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清閑寺
2010 / 06 / 21 ( Mon )
歌の中山 清閑寺

石標 門

清水寺の奥の院から観音千本桜を左に眺めながら小安の塔を過ぎ、
そのまま奥へ竹林を通って東山の麓を歩いて行くと、昔は大津、山科から
京都へ入るにはこの道を通ったと言われる静かな山道へ出てまいります。
その先に鄙びたお寺 ” 清閑寺 ”があります。

真言宗智山派のお寺で山号を歌の中山ご本尊は十一面千手観音菩薩
延暦21年(802年)比叡山の紹継法師によって創建されたと言われております。
当時は寺域も広く東山山中に偉容を誇っていたそうですが、応仁の乱によって
焼失してしまいました。
その後慶長年間(1596年~1615年)根来寺の性盛が再興してから天台宗より
真言宗に改められたようです。
現在は菅原道真公の御作といわれる十一面千手観世音が唯一残されています。

小督の局 宝筐印塔
                        宝筐印塔

またこの清閑寺は平家物語のヒロイン ”小督局 ”が平清盛に宮中を
追われこの寺で尼にさせられたという悲恋の物語でも有名です。

小督局は美人で琴の名手でもありました。高倉天皇はこの小督局を大層
寵愛されました。が当時の権力者平清盛はこれを好ましく思いませんでした。
局はそれを察し密かに嵯峨野に身を隠しましたが、美しい月の夜局が奏でる
琴の音によって見つかってしまいました。(嵐山には小督局の碑がのこされ
ています)宮中に戻った小督局を平清盛は無理やりこの清閑寺で尼にして
しまいました。高倉天皇は寵愛する局への慕情やみがたく、深く心を痛められ
「私が死んだら、局のいる清閑寺へ葬ってくれ」とご遺言され21歳で(養和元年)
なくなってしまいました。天皇の葬儀はこの清閑寺で営まれ、御遺体も遺言
通りこの寺の法華三昧堂に埋葬されたそうです。
清閑寺には本堂の前に局の宝筐印塔があります。

高倉天皇陵

          高倉天皇陵2

高倉天皇陵は清閑寺のすぐ近くに六条天皇陵と一緒にあります。
この高倉天皇陵の傍らに小督局のお墓もあります。
通常は非公開となっております。

釣鐘堂

又幕末の頃には清水寺の住職月照上人と西郷隆盛がしばしば勤皇の
謀議をこの清閑寺の「郭公亭」の茶室で行ったともいわれております。
その茶室は鐘楼堂の上にあったそうですが平成3年に解体されてしまった
そうです。

風景
              要石

ここからは京都の町が扇を開いたような角度で眺望されその前に「要石」
名付けられた石があります。
この石に両手をあてて願い事をすればその願いが叶うといわれ、清閑寺へ
のお参りは願い事のお寺としても信仰を集めております。
また、本堂のお不動様は霊検の非常にお強い御不動様で願懸けの御利益
があるともいわれております。

明治・大正の頃洋画家黒田清輝の代表作「昔語り」は清閑寺の風景とこの寺の
僧の物語からヒントを得て描かれたという有名な逸話も残されております。

京の隠れた古刹 ”清閑寺”は是非一度は訪れてみたいお寺です。
季節は秋が紅葉が一段ときれいで最高の眺めです。
清水寺からは徒歩約10分くらいです。ちょっと淋しい道もありますので
女性の独り歩きよりも数人でお越しいただけるといいかと思います。
18 : 12 : 34 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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