同志社大学 アーモスト館
2013 / 02 / 27 ( Wed )
同志社大学 アーモスト館

烏丸今出川にある同志社大学の建物は赤レンガを基調に素晴らしい

建築美が見られるところです。

国の有形文化財として登録されているものも多くあります。

その中で、設計家であり、アメリカ宣教師でもあった

「メレル ウイリアム ヴォーリズ」による設計でやはり国の

有形文化財に登録されている「アーモスト館」と「啓明館」が

あります。

門柱

このアーモスト館は昭和7年(1932年)に竣工された建物で外装はレンガ

造りですが構造は鉄筋コンクリートで出来ています。

現在は学生寮として使用されています。

玄関

アーモスト館は同志社の創立者である新島襄の母校アーモスト大学との

交流のシンボルとして、アーモスト大学の卒業生や学生の親族の寄付に

よって建てられたものだそうです。

北玄関

ニューイングランド・ジョージアン様式といわれ綺麗な赤レンガを基調に

白いローマウインドウやバルコニーなど全面の芝生にゆったりと佇む姿は

お伽の国の建物のような感じがいたします。


容姿

メレル ウイリアム ヴォーリズ はこの他にも神戸女学院や明治大学

の礼拝堂、教会、下村家(大丸ヴィラ)などを手掛け、モダンなデザインは

今日尚人々の目をひく建物として残されております。
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祇園梛神社
2013 / 02 / 24 ( Sun )
祇園梛神社

京の四条大宮から更に西へ400m程行きますと元祇園梛(なぎ)神社
と書かれた大きな石柱が見えてきます。

鳥居

説明によれば
貞観11年(869年)京の都に疫病が流行したとき、牛頭天皇の神霊
を播磨の国広峰(現在の姫路市)から勧奨して鎮疫祭を行った。
この時その神輿を梛の林の中に置いて祀ったことが神社の始まり
であると書かれています。

その後に神霊を八坂神社に遷祀しました。
その時当地の住人達は花を飾った風流笠を立て、鉾を振り、音楽を
奏でて神輿を八坂に送ったと言われております。

これが後の「祇園会(祇園祭)」の起源であると伝えられております。

この事から当社は八坂神社の古祀にあたるため元祇園社と呼ばれる
そうです。

駒札

明治維新のころまではこの辺りは田圃ばかりで、祇園社は田圃の中の
小さな祠であったようですが、明治7年と昭和4年の復興を経て現在の
神社となりました。

境内には梛神社と隼神社の2つの社殿があり、隼神社は大正7年
(1918年)蛸薬師坊城からこの地に移され、ともに厄除け疫病祓い
にご利益があるとされています。

本殿

境内の手水鉢の奥に「御供石(ごくいし)」という石が祀られています。
祇園祭りの山鉾巡行のときこの石の上に御神餘をおいてお供えしたもので
かっては下京区の万寿寺通烏丸西にありましたが昭和7年に境内に移された
ようです。

御供石

おみくじは梛の実の中に入れられております。

梛の実

梛神社では5月の第3日曜日に例祭が行われます。
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京町家でイタリアン
2013 / 02 / 23 ( Sat )
京町家でイタリアン イル コルティーレ

