FC2ブログ
嵯峨野の秋
2010 / 11 / 30 ( Tue )
祇王寺

二尊院からさらに奥嵯峨へと歩を進めると祇王寺に参ります。
祇王寺真言宗で大覚寺の塔頭にあたります。 ご本尊は大日如来。

標式 門 

昔はこの祇王寺辺りは往生院という法然上人の弟子で良鎮によって開創された
お寺があって、小倉山上から山下に及ぶ広大な地域を占めていたようですが、
いつの頃からか廃れて尼寺となっていたようです。
この尼寺の墓地に祇王、祇女の名が刻まれた碑と木像があったと伝えられております。

その尼寺も明治初年になって廃寺となってしまいました。
廃寺となった後、碑と木像は旧地頭大覚寺に保管されておりました。

大覚寺の門跡楠玉諦師はこれを惜しみ再建を計画されていた時、明治28年
当時の知事北垣国道氏が祇王の話を聞き、嵯峨にある別荘を寄付され現在の
祇王寺が再建されたと記されております。

       庭園

祇王・祇女の物語は平家物語に出てまいります。
「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、聖者必衰の
ことわりをあらわす・・・・」と栄誉栄華を極めた平家の時代の悲哀な女性
の物語。

近江の国に生まれ父の罪により北陸に流された後、京都にでて白拍子となった
祇王、祇女の姉妹が平清盛の寵愛を受けて幸せな暮らしを得ていた。

そんなある時加賀の国の仏御前と呼ばれる白拍子が清盛公に舞を御目にかけたい
と申し出たが、清盛公は祇王・祇女がおり願いは叶わぬと門前払いをしたが、
祇王のとりなしで願いが叶い今様を歌ったところ清盛公に大層気に入られ、
仏御前に気を取られてしまい、祇王は館から追い出されてしまいました。

祇王は「萌えいづるも 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋にあわではつべき」
と障子に書き残し館から去っていきました。
館を出た祇王・祇女と母の刀自の三人は嵯峨の奥祇王寺の仏門に入りました。

祇王寺に入り念仏を唱える毎日を送っていた処へ、仏御前が訪れ、祇王の残した
歌を詠むにつれ世の無常を感じ、館をでて尼になりこの祇王寺へと参ったことを
告げ、祇王・祇女・刀自と共に祇王寺で仏前に香華を供え、念仏にはげみ、往生
した。といわれる物語の謂れの祇王寺です。

庭2 庭3

祇王寺の四季は春は鶯の鳴き声と新緑と苔の青さが一段ときれいですが、
やはり紅葉の秋が一番です。

通り道に苔の庭に草屋根に降り積もった赤や黄の落ち葉がかさなって一服の
絵のようです。

吉野窓 吉野窓2

丸くくられた窓は「吉野窓」といわれ、障子の奥から差し込む光が影をなし
四季折々の虹のような影絵を表すところから「虹の窓」ともいわれています。

       清盛公供養塔

境内には鎌倉時代の作とされる清盛公と祇王の供養塔があり、祇王・祇女・
母刀自のお墓も残されております。

鄙びた、かっての悲哀な女性が偲ばれる思いで深いお寺です。
11 : 10 : 33 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<嵯峨野の秋 | ホーム | 嵯峨野の秋>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://kyonoazemichi.blog60.fc2.com/tb.php/262-b2db5c9f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |