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相国寺 慈照院
2013 / 01 / 30 ( Wed )
京の冬の旅 相国寺 慈照院

「京の冬の旅」で公開されている、相国寺の塔頭 慈照院は烏丸鞍馬口
下るにあります。

京の冬の旅 看板


応永12年(1405年)頃相国寺第13世の在中中淹が創建し、大徳院
と称しました。
延徳2年(1490年)室町幕府8代将軍足利義政公の菩提寺となり、
その法号から寺名を慈照院と改められました。

当院の第7世仏性本源国師(昕寂顕啅)が桂離宮で知られる桂宮(八条宮)
智仁親王や智忠親王と親交があり、桂宮家の菩提所となったことから
皇室との関わりも深い寺院であります。


山門

山門から本堂、書院には枯山水のお庭が続きます。

表庭

本堂には十一面観音立像、足利義政公の木像が祀られています。

客殿の前庭には船を形どったといわれる見事な「陸船松」が枝を伸ばし
滝石組が見られる枯山水庭園が広がります。

陸船松

本堂前庭園

書院は「棲碧軒」(せいへきけん)と名付けられ、
寛永6年に桂宮のご学問所として建てられたものを、のちに
仏性本源国師(昕寂顕啅)に下賜されたもので、腰高障子の網代組や
筬欄間などは桂離宮の「古書院」と同じ材質や建築法で造られている
そうです。


書院前庭園
(書院前のお庭です。)

お茶室「頤神室」(いしんしつ)は仏性国師が千宗旦と交流を
深められ、合作で造られたお茶室だそうです。

四畳半のお茶室に持仏堂がつくられ、布袋像が安置されていますが、
この布袋像の首が千利休の首とすげ替えられるようになっているとか、
千利休の切腹で公然と利休像をお祀りすることが出来なかったことから
布袋像にみたてた仕掛けであるといわれております。

又掛け軸は「宗旦狐」が架けられております。

宗旦狐の伝説は
相国寺あたりに住んでいた狐が、ある茶会で、席入りが遅れた亭主の宗旦に
化けて、見事なお手前を披露しておりました。

そこへ本物の宗旦が「いや~遅れて申し訳ない」と云って現れ、お客は2人の
宗旦にびっくりいたしました。

本来なら処分されると観念した狐に、宗旦は「処分することなく、
お客をお待たせすることなく見事なお手前を披露してくれて有難う」と礼を
述べました。

狐は感じ入りもう二度といたしませんといって逃げていったというお話です。

茶室

手水鉢
(お茶室前の手水鉢です)

桂宮家の菩提所から墓地がおかれております。

桂宮家墓地
17 : 36 : 08 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
八千代
2013 / 01 / 28 ( Mon )
南禅寺 八千代

南禅寺への参道あたりは東山連峰を借景とし、琵琶湖疏水の水が引かれた
別荘が建ち並ぶ清閑な佇まいをみせるところです。
その一画に料理旅館「八千代」があります。

旅館八千代


八千代の歴史は安土桃山時代に魚市場を営み、御所へのお出入りも許された
といわれる格式のある魚問屋兼料理屋であったと伝えられています。

玄関


数寄屋造りの建物と小川冶兵衛氏の作庭による池泉山水のお庭は
落ち着いた雰囲気で、時より野鳥が飛んできてとても贅沢な雰囲気
をあじわうことが出来るところです


お庭

一点の曇りもないお座敷のガラス越しに眺めたお庭です。

お庭2

直視でお庭を眺めた景色です。 立派な鯉も悠々と泳いでいます。

鯉

その八千代で今日はお昼のお食事を戴きました。

睦月の献立はまだお正月の余韻を残したものです。
八寸は お多福豆、鮭絹多巻、海老の雲丹挟み、貝柱粕漬け、黒豆
    稲荷寿司、鶏松風。
    菜の花の白和え

八寸

お造りは 鯛、鮪、剣先いか わさびの葉が蓋かわりです。
  茗荷の香りがとても食をそそります。

お造り

豆乳仕立ての湯豆腐です。
 お豆腐は毎朝、八千代で作られるそうです。
 なめらかなお豆腐はするっと口に入ります。


豆乳の湯豆腐

薬味

揚げ物は海老のおかき揚げ、鯛ロール、穴子、南京、蓮根、青と
   であんかけになっています。

中皿 天麩羅

焼肴は鰆の幽玄焼、八幡蒟蒻

焼き肴

汲み上げ湯葉のあんかけ

湯葉

ご飯、じゅんさいのすまし汁

ご飯

フルーツ(苺、パインの甘煮、オレンジ)

