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龍源院
2011 / 11 / 15 ( Tue )
大徳寺塔頭 龍源院

大徳寺の塔頭の一つで、金毛閣の南に位置するところに龍源院があります。
畠山義元公(能登の領主)と大友義長(九州の総督、大友宗麟の祖父)によって
開祖に東渓宗牧禅師を迎え建立されました。
大徳寺中で最も古いお寺であると説明されております。

明治の初めの神仏分離により、現在の大阪の住吉神社内にあった慈恩寺と
金森長近(岐阜高山城主)が大徳寺に創建した金竜寺を合併して
龍源寺として今日に至るそうです。

門

表門は室町時代の四脚門で桧皮葺の一重切妻造りで重要文化財に指定されています。

通路

通路を通り表玄関へと進みます。この通路の奥が唐門になります。

阿吽の庭 阿

庫裏の前庭は阿吽の庭とされています。
阿の丸い礎石は聚楽第のものだと伝えられているようです。

阿吽の庭 吽

掃目の整ったこの阿吽のお庭は「滹沱庭(こだてい)」と称される庭で
中国河北の鎮州城の南にながれる滹沱河より名付けされたそうです。
ここは宗祖が昔住まわれたことがあるところだそうです。

碁盤

龍源院に所蔵されている碁盤はその昔、徳川家康公と豊臣秀吉公が対局
された碁盤だそうです。

碁石徳川  碁石 豊臣

碁石も徳川の葵の紋と豊臣の桐の紋が描かれております。

扁額

方丈

方丈は室町時代禅宗方丈建築としてその遺構を残す唯一のものだと書かれて
おります。一重入り母屋造、桧皮葺は重要文化財に指定されております。

唐門

唐門も同時代のもので一重切り妻造り、桧皮葺は重要文化財となっております。

一枝坦 庭園

方丈前の庭園は「一枝庭(いっしてい)」と名付けられたお庭です。
中央の大きな石組は蓬莱山を表し、不老長寿の吉祥の島で、その右の石組は
鶴島、左の苔の中の石組が亀島を表し、白砂は大海原を表しているそうです。
すばらしく整えられたお庭に暫し留まって眺めてしまいました。

雲龍図

礼の間の龍と波の襖絵は作者、年代は不詳だそうです。

襖絵

開祖堂

方丈の西側には開祖堂があります。

龍吟庭

方丈の裏側のお庭は「龍吟庭」と名付けられ相阿弥の作庭で苔の部分が大海原、
石組が陸地を表し、中央の石組は須弥山、その前の丸石組を遙拝石を表して
いるそうです。 禅の奥義が表されているようです。

狐窟

狐窟と書かれたこのお部屋には「白蔵主」の屏風が置かれております。
この白蔵主には逸話が残されております。

白蔵主 屏風

昔、堺の南宗寺塔頭の松林寺に一人の雲水がおりました。
墨染の衣に身を包み、坐禅をしたり、托鉢をしたり毎日修行に励んでおりました。
ある時はこっそりと町に出て困っている人を助け、又悩んでいる人を救い導いて
助けておりました。実はこの雲水は松林寺の山内耕雲庵に住む一匹の古狐でした。

この狐の亡き後、付近の人々は裏山に祠を建て丁重にお祀りしておりました。
この屏風は鈴木松年氏がこの逸話を題材に書かれた傑作です。
がこの屏風にまつわる実話がありました。

昭和35年5月に大阪西成区に住まいされる杉浦という方が当院へ訪ねてこられ
事情を打ち明けられるに、近年家業が不振でその上家庭内の不運も重なり、
方々で見てもらったところ、あなたの家に狐さんの書いた屏風か軸がありません
か?、その狐はまだ修行をしたいと願っているので、一日も早くどこかの
お寺にあずけなさい。と言われどこに納めたらいいものかと訪ねあぐねて、
当院の前まで来たところ、どうしたことか、ここから一歩も前に進むことが
出来なくなりました。

というお話で、龍源院の御住職はその申し出を快く引き受け、「狐窟」と
名付けたお部屋にお祀りされているというお話です。

大阪の杉浦さんはそれ以後、家業も繁盛し、災いもなく平穏に過ごされているとか

屏風の狐の雲水はとてもその趣を表したどこか、幽霊を醸し出す絵だと
感じさせられました。
面白いお話です。

つぼ庭

方丈の東側にある壺庭は「東滴壺」と呼ばれ我が国では最も小さな石組の
石庭であるとされています。

禅宗のお庭はどこも夫々に工夫されたお庭で手入れが隅々にまで行き届いた
お庭で素晴らしいです。
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