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雲林院
2011 / 09 / 16 ( Fri )
紫野 雲林院

京の北大路通を西へ大宮通の西、大徳寺の近くに雲林院があります。

この辺りは昔は広大な荒野で狩猟なども行われていたといわれております。
淳和天皇(在位823~833年)はここに広大な離宮”紫野院”を建立され、度々
行幸されました。
桜や紅葉の名所ともなり、文人を交えて歌舞などの宴が催されていたようです。

その紫野院は仁明天皇の皇子常康親王に伝えられ、貞観2年(869年)に
僧正遍昭を招き、官寺「雲林院」と改められました。

雲林院 門

もとは天台宗に属していましたが 鎌倉時代には大徳寺の建立により敷地は
施入・子院となりました。
応仁の乱・天明の大火により焼失してしまい、現在の伽藍は江戸期の
宝永4年(1707年)に寺名を踏襲して大徳寺の塔頭として建てられたものです。

2000年に行われた雲林院跡東域の発掘調査で初めて平安時代の園池や建物跡・井戸跡
が発見されたようです。

ご本尊

観音堂には十一面観世音菩薩像と大徳寺開山の大鐙国師像が安置されています。

源氏物語ゆかり

またこの雲林院は『源氏物語』にも縁のあるお寺です。

『源氏物語』「賢木」の巻きに光源氏が逢ってくれない藤壺の態度が辛くて出家
しようと伯父にあたる桐壺更衣の兄、律師のいる雲林院に籠るというお話で登場
してまいります。

また賀茂祭りの還立を見物するため朝早くから雲林院辺りに牛車が立ち並ぶ
描写も『枕草子』にでてまいります。

謡曲に「雲林院」というのもそうした昔をしのんで作られたと言われております。

井戸

境内には手水鉢の隣に井戸が残されております。

貧頭蘆尊者

僧正遍昭和歌

境内に小倉百人一首の第12番 僧正遍昭の歌碑が建立されています。

 天つ風 雲かよ比千 ふき登ぢ餘 をとめの姿 しばしとどめむ
 (あまつ風 雲の通い路 吹きとじよ をとめの姿  しばしとどめむ)

境内は静かで、綺麗に整備されていて、時々地元の信者の方がお参りされています。
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