フルーツ

「京の冬の旅」で名庭を楽しみながら京料理を楽しむ企画で、
1月は「八千代」「美濃幸」 3月は「萬重」「魚三楼」を楽しむ
ことができます。  いずれもお料理は5,250円です。(要予約)
20 : 02 : 47 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
妙心寺
2013 / 01 / 27 ( Sun )
妙心寺 明智風呂

妙心寺の三門の東側に浴室があります。
この浴室は明智風呂とも呼ばれています。

天正15年(1587年)明智光秀の叔父様に当たる密宗和尚が妙心寺の
塔頭「太嶺院」におられ、光秀の菩提を弔うために創建されたもの
だそうです。

太嶺院は後に廃寺となりました。

唐破風の入り口正面には位牌棚があり、中央に跋陀羅尊者画像(狩野宗信筆)
が掲げられています。

浴室(明智風呂)


中は脱衣場となる畳の部屋、唐破風のある浴槽、その前が洗い場となっていて
この浴室は昭和3年まで使われていたそうです。

浴槽は板敷きとなっていて、蒸し風呂(今のサウナ)となっています。

窓が3つあり、上と中央は温度調節、下は出入り口となっています。

外からお水を汲み上げ浴槽の下にいれ背面に焚き口があってお湯を
沸かし、温めるというもので、雲水さんが作法に従って板敷きに座って
入浴されたそうです。

現在は重要文化財に指定されています。

明智風呂


18 : 43 : 15 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
妙心寺
2013 / 01 / 26 ( Sat )
妙心寺 法堂

妙心寺は花園天皇の発願で花園離宮を禅寺として開創されたもので
かっての昔はこの辺りは、衣笠山の美しい山並みと兼好法師ゆかりの
双ケ丘を借景として、四季とりどりの花が咲き乱れる宴遊の地であり
ました。

応仁の乱で荒廃してしまいましたが、文明9年(1477年)後土御門天皇
より妙心寺再興の論旨により細川勝元や政元らの援助により再興され
ました。

堂宇が整備され、徹底した組織運営がなされ、臨済宗きっての
巨大教団を掲形成された足跡から俗に「妙心寺の算盤面」と称されます。

伽藍造りは、三門・仏殿・法堂・が一直線に並ぶ禅宗様で、いずれも
重要文化財に指定されています。

仏殿は文政10年(1827年)に新しく造りかえられたもので、禅宗仏殿
の典型といわれております。

威風堂々とした、凛とした佇まいです。

仏殿2

ご本尊の釈迦三尊がお祀りされています。

仏殿 釈迦如来

法堂

仏殿の奥の法堂は明暦2年(1656年)の造営で、住持や演法の重要な儀式が
行われています。

建物は入母屋造りで天井には狩野探幽(法眼守信)筆雲龍の絵が掲げられて
おります。

龍は架空の動物で、目は牛、口は鰐、胴体は蛇、鱗は鯉、詰めは鷹が描かれて
います。

見える角度により凄みをきかせ睨んでいる様子から、中央辺りにいくと龍が
やさしくなり、蒔いていた胴体が次第にほどけていきます。

そして中央にきた時には、龍が廻っています。(廻っているように見えます)

本当に不思議な雲龍図です。


法堂雲龍図

そして妙心寺の梵鐘は黄鐘調鐘ともいわれ、徒然草に「およそ鐘のこえは
黄鐘調なるべし・・」とあるまさにその鐘で、NHKの「ゆく年・来る年」で
第1声の鐘の音は、この妙心寺の梵鐘であるといわれております。

もとは淨金剛院(廃寺)にあったもので記年銘のあるものとしては日本最古
で、文武天皇2年(698年)の作であると伝えられております。

現在は腐食が進んでいるため、法堂内に置かれていて、そのレプリガが
現在の梵鐘として毎日撞かれております。

その形、唐草模様は点火の名勝の名に恥じないといわれております。

堂内で録音された鐘の音をきくことができます。
なるほどいい音色の鐘の音です。

現在撞かれている鐘はこの黄鐘調の鐘のレプリカが使われています。

oujiki.gif 鐘楼3

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妙心寺
2013 / 01 / 25 ( Fri )
京の冬の旅 妙心寺 東海庵

