京の冬の旅
2014 / 02 / 22 ( Sat )
京の冬の旅 妙心寺 龍泉菴(りょうせんあん)

妙心寺塔頭の龍泉菴は妙心寺四派の一つ「龍泉派」で

文明13年(1481年)影川宗隆が室町幕府の管領・細川政元を開基として
創建されたと伝えられております。

位置的には妙心寺南門すぐのところにあります。

今回の公開では狩野探幽の「観音・龍虎図」や長谷川等伯の「枯木猿候図』(複製)
平成の画家由里本出筆による仏教が伝来する様を表した越前海岸の襖絵が飾られて
います。

京の冬の旅

表門と鐘楼は寛永年間の建立で江戸時代前期の特徴を伝えるものとして京都府の
指定文化財となっています。

山門

玄関は入母屋造軒唐派風で重厚感があります。

玄関

本堂は塔頭寺院の方丈の中でも最大級の規模であるといわれております。
入母屋造り、仏間は昭堂形式で中央に開山をお祀りし、両脇に仏壇が設けられて
います。

天井は折上格天井で部屋の境には節欄間がとりつけられています。

その本堂の障壁画すべてに堂本印象に師事した画家の由里本出が平成11年
の龍泉菴「開祖500年遠諱」に際して描かれた作品が公開されています。

現代風の色使いでまだ新しくこれから年代を経て建物になじんでいくことでしょう。

方丈

方丈前のお庭には花園法皇仙洞遺碑がおかれていて、その隣には赤い
帽子を被った地蔵尊がおかれています。

花園天皇碑


地蔵尊

枯山水のお庭は広く静寂をあらわしています。

庭園2

庭園




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京の冬の旅
2014 / 02 / 19 ( Wed )
京の冬の旅 妙心寺 聖澤院

京の冬の旅 妙心寺の聖澤院です。

聖澤院は大永4年(1524年)細川氏や土岐氏の支援を得て、東陽英朝を開祖に
創建されました。


冬の旅

聖澤院は妙心寺四派と言われる「東海派」「霊雲派」「龍泉派」「聖澤派」の
の一派です。

妙心寺は花園法皇の離宮を禅寺に改められ創建されたお寺です。

応永6年(1399年)応仁の乱勃発により妙心寺は足利義満によって没収され
一時龍雲寺と改名されました。

文明9年(1477年)には雪江宗深禅師が後土御門院から妙心寺の再興の
論旨を得て妙心寺が再興されました。

その雪江宗深禅師には四人の優れた弟子がおられました。

その四人の優れた弟子が後に妙心寺四派の開祖として妙心寺の発展の礎と
なられたと伝えられております。

その四派の一つ聖澤院は通常は一般公開されていない塔頭です。

山門


方丈は慶長年間に建立されたものだそうで、近世禅宗塔頭寺院の典型的な
姿を留めているといわれております。

本堂

聖澤院には朝鮮通信使が訪れたところでもあったことから朝鮮通信使の
方による扁額が掲げられております。

扁額

今回聖澤院では方丈の狩野派の絵師片山尚景による「獅子図」「十牛図」等の
水墨画による襖絵や、

書院の狩野典信の「麒麟図」「竹林七賢図」富岡鉄斎の力強い「巌栖谷飲図」
などが公開されています。

水墨の濃淡により立体感や迫力が表された襖絵は寺院の書院に年代を感じます。

庭園1

京の冬の旅は3月18日まで開催されています。
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京の冬の旅
2014 / 02 / 15 ( Sat )
京の冬の旅 妙心寺 大法院

