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師走の風物詩 「顔見世」
2018 / 12 / 23 ( Sun )
南座に師走の風物詩「顔見世」が戻ってきました

南座

四条大橋東詰めにある南座は元和年間(1615~24)に幕府から官許された
七か所の常設芝居小屋ののうちの一つで、その後これらの芝居小屋のいくつ
かは焼失したりして、幕末のころには、北座と南座のみが残り、さらに明治26年
には北座も廃業となり、唯一南座のみとなりました。

現在の南座の建物は昭和4年(1029)に桃山風意匠の鉄筋コンクリート造り
5階建が建設されました。平成3年には桃山風の外観をのこして改修工事が
行われ、平成8年には国の登録有形文化財に指定されています。

南座2

しかし耐震の基準が不備とのことで平成28年から3年かけて耐震工事が
行われ、その間、年末の顔見世は、祇園甲部歌舞練場や、先斗町歌舞練場
ロームシアターと点々場所をかえて開催されてきました。

南座天井

今年漸くその工事が終了し、11月には東西歌舞伎俳優の方々がそろい踏みで
松本白鴎、幸四郎、染五郎の襲名披露をかねたお練りが、南座から八坂神社まで
行われ一挙に賑々しくなりました。

まねき1


京の師走の風物詩「顔見世」も今年は2ケ月にわたってロングランで開催されて
います。

まねき2


12月の顔見世は
 午前の部は 菅原伝授手習鑑、鳥辺山心中、ぢいさんばあさん、恋飛脚大和往来

で私は夜の部に行ってまいりました。

演目3

義経千本桜 三段目(木の実、小金吾討死、すし屋)の場面 
いがみの権太を片岡仁左衛門さんが、三位中小維盛を中村時蔵さんが扮し
熱演されました。平の維盛が親子3人落ち延びていく姿をえがいたもので、
仁左衛門さんの権太の演技がすばらしい。
やくざ者ではあるが、情のこまやかさ、格好よさは流石に人間国宝の演技
かと見とれてしまいました。

演目5

第二幕の長唄「面かぶり」は鴈治郎さんの舞踊
 衣装の早変わりも艶やかでお客を引き付ける舞踊は見ごたえがあります。
 鴈治郎さんは12日にロームシアターで開催された京都文化力プロジェクトで
 歌舞伎のもつ文化力についてのお話も軽やかに語りかけておられました。

第三幕は弁天娘女男白波では
 今歌舞伎界で中堅の実力者による白波五人衆を 片岡愛之助、中村芝翫さん等
 いなせな五人衆の口上が披露されました。

演目4


第四幕は三社祭り
 清元の舞踊で、これがまた何とも小気味のいい、素晴らしい出し物でした。
 仁左衛門さんの孫で千之助さん18歳、中村富十郎さんの長男中村鷹之資さん
 19歳という若さ。
 明治39年以来顔見世の出し物の主役で10代が努めるのは初めてとか。

 二人とも息の合った一糸乱れのない躍動感あふれる舞踊は途切れることなく
 見ている人の瞬きもさせないくらいすばらしいものでした。

丁度私が座っていた座席のすぐお隣から、大向こうが飛びかいました。
「松嶋や!!」「成駒や!!」 その間合いがまた面白く。
顔見世のまた違った楽しみ方を味わうことができました。

片岡秀太郎

そして23日には片岡秀太郎さんが京都文化博物館開館30周年を記念
して「片岡秀太郎の歌舞伎ばなし」にご出座され、歌舞伎の四方山ばなしを
披露されました。
来年は喜寿を迎えられるそうですが90分間、笑いあり、エピソードあり
会場200名の方を最後まで飽きさせることなくお話の中に誘い込み
素晴らしいひとときでした。
同時に「女形ー片岡秀太郎」写真展も開催されていました。
専属の写真家堀出恒夫氏による写真展で、それは妖艶で女性以上に
しなやかで、目の使い方がすばらしい。流し目、睨み、情艶な目
これは男性が求める女性のまなざしが わかるゆえの芸なのでしょうか?
とても綺麗な写真展でした。

今年は歌舞伎をあらゆる角度から楽しませて頂くことができました。
19 : 10 : 45 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
京都駅
2018 / 12 / 09 ( Sun )
今 京都駅が輝いている

