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清涼寺
2009 / 05 / 21 ( Thu )
五台山 清涼寺(嵯峨釈迦堂)

      清涼寺門 

五台山 清涼寺は通称嵯峨釈迦堂として京の都では親しまれています。

もともと清涼寺は寛平7年((895年)源融の没後その山荘の棲霞観に阿弥陀堂
を建て、棲霞寺(せいかじ)としたのに始まるといわれております。

清涼寺2 清涼寺1

宗派は華厳宗、ご本尊は釈迦如来立像で国宝に指定され、日本三如来の
一つに数えられているほど屈指の釈迦如来で広く信仰されています。

この釈迦如来はお釈迦様の37歳の生き姿を刻んだものであるといわれ、
尊像はインドからヒマラヤを越えて中国に渡ったといわれております。

寛永元年(985年)奈良東大寺の僧、然上人がその尊像模刻して日本に
持ち帰ったといわれ、尊像が模刻された時に中国の尼僧5人が体内に絹で
五臓六腑をつくり体内に施入したといわれていて、その五臓六腑が昭和28年
にこの釈迦如来立像から発見されたといわれております。
これは中国において千年前から人間の体内構造を知っていたものと解剖学
的にも貴重な資料であるといわれています。

この清涼寺は「能」の演目「百万」の舞台にもなったところです。

その昔、奈良に住まいする百万という母がいて西大寺付近で子供を
見失ってしまい、生き別れた子供を想いあまりの悲しさに狂女となった
百万は子供を捜しまわり、人が多く集まる京の都に尋ねてまいりました。
当時清涼寺では多くの人があつまり念仏をおこなっていたので、
もしや子供に会えるのではないかと釈迦に祈り念仏の音頭をとり始め
ました。すると三国伝来の生身の釈迦如来の霊験あらたかにやがて
子供に会うことができた。・・・・・という内容です。

清涼寺の本堂前は非常に広く当時この堂の前で日々念仏踊りなどが
行われていたのでしょう。


毎年この清涼寺では円覚上人が庶民に教義を説くために作られたと
いわれる嵯峨大念仏狂言が開催され、この嵯峨念仏狂言は国の
指定重要無形文化財にも指定されています。

源融公の墓 六道の道

      多宝塔

そのほか徳川中期の建築で一切経蔵や聖徳太子の夢殿、
豊臣秀頼公の首塚、源融のお墓、又地獄と極楽の橋渡しをしたといわれる
小野篁のこの世の出口とされるしるしものこされております。

嵯峨清涼寺へは京福電鉄嵐山、JR嵐山下車北へ約徒歩10分位のところに
あります。

又京の都では6月1日、2日の夕に平安神宮で第60回記念の薪能が京都在住の
能楽師総出で優雅に披露されることになっています。
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