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明智光秀の塚
2010 / 05 / 14 ( Fri )
明智光秀の塚

明智光秀の塚 光秀の塚2

京の東山三条通から白川橋を白川沿いに下がっていくと明智光秀の塚があります。
小さな祠があり見逃しそうな場所に五輪の塔とともに祀られています。

この碑には弘化2年と記されているそうで、光秀死後約260年後に
建てられたものだそうで、現在では市民の餅堂さんが管理されている
そうです。

天正10年(1528年)主君織田信長を本能寺にて急襲し3日天下を取った
光秀は天王山で羽柴秀吉に敗れ近江の坂本城にのがれる途中、小栗栖の
竹藪で農民に襲われ自刃し最後を遂げたと伝えられています。

光秀は家来に我が首を切り知恩院にて灰にせよ。屍は田の中にかくせと
言い残したので家来が光秀の首を落とし知恩院の近くまできたが夜が
明けてきたのでこの地に首を埋めたと伝えられていると、説明されて
おります。
その地がここにありました。得浄明院からもすぐの所に位置します。

五輪の塔

主君の仇をとった羽柴秀吉(豊臣秀吉)は光秀を殺すには忍びず
偽の首をさらして密かに光秀を逃したという説や
又、替え玉の荒木山城の守が小栗栖で殺され光秀は美濃に落ち延びた
という説や、あるいわ密かに仏門に入り後に天海僧正となって徳川家康
の帷程に参加したという説などがあったりして、京の都の人が光秀の死
を惜しんで口ぐちに語りついできたであろう話がのこされております。
その諸説の真実は定かではありません。

京の都には見過ごされそうな場所に、今なお大切に守り伝えられている
ものがあることは貴重ですばらしいことです。

19 : 44 : 06 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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