京の真ん中 新町通の四条下るにイタリアンのお店「イル コルティーレ」があります。

この辺りはかっては呉服の町といわれ、軒並み呉服に関する商店があった
ところです。

近年は呉服の需要減退により、町の様子は変わってまいりました。

マンションができ、町家を利用した新しい飲食店ができて、人の流れが変わって
まいりました。

又新町通りは祇園祭の中心で、鉾町でもあります。
7月10日~鉾が建ち、大層賑わいを見せるところでもあります。

そんな新町通の四条下がったところに、大きなイタリアの国旗が掲げられて
いる町家を利用したお店が「イル コルティーレ」です。

玄関もおしゃれにデザインされています。

玄関

ここで今回は夜のイタリアンを戴きました。

前菜はサーモンのキャベツ巻、香草のハム手巻き、等4種類

前菜

サラダは沢山の種類の野菜が盛られていました。

サラダ

パスタ①  チーズ味

パスタ

パスタ② 小貝柱とブロッコリーのソース和え

パスタ2

パスタ③ 茸のパスタ クリーム風味

パスタ3

メインのお魚料理はお魚をいがぐりのようにカリカリとパスタを
絡ませたお料理と茄子です。

メイン魚

メインの肉料理は ポークの柔らか肉です。

メイン肉

デザートはキイチゴのシャーベット、カステラ、チョコムース

デザート

種類も豊富で、夫々のお味の違いを楽しむことができます。
2階は団体客用で、雰囲気もよく、ゆっくりくつろぐことができ、楽しい
集まりを演出できます。
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新撰組発祥の地
2013 / 02 / 13 ( Wed )
新撰組発祥の地 八木家

壬生寺の近く、中京区壬生梛ノ宮町にある八木家は新撰組の宿所と
なったところです。

この辺りは幕末のころ京都の浪士取り締まりや治安維持に活躍した
新撰組の屯所があったところです。 その遺跡が残されています。

新撰組頓所遺跡

文久3年(1863年)第14代将軍徳川家茂の上洛警護のため清河八郎
率いる浪士組が入洛し、その宿舎の一つとして使われたのが八木家
住宅でした。

この宿舎には芹沢鴨、新見錦、近藤勇、土方歳三等が京都守護職
松平容保の配下に属し、新撰組と名乗り、市中の警護にあたり、
その名を轟かせていました。

元冶元年(1864年)の池田家事件、鳥羽伏見の戦いなど過激な長州藩や
坂本竜馬などの活躍する幕末の動乱時代を迎えていきます。
新撰組の屯所も八木家から、西本願寺や不動堂村に移っていきました。

駒札

この辺りは当時は洛中に近接する農村地帯でありました。

八木家は、壬生寺きっての旧家でかって壬生郷土の長老を勤めて
いたといわれております。


八木家の建物は長屋門が東に開き、その奥に主屋が南に面して建てられて
います。
長屋門は文化元年(1804年)、主屋は文化6年の造営とされています。

門

長屋門の外観は腰に下見板を張り、与力窓や出格子窓を開くことが
できる昔の門の面影が残されています。

玄関

玄関から広間、奥座敷へと続きます。

この奥座敷を芹沢鴨が宿所としていたといわれます。
血気盛んな芹沢鴨や新見錦と近藤勇や土方歳三とはそりがあわない
ことが度々ありました。

そんな諍いの末に酔って帰ってきた芹沢鴨とその思われ人お梅が
土方歳三等によって殺害されたと言われる部屋がこの奥座敷で、
当時の刀傷が今も残されています。

玄関2

玄関3

時代の荒波を駆け抜けた当時の若者、又時代の移り変わりを見届けた
建物が今も貴重な遺構として残されています。

この八木家は新撰組ゆかりの建物として昭和58年に京都市指定の有形文化財
に指定されています。

又新撰組隊士のお墓は壬生寺に置かれています。
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国鉄最古の建物遺構
2013 / 02 / 11 ( Mon )
国鉄最古の建物遺構 稲荷駅ランプ小屋

JR奈良線の稲荷駅構内にランプ小屋と呼ばれる小さなレンガ造りの
建物があります。

この建物は明治12年(1879年)に稲荷駅本体の建物とともに建築
されたもので、当時は灯油の収納施設として使われていたものです。

大正10年に現在の東海道本線のルート膳所~京都間が開通するまでは
膳所~大谷~山科~稲荷~京都という経路が東西の京を結ぶ幹線と
して活躍していました。

駒札

この旧経路の線区には非常な難工事によって建設されたそうです。

それは山間部を通過する初めての鉄道であったこと、トンネルの掘削
や丘陵部の切り取りが伴う大掛かりな工事を必要としたことでした。

又それまで外国人に頼っていた工事を全て日本人の手によって建設が
進められたことも初めてのことだったと記されています。

明治13年7月に明治天皇臨席のもと開通式が行われたようです。

しかし急勾配に禍いされ大正10年に線路変更されこの経路は廃線と
なりました。

このランプ小屋だけが今もその遺構として残されていて、旧東海道
の建物として残った唯一のもので国鉄最古の貴重な遺構として保存
されています。

明治の建物としては赤レンガ造りのモダンなものが他にも残されて
いて当時の建築物のデザインや建築様式は今日にもなお素晴らしい
感覚として賞賛されています。


建物

傍には鉄道唱歌の一説

 赤き鳥居の 神さびて 立つは伏見の稲荷山

と刻まれた石碑が建てられています。
丁度前は伏見稲荷大社の鳥居がそびえています。

石碑
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茶歌舞伎
2013 / 02 / 09 ( Sat )
茶歌舞伎

