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辰年から巳年へ
2012 / 12 / 28 ( Fri )
辰年から巳年へ

平成24年(2012年)辰年も後わずかとなりました。

特に今年は大きな災害からの復興の時期、人々の心にはまだ大きな災害
の記憶が残っております。

しかし今年はオリンピックの年でもあり、新たなヒーローが生まれ、
団体種目でのチームワークが光り、絆の深まりを感じた年でありました。

人々の温かいふれあい、優しさ又厳しさをもスポーツを通して知らされ
ました。

そして年末には政権の交代という大きな出来事もありました。

これからの日本がどのように進んでいくのか、遅れをどのように取り戻して
いくのか、選ばれた自民党に期待したいものです。

辰

新たな2013年巳年の恵方は丙の方角であるとか
やや西寄りの北が恵方に当たるそうです。
新年は新たな年神様が恵方より幸せの運を運んでくださると昔の人はよく
話されていました。

来る一年がよりよい年になりますように、年神様をお祀りして恵方より
運ばれてくる福運を逃がさないように、元気で事故のない幸せな一年を
念じて、今年の無事に感謝致したいと思います。



巳年
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09 : 37 : 22 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
京の映画史
2012 / 12 / 19 ( Wed )
京の映画史 尾上松之助銅像

京の都は早くから映画製作のメッカとも言われたところです。
東映太秦撮影所を始め松竹加茂撮影所というのもかっては存在いたしました。

時代劇が華やかなりし頃、大正・昭和の初期には名だたる俳優が多く京都を
拠点として活躍いたしました。

京の下鴨、賀茂川と高野川の合流地点三角州の公園に「尾上松之助」の銅像が
建てられているのをご存知でしょうか?

尾上松之助銅像

尾上松之助は日本映画の草創期の大スターと言われた方で出生は岡山県です。
幼少の頃より舞台に立ち、一座を率いて興業をするうちに、映画の巨匠牧野省三に
見出され、横田商会(後の日活)撮影所に招かれて「碁盤忠信」に出演したのが
映画俳優としての始まりだそうです。

以後身軽さを武器に英雄豪傑立ち廻りや忍術映画の多くに出演いたしました。

愛称は「目玉の松ちゃん」と呼ばれており、
見得をきるとき、大きな目をぎょろりと睨み据えるところからそのように
呼ばれるよになったとか、、、、、

一方尾上松之助は俳優活動で得た私財で京都府や京都市等に寄付をし、貧しい
人のために住宅を建てるなど福祉活動にも大きく貢献された方であります。

その功績をたたえ昭和41年に当時の京都府知事蜷川虎三氏がこの鴨川公園に
銅像を建てられました。

今日ではその名声を知る人は少なくなりましたが、このように素晴らしい活動
をされた俳優さんがおられたことを忘れないでいたいものです。
19 : 58 : 33 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
六波羅蜜寺
2012 / 12 / 15 ( Sat )
空也踊躍念仏六波羅蜜寺)


京の東山区松原通大和大路東入にある「六波羅蜜寺」は真言宗に属し、
ご本尊は「十一面観音」をお祀りされています。

応和3年(963年)空也上人が鴨川東岸に一堂を建て、西光寺としたのに
始まるとされています。


本堂


その六波羅蜜寺では、毎年12月13日から31日まで「空也踊躍念仏」
(かくれ念仏)が行われております。

空也上人は「お念仏の祖」と現在ではいわれております。
当時疫病が流行った時代に空也上人は疫病退散を願ってこの念仏が始め
られました。
鎌倉時代にはこの念仏は弾圧を受けた時代があり、表だって行われること
はなくなり、薄暮勤行として夕暮れ時に本堂の内陣において密かに行われ
てきたようです。
このお念仏は「南無阿弥陀仏」という外部に聞かれて分かる言葉では唱えず
「モーダーナンマイト」・「ノーボーオーシトー」というように外部に聞か
れても分かりにくくされていて、しかもすぐに留めることが出来るように
なっているそうです。

本堂の廻りを鉦を手にした僧侶の方が導師の周囲を身体を揺らしながら
お念仏を唱え廻ります。
ある時導師の輪の合図でピタット止められ、僧侶の方はすぐ姿を隠し、又
何事もなかったように通常のお勤めに戻ると、いう不思議な念仏です。

この所作・動作は当時のまま歴代の御住職の口伝によって守り伝えられ
現在では重要無形民俗文化財に指定されております。

空也上人がこのお念仏を唱え清水を与えたところ疫病は治癒したとされ
その清水は今日ではご皇服茶として1月の3ケ日に参詣者に振舞われます。

お守り


今日では私たちの一年の「罪業消滅」「新しき年がよき年」であるように
お祈りしてこの踊躍念仏の修行に参拝いたします。
参拝後には内陣にお参りを許され、お守りが授与されます。


21 : 13 : 09 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
京都市電開業100周年
2012 / 12 / 10 ( Mon )
京都市電開業100周年

今年は京都市電開業100周年を迎えます。

日本の路面電車は明治28年(1895年)2月、伏見下油掛と七条停車場間6.7キロ
に京都電気鉄道(京電)が開業した伏見線が最初であります。

明治初期の京都は天皇が東京に行かれ、それにつれお公家さんや商工業者の人々
がこぞって東京に移って御所の辺りは狐狸の棲家と言われるくらい疲弊して
おりました。

これを回復させるために第3代京都府知事の北垣国道氏は国家100年の計画と
いわれる琵琶湖疏水事業を興し、水力発電事業に成功、その電力でこの電気鉄道
(後の市電)伏見線ができました。

油掛町駒札 電気鉄道発祥石碑

伏見油掛町にはその記念碑が建てられております。

油掛町は伏見港(京橋付近を中心)に近く、京・大阪へ行き交う旅人で賑わいを
みせたところで、伏見の町は江戸時代徳川家康がいち早く銀座をおき、金融事業が
始まったところでもあります。

明治の初期になされた事業は今日の京都の発展の礎えを築かれた事業でもあり、
偉大な功績を残された方々を今一度称えたいものです。

今年の京都検定1級の問題にもこの電気鉄道の区間を問う問題がだされて
いました。
12 : 23 : 31 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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