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百々橋
2011 / 04 / 04 ( Mon )
桜だより 百々橋の礎石

堀川寺の内を東に入ったところに昔、南北を流れる小川があり、その小川には
百々橋(どどばし)という橋(長さ7.4m、幅約4m)が架かっておりました。
この百々橋には歴史が刻まれております。

由緒書

その昔京都では応仁の乱が(1467年~1477年)10余り続けられ京都の町は
灰塵化してしましました。

東軍の細川勝元と西側の山名宗全が争った足利将軍家や官領畠山・斯波両家の跡目
争いである応仁の乱はこの橋を隔てて行われ、戦国乱世の歴史のひとこま
が刻まれることになりました。

又この百々橋の名称は応仁の乱以前の風景を描いた『中昔師地図
(ちゅうじゃくしじづ)』
に当地が「百々ノ辻」と記載されていることに
由来すると伝えられております。

橋脚

その百々橋は古来板橋であったようですが、近世になって石橋に架け替えられ
昭和38年(1963年)小川が埋め立てられた際橋も解体されました。

しかし地域住民の方々のこの遺構を残そうと尽力され、橋材は一時室町小学校
に保管されましたが、その後洛西ニュータウンに移され、竹林公園に復元されました。

又橋脚をささえる四基の礎石の一基が百々橋をしのび貴重なる遺構としてこの地
に遺されております。

桜2

橋脚の遺構の傍には、染井吉野の桜が咲き始めました。
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