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鞍馬の火祭
2015 / 10 / 24 ( Sat )
京の三大奇祭「鞍馬の火祭」

10月22日は京の都では、時代祭に続いて夜には鞍馬の火祭が行われます。

鞍馬の火祭は由岐神社の例祭で、その歴史は古く天慶3年(940)から始まると
されています。

当時、天慶の乱や都の大地震など騒然とした世の中の平安を願って、朱雀天皇の
詔により、都の北方鞍馬に由岐大明神を遷宮して鎮めとされました。

その遷宮の時には手に松明を持ち、道々に篝火を焚き鉾を先頭に行列が10町にも
及ぶ一大儀式となったそうです。

この儀式と由岐大明神の霊験を鞍馬の町衆が後世に伝え守ってきたのが
「鞍馬の火祭」の起源とされています。

鞍馬の人々の生活はこのお祭りを迎えるために1ケ月多く働く、鞍馬の一年は
13ケ月と言われるくらい生活の中では重要で格別の思い入れのあるお祭り
となっています。

祭りの準備は6月の松明に欠かせないミツバツツジの枝の刈り取りから
始まり、松明を占める藤の根を集め鞍馬川で洗って乾燥させます。

藤の根で特別な括りをすると松明は絶対に緩まないのだそうです。

このようにして集められた材料を9月になると夫々の組に配給され松明
造りが始まります。

松明1

松明の中にはツツジの枝が詰められていて、周りを合板の板で囲み
藤の蔓で縛り付けます。 この結び方は独特な結び方で代々伝承され
います。
大きい松明は100キロにも及ぶそうで、甲斐性松明と呼ばれています。
幼児用の松明は形がトックリに似ているところからトックリ松明とも呼ばれて
いるそうです。

松明2

鞍馬の火祭を支える組織には7つの仲間がありこの仲間によって
規則正しく、儀式にのっとって継承されているそうです。
大惣仲間、名主仲間、宿直仲間、僧達仲間、大工衆仲間、太夫仲間、脇仲間
で夫々世襲制が守られているそうです。

剣鉾1

それぞれお宿になっているお家では剣鉾や御神輿用のロープ、鎧、御幣、
松明、篝火、エジなどのお飾りをされ、お供えをして祭りの無事を祈ります。

剣鉾2

剣鉾3

剣鉾4


剣鉾5


剣鉾6

剣鉾7

神輿綱

武者鎧

お供えは白米、お塩、お神酒、大根にはじかみ生姜、栗赤飯、瑞饋の和え物
などがお供えされています。

お供え

お祭りには親戚はもちろん、嫁いだ人たちも必ずお祭りには帰って参加される
そうで、お家の奥様方はお客さま接待とお祭り行事で大忙しです。
そしてお客様には鯖寿司、ぼうだらと小芋の煮物、の他にいろいろ取り合わせの
お料理がだされるそうです。

鞍馬の火祭には女性も参加されることになっています。
御神輿を下すときには勢いがつきすぎると危険なので、女性方が後ろからロープ
で引いて調整をとるのだそうです。
この祭りにロープを引いて参加すると安産に恵まれるとかで若い女性の参加が
多いようです。

衣装

祭りの中心をなす。松明の担ぎ手の衣装は独特です。

腕には船頭篭手(腕の力が強く)
肩には(肩当)松明や神輿を担ぐ支え
腰には締め込み(相撲力士の力強さ)
足には脚絆(飛脚の足軽さ)
武者草履(武士に次ぐ地位の高さの意味)
腰の後ろにには御幣付の南天の小枝(難を転じる)

の意味があるそうです。
寒い夜に殆ど裸状態の衣装ですが、勇ましい出で立ちです。

武者草履
(武者草履)

参道から石段の入口には注連縄が張られ、神聖な結界とされ、神輿が下される
時に注連縄切が行われます。

この階段の両側に夫々上在所、中在所、下在所等の大松明が勢ぞろいして
立てられることになります。

注連縄の手前には松明を燃やし切る斎場が設けられています。

注連縄


鞍馬寺の山門の前の石段には八所神輿、と由岐神輿が安置されています。

この神輿には22日の朝9時から神幸祭が行われ、2基に夫々ご神体が移され
祭りの時を待ちます。

神輿

参道にはエジが組まれていて祭りの合図とともに点火されます。
この小さい物が各お宿や、家の前に組まれます。
この時上部に取り付ける松より榊が上にこないようにするのだそうです。
なぜならば榊が上にくると「かかあ殿下」となるからとか?
嘘か本当か、おもしろい逸話もお聞きしました。

