FC2ブログ
スポンサーサイト
-- / -- / -- ( -- )
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-- : -- : -- | スポンサー広告 | page top↑
晩秋の近江路 永源寺
2013 / 11 / 30 ( Sat )
晩秋の近江路 永源寺

晩秋の近江路、紅葉を求めて永源寺へ。

永源寺は愛知川の渓流に沿って、方や瑞石山に挟まれた静かな佇まいの
中にあります。

現在は臨済宗永源寺派の本山となっています。

室町時代の初め康安元年(1361年)近江の領佐々木氏頼が寂室元光禅師
を迎えて創建されたと伝えられています。

創建当時は後光巌天皇や足利義満に深く崇信され多くの寺領を寄進され
ましたが、戦国時代の兵火によって焼失しました。

寛永20年(1643年)御水尾天皇や彦根藩井伊家の帰依を受け再興
され現在にいたります。

この永源寺は秋の紅葉の名所として多くの参拝者が訪れます。

山門

総門から山門をくぐると辺り一面の紅葉に迎えられます。
11月の終盤になりますと紅葉は木々にとどまらず、庭一面にも
燃え立つような絨毯が敷き詰められます。

山門は寛政7年(1795年)井伊家の援助により7年の歳月を費や
して建立されました。
楼上には釈迦牟尼仏、文殊菩薩、普賢菩薩、十六羅漢を安置
されているようです。
とても立派な楼門です。

楼門

楼門から本堂へ、
本堂の屋根は琵琶湖の葦で葺かれ国内屈指の葦葺きとされています。
明和2年(1765年)やはり井伊家の援助により再建されたものだそうです。

紅葉1

ご本尊は世継ぎ観音菩薩がお祀りされています。

子宝、安産祈願、後継者祈願などにご利益のある仏様といわれております。

ご本尊

本堂の襖絵


本堂襖絵2


本堂襖絵

日当たりのいい木々は晩秋の最後の紅葉が見られます。

常緑樹と黄葉、真っ赤な紅葉とそのグラデーションが青空に映え
とてもきれいです。

紅葉2


紅葉3


紅葉4

茶筅塚もありました。

茶筅塚

葦葺きの屋根と真紅の紅葉はまさに古刹の色模様です。

紅葉5

ここのところの急激な冷え込みであと1週間位で今年の紅葉も
見納めとなりそうです。

スポンサーサイト
22 : 10 : 35 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
京丹波の 普済寺
2013 / 11 / 26 ( Tue )
京都府下の三大美殿 普済寺

南丹市園部町若森の小高い丘の上にに普済寺という曹洞宗のお寺があります。

京都府下の三大美殿と呼ばれる禅宗様建築のお寺でその姿は優美
なものです。 (三大美殿の残り二つは、常照皇寺と一休寺)

もとは天台宗の寺院であったとも伝えられています。
寺伝によりますと足利尊氏が無窓疎石を開山として貞和2年(1346年)
足利尊氏の妹千種姫が入寺して、父(足利貞氏)の菩提を弔うために
創建されたと伝えられているそうです。

江戸時代になって寛永11年(1634年)亀山城主(現在の亀岡)菅沼織部正定芳
が曹洞宗に改め復興したと伝えられています。

この普済寺の仏殿が三大美殿とよばれている建物で禅宗様式であると
いわれております。

禅宗様式とは鎌倉時代中国の宋から禅宗とともに伝来した建築様式を
いいます。

特徴は軒先が曲線を描き隅で大きく反りあがるところにあります。

装飾的な細部も多く、構造的には大仏様と同じように貫で柱をつなぐ
ことにより耐震性を向上させております。

山門

仏殿は延文2年(1357年)の建立で府内では代表的な中世禅宗様
(唐様)仏殿で入り母屋造り、石積みの基壇上に建ち、花頭窓を
設けている。

屋根は昭和7年までは芽葺きであったが、同年の解体修理の結果
創建当時は檜皮葺。瓦棟であったことが判明し、現在の姿に改められた
ようです。

本堂

花頭窓の上には波状の蓮子をはめた弓欄間が設けられています。

中央には両開きの桟唐戸が設けられています。

小堂ではありますが非常に優美な形をした美しい仏殿です。

建築

裏面には鐘楼門がおかれ参道に続く小路は鄙びた風情を醸しています。

裏面

紅葉も赤く色づいています。

紅葉

普済寺仏殿の前道路を挟んでこちらにも普済寺の堂が残されております。

看板

こちらのお堂も禅宗様式で反りあがる軒が優美な姿を表しています。

三大美殿

多宝塔も置かれていました。
二重構造になっていて朱がとても綺麗でした。

多宝塔

京都府下にも素晴らしい寺院が継承されています。
22 : 20 : 54 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
京の紅葉模様 安国寺
2013 / 11 / 25 ( Mon )
丹波の安国寺