寛政2年創業といわれるのお茶の老舗「福寿園」は山城国上狛で
茶の製造が始められました。

以来今日まで連綿とその家業が引き継がれ、次々と新しいチャレンジを
大成され、今は特に「伊右衛門」のペットボトルでその名を馳せています。

平成20年には四条通富小路に京都本社が建設されました。
この京都本社6階の「京の茶座」で茶歌舞伎を体験いたしました。

福寿園

平安時代初期に中国から茶が輸入されたが、茶が本格的に普及したのは
鎌倉時代初期といわれております。
栄西が宋から臨済宗とともに茶種と喫茶法を伝えて以来、寺院を中心に
喫茶が広まりを見せるようになりました。

鎌倉時代から南北朝時代にかけて栂ノ尾で栽培されたものを本茶とし、
それ以外の地で栽培されたのを非茶とよばれ、両者を見分ける競技が
武家や庶民の間で流行しました。
これを「闘茶」「茶寄合」と呼び、その闘茶は変遷をしながら今日では
茶歌舞伎として親しまれております。

又お茶の鑑定技術向上を目的に行われています。

今回は3種類のお茶を飲み分け、その銘柄と当てる競技です。

は玉露、は煎茶、は玄米茶
この3種類の茶葉を事前に目にふれ、嗅いでみてよく記憶いたします。

お茶

次にこの3種類のお茶が缶に入れられ、順番わ判らないように入替ます。

お茶の順番

この3種類のお茶は全て同じ条件(温度、茶葉の量、お湯の量)でだされ
ます。

この時どの順番でお茶が出されるかはわかりません。
1種類づつ味わって花、鳥、風の札を入れます。


競技4

微妙な違いがあり、最初は難しいです。
皆真剣に味わいを確認しています。

競技3

3回の入れ札が終了後回答が発表され点数をつけます。
これを2回戦おこなって最終点数となります。

全て回答の場合を皆点(カイテン)」0点の場合は「チョット」
表現するそうです。

今回は25名中8名が皆点で中々の成績でした。

入れ札

福寿園の方々の説明も心配りもとても行き届いて、これはとても楽しい
競技(ゲーム)です。

ゲームの後は同ビルの2階「京の茶寮」でお手軽ランチを戴くことができます。

水だし茶
水だし玉露はほどよい甘さが口の中に広がります。

和風ハンバーグ
和風ハンバーグ

牛肉のやわらか煮
牛ほほ肉の柔らか煮

カレー
カレー

デザート
デザート

ご飯には玄米茶が、夫々のお料理にもお茶が使われていてとてもヘルシーで
ほどよい香りが食欲をそそります。

3階「京の茶膳」ではフレンチを戴くことができます。

ビルには各界に夫々趣向が凝らされ和の文化と洋がマッチして素晴らしい
です。

上階の応接室からは北山の山並みを遠望することができ、その稜線に似せて
茶畑が刈り込まれています。

北山

茶畑には柿の木が1本植えられ、鳥のために柿が枝に残される心遣いが
あります。

茶畑

優雅で楽しい体験を楽しむことができました。
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伏見稲荷大社
2013 / 02 / 09 ( Sat )
初午まいり(伏見稲荷大社)

今年の初午の日は立春より5日も遅い9日です。

全国約3万社ある稲荷神社の総本宮である伏見稲荷大社では
初午の今日(9日)は沢山の参拝客で賑わいます。

鳥居


楼門

伏見稲荷大社は和銅4年(711年)2月の初午の日に秦伊呂具が
稲荷山の三ケ峰に三柱を祀ったことにより始まるとされ、今もその
ご鎮座の日に初午大祭が盛大に行われています。