京の冬の旅シリーズⅢは妙心寺「東海庵」です。

 東海庵看板

東海庵は文明16年(1484年)斉藤越前利国の室
利貞尼が悟渓宗頓(ごけいそうとん)を講じて建立されました。

妙心寺四派本庵の一つにあたります。

妙心寺四派本庵とは龍泉庵、東海庵、霊雲院庵、聖澤院のの四派
を指します。

悟渓和尚は尾張のご出身で雪江宗深禅師のもとで修行を積み、
教えを東海道に広め後に東海派の祖といわれるようになりました、

東海庵山門

山門からみえる方丈の屋根は楼閣がそびえるような、煙り出し
(明かりとり)の屋根が見られます。

東海庵本坊

東海庵の庭園は史跡名勝に指定されていて、夫々趣の違ったお庭を
拝見することができます。

方丈南にある庭園は一面白砂を敷き、雨落ちの中に棗型の手水鉢だけが
おかれていて、箒目は一直線で清浄・無をあらわした「白露地の庭」です。

東海庵方丈前庭園

東海庵 棗型手水鉢

書院南庭は大小7つの石を配した枯山水坪庭です。
両サイドの石の面がをれぞれ渦のながれにそって配されているので渦が
廻っているように見えます。

東海庵南庭

書院西庭は「東海一連の庭」(史跡名勝)です。
三神仙島一連を表した枯山水で、東睦宗補和尚が文化11年(1814年)に
作庭されたものだそうです。

三神仙島とは中国古来で不死不老の仙人の住むところと考えられた島で
奥から蓬莱・方丈・えい洲を指し、四神仙島といったときに東海を指す
といわれ3つのブロックからなります。

東海庵西庭2

蓬莱を表した書院の軒下には大きな一文字型手水鉢が据えられております。

東海庵 一文字手水鉢

屋根の鬼瓦に架空の「キリン」の姿をしたものがみられ大変珍しい鬼瓦です。

キリンの瓦

中央に三尊石(不動石・日天石・月天石)その前の小さな石は影向石・白雲石・
水分石・波切石・亀頭尾石・鶴石・礼拝石とそれぞれ一つ一つに意味があって
置かれています。

東海庵西庭3

春日型六角燈籠と橋柱手水鉢・その手前に火燃石・伽藍石・と飛び石が配されて
います。

東海庵西庭4

一面の庭園の盛り沢山の意味が込められた「東海一連の庭」です。

今回の公開は12年振りの公開だそうです。
それぞれ違ったお庭を楽しむことができます。そこで何かを感じとれるように
静かに座っていたいような気もいたします。
00 : 57 : 00 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
妙心寺
2013 / 01 / 22 ( Tue )
京の冬の旅 妙心寺 大庫裏

妙心寺の今回「京の冬の旅」経蔵と大庫裏が公開されています。

大庫裏は妙心寺の数百人の斎(食事)を調理、配ぜんされるところです。

建物は室町時代1528年の建立とされています。当初は杮葺きであったのを
1808年に瓦葺に改築され、白壁に垂直の木組みの格子模様がとても
綺麗で、禅宗様の凛とした佇まいを感じます。

屋根には排気用の櫓煙出が取り付けられたもので、土間で調理された
食材が数人かかりで持たないと上らないような大きなお釜で煮たきされる
のは圧巻です。
妙心寺のお台所です。


大庫裡1

中には開山の慧玄僧都や恩師の絹本掛け軸等が展示されています。

お部屋は調理場、芝置き場、大庫裏、小庫裏、食堂等からなります。

堂内には定朝作の地蔵菩薩がお祀りされていて、毎年8月23,24日の
地蔵盆には子供たちはこの堂内のお地蔵様の前で思い出に残る地蔵盆
を楽しむのだそうです。

大庫裡2

玄関横唐破風の仏殿には、火の神様「韋駄天」様がお祀りされ、火の用心
が守られています。

大庫裡3
21 : 47 : 21 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
妙心寺
2013 / 01 / 21 ( Mon )
京の冬の旅 妙心寺 経蔵