年の瀬を迎え、街では紅葉の彩にかわって、そろそろクリスマスツリーの電飾が
灯されはじめました。

駅中央口2


京都の玄関口、京都駅が今とても輝いています。

駅中央口

現在の京都駅は平成9年(1997)に完成いたしました。四代目の駅舎となります。

日本の鉄道駅舎としては異例の国際指名コンペ方式が行われ、7名の著名な
設計士の中から東京大学教授の原広司教授の作品が選ばれて建設されました。

初代は明治10年(1877)現在の京都駅がある場所よりやや北側にあり、その名も
「七条ステンション」と呼ばれていました。

二代目は大正3年(1914)大正天皇の即位式に合わせてルネッサンス式建築様式
によって資材は総檜で現在の場所に建設されました。
しかし昭和25年(1959)に焼失してしまいました。

三代目は昭和28年(1952)に鉄筋コンクリート造りの2階建で(一部8階建)近代的
駅舎となりました。

そして四代目は「京都は歴史の門である」という主旨のもと、平安京の都市の特徴
である条坊制(碁盤の目)を取り入れ、玄関口の象徴「門」を烏丸通と室町通に配した
造りから1000年の都が置かれていた特徴ある京都の駅舎が完成したのです。

近代的な特徴ある京都駅舎は環境に配備した賞を受賞しています。
平成26年(2014)には京都環境賞受賞
平成29年(2017)には環境配慮建築物優良賞受賞

近年5000万人をはるかに超した観光客をお迎えするこの京都駅ではいろいろな
おもてなしの在り方が模索されています。

平成24年(2012)には171段ある大階段にグラフィカルイルミネーションがともされ
人気が集まっています。

毎年2月にはこの171段ある大階段の「駆けあがり競争」が行われるところです。

大階段 鳥居
鳥居を象ったイルミネーションです。

大階段3

大階段5

大階段6

土曜日とあって多くの人が明かりの変化を楽しみ写真におさめておられました。

ツリーは一段と高く、天井を抜けてそびえているようです。

ツリー2

ツリー

大階段より向かいの京都グランビアホテルのイルミネーションもとても綺麗です。

グランビアホテル1

大階段を上る途中のエントランスから京都タワーもくっきりと見えます。

京都タワー

師走のひととき、夜の時明かりを楽しんでみては如何でしょうか。
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御室 仁和寺
2018 / 12 / 03 ( Mon )
御室 仁和寺 特別拝観

御室とは天皇がお住まいされたところ(僧坊)のことをいいます。仁和寺があるところはこの
御室が地名となっております。

三門


仁和寺はユネスコ世界文化遺産に登録されています。
山号を大内山と号し、真言宗御室派の総本山にあたります。
仁和4年(888)宇多天皇が父上に当たる光孝天皇の遺志を継いで建立されました。

仁和寺にある金堂は慶長18年に建立された御所の紫宸殿を寛永19年~21年にかけて
移築されたもので、仁和寺の中では最も重要な建物とされ、現在は国宝に指定されています。

金堂

移築された紫宸殿の内部には新たに板扉が設けられ、内陣と外陣が
分けられ寺院の様相がつくられました。

内陣には阿弥陀三尊像が安置され、その後壁や柱、長押には仏画が
描かれています。
後壁には西方極楽浄土の世界を、六本の柱には四八体の尊像が
画かれ金堂内が一段と荘厳さを感じさせられます。

今回第51世門跡様の晋山記念としてこの金堂の裏堂に描かれている
五大明王像の一般公開が初めて372年ぶりに12月16日迄開催されています。

五大明王壁画公開

金堂裏堂は今まで一度も公開されたことがなく、しかも日の当たらない
暗闇であったのでその状態は非常にきれいで、鮮やかです。

五大明王は
 金剛薬叉明王・・・一切の苦しみや悪、煩悩を噛み砕き呑み込んで
             しまう。 不食、拒食の人に霊験あらたか
 降三世明王・・・・ 降三世は過去・未来・現在を示し、この三世の煩悩を
             降す。
 不動明王・・・・・・ 五大明王の中心となる明王
             地獄に落ちないよう戒め導く明王
 軍茶利明王・・・ 悟りを妨げる魔をを除く 結界を司る
 
 大威徳明王・・・ 六面六臂六足(六つの顔、腕、足)に描かれ
            善人に悪意を抱く者や、危害を加えようとする者を
            懲らしめ、悪人の呪縛を解き、悪夢を消滅し、悪病を
            除く