京丹波、綾部市にある安国寺は秋の紅葉がとても綺麗な古刹です。

この安国寺は山号を景徳山と号しご本尊は釈迦三尊坐像をお祀れされています。

正暦4年(993年)頃恵心僧都(源信)が制作された子安地蔵菩薩を
安置して光福寺としたのが始まりと伝えられております。


その後光福寺は上杉の菩提寺となり釈迦三尊坐像を合わせてお祀りいたし
ました。

嘉元3年(1338年)足利尊氏がこの地で誕生し、当寺は上杉、足利の
庇護をうけるようになり、尊氏によって、戦没者の慰霊を慰めるため
国ごとに安国寺をおき、当安国寺を諸国安国寺の筆頭におきました。

康永元年(1342年)尊氏は南禅寺天寿庵の妙渓禅師を招請して安国時
の始祖とし、多くの寺領を寄進いたしました。

それ以後塔頭16、支院28を有する大寺院となりました。

しかし明治になってから大半の寺院は押領され塔頭、支院は減少
しましたが、今なお多くの重要文化財、府、市指定の文化財を多く
所蔵しております。

石柱

安国寺参道の左側に尊氏公の産湯の井戸というのがあります。

尊氏公の母清子が寺内塔頭の常光にあって地蔵菩薩にお祈り
をして尊氏公を出産しました。
ここにある井戸はその時に産湯として使った井戸と伝えられて
います。

足利尊氏の産湯


尊氏の産湯2

石段を上がりきったところに山門がおかれています。

どっしりとした四脚門のうえには彫刻が施されていました。

山門

本堂は草葺き(わら葺き)でその姿も美しく、古刹のイメージ
漂っています。

ご本尊の釈迦三尊坐像がお祀りされています。
お釈迦様が悟りを開かれ、如何にして衆生を救おうかとお考えの
姿であるとされています。

国の重要文化財に指定されています。

本堂


扁額

まさに今、紅葉の見ごろを迎えています。

燃え立つような赤であったり、緩やかな黄葉であったり、その中に
緑がみえたり、そのグラデーションがとても綺麗です。


紅葉2

高い木立には燃え立つような紅葉が、最高の装いをみせてくれます。

紅葉3

紅葉にもいろいろな種類があり、今はどれも輝いています。

紅葉

この宝篋印塔は足利尊氏のお墓です。

三基あって尊氏公の母清子のものと、足利尊氏本人のもの、そして
尊氏公の妻登子の三基です。

宝塔院頭

京都府下には鄙びた古刹があり、まだまだあまり人が押し寄せないで
ゆっくりと秋の景色を楽しめて、その歴史を知ることができるところが
あります。

紅葉4
16 : 46 : 30 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
綾部 光明寺
2013 / 11 / 19 ( Tue )
府北部唯一の国宝 光明寺 二王門