京の右京区花園に臨済宗の妙心寺があります。

暦応年間花園上皇の発願で花園離宮を禅寺としたもので、開山に
関山慧玄を迎え創建されました。

妙心寺の諸堂伽藍は禅宗としては全国随一といわれる位大きく
子院・塔頭は40余りに及ぶ広大な本山となっています。

山号は正法山と号し、ご本尊に釈迦如来をお祀りされています。

この妙心寺の中に「経蔵」があり、今回「京の冬の旅」で公開
されています。

経蔵看板 

経蔵は1670年代に大阪の淀屋辰五郎の寄進によって建立された
ものだそうです。


経蔵3

正方形の建物の中に八角形をした輪蔵が置かれていて、この輪蔵
の中には一面に6列10段の引き出しがあり、更にその中に40個の
引き出しがありこれが八面で800個の引き出しが作られています。

そしてその引き出しに経文が8~9巻納められているそうです。

総計にすると6,527巻の経典が納められているということになります。

引き出しにはそれぞれ漢字で順序が書かれていて、読み解いていくと
四文字熟語になるそうです。

この経典は12人の学僧が8年の歳月をかけて写経をしたもので、
重要文化財に指定されています。

この輪蔵を考案されたのは、中国の南北朝時代の僧「傳大士(ぶたいし)」
によるもので、輪蔵の正面にその木造が安置されています。

輪蔵の下段にはこの経典を守るために、自国天、増長天、広目天の四天王
や梵天、帝釈天、金剛力士等の木像が置かれています。

経蔵4

毎年七月下旬にはこれらの経典の虫干しが行われることになっています。

経堂

経蔵の扁額「毘盧蔵」は鎌倉時代 伏見天皇の御宸筆ともいわれています。

経蔵扁額



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三十三間堂
2013 / 01 / 13 ( Sun )
柳のお加持と通し矢(三十三間堂)

京の都は新年が明けますと多くのお寺や、神社では行事が目白押しに
行われて、一年の無病・息災・平和・五穀豊穣を祈願いたします。

ここ東山区にあります三十三間堂(蓮華王院)では1月の成人式に
近い日曜日には、「柳のお加持」と「通し矢」の行事が行われます。

この日は朝9時から寺内は解放され、多くの参拝者で賑わいます。

三十三間堂の仏堂は後白河法皇が自らの離宮法住寺殿の敷地内に
平清盛に下命され一宇の仏堂を建立されたのが始まりで、この
仏殿に1001対の千手観音像を安置されたものと伝えられております。

三十三間堂と呼ばれるのは本堂の柱間が33あるところから称される
ようになりました。

門 本堂2

朝早くから、境内は屋台も出て多くの参拝者で賑わい、
柳のお加持の供養を受けるには長蛇の列が出来ていました。

同時にこの日は通し矢も行われて、全国から2000人余りの競技に
参加者する人々が訪れています。

通し矢


柳のお加持

柳のお加持という法会は平安時代からの伝統があり、三十三間堂の
最も重要な法要といわれております。

新年の初水を汲んだ霊水を千手観音様にお供えし、法会を行った後に
儀式では聖樹とされる「柳楊・やなぎ」でこの法水を参拝者にかけて
諸病を取り除くというもの(特に頭痛に効く)

仏教では柳は一切樹木の王、仏様にお供えする最高の聖木とされている
そうです。柳には鎮痛作用があり、アスピリンは柳から作られたとも
伝えられているそうです。

本堂3

本堂千手釈迦如来の前の台座に座られた、妙法院の法主さまが参拝者
に柳の枝で法水をかけてくださいます。

余りのも多くの参拝者なので、法水が丁度当たれば幸いという所です。
幸いにもしっかりと清めていただきました。

2柳のお加持

本堂の蛙股は龍のような彫り物がみられます。
これは珍しい発見でした。

蛙股

本堂裏手では通し矢の順番を待つ人でごった返しています。

通し矢2

通し矢の始まりは古く桃山時代ともいわれております。

「通し矢・とおしや」はお堂西側の南端から60メートルの距離を
弓で射通し、その矢の数を競う競技です。

江戸時代には町衆に人気を博し「大矢数・おおやかず」という競技で
夕刻から始めて翌日の同刻まで一昼夜何本通るかを競ったそうです。

これが次第に武芸者の栄誉をかけたものとなり、尾張・紀州の二代
雄藩による功名争いは人気に拍車をかけ、京の名物行事となったとも
記されております。

通し矢3

今日では新成人の晴れやかな通し矢の競技としても華やかな京の
風物詩となっております。

通し矢4
18 : 33 : 22 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
第31回都道府県女子駅伝
2013 / 01 / 13 ( Sun )
第31回都道府県 女子駅伝

都道府県女子駅伝は、女子陸上競技の中・長距離選手の普及、
強化育成を目的に開催され、今回は31回の歴史を数えるまでに
なりました。

その間には多くの強力な選手が育ち、オリンピック代表選手と
して活躍、日本の陸上競技のレベルアップとなって参りました。

選手には佐々木七恵選手、有森裕子選手、浅井えり子選手、
千葉真子選手、野口みずき選手、新谷仁美選手、福士加代子選手
等々


旗


先導

今年も中学生から社会人まで混合のチームで、京の都大路を
駆け抜けていきました。

中学生選手にとってはあこがれのお姉さん選手と一緒のチームで
走ることに喜びを感じ、多くのことを学ぶ絶好の機会となる事で
しょう。

回を重ねるごとに、かって中学生として選ばれた選手はもう
大学生になり、社会人になり、力強い走りを後輩にみせていました。


ランナー1


往路第2区の選手の力強い走りです。
この時点では1位は岡山でした。

地元の京都は7位で駆け抜けていきました。

ランナー2


ランナー3

復路の第9区では、順位が変わっていて1位は神奈川県です。

ランナー4

ロンドン五輪マラソン代表の新谷選手も綺麗な走りをみせて
くれました。
千葉は最終4位となりました。

ランナー5


ランナー6

京都のアンカー予定だった野口みずき選手は急性胃腸炎のため急遽
かって中学生ランナーとして成長した久馬悠選手がアンカーを務めました。

いろんなアクシデントもあります。

ランナー7

今年は天候にも恵まれ大会新記録の2時間14分55秒という輝かしい
記録が生まれ、又新たな有力な選手が誕生することに期待が膨らみます。
16 : 11 : 33 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
三時知恩寺
2013 / 01 / 12 ( Sat )
京の冬の旅 三時知恩寺

25年の「京の冬の旅」が1月10日から始まりました。
普段は非公開の文化財が特別に公開されるので、地元の人も多く
拝観に訪れます。

冬の旅

三時知恩寺は新町通の上立売通下がる、丁度同志社大学の新町
キャンパスの前にあります。

浄土宗の単立の尼門跡寺院で、御本尊は阿弥陀如来で本堂には
中国で浄土宗を開かれたといわれる「善導大師」がお祀りされて
います。

山門

山門を潜ったところの本殿前の枯山水庭園です。
杉苔が茂り、五月とさるすべりの老木がみられます。

玄関庭

三時知恩寺は応永年間(1394~1428年)後光巌天皇の
皇女見子内親王(入江内親王)が入江殿を寺院に改め創建
され開山は覚窓性山尼と伝えられております。 
入江殿から、入江御所とも称されております。

三時知恩寺の名前の由来は柏原天皇が宮中での六時勤行
(一日6回の勤行)を多忙もあって昼間の三時(みどき)
を当寺で修するようになり、寺名も三時に改められた
そうです。

本殿

現在の建物は天明の大火で焼失し、後に恭礼門院の旧殿を
拝領して再建されたようです。

今回は狩野永納による「花鳥図屏風」と円山応挙による
琵琶湖の「魞魚図」の襖絵と「鶴」「亀」の杉戸絵が
公開されていました。

お庭は「蓬莱の庭」と名付けられた枯山水です。

蓬莱の庭

尼門跡寺院らしく、玄関、本堂、書院ともに季節の花が
きれいに活けられていました。
19 : 05 : 26 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
七草粥
2013 / 01 / 07 ( Mon )
1月7日は七草粥

新年も7日になると、昔から小正月と呼ばれ、お正月気分もそろそろ
終わり、平常の生活にもどります。

お正月の期間は祝膳や祝酒で弱った胃を休めるために、昔から7日は
七草粥を戴いてまいりました。

又、お節料理など青物が不足しがちなこの期間を「春の七草」で栄養
補給をするためともいわれております。

セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ

と七種、今ではセットにされたものが販売されていて、摘む手間が
省けてととも便利です。

この七草粥は平安時代から行われていたようにも伝えられている、京の都
では古い食の伝統行事でもあります。


七草


寒いこの時期は、熱熱のお出汁が効いた(お酒少々、薄口醤油少々)中に
新鮮な青物の七草を入れた粥は何よりの御馳走です。

無病息災を祈願して、今年も七草粥を戴きました。


七草粥


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花街の始業式
2013 / 01 / 07 ( Mon )
花街の始業式

