FC2ブログ
蓮光寺
2012 / 02 / 01 ( Wed )
平清盛ゆかりの 蓮光寺

京の下京区 富小路六条下がるに蓮光寺があります。

浄土宗に属し山号は負別山、ご本尊は「負別阿弥陀」

明応9年(1500年)天台宗の真盛上人の弟子で蓮光が新町高辻に高野山の
刈萱堂を模して一宇を創建したことにより始まります。
元は天台宗に属しておりましたが、天正19年(1591年)豊臣秀吉の都市計画
により現在地に移転し、宗派も浄土宗に改められました。

ご本尊の阿弥陀如来は快慶の作と伝えられ、「負別阿弥陀」とも呼ばれています。
快慶が東国の僧の求めに応じて阿弥陀如来を彫ったがあまりの出来栄えに
東国の僧に渡した後も惜しまれ、その僧を追って山科の追分辺りまできました。
そこでようやく追いつき、唐櫃に納められた仏像を拝したいと懇願し、
蓋をあけたところ、仏像は2体に分身していました。
そこで僧は東国に、快慶は当地にそれぞれ一体づつ背負い持ち帰ってお祀り
しました。
その阿弥陀如来がこの蓮光寺の御本尊、僧が持ち帰ったもう一体は
「笈別如来」として仙台市泉区にある阿弥陀堂に安置されているそうです。

駒札

きれいに手入れされたお庭です。

門

扁額には「負別山」と記されております。

本堂

地蔵堂に安置されているお地蔵様は「駒止地蔵」です
弘法大師の作と伝えられ、もとは六条河乗る駒(馬)が六条河原に差し掛かったところ
急に馬が動かなくなり、その場を掘ってみたところお地蔵さまがでてきたことから
「駒止地蔵」と名付けられ、地蔵堂に安置されております。

駒止地蔵

駒止地蔵2

また境内には関ヶ原の合戦や大阪夏の陣で活躍していた武将、
長宗我部盛親のお墓がたてられております。

長宗我部盛親は戦わずして関ヶ原の戦いに敗れお家断絶となった
盛親公は長宗我部家の再起を期して京洛後にすまいしていました。
そんな時当山蓮光寺の住職と親交がありました。

長宗我部盛親

元和元年(1615年)大阪夏の陣で破れ、六条河原で斬首されました。
蓮光寺の住職は所司代板倉勝重に許しを請い首級をこの蓮光寺に
葬って供養いたしました。
盛親公の法名は領安院殿源翁宗本大居士」

長宗我部盛親のお墓

墓石は非常に傷んできておりますが、その年代を感じます。
今もお花が供えられております。


21 : 59 : 05 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<蘆山寺 | ホーム | 西角>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://kyonoazemichi.blog60.fc2.com/tb.php/393-5fc34f99
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |