの区別はいろいろ節があるようです。

このようにして出来た細い通り、「路地」や「辻子」が京の町には沢山
見られます。
そこにはまたそれぞれの由来があったりいたします。

その内の一つに、京の中心中京区の室町から新町の間で三条通りから六角通に
かけて了頓辻子という細い通りがあります。

駒札

この了頓辻子というのは
江戸時代の初期の地誌『雍州府志』によると足利家の従臣であった廣野家が
この地に領地を有し、その廣野家の末裔で了頓はこの地に茶亭を構え茶道を
広めました。
豊臣秀吉もこの茶亭に訪れて茶を喫したといわれ、徳川家康も訪れて茶を
たしなみ遊んだといわれ、徳川幕府からは四百石を受け厚遇されていたと
記されております。

この了頓亭は広く、了頓の意志によって表門から裏門まで一般の通行が許され
たという逸話が残されており辻子の役目を果たしていたと伝えられております。

今も了頓辻子町という名が残されているのはここに住まいした廣野了頓に由来
すると伝えられております。

通り 了頓邸跡
21 : 33 : 17 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
京のお盆
2012 / 08 / 19 ( Sun )
京のお盆 五山の送り火

京の8月の最大の行事は盂蘭盆会の行事です。
8月に入りますと仏教に属する主婦は何かと気ぜわしくなり始めます。
お仏壇の掃除をし、お墓参りをし、お精霊さんをお迎えするのです。

家々によってそのお迎えの方法は変わります。宗派やその家庭によって
受け継がれてきた方法にのっとって行います。

8月10日~13日の間で塔婆にご先祖の戒名を書いて頂き、
願い寺や六道珍皇寺等に行って高野槇をお供えしたりして、お精霊さんを
お迎えいたします。
お迎えした日からはお迎え団子や毎日3度のお食事を(精進料理)お供えして
棚経をあげていただきご先祖の供養をいたします。

8月16日になりますと、お施餓鬼を済ませお精霊さんを又お送りいたします。
その魂送りが「京の五山の送り火」となります。

午後8時を期して、先ずは東山の如意ケ岳の「大」から順に松ヶ崎西山・東山
「妙 法」 西賀茂船山「船」 大北山「大」(左大文字) 嵯峨鳥居本の
曼荼羅山の「鳥居」がともされます。



大 妙法


船形 左大文字

       鳥居

もともとは室町時代以降に行われた行事で松明の火を空に投げかけて霊を見送る
という習俗から山に点火されるようになったとも言われております。

如意ケ岳の「大」は火床数は75、松割木を井桁に組んでその間に松葉を
入れて点火されます。

字型の始まりはいろいろな節がありますが、寛文2年(1662年)『案内者』の
記事によりますと、寛永の三筆の一人近衛信尹とされるとも言われております。
(ちなみに寛永の三筆は、近衛信尹、松花堂昭乗、本阿弥光悦、)

       からけし

五山の送り火のからけしを玄関などに置いておくと厄除けになるともいわれ
ております。

この五山の送り火がすみますと、京の夏も終盤に近づいた感がいたします。

そして子供たちが毎年楽しみにしている地蔵盆の行事を迎えます。
お精霊さんを無事お送りをして、子供たちの健やかな成長を祈願して
数珠繰りをしゆく夏を惜しみます。

地蔵盆が終わりますと子供たちは夏休みの宿題におわれます。
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陶然亭
2012 / 08 / 04 ( Sat )
陶然亭

京の祇園新橋は伝統的建造物保存地区に指定されています。
縄手通の東から花見小路に至る間、新橋通と白川通に面する地域は
江戸時代に入って町が開発されました。

新橋通にはお茶屋が並び、二階がおもてなしの場として使われたので
この辺りの二階は普通の町屋よりも高くなっております。

かって祇園新橋に「大友」というお茶屋さんがあって、女将の磯田多佳
さんは、夏目漱石や谷崎潤一郎、吉井勇など文人との交流も深く
その名を馳せていました。

そんな町並みの一画に京料理の「陶然亭」があります。
お店はカウンター席とテーブル席が一つとこじんまりとしていますが
雰囲気のいいお店です。

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いさきの梅肉あえ

いさき

いさきのお造り、磯のり添え
いさきはさっぱりした白身のお魚で、磯海苔の香りと胡麻の香りが
とても味を引き立てています。

いさき御造り

芋茎と湯葉の和えもの、芋茎は今旬のお野菜。
和えものでもお炊きざいにもよくあいます。

ずいき

蒸し茄子、じゅんさい、きゅうりの椀物
きゅうりが歯触りもよく、カリカリして椀物にもこんなによく合うとは
再認識いたしました。
葛引きになっていて、おだしが絶妙でとても美味しく戴きました。

茄子 きゅうり じゅんさいの椀物


寄せ豆腐、特製のお味は美味です。枝豆の彩りが引き立てています。

寄せ豆腐

ちりめんご飯。 ちりめんはあっさりとしたお味で、ご飯に沢山かけても
味が濃くならず、カルシューム補強に最適です。

ちりめんご飯

デザート

デザート

全体的に器も落ち着いた色合いで、食材をひきたて、素材を大切にした
味付けは美味しく、楽しめる京料理のお店です。
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京都水族館
2012 / 08 / 03 ( Fri )
京都水族館

今年(平成24年)3月14日に京都の梅小路公園内に内陸型
大規模水族館の京都水族館が開館されました。

地上3階建てで最大5000人を収容できる水族館は総工費60億円
をかけてオリックス不動産が建築いたしました。

一番の特徴は真水から海水に変える人工海水利用型の水族館
あります。

京都水族館には約250種の動物や約15000匹にのぼる展示が
なされています。

この京都水族館では13のゾーンで構成されていて、
京の川ゾーン、かいじゅうゾーン、大水槽、海洋ゾーン、
イルカスタジアム、交流プラザ、山紫水明ゾーン、京の里山ゾーン
からなります。

夏休みがはじまった水族館では連日子供達が大勢つめかけ大賑わい
となっています。

外装

京都水族館ではエコの取り組みもしっかりとなされていて、LEDの
使用ですとか、ミストによる冷房設備、自然木を利用した建築など
緑も多く取り入れられております。

緑

京の川ゾーンには
生きた化石といわれる世界最大級の両生類であるオオサンショウウオ
がいます。

うつぼ2

ペンギンゾーンでは
まだ子供のペンギンがあまり沢山の人を見て、何事かといった顔つきで
心配そうに見ていました。

ペンギンゾーン

メインの大水槽では
50トンの水量で日本海がまるごと埋まっているようです。
沢山の種類の、色とりどりの魚が泳いでいます。
魚群になって泳いでいる魚も、海底でひときわ鮮やかな魚も、時々
つつきあったり、遊んだりと何時まで見ていても飽きないゾーンです。

中央水槽

魚群

巨大魚

うつぼ
うつぼ

あけぼのちょうちょううお
あけぼのちょうちょううお

魚群2


あけぼの2

はたたてだい
はたたてだい

ブルー

鯛

海洋ゾーンでは
巨大な蛸や海老、クラゲ、サンゴなどがいます。

蛸


えび


sanngo.jpg


珊瑚

2008年には下村脩教授はクラゲから蛍光タンパク質の研究でノーベル賞を
受賞された日本の素晴らしい研究者がおられますが、クラゲにヒントを
得られたその発想が今日の社会に大きな成果を残された由縁ですね

くらげ

イルカスタジアムでは
8月平日は一日5回のイルカショーが行われていますが、毎回満席で立ち見客
も多くでる人気のゾーンです。

イルカショー

若い綺麗なお姉さんの合図でイルカが集まってきます。

イルカショー2

まずは握手から始まります。

イルカショー3

一番は大ジャンプです。
シャッターチャンスは非常に難しい!!
一瞬のうちに高くジャンプいたします。

イルカショー4

最後は観客の中から選ばれた子供とイルカの握手です。
従順なイルカはそっとひれを差し出し握手を交わします。
何とも微笑ましく、可愛いです。

約15分位のイルカショーはあっと云う間に終了いたします。

イルカショー5

訪れた子供たちは眼を輝かせて、色とりどりの魚や動物を
見たり、触れたりして大はしゃぎをしています。
楽しい夏休みの一日になることでしょう。
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