初午まいり

本殿


『山城国風土記逸文』の伝承によると秦伊呂具が餅を的として矢を
射ったところその餅が白鳥となって山の峰に飛んで行き、そこに稲が
生えたたので稲荷の名がつけられたといわれております。

狐3
本殿前の狐は黄金の稲穂を咥えております。

その後子孫があやまちを悔いて社の木を家に植えておまつりし、吉凶を
占ったとの話があり、そこから由来すると言われる縁起物の「験の杉」が授与
されます。

しるしの杉


しるしの杉2

外拝殿には企業からのお供え物がうず高く積まれ威勢よく商売繁盛を
願います。

お供え物1

お供え物2

奥院のお社に続く参道には全国の企業から奉納された千本鳥居が続きます。

千本鳥居

奥院には「おもかる石」という一対の石燈籠があります。
石燈籠の前で願い事を祈願して石を持ち上げたときに自分が予想していたもの
よりも軽かったら願いが叶い、重かった時は願いは叶わないという占いの
石で、今日も沢山の方が列をなして試していきました。
沢山願いが叶うといいですね!

おもかる石 おもかる石2

参道の名物に焼き鳥(雀)があります。
稲穂を喰い荒す雀を退治して焼き鳥にしたともいわれております。

焼き鳥

昔懐かしい狐のお面も店先に並んでいました。

狐面

今年はアベノミクスで株価も上がり景気が上向くことを祈願して
多くの参拝客でにぎわいました。
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幸福堂
2013 / 02 / 06 ( Wed )
行列のできるお店 幸福堂

京の壬生寺の近くに幸福堂という京菓子のお店があります。

明治元年に創業された幸福堂の分家にあたるそうです。

看板

こちらの幸福堂さんは「金つば」で有名なお店です。

京の都では昔から「壬生寺」さんの帰りに「金つば」を買いましょ!
と親しまれてきたお菓子です。

壬生寺の節分会や、新撰組の催しがある時は長蛇の列ができます。

きんつば

北海道産の小豆を使用した。金つばは、一つ一つ四角に練られた
羊羹に秘伝の衣がつけられ焼かれていきます。

きんつば2

今も職人技でお客さんの目の前で焼かれています。

程良い甘さに、生地がうまくマッチして、美味しいお茶とともに戴く、
楽しみな日常の京菓子の一つです。

お値段もお手頃で、1個150円と嬉しいです。

今年の壬生寺節分会で沢山の人が並んで買い求めていかれました。

きんつば3
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法輪寺
2013 / 02 / 04 ( Mon )
京の節分会 法輪寺(達磨寺)

