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御旅屋
2014 / 08 / 25 ( Mon )
りょうりや「御旅屋(おたや)」

京の繁華街に高瀬川が流れています。

高瀬川は人工の河川で、長さは約10kmあります。

その昔慶長16年(1611)方広寺の大仏殿再建の資材を運搬するため
角倉了以が開削いたしました。
その後は京都と伏見の間で物資の運搬輸送として船運が盛んと
なりました。

距離は二条橋西詰めから始まり伏見区横大路にまで続きます。

森鴎外の小説『高瀬舟』の舞台にもなったところで有名な高瀬川
春は桜が咲き誇り、川面に花吹雪を散らす風情のある川で、市民
の心を休める場所でもあります。

その高瀬川の高辻あたりにりょうりや「御旅屋(おたや)」という
京料理のお店があります。

高瀬川

開店後3年とまだ年数は新しいですが、京都で10数年間修行を積んで
開店されました。

ご主人の出身は富山県だそうです。
富山県はお魚の美味しいところで、特に春にはホタル烏賊で有名ですね。

御旅屋(おたや)というお店の名前の由来は、
江戸時代加賀藩の藩主が鷹狩や城下視察の際に休憩や宿泊に使った
施設のことだそうです。

店舗

お店はこじんまりとした落ち着いた雰囲気で高瀬川を眺めながらお食事が
出来る雰囲気のいいお店です。

お座敷もあり、京の旦那衆が足を運ばれる大人の雰囲気です。
時には舞妓さんや、芸妓さんもお客様と訪れるお店でもあります、。

そこで今日は英気を養うお食事を戴いてまいりました。

まず最初は20種類くらいもある京野菜を含んだ土佐酢のゼリーよせ
です。
優しい酸味は口当たりもよく、食前の食欲をそそります。

突出し

椀物は、鯛のあらと冬瓜の汁物です。
鯛の新鮮な油がほどよく、冬瓜によくあいます。

椀もの

お造りは鰆に鰹です。

お造り

揚げ物は鱈の素揚げとコーンを中心に野菜キノコのかき揚げです。
コーンの甘さ、香ばしさがとても美味しいでした。

揚げ物

”松茸です”  このご時世で松茸の初物を頂けるとは思いませんでした。
香もよく茄子と鱧の味を引き立てていました。

煮物

イワシのお寿司です。
ごはんに工夫が凝らされていて、癖なく美味しく頂きました。

お寿司

デザートはプリンを凍らせたものだそうです。
カルメラのカリカリとプリンの固さが程よくアイスクリームでもなく
夏のデザートにひと工夫です。

デザート

高瀬川のせせらぎを眺めながら、美味しいお料理と美味しいお酒は
至福のひとときです。
今日はハレの日のお楽しみでした。

御旅屋さんへは事前の予約が必要です。電話は075-343-1513です。
22 : 38 : 28 | 京料理 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
扇塚
2014 / 08 / 23 ( Sat )
扇塚(五條大橋)

京の鴨川に架かる橋、五条大橋は東は国道1号線の東海道に通じ、西は
国道9号線の亀岡に通じる五條通に架かる交通の要所となっていて、
車の通行量が最も多い橋となっております。

もともとの五條大橋は現在の松原通に架かっていて、清水寺の参詣に
通じる橋として「清水橋」とも「勧進橋」とも昔の人は呼んでおりました。

現在の五條大橋の位置には天正17年(1589)に豊臣秀吉が方広寺大仏殿の
造営をした時に橋が架けられました。

その後天保3年(1645)に橋桁は石造りに改められ、現在の橋は昭和34年
に鉄筋コンクリート橋と修築されました。長さは67mあります。
この橋を現在は五條大橋と呼ばれております。

五條大橋

その五條大橋の西詰め北側に「扇塚」が置かれているのをご存知でしょうか?
ちょっと見過ごしてしまいそうです。

扇塚

扇は平安時代の初期、この地で初めて作られたものであると言われております。

説明では
ここ五條大橋の畔は時宗御影堂の遺跡で、平敦盛没後その室本寺祐寛上人
によって得度した蓮華院尼と称し寺僧と共に扇を作ったと言い伝えられて
おります。
この由緒により扇工この地に集まり永く扇の名産地として広く海外にまでも
喧伝されるに至った。
と記されて、昭和35年3月15日に京都市がこの顕彰碑を建てたものです。

石碑
22 : 37 : 13 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
妙光寺
2014 / 08 / 19 ( Tue )
臨済宗 妙光寺

京都は右京区宇多野に臨済宗に属する妙光寺があります。
山号は正覚山と号します。 通常は非公開の寺院です。

山門

弘安8年(1285)内大臣藤原師継(花山院)が長男である忠季の菩提を
弔うため師継の山荘を寺に改め創建されました。

妙光寺の寺名は忠季の法名妙光丸と名乗っていとことから妙光寺と
名付けられたそうです。

創建当時妙光寺は花山院家の広大な土地を有し、大覚寺統の代90代亀山
題96代後醍醐・第97代後村上の三朝より勅願寺とされ正覚山妙光禅寺の
称号を賜ったとされています。

鎌倉時代京都では三番目に古い禅寺寺院とされ、京都十殺という高い寺格に
ありましたが、応仁の乱以後荒廃していました。

江戸時代には豪商打它公軌・影軌親子によって再興され開山堂が建立されました。

都名所図会には客殿、庫裏、客殿東には山門、仏殿が直線上に配置され、
客殿の南には鐘楼、後ろの山には開山堂があり、塔頭も多くあり、
最盛期には600人もの僧が在住し、寺域は双ヶ丘まであったそうです。

江戸期から明治の変革期には勤王の一拠点として新撰組の焼き討ちを受け、
廃仏毀釈と荒廃いたしました。

駒札

1667年には野々村仁清が影軌に同伴して当寺を訪れ、1682年に仁清没後
妙光寺にそのお墓が建てられております。

仁清の墓

覚心禅師によって尺八を法器とする托鉢行脚「普化宗」が伝えられ
明治期から昭和まで続いてまいりました。

特に宋から金山寺味噌を習って日本に広めたといわれ、日本での
味噌の始まりと伝えられております。

中門

その後昭和40年までは無住の寺となり、昭和40年から復興が行われ
現在に至ります。

唐門は後水尾の唐門が移築されたようです。
現在の建物は江戸時代の物が残されております。

玄関

花頭窓から本堂を望みます。

花頭窓
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