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紫野辺りの史跡
2011 / 09 / 17 ( Sat )
紫野辺りの史跡

常槃井(牛若丸伝説)

京の北区で智恵光院通りの北大路を下がって(南入る)ほどなくの所に
「常槃井」と書かれた小さな石碑があります。

常盤井2 

この石碑のある辺りはその昔、常盤御前(牛若丸の母上)が住まいしていた
一条長成の別邸があった辺りとされ、この常槃井は常盤御前が日常の飲み水や
化粧に使っていたであろうと言われ、「常盤化粧井」と名付けられております。

常盤井

今はしっかりした井戸はなく、石碑だけが残されております。
石碑には 清水宗善之誌として お経の一説が刻まれています。

 願以此功徳 平等成一切 同発菩提心 往生安楽國
 寛永十二択歳十月十五日

 裏側には昭和十四年四月

と記されております。

牛若丸は鞍馬寺に預けられし幼少の頃、16歳で奥州に発つまでの間、
母恋しさに足しげくこの辺りまで通ったことが想像されます。
と地元の方は話されていました。

この常槃井の横を奥に進むと、今は荒れ果てたところに塚があります。
これを「衣縣け塚」と呼ばれる古墳があります。

衣懸け塚

絹懸塚、鐘塚ともいわれているそうです。以前は松が植えられていましたが
昭和の初めに枯れ、その後はイブキが植えられています。

この古墳は紫野一体に散在する古墳の一つで、後朱雀天皇、堀河天皇、二条天皇の
どなたかのものとされましたが、明治のころにその節から除外されたようです。
衣懸けとは、遺骸を風葬するとき、その周囲を布で仕切ったと言われています。
今は古墳の跡かたもないほど荒れています。

石碑の上で近所の猫が爆睡していました。
傍でシャッターを切っても気づかないほど安心してよく眠っていたので
起さないようにそっと足音をしのばせて失礼してきました。

弁慶腰掛石

この常槃井から細い通りを一筋上がった所を東に入ったお米屋さんのお家の中に
「弁慶の腰掛石」という大きな石があります。

お家を改築されるときにこの石を移動させようと試みられたそうですが、その石は
余りにも深く大きかったので、もとのままにして残されたそうです。

弁慶は義経の郎党熊野の弁しょうが二位大納言の姫君に産ませた子
弁心の子湛漕とする節もある鬼若と名付けられた・・・・・と
看板が掲げられております。

弁慶の腰かけ石

この界隈にはその昔、賀茂社に奉仕する斎王が住まいしていた賀茂斎院のほとりには
旧大宮通を南下する有栖川が流れそこに護浄の橋が懸けられていました。
弁慶はこの護浄の橋で力試しの千本目の太刀を奪うために待っていたところ
牛若丸と出合ったと謂われる石であると伝えられているそうです。

通常は五条の橋で牛若丸と弁慶の出会いがあったと伝えれていますが、
こちら出会ったという節もあるようです。

それにしても民家の中にこの弁慶の腰掛石があるというのは何とも奇妙な
思いがいたします。


色紙

お米屋さんには、大徳寺の前管長さん橘大亀老子による「弁慶の腰掛石」
色紙が掲げられております。
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