京の冬の旅で公開されている妙心寺の大法院

京の冬の旅

妙心寺には46の塔頭があり大法院はそのうちのひとつで、
信州松代藩主真田信之の菩提寺とされています。

真田信之は真田雪村の兄で、信之の孫の長姫が信之の遺命により
寛文2年(1662年)に創建したと伝えられています。

大法院というのは真田信之の法名「大法院殿徹岩一洞大居士」から
名付けられました。

山門

山門をくぐると佐久間象山のお墓の案内が目につき、墓地に象山の
お墓が祀られています。

佐久間象山は文化8年松代藩の生まれで、松代藩第8代藩主真田幸寛の
儒臣でありました。

象山は54歳の時(1864年)に幕末の尊王攘夷派によって京都で暗殺され
松代藩ゆかりのこの大法院に墓地が置かれました。

大法院は佐久間象山ゆかりの寺として遺品などゆかりの品々も残されて
いるようです。

佐久間象山墓2

今回の冬の旅では大法院に伝わる障壁画、襖絵が公開されています。

徳川中期鳥取池田藩に仕えた雲谷派の絵師土方稲嶺筆による「叭叭鳥図」
「長空鳥任飛」(長空鳥飛ぶに任す)

や海北友松、酒井抱一などの絵画が展示されています。

玄関

大法院のもう一つの見どころは露地庭園です。

露地は茶道によって作られた庭園で、飛び石、延段(小石を集めて通り路にする)
垣、門、燈籠、蹲、腰掛待合、蔀戸などを適所に設けて構成されたお庭

大法院の露地庭園は3部構成になっています。

先ず外露地、
手水鉢があり、花木を楽しみながら飛び石を渡って中露地へと進みます。

山茶花

手水鉢


外露地

中露地への入り口にはあげす戸がしつらえてあります。
珍しい形で、あげす戸は非常に風情があります。
ここをくぐって、腰掛待合のある中露地へと進みます。

あげす戸

中露地はゆったりとした感が感じられる空間となっています。

露地庭園

中露地からしおり戸を通って内露地へと進みます。

蹲がおかれていて、ここから茶席へと進みます。

内露地

茶席は「有隣軒」四畳半の茶席です。

茶室

「有隣」は・・・孔子の論語「徳不弧有隣」から名づけられました。

徳は弧ならず、必ず隣有ということだそうです。

茶室扁額

書院からこの露地庭園の眺めは、四季折々に楽しめるお庭です。

 冬は雪景色に、春から初夏は新緑に、秋は紅葉と、それは絵になる
素晴らしい景色を楽しむことができるお庭で、次回は是非新緑の頃に
訪れてみたいものです。
23 : 46 : 52 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
2月の干菓子
2014 / 02 / 12 ( Wed )
2月 初午のお菓子


2月初午の頃の京都のお菓子は先ずは、法螺貝餅があります。

又、2月のお茶会の干菓子には欠かせないお菓子は「狐面にねじり棒」です。

お干菓子は濃茶の後、薄茶の席で出されるお菓子で濃茶用の主菓子よりも
軽いもので、お茶の味を引き立てる役目があります。

狐面はサクサクとして、表面に薄くかけられている砂糖がほんのりと甘く
口当たりがいいです。

ねじり棒は色取りが非常にきれいです。
有平糖は出来栄えが天候に左右され、砂糖蜜の煮詰め具合が非常に難しい
お菓子で、作り手泣かせのお菓子といわれております。


狐面とねじり棒は京では400年の歴史をもつ「亀屋伊織」さんで作られて
います。


亀屋伊織さんでは茶道用の干菓子を作り続けて400年の老舗です。

京の茶道家元のお茶会の要望にも常に答え四季折々のきれいな干菓子を
作り続けておられます。


狐面2

食べてしまうのはもったいないような京菓子、至福のひとときに抹茶とともに
味わって心豊かな時間にしたいものです。

亀屋伊織
22 : 55 : 55 | 京菓子 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
小京都
2014 / 02 / 11 ( Tue )
小京都 飛騨 氷点下の森