江戸時代中期に創建された法輪寺は臨済宗妙心寺派に属し
通称達磨寺として京の都では親しまれています。

享保12年(1727年)両替商の荒木伊右衛門の援助を得て
萬海慈源和尚によって創建されたと伝えられております。

以後3度の天災に見舞われましたが、昭和8年に第10代の
伊山和尚が入寺されてから、大書院が建立されました。

又、伊山和尚は文筆家でもあり、臨済宗の中興の祖である
『白隠和尚全集』を刊行し名声を高めたといわれております。

白隠和尚は江戸中期の禅僧で『坐禅和讃』を著し、禅の心を
説いたとも言われ、禅画や墨跡も多く、達磨図で知られて
います。

伊山和尚は禅の大衆化、生活化をはかるため達磨禅をすすめ
達磨堂を建立され、達磨節分会を催されました。

このことより法輪寺は達磨寺と呼び親しまれるようになりました。

山門2

達磨堂には三国一といわれる起き上がり達磨を中心に諸願成就のため
奉納された8000体にも及ぶ達磨が安置されています。

達磨堂

達磨1 達磨2

達磨堂の天井画にも達磨が描かれています。

達磨堂天井画

達磨堂中央最奥に達磨堂本尊の達磨大師が安置されていて、ここで
所願祈願を書き込めた達磨をもってお参りします。

達磨堂2

祈願成就

厄除け・開運の達磨です。山門にも数多く奉納されています。

厄除け


本堂の扁額「転法輪」は琉球中山国円覚寺の月羅山和尚の筆によるもの
で、車の車輪が回転するように釈迦の教えが回転する。というものだ
そうです。

本堂扁額


本堂前のお庭は「無尽庭」といわれ、48個に石組を配した枯山水
本堂の縁側には表情も大きさも様々な達磨が並べられています。

達磨3

無尽庭2

本堂にはご本尊の寝釈迦如来像が安置されています。

釈迦涅槃像

本堂に飾られている達磨図屏風です。

屏風

境内には白隠禅師の「夜船閑話」で有名な京都白川山中で数百年
生きたとされる仙人「白幽子」の旧墓石があります。

白幽子の墓石

このほか我が国映画創業以来の関係者四百余りの霊が祀られている
貴寧磨殿や島津源蔵ご夫妻の念持仏をお祀りする学神堂、小林寺拳法
発祥地の碑などがあります。

お茶席にて達磨さんの最中とお抹茶をいただきました。
餡子たっぷりの達磨さまの最中は今年一年無事に厄を逃れ頑張れるようです。

抹茶

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壬生寺
2013 / 02 / 03 ( Sun )
今日の節分会 壬生寺

京の壬生寺は律宗の大本山で、ご本尊は延命地蔵菩薩
正暦2年(991年)園城寺の快賢僧都によって建立されました。

古くは地蔵院・宝塔三幢三昧院・心淨光院とも呼ばれました。

高麗門

現在の本堂は昭和37年に焼失したため、昭和45年に再建された
ものです。
本堂の扁額は小松宮彰仁親王のご宸筆によるものが掲げられて
おります。

本堂

ご本尊の地蔵菩薩はじめ水掛け地蔵、夜泣き地蔵など多数の
お地蔵様をお祀りされていて、地蔵信仰とともに厄除け・開運
のお寺として庶民の信仰をあつめております

水掛け地蔵

境内にひと際そびえているのは千体仏塔です。
平成元年(1989年)に建立されたものです。
この塔の石仏は明治時代に京都市の都市計画の際に市内各地から集め
tられたもので、中には室町時代からのお地蔵さまや阿弥陀如来、
大日如来など丁度一千体が安置されているそうです。

千体供養塔

この壬生寺の節分会は約900年もの歴史をもつ行事であるといわれ、
京では吉田神社や蘆山寺、とならんで壬生寺節分会としてもその名を
しられています。

毎年多くの方が壬生寺で厄除けの節分を迎えております。
今日も朝早くから露店が立ち並び、沢山の参拝客で賑わっております。

境内では炮烙に厄除け祈願を書いて奉納いたします。

砲洛

参拝

そして壬生寺でその名を馳せているのは「壬生狂言」です。
その歴史は古く、鎌倉時代に円覚上人によって始められたものです。


円覚上人は正安2年(1300年)壬生寺で「大念佛会」を行いました。
この時上人は拡声器のない時代群衆を前に最もわかりやすい方法で
仏の教えを説こうしました。
この方法というのが身振り手振りのパントマイム(無言劇)にした
持斎融通念仏のことで、これが壬生狂言の始まりといわれております。

「壬生さんのカンデンデン」として今日なお多くの人に親しまれて
おります。

またこの壬生狂言は国の重要無形民俗文化財に指定されたいます。

節分の2月2、3日には「節分」という演目が一般に午後1時から
1時間おきに無料公開されています。

壬生狂言

狂言堂前には1時間前から長蛇の列ができています。

参拝2

また節分の厄除け護摩供養も午後から境内で行われています。

護摩供養

今年も厄除け祈願で無事平穏な一年でありますように、
善男善女・老若男女がお祈りいたしました。
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須賀神社
2013 / 02 / 02 ( Sat )
京の節分会 須賀神社