京都府下 綾部市の君尾に府北部に唯一の国宝建造物
「二王門」を擁する光明寺があります。

光明寺は真言宗醍醐派に属し、山号を君尾山と号します。
ご本尊は千手観世音菩薩、聖徳太子の開創と伝えられる
古刹であります。

二王門2

二王門 駒札

二王門は三間一戸、入母屋造り、栩葺きの二重門
鎌倉時代の建築であると伝えられております。

長年風雪にさらされて大破寸前であったものを昭和25年から解体修理
が行われ、その際棟札の墨書銘から鎌倉時代のものであることが判明
したそうです。

その後門は仁冶3年(1242年)から慶長5年(1253年)に再建され、
又後に2度合わせて3度の修理が行われていたようです。

中世にさかのぼる二重門は2階建てで上層と下層の間にも屋根の
出っ張りを作るのは極めて希少なる二王門であるといわれております。

修理にあたってはできるだけ古材を用い、用材は殆ど杉材が使われて
います。

二王門1

堂々としたその姿はとても綺麗で形も優美なものです。

二王像は門の正面前ではなく後ろに安置され背面と上層には
連子窓が設けられるところから和洋の建築を基調としているであることが
珍しいといわれております。

二王2


二王

背面から見る二王門も安定感があり屋根は栩葺き(とちぶき)で
葺かれています。

二王門3


屋根

頭貫の木鼻は大仏様であるといわれております。
これらの貴重なる二王門は昭和29年に府北部唯一の国宝建造物として
登録されました。

建築

二王門とくぐったところに「八十八か所石像」が置かれています。

「君尾山略記」によりますとこの石仏は文政8年(1825年)に
この辺り(奥上林、中上林、口上林 山家)の地蔵菩薩や遠くは
和知や丹後地方に至る住民が日々の安寧と繁栄の祈願に君尾山
光明寺に寄進したものだそうです。

四国八十八か所のご本尊がそれぞれ石仏となり代わったものであり
このお堂の目で手を合わせると四国八十八カ寺の霊場に参拝した
のと同じご利益があと伝えられているそうです。

石像駒札


八十八か所石像

丁度紅葉がとても綺麗に色づき黄葉、燃え立つような紅葉のおりなす
景色がひなびた参道に花を添えていました。

紅葉
23 : 16 : 47 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
松殿山荘
2013 / 11 / 16 ( Sat )
今様合 松殿十五ケ夜

宇治市の木幡に松殿山荘があります。

お屋敷は広く4万坪に及ぶ広さとか、院政期に松殿と呼ばれた関白
藤原基経の邸宅の跡地にあたります。

その後大正時代に高谷宗範の手によって10年の歳月をかけて建てられた
のが現在の建物で、大書院、中書院、中書院控えの間、眺望閣、と
お茶室を17部屋擁するという貴重な文化財となっています。

高谷宗範はこの山荘を築くに当たり「心は円なるを要す、行いは正なるを要す」
という方円に基ずく基本的な考えで築いたそうです。

お庭も書院、茶室に合わせて作庭がなされてどこから眺めてもその雰囲気に
あわせられている素晴らしいものです。

現在は財団法人松殿山荘茶道会が維持管理をされているそうです。

紅葉が色づき始めた山道は芝生がきれいに手入れされています。

紅葉

大門には透かしの模様の上に「南獄」の宗範筆による扁額が掲げ
られています。

門

大玄関は江戸時代の豪商天王寺屋五兵衛の屋敷の玄関を移築
されたものだそうです。

山荘

大書院の天井は吊り上げ格天井になっていて三方からお庭を見渡す
ことができる、まさにパノラマの景色です。

扁額も宗範78歳のときの筆によるものだそうです。

書院扁額

この松殿山荘で11月1日から15日の15ケ日「今様合」が行われました。

今様は平安時代のいにしえの歌遊びのことをいいます。

「松殿今様」は承安4年(1174)に後白河法皇によって15夜連続で法住寺殿にて
行われた今様合を再興するものです。

貴族たちが左右に分かれて、さまざまなものの優劣を判じた遊びを「合せもの」
といい、今様は平安時代の流行歌のようなもので、七五調四節が代表的な
歌の形とされています。

当時の貴族の衣装衣冠束帯を身にまとった歌い手が入場いたします。
左右に分かれて合計4名の詠み人が入場いたします。

詠み人入場

判定人が入場いたします。

判定人入場

全員席に着かれますと、まず色紙と硯がそれぞれに配布されます。

硯の配布

本日のお題は「夢」です。
決められた時間内に夢をお題として即興で歌をつくります。

題 夢

判定人がそれをみて、より深い洞察力と細やかな気持ちの表現が
なされているか判断いたします。

その結果右方なら鶴を、左方ならば亀を松の台に載せます。
これを左右の特典として数えます。

判定

勝敗

勝敗がきまりますと、勝った方の白拍子が即興の舞を歌にあわせて
舞います。

舞

一般の見学者からもお題「夢」の歌を募集されました。

一般公募

その歌の一部を披露され、投稿した人の歌は熊野大権現に奉納
して下さるそうです。
私も1首投稿してまいりました。

舞4

最後に左右の白拍子の舞が披露されました。

舞3

その昔は対決の後には「梁塵秘抄」に残る古典の今様などで歌人を
ねぎらう宴が催されたそうです。

梁塵秘抄は後白河法皇が記されたものです。

舞2

優美で華やかな貴族の遊びを垣間見たひとときでした。

23 : 20 : 31 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
都ライト
2013 / 11 / 09 ( Sat )
京町家の灯り 「都ライト」