飛騨は日本のほぼ中央に位置し、その殆どが山林に囲まれた土地柄です。
森林率は92.5%にもなるそうで、東西は険しい山が南北は河川峡谷に囲まれて
います。

気候も昼夜の温度差、さらには夏冬の温度差が大きく、湿度は比較的低い
といわれ、冬には最低気温が氷点下15度にも達する日があるそうです。

そんな飛騨高山の朝日町胡桃島というところに氷点下の森というのが
作られ、冬の風物詩ともなり、観光の呼び物となっています。

山の合間をぬって、殆ど車の離合できない道をバスはどんどんと入っていきます。

山に一軒宿「秋神温泉旅館」が昭和46年より制作を始めた樹氷の世界です。

かまくら


氷柱1 

4ヘクタールの敷地内に約600mの導水ホースを整備して例年9月から入念な
準備が進められ、11月中旬ころから氷造りが始められるそうです。

氷柱2

大きな長いホースから水が木々に撒かれると、氷点下の気温の中では
すぐに氷はじめてまいります。

自然の雪から発生した氷やつららは透明な色をしていますが、
撒かれた水はブルーに色づきます。


氷柱3

ここのところ気温が比較的高かったので、氷は融け始めていますが
地面は非常に滑りやすく、ツルツルの状態です。

上を見ていると足元をすくわれてしまいます。何人も転んでいました。

氷柱4


氷柱6

山手に向かって氷のオブジェが広がります。

もう少し気温が低いとシャボン玉が凍ってはじける様子が見られるそうです。

氷柱7

氷柱8

お昼間はブルーに夜はラトアップされ色とりどりの氷柱や樹氷がみられお伽の国
のような景色を楽しむことができます。

途中の道路は要注意です。
新たな観光スポットが注目されています。
22 : 02 : 30 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
小京都
2014 / 02 / 10 ( Mon )
小京都 飛騨 「白川郷」


岐阜県の大野郡(岐阜県北西部)に白川村があり、ここは合掌造りの民家が
立ち並ぶ秘教の地です。

合掌造りとは茅葺の屋根が掌をあわせたような急勾配の山形をした建築を
いい、雪深い村の積雪に耐える建築様式が取り入れられた構造となっています。

その建築財の接合には木製のくさびやねそ(マンサク)などが用いられ金属の
釘やかすがいは使われていないのが特徴となっています。

このねそで締められた骨格は風雪に強く年月とともに強度を増すという先人の
知恵が込められた建築といわれております。

この白川郷は1999年にユネスコ世界文化遺産に登録されています。


白川郷独特の伝統ある「結」と呼ばれる相互扶助の精神で村人総出で屋根の
葺き替え工事にあたります。この様子がNHKでも放映されていて大きな話題
をよんだのを思い出します。

1月下旬の高温と雨で雪が大分解けていました。

集落群の近くのレストランではライトアップ前に許可を取得できたバスが
どんどん入ってきて熱いおそばで腹ごなしをいたします。

今日もたくさんのバスが到着いたしました。

食事処2

屋外博物館 合掌造り民家国
ここでは25棟の合掌造りのうち9棟が岐阜県指定重要文化財に指定されて
いてそれらの案内を有料でみることができます。


民家園

白川郷で一番大きいといわれる明善寺の庫裏です。
重要文化財に指定されています。

約280年前に創立された浄土真宗のお寺で茅葺の屋根のお寺は珍しいものと
いわれております。


明善寺駒札

明善寺の庫裏です。

明善寺

鐘楼の屋根も茅葺で葺かれています。
鐘楼も大変高い構造となっております。

明善寺 鐘楼

長瀬家の合掌造りは5階建てになっています。
明治23年に5代目当主民之助氏によって建設されました。
1階は主な生活の場、2階は使用人の寝所、3,4階は養蚕の作業場、
5階は蚕草の干場とされていました。

長瀬家


長瀬家2

現在2階には昔から使われていた道具類が所狭しと並べられています。
昔から大きなイベント(法事や慶び事)があるときはそれこそ何十人の
食事を賄わなければならなかったのですから、食器類だけでも相当な数
が必要といたします。

