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元離宮 二条城
2017 / 02 / 05 ( Sun )
大政奉還150年 元離宮二条城

今年は徳川慶喜によって大政奉還が行われてから150年目を迎えます。

その大政奉還の舞台となったが二条城です。

家康の二条城


二条城は徳川家康によって慶長8年(1603)に御所の守護と将軍上洛の
ための宿泊所として築城されました。
同年に徳川家康は征夷大将軍の宣旨を伏見城でうけ、その
祝宴をこの二条城で行っています。
当時の二条城は現在のような広大なものではなく、東側半分の規模でありました。

家康は1611年にこの二条城で豊臣秀頼と会見し、
1614年大阪冬の陣、1615年夏の陣では二条城が本陣となり、ここから出陣
しています。

豊臣との合戦で勝利した家康は天下を手中にし、その権勢は揺るぎないもの
となりました。

1620年(元和6年)には二代将軍秀忠の息女和子(まさこ)が
後水尾天皇に入内するに当たり、この二条城から長大な行列を従えお輿入れが
なされました。

1624年(寛永元年)に後水尾天皇が二条城へ行幸されるにあたり
三代将軍家光はこの二条城の大改修に着手いたしました。

二の丸庭園


現在の二の丸御殿に加え西へ拡充、本丸御殿を造営し、天守閣も家康時代の
天守閣は淀城に移し、新たに伏見城の天守閣を移築、二の丸庭園には天皇の
行幸御殿、中宮御殿、女院御殿などが造営されました。

比叡山
天守閣跡からみた比叡山

1626年(寛永3年)後水尾天皇は5日間二条城に行幸され、能楽、乗馬、和歌、
等を楽しまれ、天守閣には3度登られ、比叡山、東山、西山や京都の町と眺め
楽しまれたようです。

この時に造営された、行幸御殿は仙洞御所に移築され、他の建物は解体撤収
されました。

1634年(寛永11年)には家光が30万の兵を引き連れて二条城に入城したのを
最後に230年間将軍の入城はなく政治の舞台からは消えました。

1750年(寛延3年)には落雷により天守閣は焼失し、
1788年(天明8年)には大火により本丸御殿は焼失しました。

1863年(文久3年)14代徳川家茂が入城

1867年(慶応3年)15代徳川慶喜によって大政奉還がなされ時代は幕末へと
突き進みます。

二条城はそんな徳川時代の栄枯盛衰と日本の歴史の移り変わりを見守って
きたお城です。
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