FC2ブログ
高桐院
2011 / 11 / 14 ( Mon )
大徳寺塔頭 高桐院

大徳寺の塔頭の内の一つ高桐院は本坊から西へ今宮参道の手前を
南に入ったところにあります。

門2

高桐院は慶長6年(1601年)に細川三斎公が父幽斎公の菩提所として玉甫紹和尚を
開祖に迎え創建されたものです。
開祖の玉甫紹和尚は細川幽斎公の弟君に当たられます。

細川三斎公は織田・豊臣・徳川と三代に渡り仕えてきた智将として名高く、また
茶人としても利休七哲のひとりとしてもその名声を残した人であります。

中門

表門から竹林の参道を通り、この中門より中に入ります。

茶室前2

細川三斎公は正保2年83歳で逝去され、その遺言により高桐院に埋葬されました。
法名松向寺殿三斎宗立は「松向軒」として茶席に名命され残されております。
書院は千利休の邸宅を移築したものであるとか、この書院に続いて茶席「松向軒」
があります。簡素なつくりの中に侘茶の空気が感じられます。

茶室前庭

書院前のお庭は紅葉が始まり、自然の営みを感じながらその色合いを
愛で楽しまれた茶の味は格別のものでありましょう。

茶室

茶室は簡素な二畳台目の「松向軒」です。
寛永5年三斎公が建立されたもので、黒壁の珍しい造りで、瞑想の場でも
あったようです。

蹲説明

高桐院内の西部の露路庭には「袈裟形」のおり蹲があります。
説明では加藤清正が朝鮮王城の羅正門の礎石を持ち帰り三斎公に贈られた
ものだとか、

袈裟型手水鉢

この蹲は地面深くに納められているので「おり蹲」というそうです。

灯籠

蹲の隣の燈籠で、いずれも三斎公愛用の物で、参勤交代の時もこの蹲と
燈籠を持ち歩かれたと書かれております。
それにしても、こんなに重い物をどうして運ばれたのでしょうか?

細川三斉の井戸

三斎公の井戸が残されております。

細川ガラシヤの墓石

三斎公とガラシャ夫人の墓石は生前愛用された石燈籠をもってそれに当てられた
ようです。

ガラシヤ墓石2

この燈籠はもとは千利休が秘蔵にしていた名燈籠で、豊臣秀吉と三斎と双方から
所望されていたが、利休はこの燈籠の裏面をわざと三分の一欠けさせ疵物として
その所望を断りました。利休が秀吉から切腹の命を下され、割腹の際改めて
三斎に遺贈されたもので「無双」という名が、また別名「欠燈籠」ともよばれる
燈籠です。

またこの高桐院の墓所には歌舞伎の始祖といわれた出雲のお国、名古屋山三郎や
森鴎外の著作で有名な興津弥五右衛門などのお墓もあります。

掛け軸

客殿には当山住職の「一鳥鳴山更幽」の軸が掲げられています。
鳥が鳴いて山の深さがより深められ、しずかさの幽境そのものという意味
だそうです。

紅葉2

本堂の前庭2

客殿前のお庭は江戸時代初期の造園だ楓樹を主体にした庭園で少しずつ紅葉が
始まり、間もなく真っ赤に色づいたお庭がみられると思われます。
その頃には楓の後ろの竹林の緑、苔の緑とと真っ赤な楓との素晴らしい光景を
みることが出来ます。
又散紅葉のころは、真っ赤な絨毯を敷き詰めたお庭の景色をみることができます。

11月下旬ころが見ごろを迎えることでしょう。
22 : 21 : 01 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<龍源院 | ホーム | 第27回 京都賞>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://kyonoazemichi.blog60.fc2.com/tb.php/363-f1013822
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |