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粟田神社大祭
2010 / 10 / 11 ( Mon )
粟田神社大祭

標 鳥居

京は東山、華頂山中腹に粟田神社があります。
この粟田神社の石段下は東山の三条通りで、豊臣秀吉が京を守る土塀「お土居」
をつくりそのお土居に七つの入り口を造ったその京の七口の一つ「粟田口」に
あたります。
往来の主要な旧東海道、東山道にある粟田神社は京を行き来する人々の旅の安全
を祈願する守護神として崇められてまいりました。
もとは感神院新宮とも粟田天王社とも呼ばれていたそうですが、明治初年に粟田神社
と呼ばれるようになったようです。

ご祭神は建速素盞鳴命、大己貴命他十一柱
貞観18年(867年)清和天皇へ疫病の流行が奏上され、天皇の勅をえて勅使藤原興世
が祇園社(八坂神社)に七日間祈願された。
その満願の夜夢枕に老翁が「帝都の東祇園の東北に牛頭天皇素盞鳴命に縁の地あり、
その地に我を祭れば必ず国家と民は安全なり。我は大己貴命なり」と告げられて
消えられた。興世はこれを神意と奏上し、勅命をえてこの地に社を建て御霊をお祭
りしたのが始まりとも、粟田氏の氏神として創建されたとも伝えられております。

粟田神社の例祭「粟田大祭」が10月9日、10日(体育の日)・15日と行われています。


本殿

本殿は文政6年(1823年)に再建された三間社流造で平成8年京都市有形文化財に指定
されています。

神事1 

10日世渡り神事が行われ
今日11日は本殿から粟田大祭のお神輿に御霊遷しの神事が行われ神幸祭りが
始まります。

この粟田大祭は千年の歴史を有すると言われております。
平安末期、白河天皇の頃東山山腹にある瓜生石の内部より現れたという
「感神新宮」という額を同宮に奉納し祭りを行ったのが起源とも言われて
おります。
又、室町時代には祇園祭りが斉行できないときはこの祭りを祇園御霊会の
変わりとしたと伝えられております。
神輿渡御の露払いを努める剣鉾は祇園祭の鉾の原型とも言われております。


剣鉾6 剣鉾5

神輿渡御の行く道を祓い清める剣鉾は長さ約8メートル、重さ約30kg
から60Kgもあり、それを一人で建てる、力も技術も必要な大仕事です。
この剣鉾を建てることを「差す」というのだそうです。

鉾差しを努める方々は剣鉾奉賛会の方々で、毎月6回くらい稽古をして、
歩くだけで半年、鉾の上の鈴をチロリン チロリンと鳴らすには3年を
要すると話して下さいました。
今日は晴天の下軽やかな、えも言われぬ心地よい音色を奏でていました。

    剣鉾7

剣鉾には夫々に工夫をこらした懸装品がつけられていて、伝統的な祭具で
美術工芸の要素を持つ素晴らしい装飾が施されております。


剣鉾奉賛会 剣鉾1

剣鉾奉賛会の方々は現在26人位おられ、その技術を継承されております。
お腹の帯で剣鉾の下を入れ身体全体でバランスを取って差すのだそうです。

出し物

大燈呂は平成20年に約百八十年振りに京都造形短期大学の生徒さんによって
復活されたものだそうです。


神輿

露祓いの後を御神霊が遷された神輿が ”ホイツト ホイット” と掛け声も
勇ましく氏子の町内を練り歩きます。
ここのお神輿も立派な見ごたえのある神輿です。

15日は例大祭がおこなわれることになっています。
 
16 : 52 : 00 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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コメント
--素晴らしい!--

粟田祭りにおいでになったのですか?
早速のアップ早いですね!驚きます。
解説も詳しくて解りやすいし写真が適切です。参考にいたします。
私は昨夜八瀬の赦免地祭りに行っていました、これもすごく良かったですよ!おすすめです。
by: kamogawa35 * 2010/10/11 20:34 * URL [ 編集] | page top↑
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
by: * 2010/10/11 20:39 * [ 編集] | page top↑
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