釣瓶落としの秋の日暮れは早い! 5時ともなると辺りは暗くなります。

ここ西陣の町並み、浄福寺の大黒町は西陣織の機織りの中心街に当たります。
この大国町と上七軒で町家のライトアップイベントが毎年11月に行われていて
今年で9年目を迎えます。

淨福寺通

京都の暮らしの文化を育んできた町家の風情を感じて頂くことを
目的に開催されています。

実行委員は学生が務め、地元地域の方々が協力して、繋がりを
深めています。

灯りが漏れる窓には家庭の営みが、ほのぼのとした暖かさが感じられる
ひとときです。

影絵

京の町家の出格子は均整のとれた美と暖かさを醸し出しています。

ここは西陣の帯屋さんのお店で素晴らしい作品が作られております。
しかし最近の着物離れは大きな打撃でもあります。

町家2

LEDでともされた行燈は緩やかな光の芸術です。
日本は、京都は素晴らしいところです。

行燈

行燈2

ゆるキャラ「かみぎゅうくん」も訪れた人々をお迎えしてくれています。

マスコット

8日の午後6時からは前の広場で「鬼剣舞」が披露されました。

この鬼剣舞は岩手県北上市に伝わる伝統芸能で地元の言葉では
鬼剣舞(おにけんばい)とも呼ばれています。
平成5年(1993年)に国の重要無形民俗文化財に指定されました。

剣舞3

もともとは念仏踊りの一種で、正式には念仏剣舞のひとつで鬼の
ような面とつけ勇壮に踊るところから明治後期(明治30年)以降
鬼剣舞と呼称されるようになったそうです。

踊りの特徴は「大地を踏み悪霊を踏み鎮め、地の気を整えて
清浄する目的で行われる舞だそうです。

鬼剣舞5

面をつけて踊りますが、鬼ではなく仏の踊りであるため角がありません。
念仏によって御霊や祭霊を往生させ災厄を防ぐ、浄土教由来の信仰的
要素が組み込まれているそうです。

鬼剣舞


鬼

衣装は広口袴に白の帯を締め、赤の襷、後腰に「大口ゴザ」を結い
「脱垂(ぬぎだれ)」をのせ白布の鉢巻をし、面をつけます。

鬼の衣装

この舞剣舞を地元京の人や大阪の人達が岩手まで行ってこの舞剣舞を習得
してこられた方がご披露くださいました。

この都ライトアツプは明日まで続けらていれます。
日によって出し催しも変わり、スタンプラリーも行われています。
22 : 25 : 09 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
お火焚祭 伏見稲荷大社
2013 / 11 / 08 ( Fri )
お火焚祭 伏見稲荷大社