今年も早くも立春(4日)を迎えようとしています。

京の街では2月2~4日にかけては多くの神社やお寺で節分会が行われて
おります。

一年の厄除けを願って夫々の神社やお寺で特徴のある節分会が継承され
執り行われております。


ここ須賀神社は平安時代の末に美福門院の建てた歓喜光院の鎮守として
創建され、古くは西天王社と呼ばれておりました。

聖護院一体の産土神として縁結び、厄除け、交通安全の神様として
信仰を集めております。

鳥居

境内にある白龍大明神・稲荷大明神は商売繁盛・お金も貯まるご利益
があるといわれて信仰を集めています。

白龍大明神

白龍大明神の杉が商売繁盛として授与されています。

稲荷大明神 商売繁盛の杉


須賀神社の節分会は「懸想文」が特徴となっております。

懸想文2


懸想文売り


懸想文


烏帽子に水干姿で顔を被って、肩に梅の枝をかつぎ「懸想文」を手に持って
売り歩きます。

この懸想文は縁談、商売繁盛など人々の欲望を叶える符札でこれを隠して
鏡台やタンスの中に入れておくと顔形がより一層よくなり良縁が早くきたり
着物が増えたりするといわれ、その昔平安の京の町ではこぞって買い求めた
といわれております。

又この懸想文売りが顔を被ったのは平安時代お金に困った貴族が小遣い稼ぎ
にラブレター代行をしていたため顔をみられたくないと顔を被ったとも
いわれていています。


懸想文売り2

2月の節分の時だけに販売されている懸想餅と須賀多餅も販売されて
います。 1客2個260円です。

懸想餅

昔懐かしい火鉢がお休み処におかれていました。
その火鉢の灰も藁灰が敷き詰められています。

この藁灰をつくるのは難しいもなのです。
藁の形を残して、粉々にしないように火鉢にしくと火を長持ちさせる
昔の人の生活の知恵が活かされたものです。

今これを見かけるのは殆どなくなりました。
貴重な火鉢を見せて頂きました。

今日は2月とは思えない位暖かく、火鉢に手をかざす人も見かけ
ませんでした。

火鉢
23 : 03 : 48 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
西福寺
2013 / 02 / 01 ( Fri )
歌人・俳人・国学者 上田秋成 墓所

江戸時代後期の歌人・俳人・国学者であった上田秋成(1734~1809)
のお墓が南禅寺草川町の西福寺にあります。


西福時2

西福寺は浄土宗に属するお寺でその歴史はかなり古くからある
そうです。 ご本尊は阿弥陀如来

法然上人が開山の源智上人に阿弥陀如来を送られ、ここ西福寺に安置
されたのがはじまりともいわれております。

境内には世継ぎ地蔵尊がお祀りされています。

世継ぎ地蔵尊

上田秋成は大阪曽根崎に生まれ、両親とは縁遠く堂島紙油商人・上田家に
養子となりました。

幼い頃疱瘡を患い手の指が不自由になりましたが、養父母が熱心に看病
したこともあって家業を継ぎ、医術も学びつつ古典の研究や本の出版を
重ねました。

著書に有名な『雨月物語』や『春雨物語』があり、古典と近世的劇作を
統一して独自の境地を開いたものとして有名であると評されています。

公家や作家小沢蘆庵、与謝蕪村等とも交友が深かったようです。

寛政2年(1790年)左眼を失明し、妻女が出家をしてからは知恩院門前
や南禅寺近くなど洛中を転々と居を移し、やがて眼力を殆ど失い、妻女
が亡くなられてからは窮乏の生活をおくりました。

晩年は歌人中間の羽倉信美邸(現在の梨木神社境内)で送り文化6年(1809年)
に76歳の生涯を閉じここ西福寺にそのお墓がたてられました。

晩年の遺影では好々爺のような優しいお顔をされていたようです。

秋成遺影

お墓には「上田無腸翁之墓」と記されています。
上田秋成は「人皆縦に行けば 余一人横に行くこと蟹の如し」と
いわれ、お墓の台座には蟹が置かれています。

又無腸とは腸のないことで、すなわち蟹であるともいわれて
いるそうです。

上田無腸翁之墓

この台座の蟹は画家伊藤若冲作によるものだそうです。

台座の蟹(伊藤若冲作)

上田秋成の歌碑は梨木神社にみることができます。

 「ふみよめば 絵を巻きみれば かにかくに 昔の人の しのばるるかな」
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