向背の火炎の朱がとても鮮やかで迫力がります。

中門を通り抜けて、金堂に至るまでの両サイドには紅葉が一段と
色鮮やかさを増して晴天の青空と色のコントラストが素晴らしいです
しばし紅葉をお楽しみください

紅葉1

正面に金堂がみえます。

紅葉3

紅葉4
             
紅葉5

紅葉6

紅葉7

五重塔は春は桜の借景となり、秋は紅葉の借景となります。

五重塔

真紅とはこのような色をあらわします。

紅葉8

今年の台風21号で京都の各社寺では倒木が沢山あり被害も大きかった
ですが、それでも季節の移ろいとともに今年も見事に色づき秋の風情を
楽しませて頂くことができました。

12 : 23 : 14 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
大覚寺
2018 / 12 / 02 ( Sun )
大覚寺(戊戌開封法会)

京都市右京区嵯峨大沢町にある大覚寺は正式には
「旧嵯峨御所大覚寺門跡」といいます。
真言宗大覚寺派の本山で心経写経の根本道場とされています。
その昔、平安時代 ここに嵯峨天皇の離宮”嵯峨院”が建立されたところで、
嵯峨天皇の皇女正子内親王が清和天皇に上奏され大覚寺と改められました。
初代住職には嵯峨天皇のお孫さんに当たる恒寂入道親王が就かれました。
このことから大覚寺は格式の高い門跡寺院といわれております。

門前ぶろぐ

この大覚寺には嵯峨天皇が弘仁9年(818)の春に都で大旱魃から全国に疫病が蔓延し、
た時、その状況を憂慮され弘法大師の勧めによって疫病退散を願い、一文字書く度に
五体投地という礼拝を三度しながら般若心経を淨書されました。

その写経が完成し、弘法大師が護摩供養されると、たちまち疫病が治まり都に安寧が
もたらされたことから、この嵯峨天皇の写経を霊経として心経殿に勅名により封印され
奉安されてきました。

この写経は写経された年の干支が戊戌(つちのえいぬ)であることから、以来60年に
一度だけ心経殿が開封され、関係者の方によって法会が行われてきました。

今年はその60年目を迎えることとなり、しかも写経がなされてから1200年という記念の
年に当たることから、二度とないこの歴史的瞬間を広く一般に公開されることとなり
10月~11月末まで公開されてまいりました。
毎日大型バスを連ね檀信徒の方は勿論、一般の方も大勢が参拝されました。

玄関ブログ

式台玄関(大玄関)は江戸時代に京都御所より移築されたもので、特別なお客様のみ
お入りになる玄関となっております。

丁度嵯峨菊が満開となっております。
嵯峨天皇は平安時代の初め大沢池の菊ガ島に咲く菊を手折られ花瓶に挿されたところ
その形が「天、地、人」の三才のうつくしさであったところから、後世花を生けるときはこの
形を範とするべしと仰せられた処から「嵯峨御流」の華道が誕生したと伝えられています。
その嵯峨菊は可憐で愛らしく高貴な菊です。

唐門ブログ

勅使門は天皇陛下が行啓される時のみ開封される門です。
手前の少し高くなっている部分は石舞台です。
かってこの場所に大覚寺の本堂である五大堂がおかれていましたが、大正天皇の即位の
時の饗宴殿が御影堂として移築されることになり、勅使門の正面に御影堂を建てないと失礼に
当たるということから五大堂が池川に移築されました。
その五大堂の基壇の跡に現在は石舞台として使用されています。

紅葉3ブログ
五大堂からお庭を眺めてみますと丁度紅葉が真っ盛りでした。

大沢の池ブログ

早朝の大沢池は静かで護摩堂廻りの紅葉がきれいに湖面に映し出されています。
大沢池の周囲は1kmあり、日本最古の庭園池とされ、中国の「洞庭湖」を模して造られた
ところから庭湖とよばれます。
池の畔には心経宝塔や石仏、名古曾の滝跡などがあり国の名勝地になっています。
名古曾の滝はかつて藤原公任が
 滝の音は 絶えて久しくなりぬれど なこそ流れて なお聞こえけれ
と歌を詠んでおられます。

大瀑池ブログ

丁度紅葉も今が見ごろとなっています。
嵯峨天皇の霊経の1200年記念開封法会に参拝して京の都が平成最後の年を
恙なく終えられ又飛躍の新たな年を迎えられることを祈念いたしました。
17 : 25 : 56 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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