エジ かがり火

一際大きい松明は「神楽松明」と呼んで祭りのクライマックス、御旅所で御神輿が
御旅所に安置されるときに、四基に一斉に点火される特別な松明です。

神楽松明

午後6時、辺りが暗くなりだしたころ、祭りの「神事ぶれ」
 「神事にまいらっしゃれ」と祭りの始まりがふれて回られます。
これを合図に、各家々の篝火に火がともされ、松明にも火がともされます。

神事ふれ

篝火

松明を担ぐとき「サイレイやサイリョウ」と掛け声を掛けます。
「さいれい(祭礼や)さいりょう(祭礼の意)」

松明点火2

いよいよ子供松明から順に松明が行き交います。

大きい松明は甲斐性松明といって、100キロもある松明を
昔は一人で担いだそうです。
松明の火が体に落ちてやけどをすることも、髪の毛がちりじりになることも
あるそうで、それらは祭りの勲章だそうです。

松明点火

松明が参道に勢ぞろいすると愈々神輿が下されます。

神輿渡御

神輿が下される時に、神輿の先(チッペラ先)に成人を迎える男が逆さ大の字
に押し上げる儀「チョッペンの儀」が行われます。
鞍馬での成人式の名残だそうです。

チョッペンの儀

神輿の後ろには鎧武者が立ちます。
その後ろから女性が綱を引いていきます。

神輿渡御2

神輿が下されると、祭りの形態は神輿の中御座へと変わります。

午後11時過ぎになると、2基の神輿はお旅所へと移動します。

お旅所に到着すると、神楽松明が点火され、祭りはフィナーレに近づきます。

神楽神輿点火

お旅所に安置されると「三顧の礼」でお祝いをいたします。

「祝って三顧、さいりょう さいりょう」「ヨーイ ヨーイ」と祝い
チョッペン酒が振る舞われ、太鼓が辺りにこだまします。
時間は午前0時を回り祭りは終わりとなります。

神輿御旅所入り

神輿御旅所奉納

翌朝は9時から還幸祭が行われ、祭りの無事を報告し、2基の神輿が夫々元に
戻り、神移しの儀が行われ火祭が終了いたします。

勇壮なお祭りで、町衆の心意気が感じられます。
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京都御苑シリーズ
2015 / 10 / 06 ( Tue )
京都御苑シリーズ 

現在京都御所と呼ばれているのは、烏丸通から今出川通、
寺町通、丸太町通に囲まれた全域を呼びますが、
その中には、京都御所と呼ばれる大宮御所、仙洞御所、および
京都御苑からなります。

京都御所は京に都がおかれた平安京の当時は千本丸太町付近に
置かれていました。

しかし天徳4年の火災以来内裏が度重なる類焼に見舞われ、
天皇は公家の邸宅を借りる「里内裏」に移り住むことになりました。

元弘元年持明院統の光厳天皇が里内裏である土御門東洞院で
即位し、さらに明徳3年後亀山天皇が三種の神器を御小松天皇に
渡して以降この土御門東洞院内裏が長く皇居として定着し、今日の
京都御所の前身となりました。

その御所にはいくつかの門があります。

先ず建礼門
建礼門

建礼門からはいることの出来るのは、天皇陛下もしくは天皇、皇后両陛下
ご一緒の場合と国賓に当たる外国の元首に限られています。
京都の三代祭り、葵祭と時代祭はこの建礼門から出発いたします。

造りは檜皮葺、切妻屋根の四脚門になります。

扉の上には透かし彫り、蟇股には雲龍、中国仙人と羊、仙人と虎
の彫刻が施されて立派な門となっています。
傍にいってよく観察するととても興味深いものがあります。

建礼門 蟇股1-3



建礼門 蟇股2

建礼門 蟇股 龍


京都御所には建礼門から時計回りに宜秋門
宜秋門は御所の一般公開の時にここより入ります。

宜秋門

次に清秋門
御所一般公開の出口にあたります。

清所門

皇后門
皇后陛下がおはいりになる門

皇后門

朔平門 - 建春門へと続きます。
現在建春門は皇后陛下や皇太子殿下がお入りになる門とされています。
それまでは日御門と呼ばれ内侍所への通用門として利用されていたようです。

建春門
建春門は唐派風となっていて華やかな門となっています。

又紫宸殿をとりまく門は
月華門、承明門、日華門となっています。

門だけ取り上げても造りも違い雰囲気も違い御所を一中できます。
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