嵯峨野の秋
2010 / 12 / 02 ( Thu ) 落柿舎
常寂光寺からほどなくのところに萱葺の庵が見えてまいります。 この庵が江戸前期の俳人向井去来の遺跡で「落柿舎」と呼ばれております。 向井去来(1651~1704年)は長崎の医師向井元升の次男として生まれ、 後一家で京都の洛東聖護院に住み、嵯峨に別荘落柿舎を営んだと記されて おります。 松尾芭蕉に入門、芭蕉門弟十哲の一人ともいわれる俳人として 名声を残しております。 落柿舎の名は、庭に柿の木が40本あり、商人がこの柿の木を立木のまま買い 取る約束をしたが、一夜のうちに柿の実がおちてしまったことから名付けられた といわれております。 萱葺の田舎家風の庵の玄関には蓑と菅笠がかけられていて風情が感じられます。 本庵の屋根は萱葺で、三角になった屋根裏も中からみることができます。 真竹が組まれていて、釘では固定できないもので縄を「男結び(いぼ結び)」と 呼ばれる結び方で縛られています。 この男結びは緩まず、年を重ねるごとに針金以上に固く締まるようです。 屋根の萱は静岡から運ばれてきたものだそうです。 この庵で庭を眺めながら去来は訪れた芭蕉と句会を開いて数々の名句をのこした ようです。 「柿主や 梢はちかし あらし山」 去来 「五月雨や 色紙へぎたる 壁の跡」 芭蕉 次庵では「句会席」としても申し込みをすれば利用できるそうです。 (午後1時~4時まで 室料一人当たり700円 5名~20名迄) きっとこの庵で瞑想にふけりながら捻り出される句は素晴らしいものができる のでしょうね! 当初の去来の「落柿舎」は去来没後荒廃していたが明和7年(1770年) 俳人井上重厚が当地に復興、明治に入って有志によって再興され現在は 落柿舎保存会が管理されているようです。 奥嵯峨の風情にマッチした鄙びた趣きのある庵です。 |
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