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伏見酒蔵の街巡りⅡ
2010 / 02 / 22 ( Mon )
伏見酒蔵の街巡りⅡ 

鳥羽伏見戦の弾痕跡 ~ 伏見銀座跡 ~ 源空寺 ~ 西岸寺(油掛地蔵)

1魚三郎2- 魚三郎1

伏見の大手筋から町並みを進むといたるところにの京の街が大きく変化した明治維新を
迎える鳥羽伏見の戦いの跡が残されています。

幕末の頃慶応4年薩長連合の新政府軍と幕府軍との間で幕府の大政奉還の奏上、朝廷の
王政復古の令と、朝廷側が決定した案に対して幕府側が怒り伏見辺りは激戦が繰り広げ
られ街の南半分は焼け野原となった。

その弾痕の跡などが保存され一時代の変遷を残しております。

銀座発祥2 銀座発祥

銀座とは鋳を加工して一定の品位を持つ丁銀、小玉銀などを銀貨とする独占鋳造所
のこと、現代的には日銀にあたるところ

関ヶ原の戦後慶長6年(1601年)徳川家康は後藤庄右衛門、末吉勘兵衛に銀座取立
を命じこの地に屋敷を与え有力商人の座人が集められ銀座会所、座人屋敷が立ち並ぶ
町並び江戸時代の銀座の始まりとなった
その後中京区の両替町へ移され伏見銀座は廃止されたがその地名は今も残されている。

P2142940.jpg

宝海山 法然院(源空寺)
円光大師(法然上人)二十五霊場の一つで、法然上人が大仏殿再建落慶供養の帰途
説法をしたのに始まるとされています。
もともとは宇治市にあったが、江戸初期に僧幡随意が徳川家康より伏見城の殿舎
を拝領して造られた楼門、と伏見城の巽の櫓にあった大黒天像が安置されている
ところです。

油掛地蔵 西岸寺 油掛け地蔵尊

芭蕉塚 油掛町

油懸山 西岸寺
浄土宗のお寺で御本尊は阿弥陀如来
天正18年(1590年)岸誉雲海によって創建されたお寺
昔山崎の油売りが当寺の門前で転び油を殆ど流してしまった。油売りはこれも災難と
あきらめ残りの油を地蔵尊にかけて供養したところ商売が繁盛し大金持ちなったいわれ
今でも商売繁盛を願って多くの人が油懸けに訪れるといわれているお寺です。
松尾芭蕉もよくこのお寺に訪れ「我衣にふしみの桃のしづくせよ」という句碑が置かれ
ています。またここの町は下油掛町と呼ばれています。
23 : 02 : 15 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
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コメント
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なにげにすぐ近くまで来られていたんですね、2月14日は蔵開きでふらっと蔵どおりを歩いていましたよ。
by: 文麿 * 2010/02/23 17:06 * URL [ 編集] | page top↑
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