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惟喬親王1120年大法要
2016 / 10 / 17 ( Mon )
惟喬親王1120年大法要 
   大原勝林院


惟喬親王とは、平安時代第55代文徳天皇の第一皇子で、後の天皇に御成りの
地位ではありましたが、母は紀名虎の娘静子で時の権力者藤原系ではありません
でしたので皇位にはつけませんでした。

文徳天皇崩御の後、皇位につかれたのは第4皇子の惟仁天皇(清和天皇)で
ありました。

惟仁皇子(清和天皇)の母は太政大臣藤原良房の娘でした。

惟喬親王の悲劇の伝説はここから始まります。

親王は権力争いを避け貞観14年29歳で出家され、和歌や詩などの風流の
世界へと進まれ、琵琶湖西岸比叡山山麓の小野宮に隠棲されたと伝え
られています。

その後も藤原一族の追及から逃れるため、小野宮を出て近江、伊勢の
国境鈴鹿山中に分け入り君ケ畑を終の棲家とされたと伝わるそうです。

親王は隠棲の地にて山村の人々の生業のために「ろくろ」を使って
日常の食器や杓子、盆など木地師として技術を伝え残されて、
その技術は現在も継承されています。

親王が隠棲されていたと伝えられる地は「小野郷」と呼ばれ
大原の里を初め加茂川の上流、雲ケ畑や清滝川の上流小野や
大藪など、かって貴族の隠棲の地と知られていた地があげられます。

大原にも惟喬天皇の御墓がお祀りされていて、現在は宮内庁の管理
のもとに置かれています。

この悲劇の親王の1120年大法要が惟喬親王縁の地実行委員会の
主催で10月10日大原の勝林院で行われました。

お練り2

当日は快晴に恵まれ、午前11時から三千院の門主さまのお練りとともに
大勢の僧侶の方々によって厳かに法要が営まれました。

法要

勝林院の阿弥陀様の御前に惟喬親王の尊像が安置され、阿弥陀様が
見守られる中、声明の声が朗々と山にこだまして、300名近くの参拝者
とともに惟喬親王の大法要が営まれました。

惟喬親王像

法要の後は大原の散策を楽しんだり、又大原学院で東近江市市長の
小椋正清氏の「惟喬親王と木地師」の講演や八日市郷土文化研究会会長の
中島伸男氏の「惟喬親王伝説をたどる」の講演が開催され参加されたり
三々五々に一日親王を偲んで大原がにぎわいました。
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