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京の冬の旅シリーズ
2017 / 03 / 11 ( Sat )
京の冬の旅 建仁寺 久昌院

2017年京の冬の旅で特別公開されている文化財の中で、今回は
20年振りの公開とされている建仁寺の塔頭「久昌院」を訪ねてきました。

冬の旅看板

久昌院は、慶長13年(1608)に美濃加納城主の奥平信昌が三江紹益(さんこうじょうえき)
を開山とし、奥平家の菩提寺として建立されたのが始まりです。

奥平信昌は長篠の合戦(織田信長と徳川家康の連合軍対竹田勝頼の合戦)において
長篠城に約一か月籠城し、城を死守して武田軍を撃退した勇将と言われています。

この功績により名前の一字を信長の信を得て信昌とし、さらに家康の長女亀姫
を妻に迎えた信望の厚い武将でした。

関ヶ原の合戦にも参戦して徳川の勝利に貢献し、初代京都所司代に任命
された後、慶長6年には加納城主となって十万石が与えられました。

山門

方丈には仏間の背後に2室の座敷があり、仏間の隣に功績をたたえて
宇喜多一慧が描いた「長篠合戦」の襖絵が展示されています。
時代を感じる襖絵ですが、甲冑や人物が緻密に描かれている襖絵
でした。

書院「高松軒」は方丈の西側にあり渡り廊下とつながっていて
十二畳の座敷には上段の間と火頭窓が設けられています。
その隣の三畳台目の茶室があり、この茶室が「遠州別好ノ席」
と名付けられ、天井、間取り、入口に複雑な造りがなされていました。

また書院には長沢芦雪筆による「牧童吹笛図」という、筆ではなく指で
描かれた「指頭画」が掲げられていました。
童子が牛にまたがって笛をふいている画ですが、とても指や手のひら
で書かれたものとは思えない趣のある画でした。

本堂2

お庭は心の字を表した心字池に生垣がきれいに刈り込まれています。
この刈込は2段になっていてその段差によってお庭を広く見せるという
工夫がなされているそうです。
その借景に建仁寺の堂宇や東山を望むことができる池泉回遊式のお庭です。

庭園2

お庭の右端の屋根がみえるのは御霊屋で奥平信昌夫妻の五輪の石塔が安置
されています。

庭園

鐘楼は寛永4年(1627)に信昌の十三回忌に建立されたとの記述が残されて
いて、久昌院の建物の年代を考察するうえの基準となっているようです。

鐘楼
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羅城門
2017 / 03 / 03 ( Fri )
平安京の正門

794年桓武天皇によって京に新しい都が移されその名も平安京と
名づけられました。

平安京は九条大から一条大路と24の大路にわたります。
その平安京の正面玄関として九条大路に面して設けられた巨大な門が
「羅城門」です。

門3

この羅城門の両側には東寺と西寺が建立され、羅城門をくぐると80mの
朱雀大路が一直線に大内裏へと続きます。その先には朱雀門が控えています。
この羅城門と朱雀門を境にして、洛中と洛外が区別されていました。

門

プレート


羅城門が建立された当初は金色が燦然と輝くシビがあげられた堂々とした
大門でしたが、816年に台風で倒れてしまいました。

その後再建されましたが、980年にまた暴風で倒れてからは再建される
ことなく姿を消してしまいました。

しかしそのイメージは今昔物語や謡曲、芥川龍之介の小説『羅生門』や
黒沢明監督の映画に受け継がれ、鬼の伝説(源頼光や老婆)なども
残され、今なお語り継がれています。

平安建都1200年には京都府建築工業協同組合によって、縮尺10分の1
の大きさでこの羅城門の模型が復元され京都駅前のメルパルクの中に展示されて
いましたが、この程京都駅の表玄関(東側)に展示されました。

京都を訪れた方がこの羅城門を見て、その歴史に少しでも関心をもっていただけたら
すばらしいことですね。
21 : 20 : 57 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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