2階

辺りが暗くなり始めるとほのかな灯りのライトアップが始まります。

この揺らぐような、柔らかなライトアップはここ白川郷にはピッタリ
いたします。




ライトアップ2

道行く人とぶつかりながら、足元を懐中電灯で照らしながら滑らないように
気を付けて進みます。

田んぼに、池に写る建物も幻想的で日本の原風景を楽しむことができます。

合掌造り2

和田家は国の重要文化財に指定されていて、合掌集落では代表的な合掌造り
と言われていて江戸中期から後期の建築で現在も生活が続けられています。


和田家

囲炉裏も暖かい雰囲気が漂います。

いろり

2階にはやはり道具類がきれいに整頓されています。

内部

柱の構造もわらで結ばれています。

これを見ますと、祇園祭の鉾を組み立てる結びを思い起こします。

素晴らしい建築様式を昔の人々は考えたものです。

柱2


柱の構造

お土産物屋さんの玄関には「こびきの繁じい」というお人形が
置かれていて、人目をひいていました。

こびきの繁じい


23 : 30 : 45 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
立春
2014 / 02 / 05 ( Wed )
大原だより1  立春の銀世界

立春(4日)を迎えたとたん暖かかった今週初めととはうって代わって
今日は厳しい寒さの一日となりました。

立春は初めて春の気が立つといい、日足が少しずつ長くなり始めます。

京都市内は朝は屋根に薄らと白いかな?位の状況でしたが
北山 ~ 岩倉 ~ 八瀬 ~ 大原と次第に雪景色が深まってきます。

ここ大原は朝から雪原となり、20cmくらいの積雪となっています。

朝から雪は降ったり止んだりの状況で、枯れ枝には雪の花が満開です。


雪の勝林院

ここは大原の勝林院です。

山号は魚山と号し、ご本尊は「証拠の阿弥陀」さまで天台宗に属します。

円仁が入唐した際に中国の仏教の古典儀式である声明を比叡山で伝承して
いたところ長和2年(1013)円仁の弟子である寂源がその道場を大原の地に
建立し勝林院と号したと伝えられております。

以来勝林院は天台宗 大原魚山流の声明道場とされて参りました。

雪景色2

大原の三千院の前を通り、一番奥に勝林院が正面に見えてきます。

回りを山に囲まれ、静寂の中に時折鳥の鳴き声が聞こえ、辺りに響きます。

木々に積もった雪は樹氷のようで、まさに雪の花が満開です。

時々陽が差し込むとキラキラ輝いてまるで宝石のように見えます。

雪景色

市中から車で30分位離れたこの大原は別世界のようです。

雪景色を求めて是非大原にそして勝林院にお越しになっては如何でしょうか?

これから折に触れ少しずつ大原だよりをご紹介してまいります。
22 : 06 : 30 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
節分のお菓子
2014 / 02 / 04 ( Tue )
節分のお菓子 「法螺貝餅」

東大路通の松原上るに京菓子司の「柏屋光貞」があります。
創業は文化3年(1806年)と、200年余りの歴史をもつ京菓子の老舗です。

もともと宮中やお寺などのお食事を司る「大膳部」と呼ばれお出入りを
許されたお店と伝えられております。

こちらでは節分の護摩供の供用菓子として、節分の日にだけ作られる
お菓子「法螺貝餅」が販売されています。

柏屋光貞

「法螺貝餅」はクレープ状の薄い生地に白味噌餡を包みこんで、牛蒡で
法螺貝の吹き口に似せたお菓子です。

法螺貝には悪霊退散の意味があるところから、厄除けのお菓子とされています。

もともとは今の形ではなく「ふのやき」に似ていたといわれ、安政の御所炎上の
際、孝明天皇が避難されていた聖護院門跡で召し上がったといわれるものと
伝えられ、今でも年に一度だけ節分の日にだけ作られています。

お味は牛蒡の香りと白味噌餡とクレープの外皮とがマッチして現代風に
アレンジされています。

お店では時代の嗜好にあわせて微妙にお味も変化させておられるとか
食べごたえのあるお菓子です。

法螺貝餅

「法螺貝餅」は事前予約を必要とし、5個単位で予約販売されています。
22 : 25 : 50 | 京菓子 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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