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京都御苑Ⅱ
2015 / 11 / 22 ( Sun )
京都御苑PARTⅡ 道喜門

京都御所もその時代によって様々な変遷を繰り返してきました。

道喜門

1467年に応仁の乱が始まって以来、10年間続いた京の町は焼け野原となり
衰退しておりました。

その頃(1503年)の京都御所は諸国からの年貢米も入らず食べ物にも事欠く状況でした。

当時蛤御門の近くに住まいしていた川端道喜(中村五郎左衛門)が餅をつくっていて
この御所の難渋に毎朝”餅(塩餡の餅)を献上いたしました。

その餅は”お朝物”と呼ばれ、天皇は毎朝この御餅が届くのを心待ちにされて
いたそうです。
 女官に「お朝はまだ届かぬか」とお尋ねになったとか

このお朝物は明治維新まで、天皇が東京にお移りになるまで約300年あまり
続けられ、”朝がれいの儀”と呼ばれていました。

また御所の清火に道喜のかまどが使われていたことも伝えられております。

初代道喜は天文5年(1537)には織田信長の御所修理時の工事奉行として
工事全体を監督したとのことで、建礼門のわきに小さな穴門から資材を運び
こんだ、その門を「道喜門」と名付けられたといわれております。

通常御用達の商人が出入りする穴門には名称もつけられておりませんが、
道喜の功績に感謝してこの道喜門という名称がつけられ現在も残されております。

現在はここから出入りすることはできません。
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