11月8日は伏見稲荷大社のお火焚祭が行われる日です。
朝は冷え込みましたが日中は最高気温21℃と暖かないい天候に恵まれました。

鳥居

火焚祭とは、起源は神楽の庭燎(にわび)とも新嘗祭の一種ともいわれ
江戸時代から続く神事とされています。

京の都でも毎年11月になると多くの神社で五穀豊穣に感謝し、無病息災
家内安全を祈願したり、火を使う職業の方々が神事として参拝されています。

伏見稲荷大社のお火焚祭は古来、冬祭と呼ばれ毎年11月8日午後1時から行われます。

神事の後、全国から奉納された10数万本の火焚串を炊きあげ、五穀豊穣に感謝し、
万物を育てる稲荷大神の神恩を奉謝し、万福招来をお祈りいたします。

看板

午後1時から本殿で神事が行われます。
神前に多くのお供え物がされた後、秋の収穫後の五穀豊穣に感謝いたします。

その際、本殿前で神田でとれた稲に斎灯が行われます。

斎灯


斎灯2

神事の後、午後2時から神苑祭坊にしつらえられた火焚祭場で
「火焚祭」が行われます。

斎場

神事で斎灯された種火が斎場に供えられた後、火入れ式が行われます。

斎灯3

火床に火が入れられます。

火入れ

穏やかな天候で火の勢いもよく真直ぐに火が立ち上がります。
この煙を浴びて、罪障消滅、万福将来のご利益を受けるのだそうです。

火炉

全国から奉納された火焚串がうずたかく積まれていて、これら願い事が
書かれた火焚串を約2時間かけてすべて炊き上げます。

護摩木

神官の方が勢いよく高く放り上げて火焚串を焚かれます。

護摩木供養

清祓いの儀式で、斎主が清祓いのため榊、塩、清めの水を火炉に
振り掛けます。

清め

斎場では神楽が舞われます。

神楽

宮司さんはじめ神官の方や参拝者全員で大祓詞を唱え罪障消滅、万福招来
を祈ります。

祝詞

伏見稲荷の火焚祭では3基の火炉がしつらえ、全国でも最大と言われるくらい
勇壮な神事となっています。

火炉2

又能舞台では茂山家の狂言も奉納されていました。

狂言

午後6時からは本殿前の庭上で御神楽の「人長舞」が奉奏されることに
なっています。
22 : 31 : 12 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
知恩院
2013 / 11 / 04 ( Mon )
国宝知恩院 御影堂 の大修理

11月の声を聞くと次第に紅葉が色づきはじめました。
ここ知恩院の三門を眺める景色も黄葉から照葉へと変わりつつあります。

紅葉

知恩院は浄土宗の総本山で東山の麓に広大な伽藍を構えています。

その伽藍の中心で法然上人をお祀りされている御影堂が今、平成の大修理が
行われていて一般にその様子が公開されています。

連休ともなれば公開の様子を見ようと長蛇の列をなして順番を待ちます。
2日はおよそ1時間待ちで拝見してきました。

現在の多くの建物は寛永10年の火災の後徳川家光によって再興されました。

これまでには元禄15年(1702年)と明治43年(1910年)の2回大修理が
行われてきたことが判明しているそうです。

平成の大修理

日本でも指折りの大きさを誇る御影堂はその大きさを目の当たりにすると
まことに圧巻です。

今回の大修理は屋根の重みで軒先へ引っ張られ傾斜や歪みを生じていたものを
組み替えて解体をしながら補強をしていくという工事です。

現在の屋根は明治の修理で全て葺直されたもので、空葺きで葺かれていました。

その瓦の殆どは寛永当初の瓦で、約1割が明治の時に補足されたものだそうです。
当初の瓦はとても良質な瓦であることが判明しております。

これらの瓦は調査の上可能なものは再利用されるようです。
なので大切に扱われています。

屋根瓦

平葺きの工法は屋根の荷重を軽減することができるため、阪神大震災以降
はこの工法が採用されることがおおくなりました。

屋根平瓦

野地板張りは屋根の下地張で背面正面とも一度も解体修理は受けていなかった
そうです。
材質はヒノキとスギが半々に使われていて、多くは再使用されます。

野地板

小屋組というもので、重い屋根を支える骨組みになります。

これは見事なもので思わず ”すごい” と口ずさんでしまいます。
数えきれないほどの骨組みに太い大きな桔木(はねぎ)が組み込まれて
います。

これはテコの原理で支店を支えに力を分散させます。

こんな建築法を考えた人はすばらしいですね!緻密な計算が伴います。

明治の改修の時にはボルトが使用され始めたそうです。

垂木

はねぎ

屋根の構造では人の身長約170cm位の高さで小屋束、二重梁、三重梁と
その骨組みが組まれています。

屋根構造

ボルトの使用

工事の隙間から蛙股の細工を見ることができます。
龍の蟇股は細かく彫刻されていてとても綺麗です。
こんなに近くではもう二度とみることはできない貴重な体験でした。

蟇股彫刻

鬼瓦は基本的には古いものを踏襲して造られますが微妙にその表情や
大きさはちがいます。

下に降りるとその大きさがびっくりです。

鬼瓦

昔の鬼瓦が保存されているものが今回公開されていました。
カッパの鬼瓦や、火災除けの龍の鬼瓦などが昔はあげられていたようです。

カッパの鬼瓦

その他、襖の飾金具や襖の張り順序、和釘と洋釘、鴬張りの原理、などなど
興味が溢れるものばかり沢山目の当たりで見学することができました。

優れた重要文化財や国宝は日本の文化や歴史の大切な財産であります。
故にこれを守り伝えていかなければならない使命があります。

今回の修理も貴重な財産を調査し、記録して設計監理されています。
23 : 23 : 21 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。