1月7日は京の花街(祇園甲部、祇園東、宮川街、先斗町)四花街で
始業式が行われます。

上七軒では1月9日に行われることになっています。

朝は11時頃から祇園甲部歌舞練場には黒紋付の舞妓さんや芸妓さんが
集まって式典が行われます。


祇園甲部の歌舞練場前や花見小路の一力やお茶屋さんの前には写真家が
渾身の一枚を撮影するために早くから陣取って待ちかまえておられます。

どちらからお越しになったかを、何人かの写真愛好家の方にお尋ねして
みますと、大阪からという方が意外と多かったです。
中には名古屋からという方もおられました。
朝は8時から出掛けてこられたようです。

歌舞練場2

始業式では井上八千代師匠を始め、お茶屋の女将さんや舞妓さん、芸妓さん
が新年のご挨拶を交わされた後、「芸・舞妓の誓い」五カ条を唱和

 1、常に優しく親切にいたしましょう  
 1、祇園の伝統を誇りとし心の修行、技芸の習得に励みましょう、  
 1、善良の風俗を乱さないよう清潔でありましょう
 1、国際的地位を認識し、新知識の吸収に意を用い視野をひろめましょう
 1、よき風習をつくり皆さまから愛されましょう。

次いで年間の成績の良かった芸・舞妓さんの表彰、その後
井上八千代師匠の「倭文」の舞が披露され目出度く納められるという行事
です。

式の終わった後舞妓さんや芸妓さん達が晴れやかな黒紋付姿で次々と出て
こられます。

これが写真愛好家の絶好のシャッターチャンスです。
一斉に「カシャ、カシャ」とシャッター音が鳴り響きます。

芸妓2


芸妓さん1

1月7日の始業式には舞妓・芸妓さんの簪には全員「稲穂」をつけられ
艶やかな姿です。

芸妓5

黒紋付の柄も、帯の柄も夫々違っていてファッションショーのようです。

芸妓3

芸妓6

だらりの帯は松竹梅の西陣織で金襴が映えてとても綺麗です。

芸妓4

この後一力や、お茶屋さんへ挨拶廻りに出かけられます。

大勢のギャラリーを引き連れて、 花見小路は通れない位一杯の写真愛好家
で埋まります。

一力

年の始まりはにぎやかに威勢よく京の伝統的な行事、風習が継承されることに
喜びを感じます。

お茶屋
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玄武神社
2013 / 01 / 06 ( Sun )
巳年縁の「玄武神社」

巳年の幕開け、季節は小寒から大寒へと、一年で一番寒い時期を迎えます。

今年の恵方は東よりの北に当たります。

桓武天皇が京に都が置かれた地相は四神相応の地であるといわれ、四神が
配されているその一つ北面の守護神として北に当たるのは玄武(大岩・・船岡山)
であるといわれております。

駒札


その北面の守護神として祀られている玄武神社が紫野雲林院町(大宮通北大路下る)
にあります。

ご祭神は、文徳天皇の皇子である惟喬親王をお祀りし、亀の宮・惟喬社とも称します。

玄武神社の起こりは、親王の末裔で当時この地に住んでいた星野茂光が元慶年間
(877~885年)に親王の御霊を慰め、又王城北面の鎮護を願って親王の外祖父に
当たる紀名虎(きのなとら)が所蔵していた親王寵愛の剣を祀ったことに始まる
と伝えられています。

本殿

又一説には北方の守護神玄武は中国の想像上の神獣で、足・首の長い亀に蛇が
巻き付いた形をしていて、亀蛇とも呼ばれるそうです。

神前の置物の亀にも白蛇が巻きついて吉兆を表しています。

巳


絵馬にも特徴があり、亀に蛇が巻き付いた姿が描かれています。

絵馬

手水鉢は亀の口からお水が出てまいります。

手水鉢

こちらの燈籠には玄武石鹸の文字が刻まれています。

昔、大正時代に第一工業製薬の業務用洗剤「ゲンブ」や「モノゲン」は
この玄武に由来するとかいわれておりますがこの燈籠の奉納は誰がされたのかは
判りません。しかし凄い名前が石鹸につけられていたのですね!

灯籠

ともあれ今年も平穏無事な一年でありますようにお祈りいたしました。
19 : 01 : 47 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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